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船橋市のとある交差点改良を見る

道路事情が致命的に悪いと言われる千葉県北西部、そのなかでも船橋市の道路事情は最悪といっていいレベルです。
その船橋市でも有数の渋滞ポイントの改良が2010年8月10日に完成しました。遅々として進まない改良の典型のような現場のこれまでと、その効果を見てみましょう。

十字路になりました...


※写真は2008年3月、2010年2月、8月、9月撮影


●道路交通の墓場
人口60万人強。千葉県第二の都市で、中核市に指定されている船橋市は鉄道交通に関しては、7社10路線(JR=総武本線・京葉線・武蔵野線、京成=本線・スカイアクセス線、新京成、東武、東京メトロ、北総、東葉高速)30駅(共同使用駅は1つとして計算)を数える全国有数の充実振りですが、一転して道路交通となるとお寒い限りです。

東京と千葉を結ぶ経路上にあり、東関東自動車道と京葉道路、R14(千葉街道)、R357(湾岸道路)が走り、北部には環状道路であるR16も走りますが、市内の道路網はひどいものです。
幹線交通にしても、R357若松交差点の改良がようやく成ったばかりという状況ですし、八千代、佐倉方面を結ぶR296(成田街道)の状況は話になりません。

特に南北方向は主要道クラスでも悲惨の一言に尽きるわけで、若松交差点から我孫子市のR6間で縦貫するr8(船取線)は千葉県北西部きっての重要幹線になりますが、その大半が片側1車線で、船橋市から鎌ヶ谷市にかけての区間は渋滞の名所です。

そうした南北方向(環状方向)の主要道の1つにr57がありますが、今回の舞台はそのr57、2010年8月10日に完成したばかりのの交差点改良です。

●使えない主要道
今回の舞台となるr57は、「千葉鎌ヶ谷松戸線」と称し、千葉市美浜区の幕張新都心から花見川区、習志野、船橋、鎌ヶ谷の各市を経て松戸市にいたるルートです。
イメージとしては新京成に並行する位置関係で、鎌ヶ谷市から松戸市にかけては蛇行する新京成と立て続けに4回交差することでも有名です。

昔は「千葉鎌ヶ谷柏線」と称していましたが、松戸市金ヶ作から酒井根を通り柏に向かっていたのを指定替えして、左折させて松戸市内で完結するようにしています。

上記の新京成との4回にわたる交差は総て平面交差ですし、船橋市内ではR296との交差が1kmほど共用する格好とあって、渋滞しないほうがおかしい構造です。
さらに千葉市内では幕張でのJR総武線、京成千葉線と交差する大踏切もあり、千葉県北西部の道路事情のシンボルのような道路でしたが、さすがにこの踏切はアンダーパスになり、あわせてバイパスになって4車線道路となって幕張新都心に到るようになり、見違えるようになりました。

●船橋市内のr57
幕張の改良が終わり、京葉道武石IC付近の4車線化も進むr57ですが、その先から本性を表します。
実籾駅付近はまだら模様の改良が進み、習志野市から船橋市にかけての三山付近もロードサイド渋滞が目立ちますが、道路自体は普通の片側1車線道路と言えます。

さらに北上するとやや左にカーブを切ってR296に合流します。ここが今回の舞台となった実籾街道入口交差点です。
ここでr57は終わり、となると「千葉鎌ヶ谷松戸線」にならないので続くはずですが、なんと鋭角にR296に合流する形で重複し、八千代市新木戸交差点で分岐北上します。

今回の範囲から外れますが、新木戸から分岐して道なりに北上するのは実は千葉NTに向かうr61で、分岐してすぐの坪井町入口交差点でr57はさらに左折します。
そして船橋市街から小室に向かうr288との交差もT字路が2つ重なるクランク状の交差点になっており、ここも渋滞の名所と、船橋の道路事情を遺憾なく発揮しています。

船橋市内の道路ははっきり言えば江戸時代から変わっていない状況で、いわんや戦後すぐの道路形状と現状に大差が無かった話は 船橋鉄道のルポ のエピソードに記したとおりです。

要は船橋宿の中心を通る成田街道、千葉街道から各集落へ向かう道がどんどん枝分かれする形態であり、だからT字路やY字分岐が多いのです。この実籾街道入口交差点や新木戸交差点も成田街道からの枝分かれであり、往々にして江戸期の道しるべの石碑があったりします。

●悪夢の実籾街道入口交差点
そして今回の舞台です。
ただでさえ交通量が多いのに未改良のR296(成田街道)に合流し、新木戸まで共用重複することから必然的に混みます。

混み合う成田街道(薬円台二丁目)

また武石ICや幕張方面への流動、習志野、三山地区のロードサイド店は大規模SCのほか、大型ホームセンターやカーディーラーなど独自ニーズを担うものが多いことから、大規模団地で人口が多いが大型商業施設が少ないR296以北の習志野台、高根台エリアからの流動も多く、R296を直行する流動が目立ちます。

