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京都・北近畿旅行記 3  
2009年1月12日() <京都(石清水八幡宮)、彦根(彦根城、玄宮園)>


<石清水八幡宮>

 京都宇治のあおかつ宅で目が覚めたのは朝9時。最近睡眠時間は4,5時間程度になっているので、久しぶりにぐっすり9時間も寝ることができました。でも今日は青春18きっぷで帰るつもりだから、本当は朝6時に起きるつもりだったんだけども。あおかつ君はまだ寝ているので、一人いそいそと昨日かったカレーパンを食べて、あおかつ宅を後に。毎度お世話になりました。見送ってくれるとき、あおかつと彼女さんの体調が悪そうだったので心配しましたが、後から「二人とも熱出てます」というというメールが送られてきました。やっぱり寒さが堪えたかな。お大事に・・・。

 もうあとは帰るだけでしたが、せっかくだからちょっと寄り道して帰ろうと思い、まだ行ったことのない石清水八幡宮へ行ってみることに。近鉄から京阪に乗り換えて八幡市駅まで行き、そこでケーブルカーに乗り換えて男山山上駅まで行くと石清水八幡宮はすぐそこです。思った以上に参拝客が多く、特に行きのケーブルカーは乗車率200%くらいの感じでした。成人の日だからか?


<ケーブルカー>
 
<山頂駅>

 さて、石清水八幡宮と言えば有名なのは徒然草の一節の「仁和寺にある法師」。せっかく石清水八幡宮に来たのに、麓にある付属の神社だけに参拝して、これで石清水八幡宮は参拝したと思い込んだ。ところが本物の石清水八幡宮は山の上にあるのであって、法師は山に登る行列が気になりながらも、石清水八幡宮に参拝するという当初の目的を果たしたと思い込んでいたので登らなかった。いやーほんとに、どんな些細なことでも案内人というものは必要なものですよねぇ。あちゃー。という有名な一節です。高校の古文の時間を思い出します。まあ情報の少ない昔ならそういうことは十分あり得ることだと思うので、この法師を馬鹿にすることはできませんが。

 しかし今の時代は便利なもので、麓からケーブルカーが通っているので誰でも楽に石清水八幡宮に来ることができます。これは仁和寺の法師も、吉田兼好も考えなかったことでしょう。それと引き換えに、僕は麓にある付属の神社に参拝してないのだから、逆に見えていたものが見えなくなったというところでしょうか。何だ、今の自分も仁和寺の法師と変わらないじゃないか。先達はあらまほしきことなり。


<鳥居>
 
<参道>

<楼門>

<拝殿>

 石清水八幡宮に参拝して、裏手に回ると京都市内が一望できる場所に出ます。遠くに比叡山が見えて、その手前には京都市街地、かすかに京都タワー、そしてさらに手前には奥から桂川・宇治川・木津川が並び、景色の左端の方で三河川が合流して淀川になると、そんな景色です。三つの河川が一点で合流するのは結構珍しいことだそうで、洪水対策のために人為的に作り出したとしてもそれはそれで価値があるものなんじゃないかと思います。


<木津川と遠く京都市街>

 石清水八幡宮から麓に戻り、八幡市駅で12時の電車に乗って京都駅へ。

<彦根 彦根城とひこにゃん>

 12時半頃、京都駅に到着。どこかで昼食を食べようと思いましたが、そこは三連休の京都。地下街ポルタの飲食店はどこも並んでます。これから18きっぷで帰ろうとする自分にとって、並ぶ時間は無駄以外の何物でもないと思い、飲食店で食べることは早々に諦めました。適当に弁当でも買って電車の中ででも食べよう思い、伊勢丹地下の弁当売り場へ行くと、いつも売り切れていて買えなかった「はつだの特撰和牛弁当」が!昼過ぎだというのにそろそろ売り切れそうな勢いだったので、またとないチャンスと一つ買いました。「ようやく巡り合えたね、和牛弁当」と言いたいくらいです。値段は1680円とかなりしますが、素晴らしくおいしいという噂を聞いていたので迷いはありません。最終日に思いがけない幸せが舞い込んできた気分。問題は、どこでこの弁当を食べるか、ですが・・・。

 後は18きっぷを使ってとことこ東京まで戻るだけですが、せっかくだから途中どこかで寄り道して帰ろうと思いました。18きっぷを使うのにどこにも寄らないなんて勿体ない、という貧乏性の真価を発揮したと言っても過言ではないですが、それよりもどこかの駅の待合室で早く和牛弁当を食べたいのが一番の理由です。結局、ひこにゃんで一躍有名になった彦根に寄ることにしました。

