このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください

三浦半島旅行記 2  
2008年4月29日() <横須賀(カレー、軍艦三笠)、浦賀、久里浜、三崎(マグロ)、城ヶ島>


<再び三浦半島へ 三浦半島最南端の城ケ島と三崎のまぐろ>

 前回から2日経った4月29日、前回の消化不良を解消すべく、再び三浦半島へ。今回は電車を使った一人旅です。一人のときはもちろん気合いを入れて朝早く出発。渋谷を朝5時15分に出発する東横線各停に乗って、横浜に5時53分に到着。横浜で京急の 「三浦半島1DAYきっぷ」 を買い、6時5分発の京急三崎口行き特急に乗り込みました。三浦半島1DAYきっぷは出発地からフリー区間までの往復乗車券と、フリー区間の京急線・京急バスが乗り放題になるというもの。基本的に三浦半島は京急の支配下にあり、バス路線も結構充実しているのでかなり使える切符じゃないかと思います。横浜発で1400円という低価格なのも魅力。

 横浜を出た京急の特急は、出発時に「ドレミファソラシド〜」という音を鳴らす、いわゆる「ドレミファインバータ」を採用している電車でした。まあ、厳密な音は「ドレミファソラシド」じゃないんだけど、そこは置いといて、特急はびゅんびゅん飛ばして三浦半島を南下。横須賀を通り過ぎ、三浦海岸を通り過ぎ、6時55分に終点の三崎口に到着しました。ちなみに27日ほうの旅行記で「初めての三浦半島」と書きましたが、実は4年前の合宿で三浦海岸に来ているので、実は初めてじゃないなぁと先ほど気がつきました。逗子や葉山なんかも広義には三浦半島だから、結構何度も来てるのね。


<終点 三崎口駅>

<三崎口駅ホーム>

 最初に向かうのは、三浦半島南端の三崎と城ケ島。6時59分の城ケ島行きバスに乗り、城ケ島大橋を渡って、30分程で城ケ島のバス停に到着しました。今日は最初に、この周囲4kmの城ケ島を散策しようと。テーマパークや観光施設に行く場合、朝早いと開いてない場合がありますが、自然を眺めつつ散歩するのなら朝が一番です。その後の時間も有効に使えるし、何より人が少なくて空気もおいしい。今回もそれを実行するべく、朝一番に選んだのがこの三浦半島最南端の城ケ島でした。ウィキペディアなんかによると、城ケ島は鎌倉時代以来の景勝地であるらしく、いろいろと風光明媚な場所が多いので楽しみです。が、島の周囲を散歩しようと意気込んでいると、早速通行禁止の立て看板。最初から迂回しなければならない羽目に。


<早速の通行禁止>

<出発地点:城ケ島大橋のふもと>

 まず最初は島の東端にある城ケ島公園へ。公園の東端は島の東端でもあり、その岩場には無人の安房崎灯台が立っています。安房崎というのは、ここから対岸の安房(房総半島)が見えるということですが、今日は天気はいいものの靄がかかっていて千葉は見えず。朝早いので人はほとんどいませんでしたが、灯台の傍で磯釣りをしている人が一人。潮の流れから、ここは良い磯釣りポイントらしいです。


<城ケ島公園入り口>

<入口付近はアスファルトの道>

<東端の安房崎灯台を眺める>

<太平洋を行く船>

<安房崎灯台付近のゴツゴツした磯>

<ろうそくのような安房崎灯台>

 公園の後は時計回りに島を一周することにし、まずはウミウが生息するという赤羽根海岸を見下ろす「ウミウ展望台」へ。30mの断崖には毎年11月から4月までたくさんのウミウを見ることができるそうですが、4月末のこの時期、残念ながらウミウは一羽もいませんでした。大変悲しい。これじゃあただの崖を眺めているだけじゃないか。。ちょっと気を落としつつ、再び遊歩道を歩いて次は城ケ島屈指の情景であるという「馬の背洞門」へ。浸食作用ででき、関東大震災で隆起したという馬の背洞門は、上の方がわずかにつながっているので一応洞門の体をなしていますが、上部には亀裂が入っていて崩落の可能性ありと。もし崩落したらどうなるんだろう。ウミウ展望台も馬の背洞門も、逆行だったのでいい塩梅の写真が撮れなくて残念です。


