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船橋市のコミュニティバス実証実験を見る
独自路線からの転換とその内容、問題点


地域の足、特に交通弱者の足として近年普及してきたコミュニティバス。千葉県内、特に首都圏のベッドタウンとされる北西部の各市でも導入が盛んですが、そうしたなか、人口60万人余、県内第2の都市である船橋市は独自の施策でこうしたミニマムアクセスの問題に対処してきました。

その船橋市が今般ようやくコミュニティバスの実証実験を始めましたが、その様子と、これまでの独自の取り組みについてまとめてみました。

津田沼駅で発車を待つ田喜野井循環線


写真は2010年12月撮影

2011年1月23日 補筆


●コミュニティバスの普及
いわゆるコミュニティバスとされるバスの普及については諸説ありますが、衆目の一致するところとして、1995年に運行が始まった武蔵野市の「ムーバス」がその火付け役となったということでしょう。

地方の路線バス廃止に伴い自治体が自主運行するような形態の市町村営バスとは違い(性格や目的には共通点がありますが)、都市部における交通空白地域を埋める形で木目細かい移動需要を拾う路線で、その運営形態はいろいろありますが、総じて中小型のバスを用い、通常の路線バスよりも停留所間隔が短く、路線も循環路線など地域の面的カバーを意識していることが多く、運賃も公共による補助を前提に通常よりも安価に設定されていることが多いです。

千葉県北西部においては白井市、印西市や千葉市若葉区のようにどちらかというと地方の廃止代替バスの性格が強いものから、浦安市のように都市型のものもありますが、大都市近郊という性格上、交通空白地域は市内でも市街化調整区域などがメインになることが多く、区分が難しいのが実情です。

千葉県北西部ではほとんどの市町が導入をしていますが、船橋市と松戸市という千葉市に次ぐ県内No.2、3の都市が揃って導入していないというのも特徴的かもしれません。
※千葉県内で導入していない自治体は全54市町村中、上記の船橋、松戸のほか銚子、木更津、富津、館山の都合6市と御宿、大多喜、一宮、長生、白子、九十九里、東庄の7町村の都合13市町村のみ。

●船橋市のコミュニティバス計画
その船橋市もかつてコミュニティバスの導入を検討したことがあります。
1999年5月に、前年度に行った「船橋市公共交通計画調査」において、公共交通ネットワークの充実を目的として、手薄な東西方向の交通の充実及び医療センターへのアクセスを目的として運行したらどうかとの形での提言、報告がなされました。

船橋市はそれを受けて総合交通計画課の中で調査、検討を始め、2000年7月に北習志野駅−東図書館−飯山満駅−船橋整形外科−医療センター、医療センター−夏見台団地−北本町−塚田駅−行田団地−船橋駅北口の2コースを前者が新京成、後者を京成に委託して平日1時間ヘッドで運行という素案をとりまとめ、同年8月と10月に市役所と市議会関係者による試乗会を行っています。
※2000年10月31日の議事録に試乗記があるが、遺憾ながら保存しておらず、図書館か市議会で議事録を閲覧するしかない。

このルートは今でも要望が高い動線ですが、この時期は2000年8月に新京成バス(当時)が高根線などの廃止や減便を柱としたダイヤ改正を行っており、バスサービスが大きく低下したことによる代替の意味もあったのかと推測されます。
この項のソースは船橋市議会2002年1月18日の議事録ですが、上記のルートのうち北習志野線については1996年4月に廃止になった雄鹿野経由を意識した表現もあり、2000年以前の新京成バスの縮小均衡もこの計画の要因と言えるでしょう。

なお余談ですが、行田方面のルートのうち、塚田駅から夏見台団地の間、「塚田駅から北本町を通って、新しい3・3・7号線を北上して、3・3・8号線から夏見・小室線に上って夏見台団地」とあるが、ここのルートだけが詳細が見えません。東海神駅付近まで降りるのでは遠回りですし、湯楽の里の前の踏切経由だと狭すぎます...

しかしあと一歩でこのときの案は実現しませんでした。この時の見送りの理由が、素案のルートが10kmを越える長大路線になってしまい1時間近い行程になること。また特定の地域だけにサービスを導入しても地域差があってよくない、というものでしたが、ならば順次拡大して格差を解消するという意思はなかったわけで、結局は1台年間2000万円という運行経費をどこまで回収できるか、どこまで負担するのか、というコスト論が大きく立ちはだかったものと思われます。

その後、続く2001年度にも日大理工学部の榛沢芳雄教授(交通工学)を座長とし、交通ジャーナリストの鈴木文彦氏を副委員長とする、バス事業者、陸運局、道路管理者、市民、老人大学クラブ、商工会議所等からなる委員会による検討を行っています。
この時に今日に続く交通不便地域の把握も行われており、2000年の試乗会ルートのほかに5ルートを想定していますが、具体的な動きはこのあたりで止まったようです。

●船橋市の独自路線
いったんは頓挫した形の交通不便地域の問題ですが、意外な展開を見せました。
2003年10月30日放映のNHK総合「難問解決!ご近所の底力」で「バスも鉄道もない 生活の足が欲しい」と題して八木が谷、咲が丘地区が取り上げられたのです。

この番組中で出てきた「妙案」が自動車教習所バスの活用だったのですが、明けて2004年1月、船橋市が発表した 「交通不便地域支援事業」 はまさにそのまんまというか、市内4ヶ所の自動車教習所の送迎バスで、事前に登録した市内在住の65歳以上の高齢者を無償輸送するというもの。
何とも皮肉なのが番組に登場した八木が谷、咲が丘が事実上袖にされたということ。かすめるように通ってはいますが、「悲願」には程遠く、2004年10月30日の同地区での市政懇談会でも「これで精一杯」という印象の回答になっていました。

