このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください |
2007年2月25日(日) 二日目 <喜多方(ラーメンと蔵の街並み)、会津若松(鶴ヶ城、飯盛山など)>
<東京→新潟→喜多方>
4時起床。さすがに二日続けての日帰り強行旅行は辛いものがあります。しかし今日の新幹線は6時8分の始発なので、昨日よりも40分も早く家を出なければなりません。朝はかなり眠かったけど、5時前に家を出て東京駅へと向かいました。
今日の行先は福島県の喜多方と会津若松。前々からずっと行きたいと思っていたところです。ただ鈍行で行ってじっくり見ようとすると、どうしても一泊しなければならず、二の足を踏んでいました。でも土日きっぷを使えば1日で行って帰って来れそうです。これは行かない手はない。ただ会津は日本有数の豪雪地帯。昨日の長野よりも寒いという話だったので、今日はきちんと防寒対策をして行きました。昨日のように寒い思いをするのはもう懲り懲りです。
6時8分、新潟行きMaxとき301号に乗車。なぜ福島の会津に行くのに新潟へ行くのかと思われるかもしれないけど、せっかく乗り放題なんだから、乗る機会があまりない上越新幹線に乗ってみたかったというのが理由です。もう鉄ちゃんみたいですね。会津に行くなら東北新幹線で郡山まで行って、そこから郡山−新潟を結ぶ磐越西線に乗り換えるのがポピュラーで一番速いですが、乗り継ぎが悪いから結局新潟から入っても喜多方に着くのは同じくらいの時間になります。
昨日よりも40分早い新幹線だったので、上野を過ぎたあたりから朝日が昇ってきました。きれいです。ただ2階建て新幹線の1階だったから、視線がものすごく低い位置にあって、何かへんな感じ。途中の駅に着いたら視線がホームの高さなんだよな。できれば2階がよかった。
<新幹線Maxとき> | <朝日が昇る> |
昨日の疲れもあったのか、新幹線の中ではいつのまにか寝てしまっていて、気がついたら越後湯沢辺りでした。越後湯沢でスキーに行くと思われる客が大量に降りて、車内ががらんとなるりました。やっぱりこの時期北へ向かう新幹線はスキー客で成り立っているんでしょうか。
8時16分、新潟駅に到着。本当は新潟を満喫したいんだけど、すぐに磐越西線に乗り換えなければなりません。乗り換え時間が6分しかなかったのでちょっと焦ったけど、無事に乗り換えできました。8時22分発の快速「あがの2号」に乗って、約2時間ほどかけて喜多方へ向かいます。この車窓がとてもよかった。始めは米どころ新潟の広大な田んぼが広がり、しばらくするとくねくねと曲がる阿賀野川が眼前に広がります。さすが別名「森と水とロマンの鉄道」というだけのことはある。
<広がる田んぼ> | <阿賀野川> | |
<車内> | <狐の嫁入り行列の津川駅> |
<喜多方 ラーメンと蔵の街>
10時26分、喜多方駅に到着。東京から新幹線を使っても4時間半かかりました。東北新幹線経由でもそのくらいかかるから、やっぱり鈍行で来ようなんて無理だったかも。しかし豪雪地帯で雪が積もっているとはずの喜多方、全く雪が積もっていません。それどころか昨日の長野よりも暖かい。東京の朝6時よりも確実に暖かい。
<ホームと地酒> | <赤べこがお出迎え> | |
<蔵の形をした喜多方駅> | <駅前のなんかすごい店> |
喜多方といえば喜多方ラーメン。札幌、博多と並んで日本三大ラーメンに数えられることもあるというこの喜多方ラーメンを食べないわけにはいきません。ラーメン好きの僕にとっては、聖地巡礼の意味もあります。今日朝食を抜いたのは、ここで最低2杯のラーメンを食べると決めたからです。本場の喜多方ラーメン、非常に楽しみであります。
まずは駅前にある老舗の
丸見食堂
へ。まだ朝早いので、僕が一番の客らしく、店の準備ができてない状態でした。家族経営なのか、ご主人とそのお母さん、先代のご主人がちょっとした喧嘩をしてたような・・・。ただお客である僕に対してはとても愛想がよく、老舗だけあって接客はさすがです。