<ウミウ展望台から赤羽根海岸>

<馬の背洞門>

<馬の背洞門近辺の海岸>

<海岸から城ケ島灯台を眺める>

 島の南側に当たる海岸線を東から西に歩き、次に辿り着いたのは島の西側に位置する城ケ島灯台。東の安房崎灯台、西の城ケ島灯台といったところでしょうか。灯台へ向かう道がやけにヨーロッパ風で、これはどうしたものかと思います。なぜ神奈川の三浦半島で中世ヨーロッパ風味なのかと。犬吠埼を思い出しました。

 ここも灯台内部には入ることができないので、外から眺めるだけ。灯台そばの高台から太平洋を眺めると、本当に船の多さに驚きます。東京近郊にはこんなに多くの船が行きかっているのかと。城ケ島灯台は日本で5番目に点灯した西洋式灯台ということで、かなり歴史は古いようです。

 その後は島の北側に回ってのんびりとした漁師町風景の中をぶらぶらとし、烏賊が干してあるのを見たり対岸の三崎港を見たり、城ケ島大橋のふもとにある白秋碑を見たりしました。城ケ島は北原白秋ゆかりの地だそうで、「城ケ島の雨」という作品を残しているそうです。戦後の文学に疎い僕は当然そんなこと知りませんでしたが、戦後映画化されたりした有名な詩だそうです。

  雨はふるふる 城ヶ島の磯に 利休鼠の雨がふる
  雨は眞珠か 夜明の霧か それともわたしの忍び泣き
  舟はゆくゆく 通り矢のはなを 濡れて帆あげたぬしの舟
  ええ 舟は櫓でやる 櫓は唄でやる 唄は船頭さんの心意気
  雨はふるふる 日はうす曇る 舟はゆくゆく 帆がかすむ


<城ケ島公園>

<烏賊が干してある>

<対岸に見える三崎港>

<城ケ島大橋と白秋碑>

 これで一通り城ケ島を見たので、バスに乗って対岸の三崎港に戻ろうとしましたが、ちょうどバスに行かれてしまったので徒歩で橋を渡ることに。橋の上からの風景はなかなかのものでしたが、2時間かけて城ケ島を歩いた上にさらに歩くのはなかなかしんどいものがありましたが、歩道がきちんと整備されていただけでもいいか。


<城ケ島大橋を歩いて渡る>

<橋の上から 左城ケ島、右三崎>

 10分ほど歩いて三崎に到着。城ケ島は三浦半島最南端という位置付けですが、正確には島なので、正確に言うとこの三崎が三浦半島最南端ということになるのかな?三崎と言えば知っている人は知っている、マグロの水揚げで有名な港なので、それはそれは賑わっているのだろうと思ってましたが、道を歩く限りは静かでどこにでもありそうな港町といった感じです。場末感漂うスナックとか、古い歴史を感じさせる鄙びた商店街とか、まさに昭和。


<三崎の港>

<場末感漂うスナック>

 三崎港周辺にはマグロ料理を出す店がたくさんあるので、本来ならそういう店に入ってマグロ料理を食べるべきなのでしょうが、まだ朝10時前で店も開いてないし、開いていたとしても一人じゃそういう店には入りにくいよなぁ・・・といういつもの引っ込み思案な性格が顔を出してしまったため、マグロ料理専門店で食事するのは諦めました。マグロ丼とかカマステーキとか食べたかったけどなぁ。一人だから仕方がない。わざわざ三崎まで来たのにマグロを食べないのは、ラーメン屋に入ってラーメンを食べないくらいおかしなことだとは思いますが。

 ただ全くマグロを食べないで帰るのも癪なので、三崎港にある 「直産センターうらり」 へ。いわゆるフィッシャーマンズワーフみたいなところで、中にはいろいろな店が入っていてマグロ商品を買うことができます。1万円以上する冷凍大トロから100円の冷凍目玉まで、マグロに関する様々なものが売られていましたが、僕がほしいのはそういう御土産じゃなくてすぐに食べることができるもの。探してみるとマグロの身を使った「とろまん」、マグロの血合いの揚げ物、赤みの部分の揚げ物が売っていたので、それらを買って海沿いのベンチに座り、対岸の城ケ島を眺めながら食べました。こういう商品なら店で食べるよりも安くあがるので助かります。おいしかった。


<マグロの饅頭、通称とろまん>

<マグロの串カツ>

 海を眺めてゆっくりしたかったところですが、これから先の予定も考えて、バスに乗って三崎口駅へ。11時前の快特に乗って次の目的地の久里浜へと向かいました。今度の電車は行きと違ってクロスシートだったので、久里浜までの15分間という短い時間ながらも快適に寝て過ごせました。やっぱり長距離を移動する電車はクロスシートに限る。