しかし、実籾街道入口交差点は事実上T字路(実籾側から習志野台の生活道路に入る一方通行の路地はある)であり、すぐ東側にある習志野台団地入口交差点のこれもT字路に到って習志野台や高根台に向かう構造です。

このr57としての大クランクと、高根台方面への小クランクの重複。これが実籾街道入口交差点の難所たる所以なのです。

なお「大クランク」は自衛隊の演習場があることもあり、別ルートを取るとしたら八千代台駅北口を経て高津方面に向かうことになり、r57やr61への北上には使えません。ここの裏返しで流動が集中する八千代台駅北口付近も交通集中が激しいです。
ここを通るしかないのに迂回路の設定が出来ない状態ですが、相手は演習場、しかも本邦唯一の空挺団という重要部隊ということで改良は難しいのが現実です。

しかし小クランクに関しては実は船橋市の都市計画道路では習志野台団地入口交差点を十字路化して実籾街道に接続するとなっており、それがようやく実現したのです。
この区間、演習場は支障せず、流動的にもこれが多いわけで、長年改良が進まなかったことは非常に不思議です。

なお、船橋市の都市計画道路と言うのは計画が遅々として進まないものも目立ちますが、既存道路の改良でもなく、まっさらな状態で整備する計画が目立ちます。
既に住宅地化されているエリアもありますし、谷津田地形の自然地形も影響するはずですが、それらを無視して地図上に真っ直ぐ線を引いた計画は実現性を強く疑うものです。

直進できるようになりました


●改良前の惨状
2つのT字路が連続し、本来絡むことの無い流動がR296に入り込むことでR296の負荷が高まる。若松交差点を髣髴とさせるような構造でもあります。
T字路側が青信号のとき、R296は赤信号になるため、R296に入れるクルマは交差点間の距離に制約されるため、T字路側に残ってしまい、渋滞の元凶となるのです。
R296側もT字路の本線側が青になっても、その先の次のT字路が青になって、溜まっていたクルマが掃けないと進めないため、ここで滞ります。必要の無い流動が加算することはこうした影響になるのです。

R296先頭の渋滞

若松の場合はR357にr8、r15の流動が重なるだけで、この3本の道路で完結していましたが、ここの場合はR296に接続するその他の路地に通過流動が入り込んでいたのです。

路地経由でr57に復帰する南行きのクルマ

脇道からR296に入り込むことで「抜け道」化しないように一方通行指定が細やかにされていますが、両方向通行禁止には出来ないわけで、R296→r57は通れるため、こうした路地に通り抜けのクルマがあふれていました。中には逆行してR296に入る違法通行車もいましたが、取り締まりも追いついていないようでした。

北行きは通行禁止だがあのクルマは...

ただ、こうして抜け道に消えることでR296本線のクルマが減るため、渋滞解消という意味では必要悪だったのです。(違法通行は論外ですが)

●県道の改良
カーブを切っていたr57を直進化する。素人目には習志野台団地入口交差点から新道を建設し、r57に接続しておしまい、という感じなんですが、いろいろあったようです。

中央通りとR296のT字路時代

用地買収もかなり難航したようで、南側のステーキハウスや町工場は早々になくなりましたが、R296寄りの区間は最後まで難航していたようです。
まがいなりにも用地が確保されて見通しが利いてからのスピードも遅かったのですが、これは水道管の移設が必要だったようで、これも時間がかかった原因です。

見通しが利いてからもしばらくはこのままでした

では改良された区間を見ましょう。まずr57のカーブが意外と大きく膨らんでいたため、新道はいったんr57のカーブの内側に入ることになるため区間延長が長くなっています。
逆に従来のr57が新道に最初に接続する箇所はT字路になるため、逆側にカーブを小さく切って、なるべく直角に接続するようになっています。

新旧道の分岐付近のかつての姿

新道がカーブの内側に入る区間では旧道が三日月湖のように取り残されています。通常は緑地になったり民家の用地になったりしますが、旧道に接続していた路地の出入り用に残され、南側で新道に接続するようになっています。(路地が新道に直接接続しないのは路地側には不便ですが、幹線交通への影響と言う意味では優れています)

カーブ区間が三日月湖のように残る


●交差点改良
問題の交差点は実籾街道入口交差点ですが、新道建設による改良のため、実際に手が入ったのは習志野台団地入口交差点です。

この交差点、もともと右折車線が無いため、単純に十字路化してもその瞬間に全方向右折車による塞栓状態が多発することは必至でした。

しかし新道はともかく、R296、習志野台方面の市道(中央通り)は拡幅余地が無く、どうするのかと見ていましたが、結論から言うと無理やり右折車線ができたのです。

もともとはこんな感じ(中央通り)

中央通りは歩道を各50cm程度削って、路側帯もギリギリまで削って捻出しましたが、これは少し北側にある習志野台三丁目バス停付近の交差点(「千葉ピーナツの交差点」と言われる交差点)での右折車線設置と同じ手法です。