 1時ちょうどの新快速に乗り、1時46分に彦根に到着。駅の待合室に入り、さっそくはつだの特撰和牛弁当を。予想していたのは牛丼みたいな感じでしたが、食べてみると炭火焼肉の焼肉丼という感じでした。これは予想外。調べてみると塩バラ肉だそうです。肉とご飯の間には少量の千切りキャベツが入っていて、これがシャキシャキとした触感を与えるとともに肉汁がご飯に染み込まない構造になっています。肉自体は冷めているにも関わらず、柔らかくて炭火の匂いがしておいしいこと。いや、これはすごいわ。念願叶っただけのことはありました。今後も京都に行くことがあったら買います。


<京都はつだの特撰和牛弁当>
 
<彦根駅にもひこにゃんが>

 腹も満たされたところで彦根城方面へ。今日中に東京に帰りつくためには1時間ほどの時間しかとれないので、かなり急ぎ目で見物しなければなりません。ちょうど今は「井伊直弼と開国150年祭」が開催中のようで、街中にひこにゃんがあふれています。


<こうみると結構かわいい>
 
<幟にひこにゃん>

<遠くに彦根城が見える>
 
<市役所にもひこにゃんの垂れ幕が>

 彦根城に到着し、まずは天守閣へ。駅から歩いているときに山の上に見えたので、あれを登るのは面倒だなぁと思いましたが、てくてくと登ってきました。城のうち国宝に指定されているのは姫路・松本・彦根・犬山の四城ですが、僕にとって彦根が最後の国宝四城。長い時間がかかりましたが、ようやくコンプリートです。彦根城は意外とこぢんまりしています。外観は何となくエキゾチックな雰囲気がしないでもありません。天守の大きさでいうと、姫路>松本>犬山>彦根という感じでしょうか。


<彦根城>
 
<国宝彦根城天守閣>

 天守の中は木造で階段が急な現存天守独特の感じ。階段は急ですが、けが防止のために金属の手すりや階段の加工がされています。当時のままではなくなってしまいますが、こればっかりは仕方がないことか。よく昔の人はあんな急階段をさくさくと登れたもんだと思います。

 

 天守閣最上階からの景色は、彦根市街から琵琶湖が見えて、なかなかの景色です。こうして間近に琵琶湖を見たことはなかったので、その大きさに驚きました。


<天守閣最上階から琵琶湖を望む>

 時間もないので、天守閣を見るのもそこそこに麓の玄宮園へ。彦根藩主井伊家の庭園で、傍にある楽々園という屋敷であの井伊直弼が生まれています。庭から彦根城も見えて、落ち着いた雰囲気の庭園でした。しかし本当に、大名は皆同じような庭園を造りたがるのが不思議です。時間の関係からじっくり見られなかったのが残念。庭園を出たところに井伊直弼の像があり、解説を読むと以下のように書かれています。

 「開国の英雄井伊直弼は、文化12年(1815年)に彦根城下の下屋敷(槻屋敷)に生まれ、嘉永3年(1850年)に36歳で彦根藩主となり、安政5年(1858年)には江戸幕府の大老職となった。同年6月、直弼は我国の将来を考えアメリカとの開国を決断。この大偉業を成し遂げた直弼は、心情をくむことができなかった人々によって安政7年(1860年)3月3日に桜田門外で暗殺され46歳の生涯に幕を閉じた。」

 彦根では井伊直弼は悲劇のヒーローというわけですね。長州生まれの僕は井伊直弼は極悪人だと習ってきました。勅許もなしに勝手にアメリカと通商条約を結び、将軍後継を決め、安政の大獄で吉田松陰らを殺したという、権力に溺れて自分の縦にしてきた人間、それが今までの井伊直弼に対する印象でした。でも調べてみると評価は分かれるようですね。如何に全国で歴史認識に違いがあるのかが分かりました。


<玄宮園>
 
<彦根城も見える>

<玄宮園>

<井伊直弼の像>

 本当は博物館も見たかったところですが、本当に時間がなかったので後ろ髪引かれつつも急いで駅に向かうことに。ひこにゃんも含め、彦根はもう一度ゆっくりと訪れたいと思います。1時間じゃ短すぎる。

 彦根からはひたすら普通電車を乗り継いで東京まで。彦根15:12→米原15:30→大垣16:09→豊橋17:34→浜松18:12→静岡19:29→東京22:43→吉祥寺23:19と、8時間かかりましたが無事帰ることができました。8時間あっても本や論文を集中して読んでいれば結構苦痛を感じません。ひょっとして自分は机より電車に乗っている方が研究が進むのでは?なんてことすら思いました。最後の静岡東京間の普通電車は、東京発のムーンライトながらとして運び込むための電車だったので、特急車両で座り心地がよかったというのも楽だった要因かもしれません。・・・でもまた18きっぷで鈍行移動しろと言われたら、さすがに嫌かな・・・。


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