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駅前広場の喧騒と治安
利用者の不便、不安に応えていない対応




※写真は2008年10月、2011年9月、2012年4月撮影


2012年5月22日に発生したメトロ副都心線渋谷駅での「通り魔」事件は、通勤時間帯のターミナル駅での出来事とあって世間を震撼させました。
「キレやすい」人が増えたと言うこともありますが、「見ず知らず」の人と接触する公共空間においては、この手のリスクを完全に除去できないことが、公共交通利用におけるリスク因子として今後影を差すことが懸念されます。

「安全」と言う視点で見た場合、人っ子一人いない無人駅よりも、不特定多数が大勢集まるターミナルにリスクを感じるケースもあるわけです。そう考えると、「駅の賑わい」と無邪気に賞賛することが本当に利用者のニーズに応えているのか、と再考する必要があるかもしれません。

それでもエキナカのように駅構内と言う事業者による管理下にある閉鎖空間であれば、不特定多数が集まることによるリスクは少ないのですが、駅構内を一歩出た「駅前」の扱いが問題になります。
日中はもちろん、深夜に至るまで待ち合わせや客引き、怪しげなアンケートに小物売り、近年はミュージシャン、パフォーマーの路上ライブが絶えない駅前は、ターミナルの駅頭ではお馴染みの光景ですが、それに危険性を感じる人もいるわけです。

アンケートや客引きも振り払えばいいのですが、しつこくついてくる人もいますし、気の弱い人だと振り払えずにいつまでも付きまとわれるケースもあります。
それが毎日のことになると、その駅を利用するのも嫌になりますし、そうしたことのない路線や駅に引っ越したいと言う思いも出てきます。

このあたりは警察と事業者の連携が重要ですが、普段見ている津田沼駅では、そのあたりが等閑と言わざるを得ず、ナンパ目的のような付きまといが平然と駅構内のラチ外コンコースにいたり、デッキや歩道で妙な被り物を着たカラオケ屋の客引きが道を塞ぐとか、終電近くなると改札のすぐ脇に白タクの呼び込みが並ぶとか、お世辞にも環境がいいとはいえません。

これは津田沼駅の固有事情ですが、新京成の新津田沼駅が少し離れており、乗り継ぎに使われるルートにこうした呼び込みを抱えるレジャービルが陣取ったこともあり、盛り場の中を歩くが如き空間になってしまい、あまり環境がよろしくないと言う問題もあります。

新津田沼駅への「賑やかな」ルート

こうしたターミナルの駅前風景で近年増えているのがミュージシャンやパフォーマーの路上ライブです。
柏駅頭での活動からメジャーデビューした「ゆず」のケースは有名ですが、それにあやかるというよりも、やはりまず聞いてもらうためには人出の多い場所ということで、宵の口からターミナルの駅頭に見かけることが増えてきました。

そうした「夢見る人たち」の路上ライブに足を止めることは私自身はないのですが、当然と言えば当然ながら出来不出来はあるようで、人々が素通りする中を黙々と演じる人もいれば、少ないながらもファンをつかんだのか、人だかりが出来ている人もいますし、そうした人になると見かける機会が増えて「常連」化しているようです。

ところがそうしたある日の津田沼駅頭のことです。
警官がミュージシャンを取り巻いています。どうも「ご指導」のようで、退去するように説得されているのがわかります。まあ本格的な機材を持ち込んでおり、自主CDの発売など経済行為もありさすがに目に余ったと言うところでしょうが、無粋と言えば無粋な取締りです。

日をおかず、デッキの柵に「大道芸や路上パフォーマンス、ライブ、イベント、勧誘等を禁ず」と言う張り紙が掲出され、この手の路上ライブは一掃されました。まあ「お目こぼし」が期待できるレベルの地味なライブ?は今でも見かけますが、「聞くに堪える」「見るに堪える」レベルといえそうな演者はいなくなりました。

掲出された張り紙

このあたりは杓子定規に考えれば取締りを云々することは出来ないのですが、一方で「文化の育成」という観点からは、公共空間をこうした「卵」に開放する機会を与えると言う選択肢もあるわけです。

都内では都立の公園などで許可を得たミュージシャンやパフォーマーによる「公演」の制度がありますが、こうした「制度」により、文化の育成と秩序の維持を両立できるはずです。
こうした制度の先進の地としてはNYがあるわけで、一定の技量を持つと認定されれば、地下鉄などの駅構内での公演許可を得られる制度があり、許可証を掲げて公演するミュージシャンやパフォーマーをよく見かけたものです。

