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東京見聞録
2006年2月12日() 一日目 <世界遺産白川郷>


<飛騨高山へ>

 2月12日、13日と学部時代の学科のみんなと卒業旅行。去年の日光・湯元温泉に続く「第二回卒業旅行」です。(卒業旅行に2回目があるのか、という突っ込みはなしで。。)今年はリッチに岐阜県は高山と世界遺産の白川郷へ。新幹線と在来線特急を駆使し、その上旅館はAランクという豪勢な旅行となりました。

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 当日は6時半東京駅集合なので、余裕を持って5時過ぎに出発。まずは吉祥寺の吉野家で朝食。ここ最近、朝早く旅行に出かけるときは、必ずと言っていいほど吉野家で食べて出かけているような気がします。去年の卒業旅行も最初吉野家で食べたしな。ただ、今は肉抜き中なので、豚丼ではなくて朝納豆定食。ご飯と味噌汁、納豆生卵海苔におしんこという、健康的な朝食をとってきました。朝食後は中央線に乗って東京駅へ。電車で今回の幹事である湾岸太郎君と一緒になり、これからの旅に思いを馳せておりました。

 6時半、東京駅到着。みんなと待ち合わせて、ビールや弁当を買って、新幹線のぞみ3号に乗車。6時50分、のぞみ3号は東京駅を出発しました。ちなみに、新幹線に乗った時点で、「肉禁止令」は旅行という特例により一旦解除されました。万歳!

 海側からの朝日を受けて西へ進むのぞみ3号。ずっと前から、行きの新幹線ではビールを飲もう!と思っていたので、電車の中で早速乾杯!「こいつら、朝早くから飲んでんな〜」という周りの冷たい視線も何のその。朝早くから新幹線の中でビールを飲むという行為は、何ともいえないものがありますね。


<朝からビール>

 名古屋までの1時間半は、高山や白川郷の予習をしつつ、ビール2本。しかし新幹線の中でビールを飲むと結構酔ってしまいます。お陰で名古屋に着いたときには、いい気分になっていました。名古屋着は8時33分。名古屋で在来線の「特急ワイドビューひだ1号」に乗り換えて高山を目指します。乗り換えの9分間を利用して、名古屋駅のキオスクでまたもやビールを2本購入。馬鹿です。


<名古屋駅の電光掲示板>

<特急ワイドビューひだ1号>

 8時43分、特急ワイドビューひだ1号は名古屋駅を出発。電車は一旦岐阜に寄って、そこから進行方向が逆になります。そして岐阜を過ぎてしばらくすると、周りの風景は見事な渓流に。「飛水峡」や「中山七里」という風光明媚な場所を通る段になると、電車内の電光掲示板や車掌さんが、見えている風景の説明をしてくれます。なかなかサービスのよい列車です。惜しかったのはあまりに日光が眩しすぎて、きれいな写真が撮れなかったことか。でも本当にきれいな風景でした。

 特急の中でもビールを1本空けた僕は、4本目に手が伸びそうになりましたが、ここで手を伸ばすと初日から大変なことになりそうだったので、自制心を働かせて我慢。おつまみなしでもビールが進むような風景だったので、自制心働かせるのが大変でした。いやはや。下呂を過ぎたあたりから、雪景色が広がってきて、10時52分、電車は高山駅着。

<白川郷へ向かう>

 高山は今回の旅行の目的地の一つですが、日程の都合上まず最初に白川郷へ向かう予定になっています。高山駅に着いてすぐ、駅前の高速バスセンターで白川郷行き特急バスに乗り換え。


<高山駅前>

<白川郷行きのバス>

 白川郷まではバスで約2時間。新幹線+特急で4時間かかっている上に2時間のバスなので、なかなかハードではあります。が、それを差し置いても白川郷に行く価値はあるはず。ちなみにさっきの特急で4本目のビールを飲まなかったのは、バスの中でトイレに行きたくなったら困るから、というのもありました。案の定バスにはトイレがなかったので、自制心を働かせておいて大正解。

