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「高速道路1000円乗り放題」の意義
経済対策と社会実験の二面性


地方でも混む時は混みます(福山東IC)




●霞んでしまった対策
米国発の金融危機が引き金となった景気の減速、いや、クラッシュに対して、2008年10月30日に麻生首相が打ち出した「生活対策」〜国民の経済対策〜は、その目玉となるべき定額給付金制度を巡る迷走がクローズアップされたことで、他の対策が霞んだ感があります。

その霞んでしまった一群に、「高速道路、休日は1000円を上限に乗り放題」というものがあるのですが、このけっこうインパクトがあるはずの対策すら、いったいどのような内容でいつから実施されるのか、という興味すら薄れてしまっています。

この「1000円乗り放題」と言うわかりやすいキャッチフレーズが独り歩きした格好がありますが、そもそも地方の経済対策として実施されることから、いわゆる大都市圏(ETCの早朝深夜割引対象エリア)以外の「地方」において土休日の高速道路(高速自動車国道および一部の有料道路)料金を上限1000円の打ち切り制にするというものです。

ですから「乗り放題」と言いながら、乗り直すとそこでリセットされるわけで、単純に考えても往復でそれぞれ上限1000円となることから、現在高速道路各社が期間限定で設定しているフリーパス型の商品ではないことに注意が必要です。

●この対策の実効性は
実際には往復で2000円、さらに言えば現行の通勤割引、深夜割引、休日日中割引の存在を考えると、正規料金片道2000円の区間でトントン、となるわけで、距離にして70km程度がボーダーです。
一般的に行楽での移動距離を考えると、まあ150km〜200km位がせいぜいなわけで、「100km以内での乗り直し」を考えると、片道で1000円程度のメリットとなるわけで、クルマ1台単位、家族単位でのコストですから効き代としては思ったよりも小さいかもしれません。

盆暮れやGWといった長距離移動が絡むとその効果は絶大、と言いたくなりますが、東京用賀から大阪吹田まで大都市近郊区間を別払いとすれば4000円程度で済みますが、これも深夜割引の50%引きと比較すれば2000円も浮かないわけで、大都市近郊区間が絡まない移動でない限り、インパクトほどの効果はないです。

そういう意味では「地方の経済対策」としては良くできた制度設計ですし、絶対的な利用が多い大都市部でのメリット(=対策のコスト)が少ないということはインパクトの割に安く上がるという非常に効果的な経済対策とも言えますが、一方で都市部の利用者にとっては先の休日日中割引に続き、またも袖にされた、地方の金蔓にされた、という印象を与えかねず、かえって恨みを買うようになってはどうでしょうか。

●景気対策としてのインパクト
とはいえインパクト十分であることは間違いありません。
一方で野党はETC限定であることに難癖を付けており、確かに高速道路利用の延べ台数の80%近くがETC利用ですが、自動車の登録台数比と言う意味ではほとんどと言い切るには厳しい数字です。

そうは言うものの、これまでの各種のキャンペーンを通じ、ほぼゼロコストで搭載が可能だったうえに、カード自体も登録及び年会費無料が一般的になっており、クルマのオーナーと言うカード会社からの与信を本来持っていて当然である「特定の階層」(任意保険への加入や、その他賠償能力、租税公課の負担といった面をはじめ、クレカの与信が持てないレベルではクルマのオーナーとしての「義務」を果たし得るか不安な面がある)でありながらETCを拒むのは、敢えての意思であり、そこまで考慮する必要性に乏しいと考えますし、そういう層が逆に事故リスクが相対的に高い高速道路に誘導されるというのもいかがなものかと言うのが偽らざるところです。

この経済対策の底流には、金融危機もありますが、それに先立ち昨年度から糸の切れた凧のように上がり続ける素材相場とそれに連動する消費物資の高騰、特にガソリンの暴騰が移動需要、観光需要を中心として地方経済へ悪影響を及ぼしていたことがあるわけです。
そういう意味では景気のクラッシュとそれに伴う素材相場の急反落、特にガソリン価格はレギュラー1リットル110円台に戻るなど、歴史的に見ても通常の高値圏から仲値と言える水準に落ち着いており、単純に考えれば燃料費高騰を理由とした経済対策が焦眉の急とはいえない状況です。

しかしながら景気のクラッシュは消費マインドを大きく減退させていることは確かであり、よしんば暴騰前の水準に戻ったとしても、暴騰前の需要が戻るとは到底言えない状況なだけに、ガソリン価格の反落に合わせて今次の対策を打つことは、流れに棹差すのではなく、流れに乗る方向になるので、逆に今がチャンスとも言えます。

一番恐ろしいのは「観光などをしない」という消費マインドの落ち込みが、「観光」という行動のジャンル自体を縮小、消滅する方向に働かせることであり、手を打つなら今をおいて他はないとも言えるでしょう。実際、数多のレジャー、娯楽において、その存在が盤石と言いきれるものは実は少なく、ブームが去ったり、社会構造の変化とともに、今では全く顧みられなくなったものも少なくありませんが、そういうレジャー、娯楽も経済の一翼を担っている以上、それに代替して余りある分野が成長していない限り、経済が縮小する悪循環は不可避なのです。