このやり方、なにも「文化の育成」と大上段に振りかぶらなくとも、駅前の治安維持という観点からも有効です。
上述の通り、津田沼駅の場合、ミュージシャンが放逐されたあと、相も変わらず怪しげなアンケートにナンパ目的の付きまといや、カラオケ屋の呼び込みが幅を利かせています。
そもそも駅頭の雰囲気を悪くしているのは誰か、と考えたら、逆に公認の路上ライブとすることで、そうした悪影響を及ぼすものが位置を占められなくするという対応も考えられるのです。

しかし現実は、悪いほうを温存しているわけです。雨の日など庇の下に群がって道を塞いだり、水はけが悪く水溜りが出来ているデッキの水がない部分を塞ぐなど、迷惑千万というのに、取り締まる気配もありません。
「文化活動」にしても、屋内の自由通路を塞いで、ラジカセ(じゃないかな、今は)を鳴らしてストリートダンスの練習をしている集団を見かけますが、こちらはなぜかお目こぼしです。

そういう意味では、取締りの根拠は道交法や自治体条例のはずですが、根拠法令になるはずの「道路の使用方法」の趣旨から言えば、取締りの対象がおかしいともいえるわけです。
通行の妨げどころか治安面で難がある存在を放置する理由は何か。カラオケ屋の呼び込みもそう。客引きをして、携帯で店舗に連絡をして、伝票を切っているのですから一種の営業行為でしょう。これを路上で行うことには本来許可が必要なはずです。

さて、ターミナルの風景と言うと朝や日中は政治家の演説です。
特に津田沼駅は野田総理が県議デビューする前から欠かさず「朝立ち」をしていた「聖地」ということもあってか、朝の北口デッキは曜日ごとに「出演者」が決まっている状況です。

早朝の津田沼駅頭。首相系の団体が準備中

これなんかも路上ライブと大差がない、それこそ通行人の思想信条によっては路上ライブの比ではない不快感を抱かれるものですが、選挙運動と政治活動については法令の除外規定がきちんと用意されていることから、マイクに幟にビラ配りとフルセットでの「ライブ」が堂々と行われています。
「政治活動」であれば「政党」であることも問わない原則があるので、いわゆる「諸派」や無所属の「議員の卵」も見かけますが、ならば路上ライブも形ばかりの「政治活動」を絡めればどうなんでしょうね。政治活動は大事ですが、間口がそこだけ広すぎるきらいもありますし。

なお、政治家のほうは、演説前の早朝にデッキの清掃をしている、といった「社会奉仕」を免罪符にしているようですが、政治家がやろうとやるまいと市が契約した清掃業者が清掃を行っているわけで、政治家の「ボランティア」によって、本来支払う税金に見合う清掃作業がされていない(=税金の過剰な支出)というパラドックスが発生していますが、税金の無駄を指摘する政治家諸氏はどう考えているのでしょうか。

このあたり、同じ「表現活動」でもえらい違いですが、「朝立ち」については最近「暗黙の了解」を守れない政党もいるようで、きちんと棲み分けずに混乱を招く人もいますし、平日は総て埋まっていることから、他の目的でビラ配りをしようにも出来ないという弊害もあり、最近では地元船橋のプロバスケチームが窮屈そうに試合の案内を配っていましたが、本来はこうした人たちに開放してあげたいものです。

そういう意味では、路上ライブも含めて、駅前や路上での占有行為については原則自由だが、総量を規制する目的で届出制にすることで、表現活動の自由や機会提供と、道路、通路としての機能維持を両立させることを目指してはどうでしょうか。
特に朝の政治活動が固定化されている現状は、新人の参入規制になっているわけで、皮肉なことに第二の野田総理が生まれにくい環境になっていますし。

届出制は表現活動への介入と噛み付かれそうですが、純粋な「場所取り」と考えればいいんです。公民館やテニスコートの予約制と一緒です。営業活動や、白タクや付きまといのような違法行為でない限り申し込み適格とし、場所と時間帯を指定して申し込む制度なら介入にもなりません。

そうすれば営業活動や付きまといといった利用者にとって本当に迷惑な行為だけを締め出すことが可能ですし、無味乾燥ではないが、秩序もある駅前が形成できるのではないでしょうか。




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