<久里浜と浦賀を歩く>

 11時15分、京急久里浜駅に到着。久里浜は2日前にも来ていますが、今日は歩いて海岸線まで出て、そこから海外線沿いに浦賀まで歩こうという目論見です。まずは久里浜駅から歩いて商店街を抜け、市内を流れる平作川沿いを海方向へ。その前に、「尻こすり坂通り」という、2日前にも車の中から見て気になった通りをじっくりと見てみましたが、どのへんが尻こすりの由来になっているのかがイマイチ分かりませんでした。後で調べてみると、尻をこすりながらじゃないと登れないくらい急な坂道だったところから名前が来ているそうです。それにしても妙なネーミング。

 川沿いを歩いていると、上流の方から高校生らしき集団がカヌーを漕いでえっちらおっちらやってきました。この川はそういう使われ方もされているのね。4月下旬にしては汗ばむほど暑かったので、水に触れつつカヌーを漕ぐのは気持ちいいだろうなぁと羨ましくなりました。まあ、実際はカヌーを漕ぐ方が汗だくになるとは思いますが。で、汗を拭きながら川沿いを2kmほど歩き、ようやく海岸線に到着。海岸線を右に行けばすぐのところに一昨日訪れたペリー公園がありますが、さすがに一昨日来ているので今日はスルーすることにし、海岸線を左へ。「開国橋」といういかにもペリーに由来しそうな橋を渡り、ここから歩いて浦賀方面へと向かいました。


<京急久里浜駅>

<尻こすり坂通りというらしい>

<久里浜港へと続く川>

<ペリーが上陸した久里浜の海岸>

 海岸線を歩きつつ、最初の目的地である燈明台を目指しましたが、思った以上に坂道が多いのと思った以上に暑かったのとで、途中で気分が折れそうになりました。地図で見ると2.5kmくらい大したことないように思えるのに、実際に歩くと起伏や天候に影響されて思った以上に辛く感じるから不思議です。というか、いつもこういう経験をしているのだからいい加減学習すればいいのに。何で学習できないのか。

 てくてく歩いて12時過ぎに燈明台に到着。燈明台は江戸時代に浦賀港へ入ってくる船舶への道しるべとして建てられたもので、今で言う灯台といったところでしょうか。和風灯台かな。ただ江戸時代の燈明台はすでになくなっていて、今あるのは昭和40年代に復元されたもののようです。遠くで見ると木でできているようにも見えますが、近くに行ってよく見てみると鉄筋コンクリートで出来ているのがわかります。どうも昭和40年代に復元されたものは、何でもかんでも鉄筋コンクリートで作られている気がするぞ。あとは余談ですが、このあたりには燈明台の他にも砲台があって、江戸時代後期に起こったモリソン号事件のときにはここの砲台から砲撃したそうです。異国船打払令、懐かしい。


<大型タンカーが往来する>

<燈明台>

 燈明台からさらに浦賀駅のほうに歩いて、浦賀奉行所跡と為朝神社へ。どちらも入り組んだ住宅地の中にあるので、地図を持っているとはいえかなり迷ってしまいました。浦賀奉行所跡は今では社宅になっていて、往時を偲ばせるものは石垣くらいで、説明版がなければここが奉行所跡だということは分かりません。為朝神社は虎踊りで有名だそうですが、本当に住宅地の中にぽつんとあったので、3回くらい前を通ったのにも関わらず見落としてしまいました。まあ、浦賀では歴史が日常に溶け込んでいると考えればいいのかもしれませんが・・・。


<浦賀奉行所跡>

<為朝神社>

 続いて横須賀市内で一番古いと言われる(明治24年開園)愛宕山公園へ。浦賀は横須賀市なんですね。愛宕山公園は「山」とついているからして、登らなけりゃなりません。息を切らせて階段を登っていくと、臨海丸出航の費や与謝野晶子の句碑なんかがあります。公園内は緑が鬱蒼としてかなり静かで廃れた雰囲気すら漂っていますが、浦賀が歴史的に重要な場所だったことを物語っている建造物があるのを見ると、やはり由緒正しい公園なのだと思います。で、ようやく頂上について、ベンチに座って眺めでも堪能しようかと思ったら、前を歩いていたカップルに一番眺めのよいベンチを占領されてしまいました。しかもそこで手作りか何だか知らないけどおにぎりが入ったお弁当を広げて食べ始めました。挙句の果てには肩を寄せ合う始末。これは、暗に僕に早くどこか行けと言っているようなもんじゃないか。全く、カップルというものは・・・。しかしこういうのにはめっぽう弱い僕。2番目に眺めがよさそうな場所から写真を1枚撮り、しばし景色を眺めた後でそそくさと退散しました。お邪魔してごめんなさいね。