ここではお薦めであるねぎラーメン(750円)を注文。透明なスープに細切りにされたネギが大量に乗っています。スープを一口飲んでみると、ものすごくあっさりしている。このあっさりさは意外でした。こんなにあっさりしたスープは駒場の「嚆矢」以来です。というか、嚆矢のラーメンにかなり似ているかも。麺は太めの縮れで、これぞ喜多方という感じでした。まあ個人的にはもうちょっと味が濃くてインパクトがあるほうが好みだけど、十分おいしかった。帰り際にお会計をすると、先代のご主人が赤べこのキーホルダーをくれました。ありがとうございます。
丸見食堂で結構お腹一杯になったものの、ここまで来てたった1杯で済ますわけにはいきません。もう1件、喜多方三大名店の一つといわれている
まこと食堂
へ。ちなみに僕は他の二つの店がどこだか知りません。混雑を避けて11時過ぎに行ったというのに、既に店内は満席。しばらくして「相席でもいいですか?」と言われて案内されたのは、なんと母屋の居間というか仏間でした。。生活の香りがぷんぷんする部屋で、壁を見ると普通に遺影が掲げられていたりします。あまりに繁盛するから母屋の居間まで店として使用しているらしいです。周りをみると、全部で20畳くらいあると思われる居間には既に30人くらいの人がラーメンをすすっています。相当な人気店みたい。
しばらくして中華そば(550円)が到着。さっきの丸見食堂のあっさりラーメンと違って、まこと食堂のラーメンは「食べたことある!」というようなラーメンでした。鶏ガラと魚で取ったと思われるスープで、ちょっと油っぽくて塩辛い。でも確かにうまみがある。多分これが「ザ・喜多方ラーメン」なんでしょう。2杯目なのでちょっと辛口評価になってしまいますが、十分おいしかったです。周りのお客さんの多くが大盛りチャーシューを頼んでいたのにも驚いた。そしてお金を払って店を出ると、12時前だというのに既に行列が出来ていました。早めに来ておいてよかった。
<丸見食堂> | <丸見食堂 ねぎラーメン> | |
<まこと食堂> | <まこと食堂 中華そば> |
ラーメン2杯食べて本当に腹が一杯になってしまいました。初めは「3杯くらい食べてやろう!」と意気込んでいたのですが、どう考えても無理です。あんまり食べると腹壊す。本当はもう一件、坂内食堂に行きたかったんだけどね。ということでラーメンは2杯で打ち止めにして、もう一つの喜多方名物である蔵の街並みを散策することにしました。
商店街を中心に、古い蔵がぽつんぽつんと点在しています。昨日の松本の蔵通りが観光客向けに綺麗に整備されているのとは対照的に、喜多方の蔵は今でも生活の一部として根付いている印象を受けました。だからいわゆる観光地という感じではありません。街自体も静かで落ち着いた雰囲気で、散歩するにはもってこいでした。時間があったら酒蔵とか見学して試飲でもしたかったんだけど、残念。
<若喜商店レンガ蔵> | <蔵> | |
<酒屋蔵> | <中学生が書いたラーメンマン> | |
<日本で唯一の蔵の寺 安勝寺> | <磐梯山方面> |
12時38分、喜多方発の電車に乗って、次の目的地である会津若松へ。喜多方滞在は2時間ちょっとで駆け足になってしまったけど、またラーメンを食べに来てみたい。車窓からは雪化粧した磐梯山が綺麗に見えました。
<会津磐梯山> | <のどかな風景> |
<会津若松 白虎隊の街>
喜多方から16分で会津若松に到着。ついにやってきました、会津若松。なぜ「ついにやって来ました」という書き方をするのかと言うと、長州(山口県)出身の僕が会津に来るのは、敵陣に乗り込むことと同じだからです。会津では今でも老人を中心に、長州・薩摩に対する恨みを持つ人が多いといいます。実際に20年くらい前に、山口県の萩市が「戊辰戦争から120年を記念して、友好都市提携しないか」という誘ったものの、市民の「我々は戊辰戦争の恨みを忘れていない」という強烈な反対があり、会津若松市としてもこれを拒否したそうなのです。恨みって恐い。だから今回の会津若松入りは何となく緊張します。万が一出身地を聞かれたとしても、決して「下関です」と言わずに、「東京です」ということにしました。素性は隠さないと、この街では何があるかわかりません。