余談ですが、「ご近所の底力」といえば2004年11月18日放映の「我慢も限界!渋滞」で取り上げられた藤原(法典)地区の問題。馬込沢に出るにも船橋法典に出るにも渋滞の難所木下街道を通るバスしかない状況をどう解決するか、というテーマに、ちばレインボーバスの総務課長までが出演して「難問」に挑んでいました。

相手は木下街道という幹線道路で、多くは通過流動で、しかも迂回路無し、バイパス計画無しといういかにも千葉県北西部らしい道路状況です。そのため一般車を規制したらといったスタジオで出てきた意見が全く的外れという地元の評価が出るなど、難問度の極めて高いテーマでしたが、こちらのほうは木下街道に並行する道路を馬込沢に出る路線を設定して対応しました。

八木が谷と比較すると、バス事業者が番組の段階で参画しているなど具体的な動きを見据えていたようで、それがゆえにオンエア後2年5ヶ月で開業にこぎつけています。逆に八木が谷はそうした協働体制が出来上がっていなかっただけに、市が「お話承ります」だけでは進むことも無く、オンエアから実に7年という歳月を経たといえますが、藤原(法典)は八木が谷の「教訓」を活かして「市だけでは頼りにならず」と対応したのかもしれません。

話は元に戻って船橋市によるとこの制度は、「各種企業が船橋市内で運行する送迎バスに着目し、TDM(交通需要マネージメント)の一環であるカープール(相乗り)を励行し、同時に交通不便地域の解消および高齢者の移動支援を行うことを目的とし、まず市内教習所の協力を得て送迎バスの試験運行を実施するもの」ということで、高齢者限定で、路線バス並行区間のみの利用はできないとはいえ、平日1時間ヘッドという運行頻度はまずまずであり、予算がないなりに工夫の跡が見られました。

その後教習所が1つ加わり、市内4ヶ所の老人福祉センターの送迎バスも対象となりましたが、こちらは曜日ごとにルートが異なるため使い勝手はやや落ちます。

なお今回の「実証実験」と重なった格好ですが、当初から参加していた教習所の1つが、送迎バスを定期運行から教習生の自宅との間のオンデマンド運行に切り替えたため、2010年10月いっぱいでこの制度での利用が出来なくなり廃止されましたが、この路線がカバーしていた北部方面に大きな空白域が発生した格好です。

●地域公共交通活性化協議会と連携計画
この交通不便地域支援事業ですが、市によると利用者も順調に推移しており概ね事業効果は得ているとのことですが、この事業で交通不便地域の抱える問題を全て解決することは困難であり、かつ交通渋滞・環境問題等が多発する中で地域の公共交通の活性化・再生をはかるために、2008年10月、交通事業者や市民と共に 「船橋市地域公共交通活性化協議会」 を組織しました。

そして地域交通の問題を有機的に解決し、公共交通を積極的に活用していく取り組みをまとめた 「船橋市地域公共交通総合連携計画」 を2月に発表しています。

この内容はかなり大部であり、地形などを細かく加味した条件に基づいた交通不便地域の設定や、ニーズのくみ上げなど精緻な分析が光ります。しかし一方で、ある程度結論ありきというか、公共交通利用促進を謳う前提に疑義があるのです。

もっぱらバスに対する不満をどう解消するかに力点が置かれているわけですが、「しかし道路の整備や拡幅などの施策は、コストや時間的な面から制約が大きいだけでなく、渋滞の緩和により、さらに自動車の増加を招く可能性がある。」と断定し、「そこで、公共交通の利用促進においては、道路等のハード整備に依存しない公共交通の利便性向上策の導入等による、バス等公共交通機関利用者数の増加を目標とする。」というのはいかがなものか。

船橋市の特殊事情と言っても良い事情として、劣悪な道路事情がまずあるわけです。
人口60万人の中核市として、首都圏、東京近郊の都市としてこの道路事情はあまりにも素寒貧であり、本来あるべき水準に遠く及ばないということは衆目の一致するところです。

その整備主体は国であり県であり、そして船橋市そのものですが、そうした劣悪な道路事情が招いたバス離れをリカバリーするために道路整備はしないと言うのは、原因からの逃避です。
いや、やるべき改善を省いて成果を手に入れようとする虫のいい話です。上記のように「渋滞緩和は公共交通のためによくない」と言わんばかりの勢いですから、市民の移動の質は二の次で、公共交通という手段を目的化しているとも言えます。

そうした虫の良いプランに加え、何とか公共交通を使わせようというのでしょうか、最後にはこっそりとモビリティマネジメントの実施が載っています。

このモビリティマネジメント、「かしこいクルマの使い方」と題してその実は公共交通=善、クルマ=悪という刷り込みを教育の場に持ち込む手法が目立つのには強い抵抗感がある施策です。それはさておき、そもそも船橋市は鉄道が9路線35駅もある全国有数の都市であり、劣悪な道路事情もあって公共交通利用が相当定着している都市なんですが、そういう土地柄でバス利用が減少しているのは、本来のモビリティマネジメントが期待する「自発的変化」では解消できないジレンマが存在する、つまり、バスそのものが使えないということです。