 愛宕山から降り、再び海岸線のほうに出ると、浦賀水道を往来する「浦賀の渡し」を発見。全国的にも珍しい渡し船ですが、この浦賀の渡しは横須賀市営だそうです。対岸までわずか2分150円。今回は対岸に用がないので乗らなかったけど、一度乗ってみるのもいいだろうなぁと思います。


<愛宕山入口>

<愛宕山から浦賀水道を見る>

<浦賀の渡し乗り場>

<渡し船が行く>

 さて、いろいろ歩いて回っていたらさすがに疲れてしまったので、ここはもう無理しないほうがいいとバスに乗って浦賀駅に向かうことにしました。浦賀駅まではあとちょっと(多分1kmくらい)の距離だけど、もう無理はしないと。三浦半島フリーきっぷはバスも乗り放題なので、近距離でも気兼ねなく乗ることができます。浦賀駅まではわずか5分で着いてしまいましたが、やっぱりバスは快適です。歩いていたのが嘘みたい。

 浦賀駅に2時前に着き、バスを乗り換えて観音埼灯台へ。一昨日は灯台の目の前まで行きながら、駐車場に入るタイミングを2回も逃して周りをぐるぐるまわった挙句、結局諦めて帰ってしまいました。だから今日はそのリベンジマッチ。バスは海沿いをくねくねと走り、15分ほどで観音埼バス停に到着。そこから10分ほど歩いてようやく灯台に到着しました。観音埼灯台は日本初の洋式灯台であり、日本の灯台50選にも選ばれている由緒正しき灯台です。150円払って登れば、東京湾を往来する船舶や、その向こうにかすかに房総半島が見えます。灯台自体の高さが結構あるので、かなりいい眺めです。来てよかった。


<観音埼灯台>

<灯台から東京湾を>

 灯台を見てあとは海岸線を散歩しつつバス停に戻りましたが、ゴールデンウィークで天気もよかったためか、海岸線沿いはバーベキューを楽しむ人々で大混雑でした。うーん、こういうのはちょっと疲れる。灯台の周りというのはもっと閑散としていたほうが画になるのに。

<横須賀 海軍カレーと戦艦三笠とどぶ板通り>

 バスに乗って浦賀駅に戻り、そこからは再び京急に乗って次は横須賀へ。横須賀中央駅で降りた時点で3時過ぎだったので、これはおやつ(というか遅い昼食)に海軍カレーを食べるしかない、と調べておいたカレー屋へと向かいました。さすがに朝からとろまんと串カツしか食べてなかったので、かなり腹が減ってます。


<横須賀中央駅>

<横須賀の繁華街>

 一昨日は海軍カレーを復活させた店であるという「魚藍亭」へ行きましたが、いろいろな海軍カレーを食べてみたいということで今回は違う店です。駅から歩いて2分くらいのところにある、 「横須賀海軍カレー本舗」 。ここは1階が御土産屋と観光案内所、2階がレストランになっているという、横須賀市のアンテナショップ。市が運営しているので、当たりはなくても外れはないだろうと。

 時間も時間だったのでレストランは空いているだろうと思ってましたが、実際に行ってみると結構お客が入ってます。僕の隣はガタイのいい黒人で、おそらく米軍関係者じゃないかと思います。そういう筋肉ムキムキの屈強な男も一人でカレーを食べに来るのが何となく不思議です。そんな屈強な男の横に座り、看板メニューである「よこすか海軍カレー スペシャルビーフ」(1200円)を注文。サービスでカレーコロッケも付けられるということで付けてもらいました。海軍カレーの決まり事の通り、カレーのほかにサラダと牛乳が付いてくるのは一昨日の魚藍亭と一緒。カレーは一昨日のものと比べるとさらに家庭的なカレーの味に近く、辛さも控え目でかなり懐かしい味がしました。小学校のときに月一回出てた、あの給食の甘いカレーを彷彿とさせます。まあ、何というか、写真を見てもらえば分かる通り、悪く言えばレトルトのククレカレーに近いものを感じますが、見方を変えるとそれだけ家庭的で安心して食べられるということです。ものすごい美味しいカレーを求めてくるのは間違いだけど、家庭的なカレーを食べにふらっと訪れるにはかなりいい店じゃないかと思います。1200円でサラダ・牛乳・デザート・コーヒーがつくのだから、値段的にも決して悪くありません。


