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学会ついでの大阪・京都 1 
2008年9月27日() <大阪(学会、ミナミを歩く、鶴橋で焼肉)>


<大阪へ行く 学会とミナミと鶴橋と>

 9月27日・28日は大阪でKKS学会。学会は朝9時半から開始なので、それに間に合うように行くには東京6時始発ののぞみに乗らなければいけません。となると最寄駅の始発に乗らなければならず、そうだとすると4時前には起きなければならずで、結局徹夜で向かうことに。ここ最近の肩こりと眼精疲労も重なって、行きの新幹線の車中は本当にぐったりでした。

 8時25分に新大阪に到着。ここから地下鉄御堂筋線と大阪モノレールを乗り継いで大阪大学豊中キャンパスへ。阪大豊中キャンパスは僕にとって懐かしの場所でもあります。今から10年前、高校3年生の理系青年だった僕は、阪大の基礎工学部を目標にして受験勉強をやったりやらなかったりしていました。ただセンター試験の結果が予想外によかったために、何をとち狂ったか志望校を東大に変更してしまい、当たり前のように前期は敢え無く撃沈。そして後期試験で元々の志望校であった阪大基礎工学部を受験するために、この豊中キャンパスへやってきました。1999年3月中旬の話です。試験には運良く合格しましたが、一旦東大を受験してしまったために、「いやいや、おれもやればできるんじゃないか・・・」という勘違いをしてしまい、敢えて合格浪人するという選択肢を選びました。そこから長い暗黒の2年間が始まるわけですが、まあそれは別の話として・・・。

 ともかくそういうわけで豊中キャンパスには1回しか来たことはありませんが、当時のいろいろな事情も相まって、「懐かしの」豊中キャンパスとなるわけです。モノレールを降りるまではぐったりして左右前後不覚状態でしたが、駅から大学まで歩いて行くにしたがって、10年前の風景を思い出し、テンションが上がってきました。


<柴原駅から大阪大学に向かう>

<大阪大学正門>

 ところがキャンパスに入ってみると、僕の記憶している古い建物は全くなく、すべてが新しい機能的な建物に生まれ変わっていました。試験を受けた当時の基礎工学部の建物は、外観からして相当古く、部屋も高校の理科室の臭いがする何とも言えないところでしたが、今では見違えるようにきれいになっています。生協食堂もそうで、当時は本当にボロボロだった生協食堂が今ではお洒落な建物に変わっています。以前は昭和の大学という感じでしたが、10年でここまで変わってしまうものなのか。本当に驚いたので思わず親に電話してしまいました。もしセンターの点数が低かったら恐らくここに通っていたわけで、そう考えると不思議な気もします。


<正門からのメインストリート>

<基礎工学部>

<学会会場>

<生協>

 懐かしさに浸りつつ午前中のセッションに出席。まあここは専門的になるので省略しますが、若干???という感じではありました。分科会が多過ぎて一つのセッションごとの人が少ないとか、討論者が「今の発表は学術研究・論文に足るクオリティではない」といったクリティカルヒットを飛ばすとか、見ている方としてはなかなか面白いです。明日の発表でそんなこと言われなければいいけどと、内心ビクビクはしますが。。

 午後の講演会は僕の研究とは少し異なるのと明日の準備をしなければいけないのとでパスし、再び新大阪方面へ。新大阪から地下鉄御堂筋線を一駅先に行った西中島南方で降り、淀川沿いにあるホテルにチェックイン。本当はチェックインは3時からだそうですが、空いている部屋があるからいいですよと、1時にも関わらずチェックインさせてもらえました。ありがとうございます。


<豊中市のマンホール>

<柴原駅>

<駅からの景色はよい>

<大阪空港行きモノレール>

 睡眠不足と肩こりで結構な限界だったので、このままベッドに倒れこんでしまおうかという誘惑に駆られましたが、昼食を食べなければ元気も回復しません。ということで再び地下鉄に乗って繁華街のミナミへ。なんばで降りて千日前に向かい、 「自由軒」 の名物カレーを食べてきました。最初からご飯とカレーが混ざっていて、真ん中に生卵が置かれているという独特のスタイルの名物カレー。今や大阪名物の一つです。自ら「名物」と名乗ってしまうところが大阪っぽくてすごいですが。ただメニューには「名物カレー」と載っていますが、従業員などの間では「インディアンカレー」という名でオペレーションされていました。


