このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください






脱クルマの一家だんらん

エコライフは先進であり、かつ過去でもある




日曜の夕方、「サザエさん」のテーマソングが流れると、「ああ、お休みも終わり、明日から一週間学校だ」と急に現実に引き戻される感じがしました。不思議なもので小一時間前の「笑点」のテーマソングも日曜夕方の象徴的な「音楽」ですが、こちらはまだそういう気分にはならないわけで、18時半と言う暮れなずみ夕餉の香りがしてくる微妙な時間帯がそう演出するのでしょう。

「サザエさん」といえば永遠に歳をとらない設定です。昨今菓子メーカーが大人になったサザエさん一家と言う設定でCMを作成しましたが、番組のほうは新聞連載が1974年に終了し、作者が1992年に鬼籍に入ってもまだ「新作」が毎週放映されているのですが、よく見ると4個まで見たことがあるネタを上手に使いまわしていることが分かります。

さて、ここは交通論の世界でありサザエさんワールドを語る場ではありません。
ではなぜこういう話になるかというと、先日の放映でふとあることを思った、と言うかはっきり言って邪推ですが、感じるところがあったのです。



番組のほうはカツオが農産物販売所で野菜を仕入れて、という他愛の無い話ですが、バス停そばのその販売所にサザエ、マスオとどんどん立ち寄る展開に、ふと思ったのです。
新鮮で安く、曲がった規格外のものはサービスとあって家計を預かるサザエも満足げでしたが、「途中下車したのよ」と言う台詞から、バス?を途中下車してまで買ってるようです。

サザエさん一家は世田谷区桜新町をモチーフにした架空の街の在住ですから、バスのモデルはおそらく東急バス。今なら210円均一です。いかに野菜が安いとはいえ、専業主婦で定期券を持つはずも無いサザエが210円を払い直しては野菜が安くてもトータルではそれなりのコストです。もちろんそこから家までは歩いたのかもしれませんが、その前にカツオが野菜を買ってバスに乗り込んでますから、乗り直したと見たほうがいいでしょう。

一方私事になりますが、先日家族で都内へクルマで出かけた帰りに、近所の知人にちょっとしたお見舞いごとがあったことを思い出し、ケーキを買おうという話になったのですが、先方が好きなお店は時間が遅く閉店で、隣の駅前にある別のお店へはしごをして買ったのです。

これが電車なら降りるごとに初乗りがかかるわけで、家族での移動でしたから初乗り見合いの金額は馬鹿にならず、2軒目を探すどころか1軒目にも行ったかどうか。先方はケーキが好物ですが、地元で買える別の手土産になっていたかもしれません。思い立って立ち寄るだけでなく、ダメなら次へ転進というのも、変動コストは距離比例と言うクルマならではのメリットがあっての話です。

そう考えると、サザエのなんと鷹揚なことか。
というよりも、「歳をとらない設定」ゆえ、都区内で7人が住める庭付き平屋の一戸建てと言う時代離れした設定も1946年の初出とまではいかずとも、1969年のアニメ化当初のままでしょうし、クルマも持っていません。
かつて東芝が一社提供していた頃は、家電は東芝の新製品がさりげなく映っていたというような話もありましたが、基本的には時代が止まっています。

そういう視点で見ると、同じ朝日新聞連載で、同じく家族を舞台にした4コマ漫画でも1991年初出の「ののちゃん」(当初は「となりの山田くん」)は一戸建てながら2階屋で、オンボロながらクルマを持っており、買い物はスーパーというかショッピングセンターによく出かけ、一方商店街では妖怪のような老人が店番をしています。このあたりは舞台が作者の故郷である岡山県玉野市をイメージしていると言う違いがあるとはいえ、基本は時代の変遷による標準的な生活の変化による差異でしょう。

だから「サザエさん」に出てくる大型店はデパートくらいで、日常は商店街でお買い物ですし、勝手口に御用聞きが来るような設定です。
バスを途中下車して運賃を払い直してでも買い物をする、というのも「古き良き時代」の行動パターンそのものと言えます。

「サザエさん」の前、18時からの枠では1970年代の清水(現静岡市)を舞台にした「ちびまる子ちゃん」がこれも人気を博しているわけですが、こうした親世代のノスタルジーに訴える部分が「家族で楽しめるアニメ」として長寿番組となっているのでしょう。

ひるがえって交通論的視点で見ると、中心市街地の復権、公共交通機関利用の促進、という昨今よく耳にする主張が、その内容を考えると「サザエさん」とまでは行かずとも「ちびまる子ちゃん」までの時代の生活に被るのです。
必ずしも経済的に豊かでなかったが心は豊かだったと言われることが多い時代ですが、本当にあの頃のような生活に帰れるのか。

たまに「心を癒しに」当時を追体験するのではなく、それが生活の総てになるのですから相当な覚悟がいるのですが...









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