<横須賀海軍カレー本舗>

<よこすか海軍カレー スペシャルビーフ>

 とまあ、カレーを食べる分にはよかったのですが、あろうことかカレーを食べている最中に猛烈に腹が痛くなりました。多分暑くて水を飲み過ぎていたのと、三崎で食べたマグロの串カツの油が合わなかったのが原因だとは思いますが、食事の途中でトイレに駆け込む始末。上からカレーを食べているときに下からカレーを・・・(すみません以下自粛)。

 あと、どうやら有名人が来ていたらしく、店員のおばさんが僕に「今有名な女優さんがいらしているんですよ。ほら、あそこあそこ。」と、聞いてもないのに話しかけてきました。僕もそういう方面に関してはミーハーなので、「どの人ですか?」と聞いて遠くから見てみたものの、顔を見ても誰だか分からず・・・。僕が食べている最中にその女優さん(とマネージャー)はお会計を済ませて店を出て行きましたが、会計の時に例の店員のおばさんが「この皿にサインしていただけますか?」とサインを要求し、女優さんはそれに快く答えてササッとサインをしていました。そして女優さんが店を出たあと、そのサインを持って僕のところに来るおばさん。「名前わかりました。サトウヤスエさんですって。」ごめん、おばさん、僕サトウヤスエさんを知らない。幼・小・中同級生のサトウヨ○エなら知ってるけど。帰って調べてみたら、「さとうやすえ」さんという方で、いろいろな方面で活躍されているそうですね。知らなくてすみません。まあ、有名人も来るカレー屋ということで。しかしおばさんはよく有名人だっていうことに気が付いたな。

 カレーで腹も満たされた後は、一昨日も行った三笠公園へ。そして一昨日は見物できなかった「記念館三笠」を見物してきました。通常は入場料500円のところ、三浦半島1DAYパスを見せると100円引きの400円に。ありがたやありがたや。三笠の中はきれいに保存されていて、当時の様子もよく分かるように展示されています。戦艦っていうのはこんなにも大きいのかというのが正直な感想。今は使われていないとはいえ、砲台がいくつも並んでいるのを見ると平和な時代に生まれた僕は少し恐ろしさを感じます。当時はそんなこと言ってられない状況だったんだろうけれども。あとは「この場所で誰々が殉死した」という表示が当時のまま残っていて、そういうのはかなり生々しいです。そう、これは戦艦だったのねと改めて思いました。まあ、閉館時間が迫っていることもあって、かなり急ぎ足になってしまったので、今度また訪れてじっくり見てみたいものです。


<記念館三笠>

<三笠に上る>

<撃てぇ〜!>

<一般兵はハンモックで寝る>

<運転室>

<東郷平八郎が指令を出した有名な場所>

<首脳陣の会議室>

<司令長官の風呂>

 最後は横須賀の有名な商店街である「どぶ板通り」へ。横須賀中央駅付近の、表通りに当たる商店街は他の都市の商店街と変わりませんが、このどぶ板通りはそれらとは雰囲気が違いました。まずは英語と日本語のダブル表記。道行く人も日本人と外国人が半々で、外国人は大概体格がいいです。さすが、在日米軍だけのことはある。店も米軍関係者向けなのか、英語のみのバーやワッペンショップショップ、果ては外国人対応の不動産屋とかなりバラエティに富んでいて、歩いているだけでも面白いです。そしてこのどぶ板通り発祥のスカジャンを売っている店も発見。買ってみようかと思いましたが、買っても着ることないし、着たら変なお兄さんに絡まれそうだしなな・・・。


<どぶ板通り>

<スカジャン発見>

 空も暗くなってきた6時、横須賀中央から電車に乗って帰宅。二日前に行けなかった場所に加え、浦賀や城ケ島といった三浦半島の主要部を散策することができて充実した1日になりました。残念だったのは本格的なマグロ料理を食べられなかったことくらいです。また、マグロ料理を食べに再び三浦半島に来たいと思います。


←一日目へ

旅行記トップにモドル

このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください