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京都・奈良旅行記 4
2011年1月9日() 4日目 <奈良(平城京跡、西大寺、菅原天満宮、唐招提寺)>


<茶がゆと平城宮跡>

 奈良二日目は7時起床。昨日のサイクリングで程良く疲れているので今日はゆっくりとしてから東京に戻ろう・・・と思っていましたが、旅先だとどうしても欲張って予定を詰め込みたくなるのが悪い癖です。今回は奈良中心部でまだ訪れたことがない場所に行ってみようと思います。

 朝食は泊まっているホテルにも付いていますが、昨日食べて若干物足りなさを感じたので、どこか奈良らしい朝食を食べられる場所はないものかと、昨晩ネットで調べました。すると平城宮跡に近い奈良ロイヤルホテルで、茶がゆを始めとした奈良の特産品を使った朝食バイキングをやっていて、宿泊者以外も利用可とのこと。「奈良にうまいものなし」と言われますが、茶がゆは食べておきたい一品です。ということで7時半にホテルをチェックアウトし、ホテルの無料貸し出し自転車を使って一路奈良ロイヤルホテルまで。自転車が無料というのはありがたい。

 三条通りを西に進み、8時前に奈良ロイヤルホテルに到着。せんとくん達がお出迎えしてくれます。右のな〜むくんは禿げてるのか?


<朝食のために奈良ロイヤルホテルへ>

<せんとくん達がお出迎え>

 ホテルの1階にある「万葉亭」へ。入り口でバイキング料金の1800円を払って中へ。メニューは和洋ありますが、目当ては奈良の食材にこだわった和の数々。大和まなの煮びたし、柿なます、大和いものとろろ、奈良漬、ごま豆腐などなど、結構な数の奈良メニューがあります。ご飯も奈良県産のひのひかり。一皿目は特産品を中心にしてひのひかりの玄米ご飯をいただきました。

 取り過ぎてしまったので一皿目で既に腹一杯の状態でしたが、茶がゆを食べなければ来た意味がないということで茶がゆ中心の二皿目へ。茶がゆは本当にほうじ茶だけで炊いたもので、「茶がゆ」以上でも以下でもありません。でもさらっとしているので結構食べられます。そしてこの茶がゆに奈良漬けが合います。漬け物でお粥を食べて味噌汁を飲めば、心の底から「日本人でよかったっ!」と思います。結果として食べ過ぎて食後のデザートまでたどり着けなかったのが心残りではありますが、これなら1800円出す価値もあったかと。おいしかった。


<朝食バイキング一皿目>

<茶がゆに変えて二皿目>

 食後、再び自転車を漕いでホテルから西へ進むと、広大な敷地に突き当たりました。ここが平城宮跡。かなり広大です。遠くにぽつんと復元された大極殿が見えます。が、目の前に平城宮跡の敷地は広がっているものの、ここからどうやって入って行けばいいかが分からず、表門に当たる朱雀門に向かうことに。さすがに敷地が広大なので、朱雀門に着くまで自転車でも10分ほどかかります。


<平城宮跡の広大な敷地>

<平城宮跡の中を近鉄線が通る>

 平城宮の正門に当たる朱雀門に到着。平成10年に復元されたそうです。去年が平城遷都1300年でいろいろなイベントが行われていたということですが、今年に入って1301年目になったためか人も少なく、広い朱雀大路がやや寂しげです。


<遠くから朱雀門>

<ちょっと寄って朱雀門>

<さらに寄って朱雀門>

<真下から朱雀門>

 朱雀門をくぐって中に入ると、遠くに第一次大極殿が見えます。第一次大極殿は平城遷都1300年に合わせて昨年復元されたばかり。その前を近鉄線が横切っていて、踏切もあります。平城宮跡は国立公園化されることが決まっているので、将来はこの近鉄奈良線も移動もしくは地下化するとの話があるようです。個人的には電車に乗っているときに見える平城宮跡が良いので、このままでもいいんじゃないかとも思いますが・・・。


<電車の向こうに第一次大極殿>

<朝堂院跡と大極殿>

<大極殿の敷地ではマラソン大会開催中>

<大極殿の敷地は広大>

 マラソン大会の最中の道を抜けて第一次大極殿へ。大極殿の敷地の広さだけ見ると中国の紫禁城に引けを取らないような気もします。建物自体の大きさはあちらの方が大きいのだけど、中国の条坊制をまねたのが良く分かる配置になっています。大極殿の中には入ることができるということで、展示を見て昔の天皇気分を味わってきました。


<(第一次)大極殿>

<大極殿内部>

 続いて第一次大極殿の東隣にある第二次大極殿跡へ。第一次大極殿は平城遷都の710年から恭仁京に遷都される741年まで用いられ、第二次大極殿は745年に平城京に還都してから使用されたものだそうで、こちらは場所と基石だけが復元されています。