歩道と路側帯を削って捻出

しかしR296はそうした捻出も不可能なほど歩道が狭いです。実はかなり大掛かりに隅切りがなされているのを見て、右折車を2台くらいは交わせるスペースを捻出してお茶を濁すのでは、と推測したほどです。

右折車線をどうやって捻出するか

しかし北西側の角(「とんでん」がある場所)は隅切りも不可能という有様で、これまでの実籾街道入口交差点の右折車の数を考えると、ここでの右折車滞留は致命的ですから、右折のみ旧ルート経由にしてここは右折禁止にするとかいろいろ考えたものです。

しかし現実には右折車線が出来ました。改良なった交差点を見て驚いたのは、無から有を生んだと言うか、路側帯を削ると言うか無くし、車線幅を狭くして捻出したのです。

路側帯を削り、ラインを引き直して捻出

直進通過車にとっては幅員減少による原則を余儀なくされることはボトルネック化の懸念がありますが、右折車滞留により全く進めないよりはマシです。
大型同士が直進と右折に並んだときが心配ですが、何とかなりそうでもあります。

●その他の変化
習志野台団地入口交差点付近のバス路線に変化が出ました。
従来実籾街道入口交差点で曲がっていたため、曲がる箇所が変わるだけ、という単純な話になるところ、実籾街道入口を曲がってすぐのところに自衛隊前停留所の折り返し場を設けていたことが問題を複雑化したのです。

津田沼駅からの津06・自衛隊前行きは自衛隊正門前の停留所に発着して、折り返し場に回送していましたから影響は無いのですが、北習志野駅からの習07・自衛隊前行きは、自衛隊正門前の停留所に行くと折り返せないので、折り返し場に専用の自衛隊前停留所を設けていました。

同様にその先習志野車庫に向かう習05系統は改良前は自衛隊前に停車して、習志野原を経て習志野車庫に向かっていました。(津田沼駅発習志野車庫行きの津05系統は折り返し場の前を通るが停留所には停車せず)

今回、習志野車庫に向かう路線について習志野台団地入口交差点経由(津05はR296右折、習05は交差点直進)としたことで、習05は自衛隊前を非経由になり、習07は折り返し場の自衛隊前止めと分かれました。そして北習志野駅−津田沼駅の津04は自衛隊正門前の自衛隊前に停車することから、交差点付近の経路が微妙に複雑になったのです。

ちなみに津05、習05系統は新道区間の中間に習志野1丁目バス停を新設していますが、交差点寄りに津05について北習志野団地入口停留所を設けてもよかったのではと思います。
(津05だけこの交差点を経由しながら停留所が無い)

標識類は実籾街道入口交差点での分岐を無視した格好になっています。
しかしr57への指定は実籾街道入口交差点のままのようで、r57としての表示は旧道側に立っています。
余談ですが一部商業施設の案内看板には早手回しに新ルートを表示しているものもありますが、大概はメンテをしてないようで、実籾街道入口を曲がるような案内になっています。

旧道区間に残るr57の標識


●効果は大きかった
2010年8月10日、遂に完成した改良の効果は大きく、南北方向(r57と中央通り)の渋滞は明らかに減りました。
特に中央通りは激減といってよく、これまでここの渋滞を避けて、西行きに入るのにいったん東側の日本大学入口交差点からR296に入ることも多かったのが、その必要がなくなった格好です。

一方でR296は西行きこそ減った印象ですが、東行きはあまり変わりません。
これは、これまでここで「絞り込み」が発生していたものがなくなり、そのまま未改良のままの新木戸交差点に集中したことで、新木戸先頭の渋滞となり、それがここまで伸びているということです。

効果があっただけに次のポイントの負荷が高まったというわけで、新木戸の改良、また印内習志野台線(「千葉ピーナツの交差点」で中央通りと交差する道路。坪井と東図書館の間および、船取線から西側で整備済)の八千代緑が丘への接続など新木戸の負荷が下がれば、成田街道東行きの渋滞はまずなくなるでしょうから、今後の改良が待たれます。

旧道とR296との交差点もガラガラ

一方で「旧道」になった区間ですが、これまでの渋滞がウソのような状況で、実籾街道入口が青信号なのにクルマが全部掃けてしまっていたり、クルマの流れが絶えなかった抜け道が閑散としていたりと、まさに「正常化」した格好です。
特に抜け道だった生活道路の改善は大きく、道路整備が自動車交通のためだけでないという証左と言えます。

抜け道も使う意味が無くなったので...

道路事情の改善には、建設に年月がかかるバイパスによる抜本的改良がベストですが、交差点改良のような局地的な対応でも、千葉県北西部のような劣悪なレベルの道路であれば相当な効果を上げ得るという証明になります。そしてその効果は単にクルマだけに留まらず、歩行者や住民にも大きなものがあるわけで、決してコンクリート重視、人間軽視ではないのです。





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