<自由軒>

<名物カレー(650円)>

 食べ方は簡単で、卵を混ぜてお好みでソースをかけるだけ。ソースをかけるというのが面白いところですが、卵を混ぜるとまろやかに、ソースをかけると味が引き締まります。一回で3度美味しいです。実は以前マルコフ達と自由軒のカレーを食べたことがありましたが、その時は「味がない・・・!これは本当に名物なのか?」と、あまりいい印象がありませんでした。でもよく調べてみると、それはこの「本家の」自由軒ではなく、途中からのれん分けした「せんば」自由軒の店だったようです。東京をはじめ全国展開しているのはこの「せんば自由軒」らしい。今回食べた本家の方は、千日前の本店の他には天保山に支店が1店あるだけでのようです。ウェブサイトを見ると両者は仲が悪いらしく、何故そんなことになっているのかは分かりませんが、やっぱり店によって味が全く違うんだと思いました。今回食べた本家自由軒のカレーはおいしかった。

 食後は道頓堀周辺をぶらぶら。さすがに大阪を代表する場所だけあって、エネルギーが凄いです。僕はこの場所にはもう何度も来ていますが、何で毎回来るたびに同じ写真を撮ってしまうのでしょうか。ここに来たら写真を撮らなければいけないような気がして。。ということで、撮った写真を載せておきます。


<千日前>

<法善寺の水かけ不動尊>

<道頓堀>

<太郎のいないくいだおれ>

<かに道楽本店>

<道頓堀は混雑>

<大阪と言ったらグリコの看板>

<戎橋>

 20分ほど歩いたらさすがに限界を迎えてしまったので、戎橋のそばにあるマツモトキヨシで目薬とホットアイマスクを買ってから地下鉄に乗ってホテルへ。ホットアイマスクをしてしばしの仮眠を・・・。もうだめ、眠い。結局2時間半ほど寝ることができて、少しすっきりした感じです。

 夜はサークル同期で現在大阪在住、我らが代表の仏くんと久しぶりに食事でもしようということになっており、集合場所の鶴橋へ。仏くんの出身地が鶴橋近辺ということだし、僕自身鶴橋に行ったことがなかったので行ってみたいと思って鶴橋でお願いしましたが、後から聞くと仏くんは現在逆方向の千里中央に住んでいるらしく・・・。ごめんなさい。泊まっている南方から鶴橋までは地下鉄で25分。思ったよりも近いです。

 6時半に駅前で仏くんと待ち合わせて、まずは鶴橋の商店街をちょっと案内してもらいました。鶴橋は言わずと知れたプチコリアンタウンで、店にはキムチだのコチュジャンだの韓国食品がずらりと並んでいます。果てはチマチョゴリまで。匂いも韓国なら飛び交う言葉も韓国語で、まるで韓国にいるような雰囲気です。ただ商店街を一歩抜けると、7時前だというのに暗くて治安が悪そうな場所があり、仏くんが言うには女性の一人歩きは危ないらしい。


<鶴橋駅前>

<鶴橋の商店街>

 一通り鶴橋の商店街を案内してもらってから夕食。鶴橋と言えば焼肉ということで、焼肉を食べることにしました。いつもならガイドブックを見て無難な店に入るところですが、今回は地元民の仏がいるんだからと、店の選択は完全にお任せ。ということで路地を入ったところにある 「喜楽園」 へ。路地裏なのに結構人気があるらしく、しばらく待ってから店に通されました。店内は懐かしさの残る焼肉屋という趣で、ビールを飲みながら焼肉を食べると大阪の下町にどっぷり浸かっているような気になってきます。下町だけあってホルモンがおいしいです。下町=ホルモンと決めつけるのも良くないかもしれませんが。


<焼肉 喜楽園>

<懐かしさのある店内>

<ハラミやロースのセット>

<ホルモンのセット>

 仏くんとサシでじっくり話すのは多分6,7年振りくらいのことで、大学1,2年のときはよくこうやって話してたよなぁと懐かしくなりました。そのときはビール片手じゃなかったけど。ただ当時はほとんど飲めなかった仏くんが、会社に入って揉まれたのかビールをぐいぐいいけるようになっていて、最初から最後までずっとビールだったのには驚きました。会社の付き合いというのはすごいものです。で、他にもいろいろと話して10時頃解散。会計は何とすべて仏くんのおごりで、ありがたいやら情けないやら・・・。御馳走様でした。

 10時半に南方の駅に着いて、駅の近くにある 「たこ焼十八番」 で夜食用に10個400円のたこ焼きを購入。有名店のようです。ホテルに戻って食べましたが、やっぱり本場のたこやきは安くておいしいですねぇ。おいしいのでパクパクと10個全て食べられました。


<たこ焼十八番のたこ焼400円>

<外がカリカリ>

 その後明日の準備をしつつ、日付が変わる前に就寝。でも例によってあまり寝られません。


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