 藤原広嗣の乱後、聖武天皇は741年から745年の間に恭仁京、紫香楽宮、難波京を転々とし、再び平城京に戻っています。聖武天皇は東大寺と大仏を建てたことで後世ではかなり有名な天皇にはなっていますが、こういった放浪癖があったりバカでかい大仏を建てたりと気分屋の面が大きく、当時の家臣からしてみれば大変な天皇だったのではないかとも思ってしまいます。5年間で4回も本社移転するようなもんだから、こういう上司を持ったらたまったもんじゃないだろうなあ。


<第二次大極殿跡から若草山と東大寺が見える>

<第二次大極殿の跡>

 一通り平城宮跡を見終わったので、西側の出口から出ようと思ったら、その辺り一帯はマラソン大会のスタート地点になっており、多くの市民ランナーたちがいます。自転車で掻き分けて進めない。。仕方ないので遠回りして朱雀門まで戻りましたが、大きな誤算でした。まあ確かにマラソンには最適の場所だけど、ゆっくりと観光できなくなってしまうのは勘弁だなあ。あと、圧倒的な場違い感。来る日を間違ってしまったか。


<マラソンスタート地点で前に進めないので迂回する>

<奈良市街に光が差し込む>

<西の京を巡る 西大寺・菅原天満宮・喜光寺・垂仁天皇陵・唐招提寺・薬師寺>

 平城宮を出た辺りから天気が悪くなり、今にも雨が降り出しそうな雰囲気になりました。自転車で雨に降られては困るので、やや急ぎ目で次の目的地へ急ぐべく、秋篠川沿いのサイクリングコースを北上して大和西大寺駅方面へ。


<秋篠川沿いのサイクリングコースを北上する>

<大和西大寺駅に到着>

 大和西大寺駅近くに、その駅の名前の元となった西大寺があります。西大寺は天平年間に創建された南都七大寺の一つ。西大寺という名前であるからして、当時は東大寺との二大巨頭関係にあったそうですが、西大寺は台風や火災によって徐々に衰退してしまったそうです。本堂の前には東塔跡の巨大な基壇が残っており、西大寺が盛隆を極めていた往時の様子が少しだけ偲ばれます。


<西大寺に到着>

<西大寺の境内を歩く>

<西大寺本堂>

<本堂の前に東塔跡の巨大な基壇がある>

 西大寺から住宅地の中を南に2kmほど行くと、菅原天満宮。「菅原町」と呼ばれているこの辺り一帯は、土師器や埴輪を作りを担当していた古代豪族の土師氏、その子孫に当たる菅原氏の本拠地に当たり、菅原道真もこの地で生まれたそうです。天満宮の近くには道真の産湯に使われたという池も。今の池には藻が張っていて、到底産湯に使えるような代物ではありませんが。

 菅原天満宮は本当に住宅地の中にあり、規模も小さいですが、菅原道真生誕の地だということで全国の天満宮の中でも由緒が正しいそうです。ということは、あの北野天満宮よりも大宰府天満宮よりも格上ということ。一応僕も学問系関係者の末席に位置する者なので、そんな由緒正しい菅原天満宮で一生懸命お祈りしてきました。


<菅原一族の地なので菅原町>

<道真の産湯に使われたという池>

<菅原天満宮>

<牛をなでるのは北野天満宮も一緒か>

 菅原天満宮で一生懸命お祈りしていると、ぽつぽつと雨が降り出しました。本格的に降り出すと大変なので、やや急いで次の喜光寺へ。菅原天満宮の近くにあります。喜光寺は行基の創建で、本堂は東大寺の大仏殿より前に建設されており、「試みの大仏殿」と呼ばれるそうです。東大寺大仏殿の10分の1の大きさで、是非ともじっくり見物したいところでしたが、小雨が降ってきて先を急ぎたかったのと拝観料(300円)が必要だったこともあり、外の柵から覗き見する形で済ませてしまいました。柵から覗いたので結構見辛かったですが、確かに東大寺大仏殿にそっくりです。金を落とさずどうもすみません。


<喜光寺南大門>

<「試みの大仏殿」と呼ばれる本堂>

 さらに南下して垂仁天皇陵へ。垂仁天皇は紀元前後に在位したと言われる第11代天皇で、日本武尊の祖父に当たります。何でも139歳まで生きたらしい。もっともこの時代の天皇はほぼ全員が100歳を超えて生きており、すごい人になると200歳近くまで生きているので、その史実性には疑問符が付くそうです。ただそういうことは抜きにしても、墓が作られてから2000年もの間そのままの形で保存されているのは純粋に凄いと感じます。天皇家の力恐るべし。


<前方後円墳の垂仁天皇陵>

<小島は側近・田道間守の墓>

<陵の前で手を合わせる>

<すぐ近くを近鉄橿原線が通る>

 垂仁天皇陵からさらに自転車を漕いで南へ向かい、唐招提寺へ。唐招提寺は3年前の春に来ていますが、その時は金堂が平成の大修理で見ることが出来なかったので、今回が初めての御対面です。解体修理中に東京の国立博物館だったかで行っていた唐招提寺展で、金堂の構成物の一部を見たような気がしますが、ともかく全体として見るのは初めて。10年の大修理を終えて落慶した金堂は、実際に見ると確かに巨大で迫力があります。


<唐招提寺南大門>

<10年に及ぶ大修理が終わった金堂>

<金堂を真下から>

<講堂(手前)と金堂(奥)>

 唐招提寺に来たので、鑑真和尚の御廟に参拝することに。天気が悪いこともあってか御廟周辺は日が暮れたように暗く、おどろおどろしい雰囲気がします。御廟に参拝して金堂に戻ったところでスコールのようなにわか雨が。雨に打たれる金堂を眺めながら、休憩所の軒下で10分ほど様子を見守りました。10分すると雨が上がって青空が広がり出し、絶好のサイクリング日和に。 


<鑑真和尚の御廟へ>

<薄暗く苔生した御廟近辺>

<鑑真和尚の御廟>

<雨が上がり晴れてきた>

 雨が降っていたら一目散に奈良駅方面まで戻ろうと思っていましたが、上手い具合に晴れました。そこでよくガイドブックに載っているような薬師寺の写真を撮ろうと思い、唐招提寺から南下して大池へ。「池越しに薬師寺を望む絶好のポイント」とガイドブックに書かれている場所に行ってみると、確かに良い景色が望めます。大池越しに見える薬師寺の金堂、西塔、東塔。さらに遠くには若草山。素晴らしい風景です。ただ、今使っているデジカメは3倍ズームが最大なので、よくガイドブックに載っているような望遠で撮られたような写真は撮れません。左下の写真は3倍ズームで撮ったものですが、やっぱり迫力に欠けます。大変残念です。別売りの望遠レンズを買うべきか・・・。

 薬師寺も3年間に訪れたので、今回は外から眺めるだけにしました。前を通りかかった時に東塔の一部が見えたので、解体修理前にとりあえずその雄姿を収めておきました。東塔はこれから10年近くかけて解体大修理を行うとのことです。 


<大池越しに眺める薬師寺と遠く若草山>

<そろそろ解体修理が始まる薬師寺東塔>

 これで西の京周辺の散策は終わりにして、ホテルに戻って自転車を返却。時間も昼の2時近くだったので、最後に繁華街で何か食べてから帰京しようと三条通り、餅飯殿通りをうろうろしました。しかし三連休の中日、さすがに人通りが多く、目星を付けていた飲食店は2時前だというのにどこも行列が出来ています。奈良を舐めていた。


<三条通り>

<餅飯殿(もちいどの)通り>

 どこで食べようとかと困っていると、餅飯殿通りの入り口にある店から餅つきの威勢のよい声が聞こえてきました。見に行ってみると、めちゃくちゃ早いペースで餅つきをしています。何でもTVチャンピオンで優勝したほどの「高速餅つき」らしい。さすがにこれだけ早いと見物客も出るわけだ。分かっていても怪我しないかハラハラしてしまいます。ただその高速餅つきでつかれた蓬餅はおいしそうだったので、1つ(130円)購入しました。柔らかくて餅が良く伸びます。さすがにつきたて。餅はつきたてに限ります。


<行列のできていた中谷堂>

<つきたての蓬餅>

 蓬餅を一つ食べて血糖値も上昇したので、とりあえず奈良での食事は諦めて帰りの新幹線で駅弁でも食べることにして、これで帰京することに。みやこ路快速に乗って京都まで。   


<さよう奈良>

<みやこ路快速に乗って京都まで>

 京都に到着後、伊勢丹地下で新幹線内で食べるための弁当を探していると、はつだの特選和牛弁当がまだ売られていました。三連休中日の夕方なので端から諦めていましたが、まさかまだ売られているとは。嬉しい誤算でした。残りもわずかだったので見つけた瞬間に速攻で買い、4時2分の新幹線のぞみに乗車。 


<連休中日の京都駅>

<思った以上に過密ダイヤ>

 新幹線乗車後、はつだの特選和牛弁当で遅めの昼食にしました。1600円と弁当にしてはそこそこの値段がしますが、この和牛弁当はいつ食べてもおいしい。炭火で焼かれて塩ダレで味付けされた牛肉と、その下に敷かれているキャベツ、そして白米と、三層構造になっています。このしなしなになったキャベツがかなりいいアクセントになって、焼肉の濃さを中和してくれます。今回も食べることができてよかった。この弁当を食べるといつもテンションが上がります。


<新幹線ではつだの特選和牛弁当と宇治茶>

<和牛弁当はいつもおいしい>

 6時20分に東京に到着し、7時過ぎに帰宅。充実した出張(にかこつけた旅行)でした。


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