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大宮での事故が示す構造的原因
JR東日本のトラブル処理はなぜ時間がかかるのか




2007年6月22日に起きたJR宇都宮線・高崎線さいたま新都市−大宮駅間での架線切れ事故。運転開始まで5時間以上かかり、さらに立ち往生した列車から車外に乗客の誘導が開始されるまで1時間以上要したうえに、一部の列車は4時間以上缶詰状態になっており、その対応に批判が高まっています。

事故の原因は、運転士が本来停止してはいけない架線のセクション部に停止させたため、パンタグラフを通じて架線同士の電位差によるアーク火花が発生し、溶断したことによるものであり、お粗末な運転ミスと言わざるを得ません。
ミスで両線ばかりか乗り入れたり並行する京浜東北線や湘南新宿ラインなど首都の動脈を終日混乱させたということで、国土交通省も文書で警告しています。

今回の事故に関しては、いろいろな原因や条件が重なった面がありますが、構造的な何かがここまで事態を悪化させたとも考えられるわけで、それを指摘して見たいと思います。

●運転動作に「横着」があったのでは
まずは事故の直接原因が問題です。

セクション内への停車は禁止されているのになぜ停車したのか。電車が詰まっていて停止現示だったため、停車したのですが、そこは当該信号機よりも71mも手前だったわけです。
完全に停止すると再起動、加速に時間と電気を食うため、ノロノロ運転で警戒もしくは注意信号に変わるのを待つ運転をするケースが多いですが、今回もそれに類する運転をしているうちに信号が変わらず、71m進むだけの速度も無くて止めてしまった、というところでしょう。

例え電車が詰まっていたとしても、信号機の配置と停止位置には意味があるわけで、言わば「横着」をしたがための事故といえます。だいたい、本来の停止位置まで可能な限り速やかに移動しないことは、すなわち後続列車の進路を妨害しているわけです。道路交通でも、前方が赤信号だからと無為に車間を空けてノロノロ運転をして青信号を待つケースが多く見られますが、えてしてその後方は詰まっており、そのうちに後ろでは本来引っかかることが無かった赤信号に引っかかり、通過台数が少なくなり渋滞が加速するという悪循環になっています。

先日朝の田園都市線に乗る機会があったんですが、ここは渋谷駅がネックで電車が渋滞してますが、渋谷駅を少しでも早く空けるために、渋谷を出るとすばやく加速していました。表参道でどうせ詰まると分かっていても、渋谷をすばやく出ないと後方が詰まるからです。

今回の運転士も、本来進むべきところまで速やかに移動しなかった挙句に、止めてはいけないところで止めてしまったと言うわけです。

●トラブルの波及防止の努力がないのでは
混乱が多方面にわたったのも今回の事故の特徴であり、湘南新宿ラインを介して複雑な路線網だから余裕が無い、と言うのが理由とされています。
しかし、このように1箇所の事故やトラブルが他路線に波及すると言うケースが多い割に、それに対する対応が等閑になって来たのは否めないでしょう。あまりにも同じ事態を繰り返しすぎです。

そもそも、大宮駅という運転上の重要な拠点の電気系統が、今回の事故であっさりダウンしたと言うことにまず問題はないでしょうか。南からの折り返し、北からの折り返しを考えた時、北側、南側とそれこそセクションで遮断した構造になっていないのでしょうか。
今回事故が起きたセクションがそれだと言う話かもしれませんが、それでは大雑把過ぎます。

もし大宮駅が生きていれば、大宮折り返しでの運転や、湘南新宿ラインの運転継続など、状況は大きく変わっていたはずです。

●復旧の「方法」を重視しすぎていないか
架線溶断と言う事故ゆえ、架線をまず張り直す必要があるだけに、時間がかかることは仕方が無い面があります。
とはいえ、路線網全体がダウンしている時間が長すぎるのも事実です。

思うに、折り返し運転など、「出来る範囲からの復旧」、いや、トラブル発生ですぐ全線を止めると言うように、「必要最小限の停止」と言うことをしない方針としか言いようが無い対応に問題があります。

もちろん復旧プロセスや、正常運転への復帰を考えたら、中途半端な運転や逐次的な復旧は却って正常化を妨げたり遅らせるものであり、さらにはそうした不定形運転が新たなトラブルの原因になる危険性が少なからずあるわけで、その意味でいったん総て止めて、完全復旧の目処が立ってはじめて運転を再開する今のやり方も理に叶っているとはいえます。

しかし、そうした一般則が当てはまる、というか、一般則たる分野と言うのは、生産ラインのようなケースであり、だからこそ「止める」ことに躊躇しないわけです。
一方で鉄道、それも旅客鉄道の場合は、止めた列車には生身の乗客が乗っているわけですし、復旧を待つのも生身の人間なのです。

貨物鉄道の場合は、丸1日抑止して次の日の正規ダイヤに乗せると言う復旧策がとられることも多いですが、それはあくまで物言わぬ貨物だから出来る業であり、これが旅客列車だったら到底出来ない話でしょう。
「きれいに」復旧させる事を重視した結果、足下の乗客がお留守になっているのではないか。そういう疑念を抱かれて当然の対応と言えます。