●懐疑的な見方は成立するか
一方でここまでの大幅な「値下げ」は高速道路の渋滞を地方でも加速させるだけでは、と言う懸念があるのも事実です。
大都市圏と違い、渋滞と言うクルマ利用における最大のバリアが少ない地方で渋滞が恒常化しては、移動需要そのものを手控える可能性が無いとは言い切れません。
特に鉄道など他の交通手段が四通八達している大都市圏と違い、鉄道がその受け皿になるかと言うと心許無い地方においては、移動手段の変更ではなく移動そのものの取りやめと言う最悪の選択を招く危険性があります。

しかし、これまで地方の高速道路で言われてきたことを考えると、そこまで悲観的になることはないでしょう。
つまり、地方に高速道路を整備しても、バイパスなどの一般道路があるから誰も利用していない、といういつもの批判です。
確かに高速道路への転移が思ったよりも進まないケースは多いわけで、さらに言えば転移することを期待されている一般道は必ずしも条件が良くなく、渋滞などにより時間がかかるケースも多々あるわけです。

例えば山陰地方を見れば、米子バイパス、安来道路、松江バイパス、山陰自動車道と有料無料が入り乱れた総称を「山陰道」と称している道路があるわけですが、有料区間になると回避して、わざわざ交差点を曲がって市街地を抜けて次の無料区間に行くクルマが少なくないわけです。

つまり、距離の増加や所要時間の増加よりも通行料金の支払いを忌避する。距離や時間の増加で増える燃料費は通行料金に比べたら些少であり、通行料金と言う絶対的な支出に反応する層が多いのです。
さらに言えば深夜割引その他の料金政策により、移動の時間帯をスイッチする傾向すら明白になっているわけで、安ければ時間も二の次、という層が少なくないのです。

そう考えると、「1000円走り放題」でよしんば高速道路が渋滞したとしても、値下げの代償として許容するほうが多いという推測が成り立ちます。そしてあまりにも高速道路が動かなければ当然一般道路との裁定が働いて、一般道路から流入した層から順に戻るだけですし、もしどちらもオーバーキャパと言うことになれば、総需要が増えたことになりますから、これは経済対策としては成功になります。

●こうした懸念材料は社会実験のネタともいえる
今回の「1000円乗り放題」は、そのインパクトから「無料になったらありがたいが...」という懸念の部分を現実に心配させるものでもあります。

確かに今回の対策を単に経済対策として考えたら実際の政策として実行し得るのかどうか、という手続き的な不安だけが先に立ちますが、一方でこれを機に「高速道路無料化」といったあまりにも荒唐無稽とされてきた「政策」の実証と言う社会実験を同時に施行すると考えれば、この対策は非常に意義が出てきます。

誤解のないように申し上げれば、私自身は巷間言われている「高速道路無料化」には反対の立場を取りますが、私自身が持つ「懸念」が果たして本当に理由になるのか、という興味も含めて、今回の対策はある程度までそれらの諸問題を検証できる千載一遇の機会になり得る要素を持っています。

逆に肯定的に捉えて、その社会実験として考えると、例えば混雑する観光地などへのアクセスにおいて、クルマと言う移動手段は燃料費、通行料金とも基本的に距離に比例することから、「回り込んでアプローチ」という対応が取られにくかったことに対して、「1000円打ち切り」ならどこで降りても料金は一緒ということで、混雑状況や目的地に応じた裁定が働き、結果的にこれまで集中していた「最短でのアプローチ」の混雑解消につながる可能性もあります。

これは大都市圏の話なので今回の対策とは無縁ですが、大阪方面から京都にクルマで行く際、名神を行き京都南ICで降りるのが一般的ですが、これが京都南の出口渋滞や、R1京阪国道口などの渋滞の原因になっています。
実はカーナビでは目的地によっては山科にある京都東ICからR1などで東側からアプローチするように指示が出ますが、西宮や吹田からで400円の差は大きく、このルートで回り込むクルマは少数派なのが現実ですが、もし京都南も京都東も料金が一緒なら、目的地や状況に応じて京都東を選択するクルマが増えることは間違いないわけで、こうした裁定が働くかどうかの実験としても使えそうです。

●残された問題は
昨今の労働分配率の低下、すなわち雇用者所得が上昇どころか低下傾向にあって、不思議なまでに社会情勢が沈静化していたのは、デフレ経済の深度化により名目の物価が下がっていたことが大きいです。
もちろんデフレと所得はニワトリタマゴの関係にあるとも言えるのですが、物価が下がっているから耐えられる、と言う状態がやがて、足元の物価が当たり前という錯覚を呼んできたわけです。

しかし中国産への異常な傾倒を引くまでもなく、異常な低コストでの生産か、コストの正当な転嫁がなされていない状態を前提にした物価にすぎず、結局原料価格の暴騰を契機にその歪みを一気に埋めるべく物価が高騰したわけですが、それにより景気への不安感が増加した、というか、微妙なバランスで成立していた低所得層を直撃するという事実上のスタグフレーションになっています。

今回の景気対策としての「1000円乗り放題」(に限らず諸政策全般もそうですが)にしても、それが当たり前と錯覚するようになると、元に戻す時が大変です。
永遠に財政で補填するか、「大幅値上げ」として受け止められることを覚悟の上で戻すか、苦渋の選択を強いられるわけです。

そういう意味では、渋滞の増加と言ったある程度のデメリットも確実に出る前提で、期間限定の社会実験という色彩を出したうえで実施し、期間が過ぎたら取り敢えず引っ込める、というこれも大胆な退路を前提にして実施すべきと言えます。










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