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記憶に残る車両とは


No.1の邂逅(新神戸)
定時運行時の駅での交換はこの一例のみ


※写真は2006年5月、6月、11月および12月撮影
2007年2月7日 写真追加


●記憶に残るものとは
記憶に残る名○○、という評価があります。

登場した時に世間の注目を集め、時代とともに消えても人々の記憶に長くその姿を留める。
それはクルマや機械装置のような「物質」から、スポーツや文化、政治経済に至るあらゆる分野の「人」、そして歌のような「文化」まで、あらゆるジャンルに亘ります。

ただ奇抜なだけでなく、時代の先端を行き、そして何よりもしっかりと社会に存在した。名○○とされる存在にはそういう共通点があります。
そうした存在に共通する特徴として、必ずしも「頂点を極めた」とは限らないことがあります。

その意味では必ずしも「成功者」ではなかった存在を美化する評価とも言えますが、凡百の存在、凡庸な存在で「記憶に残る」ということはあり得ないわけで、その存在が同時期に「頂点を極めた」ものを凌いでいたからこそ、記憶になお残るともいえます。

では交通の分野にそれを求めるとしたら何でしょうか。車両などの設備、営業政策などの制度、商品などのジャンルが考えられますが、一方で経済活動でもある交通事業において、記憶に残る、ということは必ずしも事業としての成功ではありません。
ですから「記憶に残る」ものがあることは、経営面では必ずしも歓迎されないのも事実です。

●「記憶に残る」新幹線の退場
そうしたなか、まさに「記憶に残る」車両が いま第一線を退こうとしています。

300km走行中(姫路)

1997年に登場した「500系」新幹線。最高速度300kmでの営業運転は世界最速として、東海道メガロポリスに君臨してきました。

その意味で新幹線、いや「 Shinkansen 」の名前を世界に轟かせた「0系」もまた、世界最速の旅客列車の栄冠を手にした存在であり、高速列車の象徴とはいえ、今となっては温かみのあるおとなしいデザインは、山陽路に閉じ込められ、短編成化されて塗装が変わっても、人々の記憶にオリジナルの塗装とともに長く残っています。

短編成化され、塗装も変わり...(姫路)東海道の主役だった頃(東京)(1982年撮影)

しかし、「0系」は同時に成功者であり、「500系」には無い、時代の主役としての存在感がありました。
それはあたかも、「怪鳥」の名の通り、三角翼の未来的デザインで超音速旅行を商業ベースにした「コンコルド」に対し、二階建ての「コブ」と言うユニークなデザインであると同時に、大量かつ長距離の輸送という成功を治めて、ハイテク化されてもなお同じ愛称で君臨する「ジャンボジェット」の位置づけと同じでしょう。

コンコルド(NY・JFK空港)(1994年撮影)
※手前の機体は2000年7月に事故で喪失
「ポケモン」塗装のジャンボ(羽田空港)
(2006年4月撮影)

ではなぜ「500系」が「記憶に残る」存在なのか。
500系が登場してわずか2年後の1999年、700系の登場と増備は瞬く間に東海道、山陽新幹線の主役の座を500系から奪いました。

最上位の優等列車でありながら、膨大な輸送量をこなす東海道・山陽新幹線、いや、東海道新幹線には、それを保有するJR東海の収益源となり、旧国鉄債務償還の源泉となることが宿命付けられており、その利用を極大化すべく、万人に均質なサービスを提供することが宿命付けられています。

そうした観点で500系を見ると、世界最速の列車、というジャンルでは確かに頂点を極めたものの、アルミハニカム構造など超高速化に徹した構造やモーター出力は、すでに300系で達成した270kmが限界の東海道新幹線では過剰なスペックであり、軽量高速のアルミ車体のスタンダードともいえる中空ダブルスキン構造に戻した700系は、東海道新幹線で必要充分なスペックを経済的に実現して登場したのです。

経済面では優れているが...(三原)

ところが、その性能、特に最高速度の面で、700系は500系に及ばなかったことが500系の「神話」を高めたのです。700系の最高速度は、可能な上限ではなく営業運転での最高速度ですら500系に15km及んでいません。たかだか15kmですが、されど300系から500系へ向上された最高速度を半分まで吐き出したのです。
確かにその速度を犠牲にして得られた部分で居住性は高められましたが、高速鉄道の根本とも言うべき最高速度の部分での「退歩」は、さまざまな批判や憶測を呼んだことも確かです。

走り去る500系(三原)


●空前絶後の人気
500系の特徴として、登場後10年弱、未だに衰えない人気があります。
これまでの新幹線のイメージを超越した戦闘機のようなデザインと、それを引き立てるメタリックな塗装。デザインとしては過去の鉄道車両の中でも一位二位を争うものではないでしょうか。
このデザインこそが、停車駅で、通過駅で、そして沿線で、500系が現れると未だに人々が注目する理由でもあり、かつての0系もこうだったのかもしれませんが、300系や700系では起こらない現象は、500系の面目躍如と言うところです。

特徴的な前頭部(新神戸)

鉄道が、大量輸送の主役ではあるが、移動の主役を退いて久しい昨今、鉄道車両に目を向ける、憧れるということがなくなっていました。0系が主役だった頃、新幹線、そして特急列車の車両は「かっこいい」存在であり、子供たちは絵本や玩具でこうした車両という「ヒーロー」を愛していたのです。

500系のブームは、鉄道が失っていた、社会に「夢」を与えると言う性格をもう一度呼び覚まさせたという面があります。
「500系」という「工業製品の形式番号」が一般名詞として世間に広まったことはその典型でしょう。鉄道の形式がこれほどに知られたのは「D51」くらいですが、これは蒸気機関車の最大勢力という「代表性」と表裏一体なだけに、他との識別と言う「ヒーローの称号」として使われたことは特筆すべきです。

700系が登場したとき、そのブームにあやかったのか、「Series 700」のロゴをあしらったマークを編成の何箇所かに貼りました。確かに「700系」と言う名称は広まりましたが、単なる形式番号では無い「500系」と言う呼び名と違い、あくまで500系と識別するための分類としての普及にすぎなかったのです。

700系(一般タイプ)に貼られたマーク


●会社の顔に見るスタイルの重要性
確かに500系の居住性は700系に比べると劣ります。しかし、新聞記事が言うように居住性を「犠牲」にしたとまで言う話ではないレベルです。また、内装など一部の分野においては700系のほうが明るすぎるとか、空調装置の出っ張りが目立つと言うような批判もあるわけです。
もちろん東海道新幹線においては、高速性能とスタイルは重要なジャンルではない、と言う回答を出したのがJR東海ですが、それでよかったのでしょうか。

500系車内。確かに窓側席は壁面が被さる700系車内。ゆとりはあるが照明や空調が...

新幹線は最上位の優等列車ですから、間違いなく会社の看板になります。
JR西日本では関西圏でこそ「新快速」が看板になっている面がありますが、それでも旅行に、ビジネスにと使われる新幹線は会社の看板と言うにふさわしい存在です。
実際、JR西日本は「新幹線」の「顔」として500系を前面に押し出してきましたし、世間もそれを認めるものがありました。

500系とレールスターが誘う...(三原)

路線、いや、会社の看板を務める車両こそ、デザインも重視されて然るべきでしょう。
700系が空力に優れているのは判ります。あのデザインで無いと性能がでないのも判りますが、あのスタイルは会社の、いや、日本のシンボルでもある東海道新幹線の「顔」として満足するに足るものであったのか。

走り去る700系(姫路)

1979年に登場した北総開発鉄道(現・北総鉄道)の7000系は、大型固定窓に空調という当時の通勤車としては一段上のレベルでしたが、その存在感を増したのがフランスの電気機関車を彷彿とさせるΣ型の前頭部でした。
あのデザインは乗務員には必ずしも評判が良くなかったのですが、「会社の顔」としての効果は絶大であり、ニュータウン開発とはいえ、北総台地の田舎鉄道のイメージをどれだけ向上したか、計り知れません。

Σ型の前頭部が特徴ある北総7000系(新鎌ヶ谷)京成3000系などと同型の北総7500系(新鎌ヶ谷)