その理由の一端に劣悪な道路事情があることは明白なのに、そこから逃避しているのでは、問題の解決に至る道のりは遠そうです。

●実証実験のスタート
批判めいてしまいましたが、2010年度の協議会事業として、9つの交通不便地域の中から八木が谷、丸山、田喜野井の3地域を抽出し、コミュニティバス(小型バス、ワゴン車)とデマンド型乗り合いタクシーによる 実証実験 を3ヶ月間にわたって行うことになりました。

対象地域と日程は、

八木が谷地区 (小型バス:運行受託=船橋新京成バス):2010年11月1日〜2011年1月31日
八木が谷・咲が丘地区 (デマンド型乗り合いタクシー):同上
丸山地区 (小型バス:運行受託=船橋新京成バス):2010年12月1日〜2011年2月28日
田喜野井地区 (ワゴン車:運行受託=京成バス船橋営業所):2010年12月13日〜2011年3月11日

となり、運行が始まりました。

連携計画の策定における調査で、9つの交通不便地域のうち5ヶ所から新規路線の開設要請があり、今回の3ヶ所が特に強かったというのが今回の実証実験の直接のきっかけと言えます。なお実証実験期間は2012年度まで続くため、今回の3ヶ月間の結果を受けて、さらに実験を進めていくことになりますが、地域公共交通活性化協議会は「事業仕分け」の対象になっている事業でもあり( 実際この影響で神戸電鉄粟生線の廃止問題が再燃した )、取り敢えずコミュニティバスなどミニマムアクセスに絞って継続するので、今回の実証実験は現時点では大丈夫そうですが、悠長なことを言っていられないかもしれません。

以下各実証実験のルポになります。かなりミクロな話になりますが、適切な地図の作成、添付が難しかったため、恐れ入りますが当該地区の地図をご用意いただくか、上記リンク先の各実証実験の概要をご覧いただくことでご容赦ください。

●実証実験を見る(その1・八木が谷線)
12月の休日、新京成二和向台駅に降り立ちました。
ここは駅周辺、特に駅からr57までの間にある駅前商店街がそれなりに機能しています。r57に出るとマルエツがあり、鎌ヶ谷大仏に向かって少し進むとヨークマートがあるなど、ロードサイド型店舗もいくつかありますが、道路事情が悪すぎることで自転車や徒歩に頼る割合が高いようで、そのことも従来型の商店街に追い風になっています。

駅前通りを行く二和向台駅行き

この路線が対象とする交通不便地域は二和向台駅の駅勢圏ですが、それなりに広い商店街を貫く道が駅のところの踏切を境に細くなり、駅前広場も無いという、バスはおろかタクシーにも辛い構造ゆえ、2001年度の計画では折り返し場がある三咲駅に出る路線で設計されていました。

しかしそれだと生活圏とずれるわけで、そうなると利用が付かないと言うジレンマをどう解消するか。その回答は無理やり二和向台駅に入れるというものでした。

初期の井草循環線で使われていたマイクロバスを使うことで狭隘路線をクリアしていますが、最大の問題である折り返しをどうするかは、踏切手前を右手に入る路地に入り、集合住宅の中で方向転換することで解決しています。踏切手前の右折というのは踏切待ちや踏切を渡る対向車の支障になることから難しく、最初はマルエツ向かいの路地を使い線路際に出て、商店街に戻るのではと思ったくらいでした。

バスは商店街にある二和向台駅バス停で待機することは、荷捌きなどとの兼ね合いで難しいのか、集合住宅に隣接した公園のそばで待機しているのですが、生活道路というか生活空間でもあり、「実証実験」では許されても、恒久的にとなると地元の理解が得られるか心配です。

折り返しはこのあたりで

3ヶ月間の運行とはいえ、二和01の系統番号が与えられたバスは、昼下がりの駅からの便ですが5人程度というのはまずまずです。正座席9、補助席3というスペックは意外と少ないですが、後部にリフトと車椅子スペースがあるのでそれに取られた格好です。

r57に入ると船09、習02と同じルートとなり、二和向台駅入口、八木が谷入口と停留所も一緒ですが、r57区間の両端に偏っており、もう1、2箇所設置してもいいのではという感じです。
そして八木が谷入口を過ぎるとr57から左折して八木が谷エリアに向かいますが、ここから今回の実験区間というのに次の八木が谷4丁目までが長すぎます。途中八木が谷小や県営住宅の入口など利用が多く見込めそうな箇所を過ぎ去り、かなり遠く進んでしまうのです。

これでは何のための交通不便地域対策なのかと言わざるを得ません。バス停設置の理解、協力が得られなかったとしたら、一方で交通機関を渇望し、一方で不要と考える人がいるという厳しい現実ですが、民家を避けて設置できる箇所も十分あるだけにそうは考えにくいです。おそらくr57に近いエリアにバス停を設置すると既存バス路線へ影響が出るという「配慮」と推測しますが、乗り継ぎ制度を導入して二和向台駅のみならず三咲駅へも鎌ヶ谷大仏へも船橋駅へも出られるという「協調」こそが望まれます。

八木が谷北小近くの住宅街を進むと終点の八木が谷3丁目。バスはその先の住宅街の道を器用にまわって戻ってきますが、基本的には一本棒の路線です。一番遠いエリアのほうはこれでカバーしましたが、中ほどの八木が谷小や県営住宅の辺りが停留所の設置すらないという状態なのは微妙です。
住宅街の中ですがうまく通れば県営住宅のほうに出てくる循環路線も出来そうですが、本格運行をにらむとこれくらいのシンプルさのほうが実現性が高そうです。

