このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください

高根公団、謎の路線を推測する
〜新京成バス拾遺その3

新京成バスの習04系統は、今でこそ北習志野駅と高根公団駅を結んでいますが、前にも触れた 公園前付近の経路変更 のほかにも、意外な過去が存在しているようです。

高根公団駅前

写真は2005年8月撮影

2011年1月9日 読者からの情報に基づき補筆


高根台団地と習志野台団地を貫いて高根公団駅と北習志野駅を結ぶ高根公団線。昔から一部の経路変更はあるものの、ほとんど変わらないスタイルで運行されてきたイメージがあります。
しかし、私が小さい頃に目にした船橋市の地図、バス路線が記載されたものですが、そこには不思議な路線が書かれていました。

高根公団駅から、駅前の交差点を北習志野駅の方向に向かわず、逆方向に伸びる路線。しばらく行くと「西集会所前」という停留所名が見えました。しかし、さらにその先、滝不動駅方面や、一転して芝山の方向に伸びる路線が見当たらず、一見誤丁か乱丁か、という感じでした。当時はこの近所に住んでいただけに、全く記憶にないバス路線に、ものすごい違和感を感じながら、不思議と忘れられなかったのです。

その謎がおぼろげながら実像を結び始めたのは習志野台に住んでいた数年前のこと。新京成バスの歴史について船橋市の東図書館や西図書館で資料を漁っていたときのことです。
新京成電鉄の50年史の、バス事業の進展を記した項目のページ(143P)に掲載された1葉の写真。鎌ヶ谷営業所をバックにワンマン車173号車が示している行先表示は「高根公団駅−高根木戸駅」とあるのです。1965年撮影とあり、この時期「高根公団線」は北習志野駅ではなく高根木戸駅を起終点にしていたようです。

確かに北習志野駅の開業は1966年であり、駅がないのにバス路線は来ないでしょうが、団地の中を回ってくるとは言え、歩けば5分程度の両駅間にバス路線があったと言うのは驚きです。今の高根木戸駅を見るとバス折り返し場がどこにあったのか謎ですが、当時はジャスコも無く、回転場くらいはあったのでしょう。駅の作りもだいぶ違っており、松戸方の突端に駅舎があり、改札は上下線の間。構内踏切で上下線の外に出る格好でしたが、このスタイル、高根公団と鎌ヶ谷大仏も同様でして、高根公団は津田沼方にある小さな踏切に駅舎が接しており、鎌ヶ谷大仏に至っては木下街道の踏切のなかに接続しており、T字型の踏切になっていました。

1979年の高根木戸駅
(駅舎脇から首を出して撮影)

余談はさておき、その当時からワンマン運転ですから本当にスタイルが変わっていません。
そして、さらに見つけた別の資料はついに長年の謎の真相を示していました。
その1968年の船橋市統計書(この年度だけ立派な統計書が存在し、図書館に収められている)の427P、バス運行系統表と題して新京成バスの大仏管内のバス路線が区間、主たる経由地、キロ数、運行回数、線名とまさに網羅されています。ちなみに「系統番号」と冒頭にありますが、おそらく社内の管理番号でしょう。

その最下段。高根木戸駅−高根公団駅−高根木戸駅と、高根公団駅−東集会所−高根木戸駅と分かれている高根公団線。往復で1運用と、片道で1運用とに分かれているように見えますが、キロ数のところに真相が隠れていたのです。
「往復運用」のキロ数は5.5km、「片道運用」のキロ数は2.35kmです。つまり、単純往復であれば4.7kmしかない同区間なのに、0.8km余計に走るのです。そしてこのとき、これまで数限りなく見てきたいろいろな事象が、この「幻のバス路線」を介して一つにつながったのです。

***
現在の高01系統(高根公団駅−さつき台)が、高根公団駅を出て、市民プール方面に曲がる十字路がありますが、反対側は団地の周回道路になっており、事実上三叉路のようなもので、実際、市民プール方面への右折に時間をたっぷりとった時差式になっています。