実際、その後に7300系、7500系と「新車」が投入されていますが(公団車は除く)、「会社の顔」としては常に7000系が座り続けており、7500系の増備による退役まで「会社の顔」であり続けました。会社の「顔」であるための条件は、経営的に「良い車両」であるとは限らない好例でしょう。

JR東海が人気では500系の後塵を拝し続けた700系を「顔」にしようとした努力は認めますが、そこに「無理」は無かったのか。東京−博多間の新幹線は本来附加一体のものとして存在しているのに、自社宣伝や協賛企画では「他社」の500系を「無視」して700系を前面に置いてきたことへの批判は根強いですが、それは単に「アンチ」の心理ではなく、「器で無い」と感じたからこその批判でもあると思うのです。

そして500系の退役が現実化した昨今、当のJR西日本も新幹線の宣伝では700系を前面に出すようになっていますが、居住性を持って良い車両とするのならレールスターですし、速度なら500系であるはずで、本来ノーマルの700系では完全な力不足です。
そのそつの無い二番手が「会社の顔」を務めるというのは、特にスピードを前面に押し出しにくい事情を勘案すればやむをえないのかもしれませんが。

塗装と内装で独自色を出すレールスター(新神戸)


●記憶に残る車両を喪って
500系の退場を惜しむ声がある一方で、居住性、経済性を重視して欠陥車両と批判する声があることも事実です。

しかし、本当に経済合理性だけで割り切れる世界なのでしょうか。
クルマの世界で、居住性や利便性を追求したミニバンの隆盛の陰で、居住性よりも見た目や性能を追求したスポーツカーへの憧れが根強いのはなぜか。
下世話な話になりますが、異性を前にしたとき、性格の良さも確かに重要ですが、なぜ「美女」や「イケメン」がもてるのか。

結局、500系の人気と言うのは、人間の心理の根源にあるツボを押さえていたからともいえるのかもしれません。
そして高速鉄道として最重視される性能において「劣る」700系が主力となったことに、日本人ならではの「判官贔屓」の心理も働いての「人気」なのでしょう。

0系との邂逅(姫路)

確かに経済性や居住性で優れた車両は優れています。しかし、それが昂じて性能よりも経済性、そしてそれなりの居住性を重視した車両に徹することは、かつての通勤輸送が103系を選んだのと同じ発想ともいえます。
華やかさを要しない通勤輸送であれば、旧型国電の置き換えと輸送力増強を主眼に、そこそこの性能である103系を選択することは間違いではなかったのですが、103系を世間はどう評価してきたでしょうか。同じ発想が新幹線では是とされることには、軽い違和感を感じます。

500系への批判の中心である居住性の低下は、他との共通性を課したがゆえに、座席数を300系と揃えたことも一因ですが、そうまでして共通化を図ったにもかかわらず、ごく一部の臨時列車や間合い運用を除き、東京−博多間の最速「のぞみ」以外の運用を持たないまま今日に至っているだけに、JR東海によると目される首尾一貫性の無い不必要なスペックの要求、言い換えれば行き過ぎた感のある画一性の要求が、必要以上に居住性を下げたと言う批判は免れ得ないでしょう。

先頭車前寄りのドアがないことはそこまで問題か

ただ、そうした事情から、使い勝手と言う意味では悪いのでしょうが、最後まで最速「のぞみ」という主役の座にあり続けるという新幹線車両としては唯一の栄誉を手にしようとしています。
300系が「のぞみ」と言う新種別とともにデビューした時、「のぞみ」型と呼ばれていたのが、いつしか当初の予定とはいえ汎用車になり、居住性も劣る車両として顧みられることが少ないことを鑑みると、速達「のぞみ」からの退役=引退という潔い最後であれとも思うのです。

かつての「のぞみ型」の300系(姫路)

そして500系が記憶の中に去っていった時、「実力派」N700系が主役を張りますが、果たして花道で人々の目を惹き付ける事が出来るのか。
「新幹線」が次世代にも輝ける存在であり続けるためにも、「記憶に残る」車両は必要ではないでしょうか。

最後まで速達「のぞみ」で走り続けるのか(姫路)







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