まずはバスに乗って敵の本陣・・・ではなくて鶴ヶ城址へ。鶴ヶ城の内部は展示館というか綺麗なミュージアム形式になっていて、会津の資料や品々が展示されています。そして3階と4階は戊辰戦争と白虎隊の展示を中心に、幕末の歴史が解説されています。そこに書いてある内容が、やっぱり会津中心というか悲劇が中心となっています。実際の詳しい内容は忘れてしまいましたが、いかに会津や白虎隊が素晴らしく、長州や薩摩がどれほど卑怯で人でなしで悪かったかを仄めかしているような書き方で、長州出身の僕としては「すみません」と謝るしかありません。ほんと、長州を代表して平身低頭謝ります。どーもすみません。
やっぱり敗者は自分が負けたことをずっと根に持つのでしょう。山口では会津と戦ったことすら知らない若者がいるのはもちろん、老人でも知らない人が多いはずです。でも未だに会津には「長州の人間とは結婚させない」という決まりがある家もあるらしく、「長州憎し」が伝統として根付いています。一方通行的な恨み。これは日本と韓国の関係に似ているなぁと思いました。まあ厳密に言えば先の戦争の敗者は日本、勝者は韓国なんだけれども、植民地支配から戦後日本の高度経済成長を横目で見てきた韓国にとって、それこそ忸怩たる思いがあったに違いありません。韓国の日本憎しを見るにつけて、内心もういいじゃんと思っていたのですが、会津の人が140年も長州をうらみ続けているという事実を知り、それだったら韓国が日本を目の仇にするもの仕方がないのかもしれないと思いました。だってまだ太平洋戦争が終わって、わずか60年しか経ってないのだから。
展望台から見えた磐梯山と飯盛山はとてもきれいでした。
<鶴ヶ城> | <庭> | |
<天守閣から磐梯山と飯盛山(右)を望む> |
鶴ヶ城を降りると、係りのおじさんが「是非とも茶室に寄っていってください」と言うので、誘われるままに見てきました。この茶室は当時会津を治めていた蒲生氏郷が、秀吉から切腹を申し付けられた千利休の息子をかくまった茶屋だそうで、その息子が表・裏・武者小路の三千家の発祥となったことから、貴重な建物です(だそうです)。
<茶室「麟閣」> | <茶室の中> |
鶴ヶ城の前から再びバスに乗って、次は飯盛山へ。と思ったら、鶴ヶ城から5,6分くらいのところで「会津武家屋敷」なる場所に停車しました。いや、本当は武家屋敷があってバスがここを通ることも知っていたんだけど、時間とお金を考えたら今回は立ち寄るのをやめておこうと思ったのです。入場料が850円とかいうんだもの。が、バスが停まると、「せっかく来たんだし、ここで行かないと勿体無いんじゃないの」という例の頭の中のすぱくりが出てきて、いつのまにかバスを降りていたのでした。
入場料はやっぱり850円で、やっぱり高いなぁと思いつつも入場すると、その名と通り武家屋敷が広がっていました。ここは幕末期の会津藩家老・西郷頼母の屋敷を中心に、その他歴史的な建物が復元・保存されているところです。「西郷頼母」は「サイゴウタノモ」と読むらしい。
早速メインである西郷頼母の屋敷へ。内部もきれいに復元されていて、結構広いです。中には当時の家具や食器類も展示されていて、何ならこのまま住めそうです。
<西郷頼母邸 表玄関> | <お帰りなさいませ> |
屋敷を奥に進むと、マネキンが置かれた「御成りの間」があります。藩主である松平容保が何度となく訪れ、家老である西郷頼母と話をしたそうです。そしてこの部屋は、2004年の大河ドラマ「新選組」でも実際にロケ地として使われたみたい。僕は新選組を見てたけど覚えてないな。
<藩主松平容保(奥)と西郷頼母(手前)> | <調度品が並ぶ> |