終点八木が谷3丁目

八木が谷3丁目からはそのまま折り返さず、近隣のバス路線などとの位置関係を確認しながら歩いてみました。
実は北へ少し歩いて高野橋で二重川を渡ると高野台の住宅地になり、500mも歩くと船橋新京成バス井草線のルートに出るのです。

二和向台駅への道はこんな感じ

もともとこの路線は鎌ヶ谷市井草地区のコミュニティ路線として発足した井草循環線を、隣接する船橋市高野台地区をカバーしながら白井北総病院間で延伸した経緯があり、そういう意味では高野台という交通不便地域を解消したのですが、今回の八木が谷地区にしても、三咲や二和向台に出るよりはるかに近い所を井草線が走っているのです。

井草線(高野台3丁目)

ただ八木が谷3丁目につながるかというと、道があまりに狭すぎるわけで、逆に高野台側の住宅街を一方通行で進み、二重川に渡る橋のところまででも進めば、北側から八木が谷の交通不便地域をカバーできますし、井草寄りのところでもう一度立ち寄れば、今回デマンドタクシーで対応している咲が丘地区もカバーできそうです。

●実証実験を見る(その2・丸山循環線)
井草線で鎌ヶ谷大仏に出て、さらに船03のバスに乗り継ぎ馬込沢へ向かいました。
この日は船取線との交差点も順調で、かつては馬込沢市場前といっていた三叉路手前の停留所に降り立てば馬込沢駅は程近いです。

歩道がろくに整備されていない木下街道から外れて馬込沢駅に向かうと、タクシーの営業所の先にバス停が。馬込沢駅東口とあり、鎌ヶ谷グリーンハイツ線や法典線が発着する西口と区別した格好です。

バスの時間を確認していったん駅に行ってみましたが、歩道も無い状態で、結構クルマが行きかい、駅頭には人待ちなのか立っている人がちらほらと、小ぶりながらもロータリーや駅前広場があり、スーパーが面している西口に対し、なんとも雑然とした状態です。

なんとも雑然とした馬込沢駅東口

ここのバスはグリーンハイツ線の追い番となる馬02の系統番号が与えられています。車両は八木が谷線と同じタイプ。こちらも5人程度の入りと頑張っています。
バスは東口では折り返せないのでいったん木下街道を介して西口のロータリーまで行って時間調整後折り返すのですが、東武野田線の踏切があり、木下街道の状況次第ではこの回送に相当な時間を食うことも考えられます。

丸山3丁目東の行先を出していますが、実際には循環運転。バスは駅を出るといきなり急坂を上ります。実はこのあたり、真間川水系の谷筋が鎌ヶ谷市で、そこに浮かぶ台地が船橋市の飛び地となっていおる丸山地区です。人口1万人あまりという日本一大きな飛び地の異名を持つ丸山ですが、地形を見るとなぜ飛び地なのかということが見えてきます。

最初の停留所は法典東小学校ですが、法典というと船橋法典駅の印象が強いので驚きますが、今で言う藤原町を中心としたエリアが法典であり、丸山や馬込町はその東端に位置するのです。
地形の関係でアップダウンが激しいですが、東武の踏切を越えて小さな商店街を通るあたりが谷底で、前後が急坂と、本格運行を考えると路面凍結が心配です。そういう意味では2月いっぱいまでの実証実験で冷え込みの厳しい朝や降雪時のテストも出来ればいいのですが。

「丸山台地」を取り囲む谷筋の北西に位置する鎌ヶ谷グリーンハイツ方面に下る道路から分かれますが、ここが鋭角ターンに狭隘路と「萌え」要素満載の区間、そしてこの系統がメインターゲットとする丸山3丁目エリアです。

いかにも新興住宅地という整然とした区画、しかし周囲とは同レベルの道では結ばれてはいないという船橋市名物のミニ開発ですが、住宅街に入ってからがすごいです。入口が事実上1箇所しかなく、そこから入り込んで西と東それぞれ一回りするのです。
ちょうど角が2つ生えたような路線図となっており、丸山地区そのものが大きなループになっているところに小ループを2つ生やした格好という非常にユニークな路線形態です。

丸山3丁目中にて

もっとも回り過ぎの間は否めず、根っこの部分から戻ってくるまで5分程度かかっては「表通り」を真っ直ぐ行ったほうがいいかもしれません。試乗時に丸山3丁目東を利用したのですが、回っている間にさっき見かけたよちよち歩きの乳児連れの親子が根っこの部分に近いところまで歩いていましたし。

丸山3丁目東

ここからは戻るだけ、と思いきや、丸山小学校のほうを大回りしてから往路に合流して馬込沢駅にもどるわけで、八木が谷線がシンプルかつ停留所も少なめなのに対し、こちらは複雑怪奇かつこまめな停留所設置と対照的でした。

こちらでは丸山3丁目地区でいったん下車して、周辺との関係を見ました。
ここは丸山の台地を取り巻くように鎌ヶ谷グリーンハイツ線が走っていますが、沿線と丸山地区は意外なまでに高低差があり、グリーンハイツ線まで出れば、とは言いにくいことも確かです。

鎌ヶ谷グリーンハイツ線の通り
丸山へのアプローチは右の階段のようなケースも

とはいえ商店街から来た道から鋭角ターンする場所を直進すればグリーンハイツの一角に到るわけで、このルートと統合する形での循環線にするということは考えられます。丸山3丁目の住宅地には直接入れませんが、本格運行を考えると現行のルートはあまりにも回りすぎですし、このくらいの距離は高低差もなくなることから許容範囲としたいです。

鎌ヶ谷グリーンハイツ線(ドレミ号・慈裕苑)


●実証実験を見る(その3・田喜野井循環線)
さてこちらは上記2路線の試乗時には開業していなかったので、日を改めました。
船橋市の東南部に位置する田喜野井、三山地区が対象ですが、最寄り駅が津田沼駅で、普段は専ら東金御成街道を行くバスが交通手段というエリアです。

ちなみにこの路線が対象とするエリアですが、習志野原の台地に向かって菊田川水系へ谷筋を伸ばした低地に位置しており、路線最奥の三山学園台エリアには三山のテレビ塔があるといえばだいたいの位置のイメージがつくのではないでしょうか。

そのため今回の実証実験もバスはJR津田沼駅から出発し、習志野市域を通って田喜野井地区に向かいます。ただしこのルートは習志野市域において京成バス津32系統(津田沼駅−習志野企業局)、習志野市コミュニティバス(ハッピーバス)京成津田沼駅内陸ルートと重複しており、今回は競合を避けるために習志野市域のこれらバス路線と重なる区間は通過扱いになっています。

この路線は前2者と違い京成バスが担当するほか、さらに狭隘ということでマイクロバスすら使えず、12人乗りのワゴン車を使用しています。もっとも正座席9人、補助席3人のスペックはマイクロバスと同等なんですが、車内の狭さは比較以前の問題ですし、立客不可となっているため、満員時には従前からの周辺バス停をご利用ください、という注意が停留所に書いてあります。
ただそうした「警告」が利きすぎているのでしょうか、平日夜でも利用があまり伸びていないケースを見ており、乗れる乗れないという部分での不確実はあまり好ましくありません。

この車両、普段はどういう利用に供せられているのでしょうか。ドリンクホルダーがあり、いっぱしの観光仕様です。折り畳み式のステップもありますが、どちらかというと蹴込みの少ないステップの延長という感じです。
ただ1台しかないようで、故障時には運休しますというお断りも停留所に掲出されています。

バスが出るのは津32と同じパルコ前の7番乗り場。歩道に違法駐輪が目立ち、車道側に出るのもしんどいですが、車両構造の問題からバリアフリー対応はできませんとあるので、車椅子の取り回しなどを考える必要は現時点ではないようです。

JR津田沼駅を発車

そこから新津田沼駅を経て、京成津田沼駅東側のガードから来る道を左折しますが、新京成のガードのところの交差点までが難所。ヨーカドーの駐車場の出入りに、ガードを左折したところにあるイオンの駐車場へ向かうクルマが詰まっての渋滞が酷いです。
その先企業局のそばでいったん止まって乗務員交替。こうしたやり方は大阪の赤バスでも見られる方法であり、柔軟な路線設定につながります。

藤崎交番前交差点で東金御成街道(r66)と直交しますが、このあたりはゆったりとした道幅。しかしこの道がどこにもつながらない事実上の袋小路というのがこの路線のプレリュードともいえます。
このエリアにはこうした中途半端な道路が多く、同じ田喜野井地区ですが今回のエリアの西に位置する津田沼グリーンハイツにはいちおう2車線道路が走ってますが、「外界」との接続は反対を向いた薬円台地区です。

そのためバス路線設定当初は津15系統として津08系統(津田沼−二宮神社前)の支線のような格好で、薬円台2丁目を大きく迂回して運行していましたが、住宅街を通る道を何とか通れるようにお願いしたようで、前原から津田沼教習所経由の道にアクセスする生活道路を経由する津17に建て替えられています。

実はこの南を向いた袋小路のグリーンハイツ内の道路と、北を向いた袋小路の藤崎交番からの道路は程近く、生活道路で結ばれているためそこを抜けるクルマも多いのですが、バスが通れないのでグリーンハイツの住民が難儀をしているわけです。

この大通りは間もなく行き止まり
信号の先、信号もないところで右の路地に入ります

ハッピーバスは藤崎小を取り巻くように回って藤崎の一番端を回りますが、田喜野井線は信号もない交差点から路地に入ります。住宅地を抜けきらんとするところで習志野市藤崎から船橋市田喜野井に入り、田喜野井1丁目バス停となるのですが、そこから狭隘かつ急坂を下って向かうのがハッピーバスが通る道。坂の下に「田喜野井1丁目入口」でも設ければわざわざ生活道路を通らなくていいのに、船橋市の実証実験だから田喜野井1丁目に義理立てして無理をした格好です。
おまけにせっかく寄った丘の上の停留所は東のはずれの田喜野井1丁目だけ。大半を占めるエリアは習志野市藤崎なので停まりません。

田喜野井1丁目に寄るために急坂を行き来

そこから崖と住宅に挟まれた狭隘道路を行き、ようやく開けると小田急団地。
都市計画道路田喜野井御滝線がごく一部だけ完成した格好の広い通りを中心に開けた住宅地ですが、この都計道、前後が全くつながらず、完全に孤立している格好です。
まちかどスポーツ広場の前は広場側の停留所を上下で共有する格好になったため、往復でルートが少々違いますが、運行開始直前のルート変更を考えるに、道路反対側の民家がバス停設置を嫌がったのでしょうか。しかしそのせいで生活道路を走る区間が増えたのですが。

まちかどスポーツ広場前の「都市計画道路」

ここからは循環運転という建て付けになっており、エリアの最奥となる三田公民館のそばから、三山学園台の住宅街を回ってもとのルートに戻ります。
車両が車両で、満員リスクもあるということで、利用は前2者に比べると少なめでした。

ここでも三山学園台児童遊園で降りて周辺を確認しましたが、八木が谷や丸山が可愛く見えるほどの複雑な路地に迷い、坂を上って台地に出て道なりに歩くと二宮神社に出ました。

二宮神社から京成バスに乗り込む乗客

三田公民館のあたりからだとここまで10分程度ですが、ちょうどこのエリアは津02(津田沼駅−二宮神社)が大久保を回ってくるルートの内懐という感じで、藤崎交番までのどの停留所までも同じような距離を残している印象です。実際には三山車庫からのルートが合流する市営住宅バス停に出る人が多いようです。

さすがにワゴン車での運行はつぶしが利かないわけで、内陸ルートが折り返す藤崎小のあたりからハッピーバスを延長したいところですが、200mほどの狭隘区間がネックです。外界への出口が限定されるため交通量が多く、普通車ですら離合に苦しんでいます。ただもう1ブロック程度まで進んで折り返せば小田急団地からの距離が相当短くなるのですが。

この狭隘区間がネック

あとは二宮神社から三田中に向かう道路がそれなりに広いので、三田中の前までアクセスすることで東側からのアクセスルートを確保できそうですが、三田中が谷筋に位置し、折り返し用地が取れそうな場所は既に急勾配の途中と、折り返し用地が取れれば津02や津08の延長での対応が可能なんですが、苦しいところです。

残るは三山学園台から南に出るルートですが、済生会病院の脇までは何とかすれ違えた道が、バス通りに接するまでの100m程度だけ狭隘区間になるのです。
東邦大、日大の北を通り東へ向かってバス通りに出るルートも三山小の西側で全くすれ違いが出来ない狭隘区間を抱えており、かつバス通りへの接続が津田沼駅方向に向かって鋭角ターンになるという最悪の線形です。

もうここまで悪条件が重なるとは、と天を仰ぎたくなりますが、惜しむらくは病院用地(病院の前庭であり、現状用途は駐車場と緑地)を購入して真っ直ぐの道をつけなかったこと。済生会病院の前身の国立習志野病院時代なら、公共用途ということで融通も利いたのでしょうが、民間払い下げ後の今となっては難しいでしょう。

●実証実験で見えてきた問題点
まずこれを言ってしまうと実も蓋も無いのですが、船橋市が無秩序なミニ開発を容認してきたツケといえます。「外界」との接点が1箇所しかない袋小路のような住宅地、もしくは接点は複数あるけどどれも狭隘でどうやって引越しのトラックが入ってきたのかというような住宅地。丸山ではこうした住宅地の道路を市道認定してもらおうとして、住宅地の中を回れば帰ってこれるので、本来指定できない袋小路で無い、という呆れた理屈で認定したケースも後述する市議会の議事録で見えます。

こうした住宅地が開発された当初は住民も若く、またクルマの保有も今ほどでなかったのが、高齢化が進み、モータリゼーションが進んで「歩く」ことへの抵抗感が強まることで、かつては感じなかった「不便」が我が事として圧し掛かっているのです。

こうした交通不便地域の解消については、公共交通によるサポートもいいのですが、やはりまず道路の整備でしょう。消防や救急など緊急車両のアクセスすら困難な状況は問題であり、公共交通の整備という意味でもまず道路が無ければどうしようもないのです。
また船橋市の場合はもともと谷津田地形による高低差が移動を阻害するケースが多く、また袋小路を生みやすいため、それを克服する方向での計画的な道路整備が必要なのです。

ところがその基本的な段階すらクリアしていない段階で、船橋市の道路部が「皆さんが『生活道路に車が入ってきて通過交通多い』と言うかとうと、前後が全部つながっているからである。したがって、このような形で裏側に歩専道をつけてやれば通過交通はなくなる。道路部としては、このような道路形態は、通過交通を排除する1つの考え方としていいと考える。」と、袋小路の道路整備を容認するが如き答弁をしているわけで(2006年3月の第1回定例会建設委員会議事録)、こういう土壌が今日の状況を生んでいるのかもしれません。

一方で住民も、全体的な道路事情が悪いだけに、迂闊に整備すると通過流動の抜け道になるため、意図的に道路整備を拒んでいる面があり、それがエリア内だけ広い道路で、外界とは迷路のような細道という住宅地を多く生んでいるといえます。

交通の整備という意味では、今回の実証実験に到ってもなお「総論賛成各論反対」じゃないですが、停留所の設置で忌避行動らしき様子が見え隠れするなど、それでもなお不便のほうを選ぶような根強い交通不信があるわけで、本来こうした「エゴ」とまでは言いませんが、交通整備に関する無理解を正すような方向での「教育」としてモビリティマネジメントを利用すべきといえます。

●市境、会社境界という位置関係
もう一つは、今回の3地区に共通することとして、隣市との境界に近いということが挙げられます。
つまり、八木が谷、丸山は鎌ヶ谷市、田喜野井は習志野市です。

これに付随する問題として、バス路線の営業エリアの境界が市ごとになっているケースが多く、市境を越えると別のバスが何気に程遠くない場所を走っていたりします。

八木が谷の場合は上述の通り井草線が走っており、この路線が北から立ち寄るような形態で八木が谷地区にアクセスできれば、かなりの地域が恩恵を受けます。

丸山の場合も、鎌ヶ谷グリーンハイツ線のほか、鎌ヶ谷グリーンハイツの西側そう遠くないところを、JR西船橋駅へ向かう京成バスのファイターズタウン線が走っており、また鎌ヶ谷市コミュニティバスのききょう号も東武鎌ヶ谷駅との間を結んでいます。