 11時5分にバスは出発。最初運転手のオジサンの印象がよくなかったので、何か嫌だなぁと思っていましたが、バスが走りだしてからはこのオジサンが喋る喋る。なかなか面白いオッサンでした。最初、「皆様どうもこんにちは。右手に見えますのが・・・」と始まったので、てっきり普通のガイドをしてくれるのかと思ったら、「右手に見えますのが、新興宗教の建物です」とか、別にいらない情報を提供してきました。しかも、「宗教なので自由に見学することはできます。でもね、見学料として『お布施』っちゅうのが必要になるでしょうね。見学したあとどうなるかについては、当方一切関知いたしませんのでお気をつけください」と、一人でべらべら話しまくり。

 おそらくこの運転手さんは、何度も同じ話をして、どこでどう話せば客が笑うかというのを熟知しているんでしょう。流れるように出てくる話は驚きに値します。ただオジサンも予想できていなかったことが一点。バスの中に外国からのお客さんが多かったんだな。言葉が分からない人にとって、オジサンの自己陶酔型話芸はただの雑音だったに違いありません。これはオジサンにとっても外国人客にとって不幸な出来事です。日本人である僕らにとっては、かなり面白かったのだけど、白川郷に着くまでずっとこの調子だったので、いささか疲れたことも事実です。まぁ面白かったんだけど。。

 高山市街を抜けると、周りは一面の雪景色。豪雪です。国道158号、156号と通りますが、道が狭くてかなり危険です。自分が運転免許を取ったとしても、決して走りたくない道です。


<雪が積もる>

<橋を渡る>

 雪の道に入ってからも運転手のオジサンの喋りは絶好調で、「ここのダムは電源開発公社が・・・」とか、「ここにある二本の桜は・・・」とか、とにかく次から次に解説してくれます。ためになる解説ならいいんだけど、「ここの橋は私も渡るの恐いんですよ。特に冬は。冬だと下を流れる川の水量が少ないから、落ちたら恐いですよ」とか、そんな心情吐露してもらっても・・・なんてこともべらべら話します。というか、橋は結構な高さがあったから、例え夏でも落ちたら死にます。下の二つの写真がその問題の橋です。左が渡る前、右が渡っている最中の風景。落ちなければかなり雄大な風景です。この橋を渡ると白川村になります。

 ちなみにこの橋がかかっているのは御母衣(みほろ)湖というダム湖の上だそうです。だから川の上というよりは湖の上を通っているのです。ちなみにこの御母衣ダム、ロックフィルという方式でできているらしく、どういう方式なのか調べてみると、ただ単に岩石を台形に積み上げただけらしい。しかも131mも。そんな作り方だからかなり古いダムなのかと思ったら、作られたのは昭和35年。昭和35年当時でそんな人的エネルギーが必要な方式だったとは思いもよりませんでした。

 ダム建設によって湖の底に沈んでしまった村にも合掌造りの建物があったらしいですが、その建物は下呂や高山へ移築され、合掌村として開放されているんだとか。ダム建設による村の消滅の話は、いつどこの話を聞いても悲しいですねぇ・・・。

 午後1時、バスは無事に白川郷に到着。運転手のオジサンはよく喋るものの、安全運転で助かりました。

<世界遺産・白川郷>

 白川郷に着きました。高山では晴れていたのに、白川郷はどんよりとした天気。が、これ以降刻々と天気は変わっていきます。山の天気は変わりやすいことを身をもって思い知らされることになります。

 「白川郷」とは江戸時代の呼び名で、現在の正式名称は「白川村荻町地区」というそうです。その荻町地区が、いわゆる合掌造りの家々があるところ。バス亭からであい橋というつり橋を渡ると、そこが荻町の集落になります。

 荻町の集落に入ると、今までテレビでしか見たことがなかった合掌造りの集落が!!雪に埋もれた合掌造りの邸宅というのは、また趣き深い。。(下の写真は合掌造りとしては最大規模を誇る和田家)