左前方が高根公団駅入口、右前方が周回道路

この交差点、市民プール方面は大型貨物通行止の規制がかかっているのですが、なぜか団地の周回道路側にはかかっていません。そして、団地の周回道路はバス通りと同じくらいの広さを保って、富士見幼稚園のところで第一小学校へ向かう表通りと再合流するのです。
高根公団駅入口に今も残る団地の案内図、「高根台町1丁目」とあるように住居表示以前の表示が残っていることからも分かるとおり、日本住宅公団のころから手が入っておらず、ただ住都公団と公団名だけ書き換えられているものが奇跡的に残っているのですが、その中央上付近、「現在位置」の赤丸から「9」の字を描くようなルートが見えてきます。

高根台団地案内図問題のエリアの拡大

地図上でこの区間を計測するとほぼ0.8km。どちらを先周りにしたとか、両方向の運行があったかどうかは不明ですが、高根公団駅を出て、いったん北西側に進路をとって団地を巡ってから高根木戸駅に向かったバス路線の姿が見えてきました。
西集会所は富士見幼稚園で表通りに戻るあたりで一本内側に入ったところで、表通りと直交して、西集会所から高根台保育園に向かうコースも考えられますが、地図の記憶では表通りの上にあったようでもあり、また、「大型貨物通行止」の規制開始位置もあるわけで、表通り経由と考えます。

富士見幼稚園前で終わる富士見幼稚園奥(左写真の最奥)から公団駅方向を見る

この夏、この周回道路を歩いてみましたが、他の団地内の道路に比べると幅員が明らかに広く、2箇所ある直角カーブもきちんと隅切りが昔からされているなど、大型バスの通行の妨げにはならないようです。
このエリア、習志野台団地が補修を済ませつつあるのに比べて、住民の反対もあって補修が進まず、結局完全に建て替えることになり、「アートヒル高根台」と名を改めた高層の住宅が建っています。今後、テラスハウスや立方柱のユニークな団地群も姿を消すのか、古い団地はすでに建て替えに備えた転居が始まっているようで人気の無い棟が目立ちます。駅の北側に立つ「1号棟」(高根台は1からの通し番号制。習志野台は住居表示の丁目−街区をそのまま番号にしている)も無人になっているようです。

高根台団地1号棟

高根公団線と西集会所バス停の謎、取り敢えず傍証から築いた「回答」は手にしましたが、実際にここを走っていたという直接の証拠はまだ目にしていません。果たして更なるどんでん返しがあるのか、もし情報がありましたら「習志野原の掲示板」などにお寄せ頂ければ幸いです。


先日この記事をご覧になった読者の方から、そのバスを利用していた、というメールを頂きました。

書き添えて頂いたプロフィールを拝見すると私よりも一回りくらい上の年代の方のようで、まさに高根台創成期の頃をご存じのようです。
新京成バスが黄色に青帯の時代を御存じで、中扉折戸の車両の記憶もあるそうで、私は黄色い新京成バスの記憶はおぼろげに見たというレベルなだけに、うらやましい限りです。
(中扉折戸の車両はツーマン専用のD201などで乗車経験があります)

その迂回ルート、富士見幼稚園付近のルートが時計回りか反時計回りかは不明ですが、確かにこのエリアを迂回する系統があったそうで、しかも高根公団駅から来て左折するか右折するか、という運試し的な要素もあったとのことで(時刻表を見ていれば分かるんでしょうが)、直行便と迂回便があったようです。

高根木戸駅の折り返しスペースはかなり狭かったそうですが、別の記事で思い出を書いた大穴バス停、また、1日1本の謎の系統だった津田沼駅−飯山満駐在所前(飯山満二丁目自治会館)の飯山満駐在所前での折り返しも、お尻から突っ込んで方向転換するだけのスペースで折り返していたので、メールによりますとUターンが出来るとありましたので、もう少し広かったようです。ジャスコが出来る前の高根木戸の様子が思い出せないだけに、ありがたい情報です。

匿名でのメールでしたが、貴重な情報をお寄せいただき、本当にありがとうございました。


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