屋敷には「自刃の間」も。戊辰戦争の際に西郷頼母の妻や娘が自害を遂げた間です。屏風が逆さになっているのは、自害を遂げるときの作法らしい。家老の家族は常に死と向き合って生きていかなければならないのか。家族が自害を遂げなければならないなんてね。日本人同士がいがみ合う時代はもう二度と訪れてほしくないものです。
<自刃の間> | <自刃しなければなりません> |
武家屋敷を見た後は、再びバスに乗り、今度こそ飯盛山へ。言わずと知れた白虎隊自刃の地。山であるからして上らなければいけません。動く歩道があるみたいだったけど、冬季運休。でもわざわざ250円も払ってスロープを使うのいうのもねぇ、若い人間にとってはぼったくりのような話です。ということで歩いて飯盛山の山麓へ。昨日今日で歩きすぎているので、もう足が痛い。
<飯盛山の階段と動く歩道> |
階段を上って辿り着いたのは「白虎隊十九士の墓」。手向けられる線香が絶えることはないそうです。僕は墓の写真を撮ったけど、あとから来た親子連れのお母さんは娘に「こういうところでは写真を撮っちゃいけないのよ」と言っていて、そんなもんだろうかと思ったりもしました。ピラミッドの写真なら撮るのにね。
<山麓の広場> | <自刃した少年達の墓> |
もう少し進むと、白虎隊士たちが自害したという場所。少年達はここから鶴ヶ城が燃えているのを見て、もう帰る場所がないと自害してしまいました。しかし、実際に燃えているのは城周辺の武家屋敷で、鶴ヶ城自体は無事だった。少年達は勘違いして自害してしまった——。
鶴ヶ城と白虎隊にまつわる話について、僕の理解はこれくらいです。だからと言っては何だけど、あまりこの話にロマンを感じることができません。こんなことを言うと地元の人に怒られるかもしれないけど、だって白虎隊は早とちりして自害してしまったわけで。それにもう当時は後追い自害の風潮がよくないと思われ始めていた時代です。そのことも考慮に入れないで、少年達が自害が美徳だとして命を捨ててしまったことこそが美徳だ、という話に祭り上げられているのも何だか腑に落ちません。確かに一番の犠牲者は純粋な白虎隊の少年達で、可哀想なことは分かるけど、それ以上の歴史ロマンを感じろと言われると果たしてどうか・・・。
自害の地から鶴ヶ城を望むと、あまりに遠すぎて何処が鶴ヶ城か分かりません。下の写真は7倍ズームで撮った写真のさらに一部を切り取ったものですが、これでも小さく見えるだけです。はっきり言って目視じゃ無理。これなら白虎隊士が見間違えるのも当然かも。
<自害の地から望む鶴ヶ城方面> |
白虎隊の跡を見て、飯盛山を下山。下山する途中に江戸時代の不思議な建造物である「さざえ堂」があるので入ってみました。重要文化財だそうです。
<さざえ堂> |
本来の名称は「旧正宗寺三匝堂」というらしいですが、概観がサザエににているからさざえ堂というそうです。内部は二重螺旋構造になっていて、入り口から最上階まで行き、そこから降りてくるまで人とすれ違わない。そう言われても訳がわからなかったけど、入って歩いてようやく分かりました。要するに二層の螺旋構造だから、入口→最上階→出口と一方通行になってるってことね。一方通行だから確かに降りてくる人とはすれ違わなかった。
<のぼり> | <くだり> |
飯盛山を降りてふもとのお土産屋へ。会津では「天ぷら饅頭」が名物だということで、買ってみました。僕は浅草で売ってる揚げ饅頭が好きなので、多分天ぷら饅頭もおいしいだろうと。1個100円。中はこしあんで、期待通りおいしかった。カロリー高いけど。
<赤べこ人形> | <天ぷら饅頭> |
この時点で4時過ぎ。バスに乗って駅前に戻ろうにも、肝心のバスに目の前で行かれてしまいました。仕方ないので歩くか。知らない街を歩くの好きだし。。飯盛山から会津市街へは4キロ近くあるそうで、右足股関節を痛めてしまった身としては非常に辛いものがありました。素直に次のバスを待てばよかった。。まあ、会津の街をこの足で感じられたのはよかったけれど・・・。会津若松は小ぢんまりとしたのどかな街です。
<会津の裏道> | <会津の表通り> |