田喜野井の場合は津田沼口での京成バス、ハッピーバスと重複しているわけで、ハッピーバスの延長か、ハッピーバスとの乗り継ぎといった対応にすることで、定員の少ないワゴン車による区間を極小化するという手が考えられました。

ハッピーバス

このように、船橋市が単独で対応するのではなく、市と市、会社と会社が手を取り合えば、少ないコストで効果的な再編が可能に見える部分もあるわけです。特に田喜野井地区に関しては、津田沼という一大拠点が船橋市と習志野市に跨っているという両市の関係もあるわけで、都市計画などにおける連携が強く望まれるなか、ハッピーバスを生かした形での対応が欲しかったです。

●既存バス路線も発想転換を
この地区に路線を伸ばすのは新京成バス(船橋・習志野)と京成バスですが、基本的には開設当初の形態をそのまま踏襲した路線設定といえます。

駅から団地を結ぶ路線、総武線と新京成線を短絡する路線といった形態は、今でも十分役割を果たしている反面、高齢化が進み木目細かい需要を拾うという昨今のトレンドには必ずしも合っていない様にも見えるわけです。

特に新京成バスの場合、鎌ヶ谷市内や白井市内においてそれこそ井草線や鎌ヶ谷グリーンハイツ線のようなコミュニティ型路線に近い形態の新路線を設定しているのに、船橋市内では類似の住宅地や大規模団地におけるその手の路線の設定が見られないばかりか、利用減少を理由に系統や本数の削減が目立ちます。

例えば、これまで大通りを先に急いでいたのを、少し入ったところにある住宅地や病院といった利用が望める地域に立ち寄るような路線に再編するというのも、減少トレンドにある利用への梃入れになるでしょう。特に八木が谷エリア近辺で考えると、船09は新京成線との距離が縮まり、大仏への入庫のために急いでも仕方が無いわけで、白百合団地入口バス停の北側に広がるみやぎ台の住宅地に立ち寄るとか、小室駅やセコメディック病院への船07、セ02を、r288を直進せずにみやぎ台から船橋北高経由にするとか、人口希薄な北部地域だからこそ需要を拾う方向性が必要です。
※その意味で2000年8月改正で船07が豊富農協前に寄らなくなったのは問題であり、特に集客力のあるアンデルセン公園も袖にされてしまい、距離は然程では無いとは言え、県民の森バス停まで歩かされるのは小さな子供連れが多い客層にとってマイナスです。

また、今回のエリアではないですが、 別項でかつて指摘 したような習志野台エリアでの不可解な路線再編と終バスの大幅繰り上げのように、需要を拾うどころか捨てるような対応も見られるわけで、事業者の意識改革が強く望まれる部分といえます。

●路線バスの枠を超えた協調も
船橋市内のバス路線もご他聞に漏れず乗客減少問題に悩んでいるわけですが、その原因のひとつとされているのがセコメディック病院の送迎バスです。

確かに豊富町から各方面(高根公団、八千代緑が丘、小室・NT中央、西白井・白井、東武鎌ヶ谷、村上・八千代中央)に伸び、日曜を除いて40分から2時間に1本ベースで走る路線は、本来新京成バスが一手に引き受けるべき需要を食われているともいえるわけですが、向こうにとって見たら足場が悪い立地ゆえそれくらいのサービスをしないと総合病院が多いこのエリアで生きていけないということでしょう。

また送迎バスが最初から充実していたわけではなく、言ってしまえば新京成バスの路線網では力不足という判断ということです。前身の倉本記念病院時代から船橋駅、三咲駅、北習志野駅からの系統を用意していましたが、三咲駅経由の船橋駅系統は廃止、高根木戸駅経由の豊富線は豊富農協前で折り返し、北習志野駅−小室駅への小室01も立ち寄らずに直行と、ちょっと工夫していれば少なくとも新京成バスの路線を食い荒らされるような設定は防げたかもしれなかったのです。

このあたりは旧印旛村の日医大千葉北総病院が、送迎バスを京成佐倉や小林駅へ運行していたのを、北総線印旛日本医大駅開業時の印旛村内バス路線再編で、無料送迎は最寄りの印旛日本医大までとし、それ以外は路線バス(イーバス)に任せる分業をすることで、路線バスの整備、維持を図っているのを参考にして、路線バスに任せるべきところは任せる、ただし需要に応じた路線とダイヤ設定をするといった協調が必要です。

そういう意味では自動車教習所の送迎バスの活用と言う効率的な対応を編み出した船橋市ですから、そういった送迎バスとの連携や分担といったこれまでにない対応を生み出して欲しいものです。

ちなみに今回実証実験に試乗し、かつ周辺のバス路線との関係を見るべく歩いたのですが、その際にこうした「交通不便地域」にもスポーツクラブやスイミングスクールの送迎バスや、幼稚園バスが走っていることに気がつきました。
これも協調の対象になり得ますし、混乗は無理でも、こうした交通不便地域におけるマイクロバスによる路線設定の可能性と実績を示すものといえます。

●狭隘区間をどうクリアするか
このレベルまで来ると道路整備という王道しかないのも事実ですが、現実問題として用地確保その他のハードルが極めて高いことも事実です。

ですから現在あるような都市計画道路が実現する可能性は限りなく低いわけで、現実的な対応としては例えば杉並区の「すぎ丸」のようにピンポイント的に離合箇所を整備することでバス運行の道を開くといった手法もあります。

