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2006年3月21日(火) 五日目 <鳥取(鳥取城址)、餘部鉄橋>
<鳥取城跡>
7時過ぎに起床。昨日買っておいた弁当を食べ、出発準備をしてチェックアウト。今日最初の目的地は、「因幡の白兎」で有名な白兎海岸と白兎神社です。昨日の夜、事前にバスの時刻を調べておいたので抜かりはありません。
駅前のバスターミナルへ。ところが、8時15分発の白兎海岸行きのバスが、時間になっても来ません。おかしい、時刻表に書いてるのになぁ・・・。と思ったら、まさかの「土休日運休」。そう、今日21日はすっかり忘れていたけど休日なのです。結局抜かりが出てしまいました。
白兎海岸行きのバスの本数は極端に少ないので、次のバスを待っていたら時間がありません。残念ながら白兎海岸は諦めました。因幡の白兎は、また次の機会に。
急遽予定を変更して、少ない候補地の中から鳥取城跡へ行ってみることにしました。「麒麟獅子ループバス」という観光ループバスに乗って、鳥取城跡へ。
鳥取城周辺は公園として整備されていました。が、朝早い上に今日は寒いので、観光客なんかほとんどいません。僕らのほかには、若い女性の二人組みだけ。まぁ普通城があるならともかく、城跡なんて物好きじゃないと来ないよねぇ。
<鳥取麒麟獅子バス> | <鳥取城跡の堀> | |
<鳥取城があった山> | <往事を偲ばせる石垣> |
とりあえず山の1合目あたりまでは、往事の石垣や階段が残っていて、歩きやすいです。ところが、それ以上進んで山頂の天守閣跡へ行こうとすると、本格的に登山になってしまいました。まさか鳥取で登山することになろうとはね。地元の話で申し訳ないですが、下関で言うと火の山を登る感じです。鳥取城跡が260メートルくらいだから、大体高さも同じくらい。
山登りを始めると、小雨が降りだしてきました。たまりません。女性二人組みも登っているみたいです。ひーこらひーこら言いながら30分ほど登ると、ようやく頂上が見えてきました。
天守閣跡には本当に何にも残っていません。兵共が夢の跡です。でも頂上から見る鳥取の景色は抜群。鳥取市街、鳥取賀露漁港、鳥取砂丘と300度近いパノラマが広がります。ここに天守閣再現して、ロープウエイでも通したら、観光地としては結構な目玉になるだろうなぁとは思いつつ、でもできればそれはして欲しくない。やっぱりこれは自分の足で登った人が味わう風景ですね。
<鳥取市街> | <鳥取砂丘と日本海> |
しばし風景を楽しんで、下山。休日の朝早くにもかかわらず、途中で何人もの地元のおじさんおばさんとすれ違いました。みなさん朝から運動を楽しんでいらっしゃるらしい。僕らと同じタイミングで登っていたおじいさんも、天守閣跡で体操していたしな。この山は地元の人が気軽に利用できる場所として愛されているみたいです。やっぱり観光地化しないほうがいいですね。
<かに寿司と砂たまごと焼き鯖寿司>
下山後、駅前アーケードにある鳥取物産品館で試食をし、豆腐ドーナツを買ったりし、鳥取駅へ。緑の窓口で今夜の「ムーンライトながら」の指定券と青春18切符を購入しました。長距離移動は安く、安く。。
切符を買ったあと、駅構内で今日の昼食に駅弁を物色していると、昨日砂丘で売り切れだった「砂たまご」を発見。わざわざ砂丘に行かなくても駅で売ってるのね、ということで購入しました。あとは、鳥取駅のかに寿司と、境港で買えなかった焼き鯖寿司。
今日中に大阪・大垣まで出るので、さっそく18切符を使います。11時9分の浜坂行きに乗って、山陰本線を一路東へ。
11時52分、浜坂駅着。兵庫県に入りました。浜坂駅では乗継ぎ待ち合わせのために約30分ほど時間があります。時間がちょうどいいので、一旦改札を出て待合室でさっき買った駅弁を食べることに。
<かに寿司> | <かに寿司の中身> | |
<砂たまごと境港名物焼き鯖寿司> | <砂たまごは一つずつ紙に包まれています> |
まずはかに寿司。よくありそうなちらし寿司ですが、錦糸玉子と蟹一色です。しかもご飯だけでなく蟹にも酢がきいていて酸っぱいの何の。でもおいしくいただきました。
焼き鯖寿司は想像したとおり。まんま焼き鯖寿司です。そして砂たまご。砂丘の砂で温めた卵らしいです。温泉卵みたいなもんかな?でも茹でてないから「ゆで卵」って言っちゃいけないし。何て言っていいかわからないけれど、食感はゆで卵でした。黄身もしっかり固まってます。砂の影響なのか、白身の外皮は若干茶色がかっています。味の違いはよくわからんけど、ほくほくしておいしかった。
弁当を食べても若干時間があったので、浜坂駅の外に出てみたものの、近くにあまり見るところはなし。温泉街は遠いみたいだし。次来ることがあったら遊覧船でも乗ってみたい。12時26分、浜坂駅発の普通列車に乗って、餘部へ。
<餘部鉄橋>
12時40分、餘部駅着。駅舎も何もない無人駅でなぜ下車するのかといえば、有名な「餘部鉄橋」があるからです。鉄道オタクでなくても、一度は見てみたい場所、なのかどうかは知りませんが、その道の人だけでなく、カップルやおばさん、親子連れと予想以上の人が下車しました。
<餘部駅に到着> | <餘部駅から餘部鉄橋を眺める> | |
<ホームにあった餘部鉄橋建設の画> | <電車を見送る> |
まずは駅から山を下って、集落へ。「山を下って」というのは、餘部駅が山のギリギリのところにあり、集落へ行くには山を降りなければならないのです。電車の方は餘部駅を出るとすぐ鉄橋を渡ることになります。
<中腹辺りから見る餘部の街> | <下から見た餘部鉄橋> |
餘部鉄橋は明治45年に作られたそうで、その工事費は当時の金額にして約33万円。その高さ41m。海辺の静かな集落には異様なほど不釣合いとも思える真っ赤な鉄橋です。真下から見るとそんなに太い鉄柱ではありません。ただ、「聳え立っている」という存在感は抜群。この鉄柱が明治時代から100年近くに渡って支え続けていると思うとすごいよね。すごいと思いません?