50分くらいかかって市街地に到着。この辺りにある「野口英世通り」に行ってみました。何でも野口英世は青春時代を会津若松のこの辺りで過ごしたそうです。開発途中という感じのところだったかな。会津若松も、白虎隊や幕末の史跡だけではなくて、野口英世をもっと押し出していったほうがいいかもしれません。せっかくゆかりがあるんだから。
<古いお土産屋> | <野口英世の銅像> |
さてさて、5時になりました。お待ちかねの夕食でございます。会津といえば蕎麦の名産地。蕎麦を食べなければなりません。ということであらかじめ調べておいた
桐屋権現亭
へ。まず店に入って、2日間お疲れの意味も込めて生ビール!そしてつまみに会津名物の「にしん漬け」を注文しました。にしん漬けとは、身炊きにしんを山椒の葉と酢醤油で漬け込んだ、会津伝統の味だそうです。これが味がしっかりしていて、おいしい。しかも鰊の歯ごたえがしっかりしているので、鰊を噛むと中からうまみがキュッと出てきます。これがたまりません。ビールにも合う。いや、しかし、完全なるオッサンだな。。
そしてメインの蕎麦。限定の「会津頑固そば」(1300円)を注文しました。お店側の説明によると、「石臼挽きのこだわりのそば、つなぎを一切入れない100%のそばで、味、香りをお楽しみください。」とのことです。正直なところ、前日の信州そばで衝撃を受けたので、もうびっくりすることはないだろうと思っていたけど・・・いやー、おいしかった。昨日と同じくらい衝撃。そばってこんなに香り高くて歯ごたえがあっておいしいものなのかと。蕎麦粉100%だと、本当に蕎麦の香りが漂ってくるんですね。ちょっと高かったけど、いいもの頂きました。ご馳走様。
<ビールと会津料理のにしん漬け> | <会津頑固そば> |
そばを食べ、腹ごなしに歩いて会津若松駅まで。あとは電車に乗って帰るだけです。正直なところ、もう右足が限界だったので早く帰りたいところ。6時2分発の磐越西線に乗って、郡山へ。
<夕暮れの会津若松駅> |
<郡山と福島>
7時14分、郡山着。あとはここから新幹線に乗って東京へ戻るだけです。でもせっかく「土日きっぷ」という乗り放題切符を持っているのに、このまま帰ってしまうのは勿体無い!と、魔が差した僕は足も痛いのに北へ向かう新幹線に乗ったのでした。せっかく福島県に来たのに、県庁所在地である福島市に行かないとは何事か、と。こうして7時32分の新幹線に乗って福島へ。郡山—福島間はわずか15分です。早い!
福島県の県都、福島市。しかしその玄関駅であるはずの福島駅には寂しくなるほど人がいません。郡山は人でごった返していたのに、福島は何なんだ・・・?試しに外へ出てみたところ、これまた結構寂しい感じでした。県庁所在地の駅前なのに・・・。結局福島には特に何もないと判断した結果、次の新幹線に乗って郡山にとんぼ返り。福島滞在時間わずか30分。まあ、また昼間に来てみよう。
ちなみに帰って調べたところによると、福島よりも郡山の方が人口が多く、商業も盛んなようです。福島市は仙台に近いこともあって、商圏としてはほとんど仙台の範疇らしい。そういうことで、行政機能に特化している街みたいです。山口市みたいですね。
さて、郡山に着いて、後は予約していた新幹線に乗って帰るだけです。新幹線まで時間があったので、郡山の定番土産である薄皮饅頭を二つ買って食べました。おいしいね。
<福島駅> | <薄皮まんじゅう> |
8時57分発のつばさに乗り、一路東京へ。東京には10時20分に到着し、11時前に帰宅しました。
というわけで、二日間にわたる土日きっぷの旅は終了。使い方さえ考えれば、土日きっぷはかなり使えます。本当に今まで知らなかったのが悔やまれる。最後は足を痛めてしまって歩けない状態までになってしまいましたが、これに懲りず、また土日きっぷを使ってぶらり旅行をしようと思います。次は新潟方面かな?
このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください |