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駅の売店の改革に死角はないか

熟練店員退職による一時閉店が示す「警鐘」



※2007年5月30日 写真追加及び改稿


会計と経営を平易に説いてベストセラーとなった山田真哉氏の「さおだけ屋はなぜ潰れないのか?」の続編となる、「食い逃げされてもバイトは雇うな」を読みました。
前作同様、なるほどと膝を打つこともあれば、なまじ知ってるだけに先が見えてしまうこともあったりしますが、まあ楽しめました。

さて、タイトルとなった「食い逃げされても...」の章は中程にあるわけで、前書きでの前振りから少々引っ張りすぎのきらいが無きにしも非ずですが、そのある程度は予測のついた種明かしを読むにつれ、最近目にしたニュースが脳裏に浮かんできました。


消えゆく熟練おばちゃん キヨスクに時代の波

ガム、たばこ、夕刊紙、締めて○○○円−。電車待ちのホームで、一瞬にして暗算して品物をさばく「キヨスクのおばちゃん」が少しずつ姿を消している。「東日本キヨスク」(東京都)は売り上げ減や電子マネーの普及などに伴い昨年11月、販売熟練者の早期退職を募集したところ、予想以上の応募があって人員不足になり、首都圏では閉鎖しているキヨスクも。時代の流れとはいえ、常連客からは「いつもの顔が見られないのは寂しい」「早く再開してほしい」といった声が上がっているという。
(産経:2007年4月30日)

3月に上京した際、津田沼などの各駅でホームの売店が閉まっており、「当分の間休止します」と言う大意の張り紙を見て、一番乗降客が多いホームでのそれに怪訝に思っていたのですが、そういう事情だったかと悟りました。

キヨスクの売上現象に悩む同社が、ニューデイズなどのコンビニ型店舗に業態変更していることは知っており、記事にある「平成13年度には1112億円あった売り上げが、17年度には850億円まで落ち込んだ」というキヨスクの売り上げ減少も、主力商品である新聞、雑誌、たばこの売り上げ減少だけではなく、店舗そのものの業態変更分(キヨスク→ニューデイズ)による減少を含んでおり、単純な比較は出来ません。

ただ、新聞、雑誌はネットの普及などで、またたばこは禁煙箇所の拡大で減少傾向にあることは事実であり、少なくない売上現象に晒されれていることは確かです。
その打開策としてのコンビニ化であり、それは扱い品目の変化であると同時に、JR東日本が最も力を入れているSuicaの電子マネー機能の普及とセットになっています。
コンビニ化されない店舗でも、電子マネー利用を前提にすると不可避であるレジ方式への転換が進んでおり、かつSuicaの電子マネー機能の普及も進み、JR東日本グループの目論見が実現しているようにも見えます。

今回の人材確保の問題ですが、レジ方式への転換により熟練作業を必要としないことで、熟練者の退職を促し、契約社員による対応を狙ったところ、キヨスクの「神業」的イメージが災いしてか応募がほとんど集まらなかったそうです。
この点については、「誤解」を解くことをはじめとした対応で人材を確保できれば、順次再開できるわけで、そうなれば目論見通り構造変換を果たせるのでしょうか。

KIOSK休止のお知らせと復活のお知らせ
復活と言っても曜日、時間限定


これまでの主力購買層だった男性サラリーマンの減少を睨み、これまであまり省みられてこなかった若者や女性の購買意欲を誘うことや、レジ方式による熟練技術の不要化、そして電子マネー推進と言うこの改革ですが、果たして経営的に見て本当にメリットがあるのか。

逆にいまどきの若者気質を考えると、熟練的購買というよりも、人との接し方が苦手な若者向きともいえるわけです。買いたい物を手にとってお金を出せばお釣りが返ってきますし。コンビニの「お弁当温めましょうか?」ですら煩わしく思う人も多いようですし。
新聞や雑誌離れと言う面でも、見方を変えれば宅配や定期購読ではなく、欲しい時にだけ読むと言うライフスタイルに駅の即売はマッチしているわけです。

若者や女性が利用しづらいと言うのを理由にしていましたが、この手の変革でありがちな失敗が見えかくれします。「いまの顧客層に頼っていたらダメだ」と改革気分で乗り出したら、いまの顧客層にそっぽを向かれ、頼みの新しい顧客層も振り向かない、というのはよく目にするわけです。

そして利用者が駅の売店(キヨスク、ニューデイズなど)に求めるものは何か。その根本を考えた時、扱い品目の多様化であれば、首都圏であればたいていの駅前や街中にある大手チェーンのコンビニに比べ、駅構内やホームと言う用地の制約からどうしても店舗は狭く、いきおい扱い品目も少なくならざるを得ない駅のコンビニに勝ち目はありません。
そして落ちたりとはいえ主力商品は新聞、雑誌に飲料であることは論を待たない話ですが、これも品揃えと言う意味ではコンビニのほうに分があるわけです。

しかしなぜ利用者が駅で買うのか。
結局は家から、また乗り換えのために駅に到着して、次の電車に乗るまでの待ち時間というアイドルタイムに、時間をロスすることなく購入できると言うメリットがあるからです。
同様に、その待ち時間にふと新聞を読む、飲料を飲むというような意欲が湧き、さっと購入できる。そうした即応性への対応があるのです。
こうした駅売店ならではのニーズに対し、従来からの熟練販売員の手計算は、ほぼ時間のロスもないですが、レジ方式になるとPOSへのインプットと言う一呼吸が入り、コンビニ方式になると相当遅くなります。
これは、従来型店舗の場合は代金引換で同時多発的な販売をこなしており、ある程度信用販売の部分もあるのですが、レジ方式になるとそれをインプットする手間が入り、コンビニ方式はレジに並ぶと言う個別対応でしか捌けないという処理能力の大きな差異があるからです。

利用者にとって、時間は有限であり、購入するために1本前の電車に乗ったり1本遅らせたりすることはありません。サラリーマンの必需品とも言われる日経にしても、実は会社に行けば職場単位で購入しているケースがほとんどであり、職場で必要な部分(自分の会社関係の産業欄や訃報欄)に目を通せば事足りるのです。
帰りの夕刊紙もそうです。電車の中での無聊を紛らわす目的であり、無ければ無いで問題ないのです。

そうなると、朝夕のラッシュアワーと言う限られた時間帯で、どれだけ数をこなすか、ということが勝負になるわけです。
新聞のような100数十円の小口ではなく、利幅の大きい高額商品を売ったほうが経営的にはメリットがあるように見えますが、ちりも積もればの言葉の通り、各売店で分秒の間に新聞が飛ぶように売れている現状では、数こそ力です。

ホームのコンビニも売店も販売員はたいてい1人です。その1人がどれだけの数をこなすかと考えた時、処理時間が遅いコンビニはまず論外です。街中のコンビニのようにレジを2〜3ヶ所用意できるのなら話は別ですが、限られたスペースでの店舗にそれは求めにくいです。
結局は原始的な手計算で数を稼ぐと言うのが一番数をこなせるのです。いや、代金授受に間違いがあったら大損、と思うかもしれませんが、そこがまさに「食い逃げ防止のためにバイトを雇う」という論点になるのです。
すなわち、レジ方式、またコンビニ化による売上減少と、手計算でのミスによる不突合を比較して、どちらが勝るかなのです。

休止店舗と契約社員募集の広告


上記の近著では、他にも某有名牛丼チェーンが食券券売機を導入しない理由を考察していましたが、これもまたキヨスクのコンビニ化の死角といえます。
駅売店には電車の待ち時間に無駄なく買える、という最大の特徴があるわけです。逆に電車の発車までに買える目処がつかないのであれば購入は手控えるのです。コンビニの場合、同時多発的対応が出来ないため、どうしてもレジ前に行列ができやすい。それが時間に対する不安を惹起することは否定できません。そしてどうせ時間がかかるが買わねばならないのなら、品揃えが豊富でレジも多い駅前のコンビニを選択するとなっても不思議は無いわけです。
実は某牛丼チェーンの話も、券売機の行列が「満席」というメッセージを発信して顧客を逃がすことを嫌っての話とあるわけで、「薄利多売」における姿勢の違いが見て取れます。

最後に、電子マネー化の推進についての死角を指摘しましょう。
オートチャージにすれば、残高をあまり気にすることなく小口の購買は可能で便利なのですが、実際にそこまでしている人は多いのかという問題に当たります。オートチャージで無い場合、結局は小銭入れと電子マネーの二つの「財布」があるわけで、残高を見ながら移し変える手間が残ります。そこまでして残高を購買により「減らす」意欲が沸くのかどうか。確かに小銭は要りませんが、しかるべき場所でのチャージ頻度がネックになります。

そして、その最大のメリットとされる「小銭要らず」ですが、現状、日常生活での購買を通して、どうしても小銭が溜まっていきます。
その小銭をどこかで使わない限り、小銭は増え続けます。貯金箱宜しく貯めている人もいますが、昨今は小銭の両替や預け入れに手数料を取る金融機関も多いなかで、「処分」に困ります。

そうした小銭の「処分先」となるのが、飲料やたばこ、新聞や雑誌と言った購入なのです。
あらゆる購買が電子マネーやクレジットカードで済ませられる時代が来れば杞憂になるのでしょうが、現状はそうではありません。
事務所の自販機でコーヒーを買う、駅の売店で新聞を買う、と言う局面で小銭を消費することで回転している小銭の流通サイクルを考えた時、電子マネーを「敢えて使わない」選択もあるのです。

いろいろな目的で、その特徴ゆえに利用されている駅の売店における今回の改革。
果たして利用者のニーズにあっているのかどうか。従業員の確保失敗と言う事態とそれへの批判を、単なる一時的なアクシデントと見るか、警鐘と見るか、実は重大な岐路に立っているのかもしれません。






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