 合掌造りの家を見て少々感動していたのだけど、我に返ると腹が減っていました。電車とバスに乗りっぱなしでここまでやってきたからな。ということで、昼食。さっきのバスの運転手のオジサンが、「白川郷だったら蕎麦がうまいです。どこでもうまいですから、お好きなところに入るのがええんじゃないでしょうか」ということを言っていたので、昼食は近くにあった蕎麦屋の「乃むら」で。


<蕎麦屋 のむら>

<蕎麦セット 1000円>

 「一家で営んでいる蕎麦屋」という感じで、なかなか好感が持てました。お父さんが蕎麦を茹で、お母さんが盛り付け等をし、中学生くらいの娘さんが運んでくれる、というチームワークもなかなか。微笑ましいですね。注文したのは右上の写真にある「蕎麦セット」1000円。暖かい蕎麦に山菜の炊き込みごはんが付いてます。蕎麦は関西風の薄味でおいしかった。

 店内を見渡すと、この店の人が東京の「日本全国村おこし展」でとった記念写真が飾ってありました。村おこし展に出店していたのかと思うと、ちょっと親近感が湧きます。(去年の11月に村おこし展に行ったもんで。。)

 さて、昼食を食べた後は荻町の散策。まずは白川村で最大規模の合掌造りと言われる和田家へ。国の重要指定文化財にも指定されている、由緒ある合掌造りです。しかも驚きなのは、この和田家には未だに和田さんがお住みになっているということ。見学できる部分とできない部分があって、できない部分では和田さんの普段の生活が営まれているのであります。


<和田家外観>

 和田家内部ですが、1階は普通の家の居間や仏間と変わらない場所も多くあります。「合掌造り=昔ながらの囲炉裏部屋だらけ」というのを想像していたので、ちょっと拍子抜けです。ただ、1階の半分や2階は、これぞ合掌造りという感じでした。合掌造りって釘や鎹を一つも使わないで作り上げるのだそうですね。雪に耐え抜く昔の人々の知恵に感服しました。

 和田家を見た後、荻町城址展望台へ行ってみることに。荻町集落が一望できるスポットらしく、よく写真やなんかで見られる風景はここから撮られたものが多いみたいです。歩いたら40分くらいかかるということだったので、マイクロバスを使って5分ほどで山頂へ。

 ところが、バスを降りた途端にものすごい吹雪に。雪で視界不良です。さっきまで日光も覗いたりしていたのに、山の天気は変わりやすいんだから・・・。何枚か写真を撮ったものの、何が写っているか全くわからない状況でした。その上寒い。一旦退散して近くにある御土産やに。しばらくするとちょっとだけ雪が収まったので、そのときを見計らってもう一度撮影。下の写真がその時の写真です。これでも限界。ただ、こうやってみるとやっぱり雪に囲まれた合掌造りの集落というものは趣があります。もうちょっと天気がよかったら、眺めは最高だったのだけど。。


<萩町城址展望台からの眺め>

 再びバスを使って麓へ下ります。マイクロバスの運転手さんもさっきの高速バスの運転手さんと同じで話し好きで、白川郷について喋る喋る。運転手さんだけが喋るならいいけど、一緒に乗車したおばさんたちが運転手さんのギャグに合わせて笑う笑う。君達はドリフ大爆笑の笑い声か!というくらい、大笑いします。何にでも陽気な日本のおばさんに、気弱な青年である僕は辟易したのでした。

 そういえば、白川郷に今現在積もっている雪の量は、例年より少ないそうです。これは意外。12月、1月と多く降ったせいで、今はそうでもないということらしいんだけど。でも雪国育ちでない人間から見ると、これだけの雪でも相当です。

 麓に着いた後は、もう一度荻町を散策。明善寺というお寺へお参りしてきました。本堂も庫裏も合掌造りである珍しい寺で、庫裏は郷土資料館になっています。時間の関係で郷土資料館には行かなかったけど、お参りはしてきました。