その意味では現状の道路を前提とした公共交通の整備を進めることを考える必要があるのですが、その際に求められることとして、杓子定規に「この規格だからバスが通れない」ではなく、「どうやったらバスが通れるか」という発想の変換があります。

今回の実証実験でも特に警察署がバスの通行に難色を示したケースが多いやに聞いておりますが、今回の路線レベルであれば、他の地域においてはマイクロバスどころか中型バスが通行しているようなケースもあるわけです。

協議会の議事録を見ても田喜野井ではハッピーバスとの重複が指摘され、ハッピーバスの延伸が提案されていましたが、警察がそれを許さなかったとあります。
確かに200mあまりの狭隘区間がネックですが、バスが離合するとか頻発するわけでもなく、例えばバス接近表示を整備して対向車の進入を抑止するとか、場合によっては交互通行用の信号機を設置するといった対応もあるわけです。特に交互通行用の信号機が設置できれば済生会病院側からのアプローチも可能であり、そうなればハッピーバス大久保ルートからの分岐という手もあります。

狭隘区間交互通行用の信号の例(広島県福山市鞆町)

また3地区ともに近所を走るバス路線からのアプローチルートを設けることで対応できる可能性もあるわけで、そうした効果を発揮できる道路整備も合わせて考えることで対応していく必要があります。

●将来を見据えて
船橋市は鉄道網があまりにも便利すぎるがゆえにバス交通に対するフォローが等閑だったことは否めません。
そして道路事情の悪さ、無秩序なミニ開発の放置容認といった悪条件が重なりすぎて、先の見えない交通不便地域を市内に何箇所も抱えることになったといえます。

こうした地区と急速に進む高齢化がリンクしての社会問題化も見逃せない課題であり、まさに社会インフラの整備を怠るとどういう結末になるかという見本ともいえます。

それでも教習所バスの活用など、他地域でも採用(柏市)されたり、先進事例として取り上げられる方策を導入するだけの知恵があるのも事実であり、それをさらに発展させて、どう交通不便地域を解消していくかという難題に挑んでいく必要があります。

その際に忘れてはならないのが、必要なインフラ整備は何があっても必要だということ。
素案ではいわゆるモビリティマネジメントの導入により道路交通を抑制することで必要性を下げるという対策が見え隠れしていますし、市役所内にも道路整備を抑制したいという空気がありますが、現在の船橋市のレベルではそれは縮小均衡と言うか、ハードルを下げてクリアした振りをするようなごまかしの効果しか生みません。

これまでの半世紀あまりで積み上げた負の遺産を次の世代でどう解消していくのか、そしてどういった未来を描くのか。その理念がこの連携計画に備わっているかが問われるのです。


2011年1月23日補筆

本文に記載した田喜野井地区の狭隘区間の問題ですが、市議会の議事録が出てきました。

2009年12月の定例会での質疑の中に、
市議側から「その後、京成バス側から狭隘道路の出入り口双方に信号機を設置するシステムの提示と、さらに費用負担の話があったものの、いまだ警察側の許可がおりておりません。」という質問があり、
市側から「また、信号システムにつきましては、現在、交通管理者である警察と協議を行っているところでございますが、当信号システムによる信号の常設化は、全国的にも実施例がないということで、信号システムを設置する区間の延長の問題、車を停止させる場所についての問題や、このシステムが信号として認められるかどうかの問題がございます。」と答弁が出ています。

また、2010年3月の定例会では、
市議側から「具体例を挙げますと、これは前回からも議論をしておりますけれども、田喜野井地域について実際に小型バスを走行させて周辺道路等の状況を確認する走行実験、これは2月24日に行われたんですが、私も参加をさせていただきました。この狭隘区間、幅員3.6メートルでしょうか、100メートルぐらい続いていくんですけども、この狭隘区間の前後に回転灯と接近表示板、「バスが来ますので進入ご遠慮ください」というイメージになるのでしょうか、この接近表示板を組み合わせた信号システムの設置をしていくことによって、狭隘道路を抱えている地域でも小型バスの走行がかなり可能性が出てくることがわかりました。問題は警察の許可が得られるかどうかという点であります。警察との協議の中で、もしクリアすべき課題、条件というものが明確になったならば、その環境整備に、この地域特定事業の補助金を活用することも可能なのではないでしょうか。」という発言が出ています。

2009年12月の定例会ではその前段階としての質疑で、「三田地域については既に住民の皆さんとバス事業者との間で協議が進んでおり、人口密集地で採算的にも魅力があることから、バス事業者自身が強い意欲を表明しています。」とあるわけで、質疑の中にもあるように信号システムによる安全確保の導入が出来れば、新規路線の設置は可能でしょう。

市側から警察の見解として前例がないということを言ってますが、上記のように福山市鞆町の例や、これも広島県ですが呉市阿賀地区では県道66号線(呉環状線)でも市街地狭隘区間の交互通行用信号機の設置があり、ここは呉市東部から音戸の瀬戸方面への通過流動があり、安芸阿賀駅〜音戸の瀬戸〜呉駅の大型路線バス(呉市交通局・阿賀音戸の瀬戸線)が約40分ヘッドで運行しており、実施例がないどころか、もっと条件が厳しいといえるところでの導入例があります。(例があるからこそ京成バスが提案しているということでしょう)

阿賀音戸の瀬戸線の狭隘区間
(前方しばらくが交互通行区間)
阿賀音戸の瀬戸線のバス
(音戸大橋のたもとを経て呉駅へ向かう)

そうして見ると、ボールは行政、特に警察側にあるとも言えます。



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