ただこの餘部鉄橋では、過去悲しい事故も起こりました。昭和61年暮れ、回送中のお座敷列車が日本海からの強風に煽られて転落、下にあった蟹加工工場を直撃し、車掌と工場で働いている御婦人5人の計6名が亡くなったそうです。これ以降秒速20メートルの風が吹くと電車は運休になっているそうですが、これによって起こった議論については後程。
<下から鉄橋を> | <昭和61年に起こった事故の慰霊碑> |
一通り下からの風景を見た後、再び駅に戻ります。駅に戻る途中、鉄橋を列車が通りかかりました。
<餘部鉄橋を走る特急> |
駅に戻って今度はさらに山の上へ。駅から徒歩15秒のところに餘部一番の絶景スポットがあるというので行ってみました。
なるほど、これは確かに絶景。赤い橋と、地上の集落と、荒れ狂う日本海と、急峻な海岸線。これは本当に絵になる。一番いいポジションは既に大きなカメラをお持ちの方に占領されていたものの、もうちょっと高い位置から眺めても絶景です。腰を下ろして、昨日買った梨をかじりながら、鉄橋を眺めていました。いい景色、おいしい果物、心地よい海風。幸せなひと時です。これは鉄道マニアでなくても訪れる人が多いわけだ・・・。
<餘部鉄橋と日本海> | <大きな梨を食べつつ> |
さて、この餘部鉄橋ですが、実は平成18年度中になくなってしまうそうです。昭和61年の転落事故以来、秒速20メートル以上の風が吹くと運休することになりました。ただ、これによって冬の列車はことごとく運休してしまうようになり、運行に不都合が出てしまっています。そこで、秒速30メートルの風まで運行可能なコンクリート製の橋に架け替える、とのことです。何とも寂しい話ですが、これも歴史か。とりあえず実際にこの目で見られる期間はあとわずかです。もし興味がある人がいたら、どうぞお早めに!
<大阪へ、大垣へ、東京へ。>
餘部で1時間ほど過ごしたあと、次の普通列車に乗って再び山陰本線を京都方面へ。餘部鉄橋で今回の旅行の予定は全て終えたので、あとは東京に戻るのみです。
途中城崎温泉で20分ほど停車。山陰本線は単線で、特急待ち合わせやら何やらでよく停まるので困ります。停まらなかったらもうちょっと早く大阪につくものの。。
その城崎温泉で停車中、向かいに座っていたおじさんが大きな声で電話を始めました。何事かと思ったら、WBCの日本対キューバの様子を家族に聞いているのです。「え?8回終わって6対5で日本が勝ってる?」とか。あぁぁ、試合が終わるまでは聞きとうない、と思っていたのに、このおっさんのせいで何もかも明るみに出てしまった。
まぁそういうことがありつつ、時間の都合によって一駅分だけ特急を利用したりしつつ、福知山で福知山線に乗り換えて6時半頃大阪に到着しました。そういえば、あの事故の現場も通りました。事故の現場に差し掛かると、過剰なほどスピードを落として走っていることに驚きました。ここで一瞬にして多くの命が亡くなったのかと思うと、なんと言ってよいのやら・・・。
大阪駅近くでスープスパゲティのような夕食をとり、飛行機で帰るすのと別れ、僕は再び電車に乗り込んで大垣へ。大阪から米原までは、久しぶりの満員電車で汗がダクダクでました。思えば山陰にいる間は列車が満員なんてことはなかったもんな。で、9時過ぎに大垣駅へ。
ながらは23時発だったので、2時間近くも時間があります。せっかくだから駅を出て、大垣駅前を散歩してみることに。大垣駅から異様に長いアーケード街を歩き、途中ようやく見つけたファミリーマートで飲み物を購入。ついでに無料の岐阜新聞の号外(WBC優勝の)があったので、それもいただくことに。そういえばコンビニに田舎ヤン○ーが二人ほどいたのですが、東京では既に廃れているようなヤン○ーだったので目を丸くして驚きました。かれらを天然記念物に指定してあげたい。田舎には不思議な人がいるもんですねぇ。
駅に戻る途中、大垣城なるものがあったので見てみることに。夜なのに門が開いていて勝手に入れます。どんな城かな?と見てみると、ものすんごい小さくて思わず気が抜けました。写真も撮ったけど、あまりにも暗いので載せるのカット。今度機会があれば、明るいときに来てみます。
23時、ムーンライト乗車。途中で乗ってきた東京へ卒業旅行へ行く(らしい)男子高校生7人の集団がうるさくてそれはそれは腹が立ったなんてこともあったけど、4時半に無事東京到着。
山陰、いいところでした。また、近いうちに行きたいと思います。
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