<茅葺き屋根の明善寺>

<茅葺き屋根の明善寺の鐘楼>

 最後は長瀬家へ。長瀬家も和田家に負けず劣らず立派な合掌造りです。長瀬家ではお茶のサービスが。寒い中で暖かいお茶を飲むと温まるねぇ。

 お茶を飲みながら、今は暖房があるからいいのだけど、昔の人はどうやって寒さを凌いだのだろうかと、ふと思いました。合掌造りの家は雪には強いかもしれないけど、寒いからなぁ。昔の人は大変だったに違いない。もし僕が江戸時代のこういう豪雪地方に生まれていたら、間違いなくすぐ死んでます。寒いところでは暮らせないな・・・。


<長瀬家>

<長瀬家二階>

 長瀬家を見終えたらちょうど帰りのバスの時間となりました。白川郷滞在はわずか3時間。たった3時間だったけれど、合掌造りの一端を垣間見て満喫することができました。できたら今度は新緑の季節に訪れてみたいですね。合掌造りの集落は、季節によって見せる顔を変化させてくれそうです。

 せっかくなので撮った写真を数枚どうぞ。


<マンホールも合掌造り>

<白川郷の診療所>

<高山の宿>

 白川郷を4時に出たバスは、高山駅に6時に到着しました。この間ほとんど寝ていたので分かりませんが、行きの運転手さんと違って、トークはほとんどなかったみたいです。運転手によって様々なんですねぇ。

 高山駅に着いたら、今日の宿のマイクロバスが迎えに来てくれてました。今日泊まる宿は宝生閣。詳細は省略しますが、Aランクの宿です。S、A、B、・・・E、とあって、その中のAです。一泊なので一点豪華主義のお宿にしてみました。ガイドブックを見ても、必ず大きな写真で載っているような有名なお宿です。温泉、料理、部屋などなど、大変楽しみであります。

 宿に到着。ウェルカムドリンクでお茶が出たり、部屋に案内されるまでロビーでくつろぎながら待つあたり、高級旅館です。エレベーターに乗ったら乗ったで、エレベーターの床も畳敷きなのです。驚きました。畳のエレベーターなんて初めて見ました。

 部屋に入ったら入ったで、お茶も従業員さんが入れてくれるのです。「いやいや、お茶は自分達で入れますから・・・」と言っても、「いやいや、お客様はゆっくりおくつろぎください」ってな具合。自分よりもずっと年上の人にいろいろやってもらうというのは、例えお金を払っているからとはいえ、何だか申し訳ない気がします。まだ自分はAランクの器じゃないな。

 夕食まで時間があったので、夜の酒やおつまみを買出しにアーケード街へ外出。高山の街は店が閉まるのが早いとは聞いていたけど、7時前なのにほとんどの店が閉まっていて、本当のことなのか、と驚いてしまいました。まぁ高山の町並み自体は明日のお楽しみということで。名古屋をはじめとする中部地方で幅を利かせているサークルKで酒やおつまみを購入して、再び宿へ。


<夜の飛騨高山>

<夜の商店街>

 7時半になりました。お待ちかねの夕食です。とりあえず豪華で驚きました。どんな料理が出たのかははっきり覚えてないのだけど(というか、どういう料理か出た時点でもわからなかったものが多数)大変おいしくいただきました。飛騨牛のしゃぶしゃぶにご飯と味噌汁が出てこれで終わりかと思っていたら、そのあとに蕎麦と天婦羅が来るというフルコース。地ビールもついて腹一杯。幸せな晩御飯だった・・・。


<付け出しなどなど>

<飛騨牛?のしゃぶしゃぶ>

<とろろ蕎麦>

<〆は天ぷらとご飯>

 夕食後は露天風呂にゆったりと浸かり、部屋に戻ってからは岐阜ならではのCMに驚いたりしつつ、10半頃から飲み開始。トリノオリンピックを見ながらのんびりと時間は過ぎていきました。


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