このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください

東京見聞録
2005年12月12日() 四日目 <太秦と広隆寺>


京の朝はイノダのコーヒーから始まらなかった>

 最終日は9時前に起きて帰る準備をし、9時半にお世話になりっぱなしのあおかつ邸を後にしました。今日は5限のゼミがあるので、4時には東京駒場に着きたいところです。そこから逆算すると、1時に京都を出ればよいということが分かったので、それまでの約3時間半を観光に費やすことにしました。3時間半で行って帰れるところと言えば太秦なんていいかなということで、太秦の広隆寺へ行くことに。

 その前に朝食をということで、一度行ってみたいと思っていた、堺町三条にある「イノダコーヒ本店」に行きました。朝7時の開店と同時に満席になる、京都の老舗コーヒー店で、「京の朝はイノダのコーヒーから」とも言われる超有名店です。ここの「京の朝定食」(1000円)を食べてみたかった。・・・と思って行ってみたら、やはり人気店のようで順番待ちの様子です。しかも大体は二人以上で入店しています。・・・まぁ、あれだ、今回は時間もないし、残念だけれどもやめておこう。仕方がない。今度また、朝一番くらいで行きます。結局近くのマクドナルドに入ってしまいました。こういうのはやめたいんだけど、なかなかねぇ。 

<太秦広隆寺>

 マクドナルドでコーヒーを飲んでゆっくりしていたら、時間も10時を過ぎたので、やや急いで広隆寺へ。地下鉄で二条まで出て、そこで山陰本線に乗り換えですが、山陰本線の本数は少なく、一本乗り過ごしたために、20分近くも待たなければいけなくなりました。この時間ロスは結構痛いです。


<JR二条駅ホーム>

<地下鉄延伸工事中>

 ようやく電車が来て乗車し、太秦に着いたら既に11時。


<JR太秦駅>

<太秦駅から嵐山方面を見る>

 太秦駅からは歩いて広隆寺へ。広隆寺に最もアクセスがよいのは私鉄なので、わざわざJRで来る人はいないみたいでした。JRの駅は完全に通勤通学用としての庶民の足になっています。広隆寺までは駅から歩いて約15分。古くからの住宅地であろう、落ち着いたたたずまいの道を抜けると広隆寺に到着。広隆寺は京都最古の寺で、その創建は630年頃らしいです。豪族秦氏が聖徳太子から仏像をもらい、それを本尊として建てたのが始まりで、当時はまだ大化の改新も起こっていない頃です。1400年も前のこと。

 広隆寺で有名なのは、国宝第一号の「 木造宝冠弥勒菩薩半跏思惟像 」。これが見たいがために広隆寺にやってきたと言っても過言ではありません。高校時代に日本史で半跏思惟像を習って、一度本物を見てみたいものだと思っていました。拝観料700円を払って霊宝殿に入ると、たくさんの仏像の中心に半跏思惟像が!思っていたより小さかったですが、それでもその柔和な顔を見ると言葉が出ません。ずっと見ていたくなる不思議な感覚に陥ります。来てよかった。


<広隆寺 本堂>

<広隆寺 講堂>

 半跏思惟像を長く見ていたかったけれど、時間の都合上そうもいかず、11時40分くらいに広隆寺を後にしました。そして太秦駅へ。太秦駅へ戻る途中、東映京都撮影所の正門前を通りかかりました。ガイドブックを見ると、正午頃は俳優さんが昼食に出かけるので会えることもある、ということが書いてありましたが、超有名人には会いませんでした。3人組の強面のおじさん達は見たけど、名前がわからない。もしかしたら悪役の方かも。


<東映京都撮影所>

<太秦駅が見える>

 12時前に太秦駅に着き、12時9分の電車に乗って京都駅へ。

<帰りの新幹線で駅弁を食べる>

 いよいよ京都の旅も終わりです。今回はリッチに京都ならではの駅弁を買って、新幹線の中で食べることにしました。選んだのは「新撰組ゆかりの幕の内」というもの。1000円です。新撰組にゆかりの品々をかたどった中身があるらしい。そんな駅弁を買って、13時9分の新幹線のぞみへ。新幹線に乗って早速駅弁を食べてみると、なかなかの味です。新撰組とは直接関係があるとは言えない食べ物ですが、それでも工夫されていておいしい。個人的には芹沢鴨に関連すると言うことで入っていた「鴨ロース」がおいしかった。


<新撰組ゆかりの幕の内>

<中身>

 駅弁を平らげたらとたんに眠くなり、米原を過ぎた辺りからは寝ていたようで、気がついたら新横浜まで来ていました。そして品川で降りて山手線、井の頭線と乗り継いで駒場へ。今回も楽しい京都旅行になりました。


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