生産ラインなら正解と言える復旧手法も、生身の人間を相手にした場合はそれが正解とは限りません。
最終的な復旧が早くても、途中の混乱度合いや影響がが大きいことが果たして正解か。復旧に対するマネジメントが標準化されようとしている現在、上で指摘した波及防止策の問題に加え、毎度のように乗客にしわが寄る手法を見直す必要が出てくる可能性は少なくありません。

ちなみに、代用閉塞に関する記載を通じてではあるが、不定形な運転を排除すると言う意思が同社にあることについては、鉄道ジャーナル98年11月号の「鉄道の安全と事故防止に向けての取組み」と題した、当時のJR東日本運輸車両部担当部長の論文の一節を挙げることで窺うことができるでしょう。

信楽事故を機に工事などで計画的に実施する場合を除き、代用閉塞を原則として施行しないことにした)設備故障でお客さまを足止めすることは申し訳ないことではあるが、通常とは異なる安全システムのもと、敢えて輸送を継続することが本当のサービスであろうかと言う問題意識からである。

その後段では、代用閉塞に頼るよりも、その原因となるトラブルをなくして代用閉塞を実施する機会を無くすことが大切と言う原則論を述べていますが、不幸にも発生したトラブルへの対応と言う意味では、「通常運転が担保されるまでは止める」という転換であり、不定形運転を排除することが、不定形業務の極致である乗客の缶詰と言う事態の解決に少なからぬ支障を来たしているのではないでしょうか。

●「乗客缶詰」の軽視があるのでは
今回批判が高かったのは、やはり停止した列車からの乗客の救出が遅れたことです。
概ね1時間で救出が開始されたとはいえ、列車によっては3時間以上たって電車を動かしてようやく駅に辿り着いたり、最悪のケースとしてはトンネル内で4時間以上缶詰にしたケースもありました。

架線溶断となると、復旧は物理的な作業を伴いますから時間がかかることは確実です。実際、2時間以上かかっているわけです。
にもかかわらず線路へ降ろして最寄り駅への誘導が始まったのは約1時間後。要員も多いはずの拠点駅の近くで、これほど遅れる理由はないはずです。

結局は乗客を缶詰にするということに対する意識の低さがあるとしか言いようがありません。
復旧への時間のかけ方もそうですが、生身の人間が被害を受けていることへの想像が欠如しているとしか言いようがないことと、被害を与えても払い戻しなどの「損害」発生がほとんど発生しないということもあるのではないでしょうか。缶詰になった乗客に対して缶詰になった時間に応じて払い戻しなどの支出が発生するわけでもないから、より早く、と言う意思が働きにくいと言うモラルハザードすら指摘できるでしょう。

そもそもこれだけ長時間缶詰になると、乗客の健康面の問題が出てきます。
かつて京浜東北線で春先に起きた事故で、なかなか開放しなかったことで気分がすぐれなくなった怪我人というか病人が多数出た事故がありました。この事故を契機に209系の窓を開閉可能にする改造が始まったわけですが、今回のような梅雨時のラッシュ時もそうですが、盛夏の場合、熱射病や脱水症状など非常に危険な状態になることも考えられます。

また、そこまで行かずとも、トイレの問題もまた深刻です。大半の電車が近郊型車両ゆえトイレがあるとはいえ、ラッシュ時の車内、トイレのある車両までの移動は困難ですし、あまつさえ停電ですから、車椅子対応のトイレの自動ドアは開かないでしょうし、また、排泄物の処理も出来ないでしょう。
そうした状況下で、何時間も缶詰にすることで、今回は「非常に切迫した状況」に追い込まれたり、さらには「人間の尊厳にかかわる」状況に追い込まれたケースがあったやにも聞いています。

このトイレの一点においても、早期の救出手配をしないことがどれだけ乗客を身体的、精神的に苛むか、想像するだけでも辛いものがあります。

●付記・ドアを開けた乗客を責めたのは誰か
最後に、今回の事故を報じる記事の中に、こういうものがありました。

「乗客ドア開け不通路線拡大」

利用客も本数も多い主要路線が隣接する場所で、しかも朝のラッシュ時に事故が起きたため、被害が大きくなった。

架線が切れた線路は、東北線と高崎線が共用している区間。架線が切れた後に大宮駅も停電したため、並走する湘南新宿ラインも止まった。さらに架線切断の約15分後、現場南側のさいたま新都心—浦和駅間に停止していた東北線上り電車の乗客が、車内にある非常ドアコックを操作してドアを勝手に開けてしまった。気づいた運転士が付近の電車に停止を求める防護無線を作動させたため、京浜東北線も止まってしまった。

(朝日新聞:6月23日付朝刊)

あたかもドアコックを操作した乗客が事態を悪化させたような書きぶりですが、確かに防護無線発報で埼京線などにも影響が出たとはいえ、そもそもの事故区間において、溶断した架線の復旧は2時間以上後です。停止した列車から結局乗客を降ろしたわけですから、その時点で京浜東北線も安全確保のため止まります。(京浜東北線の駅に収容するため)

つまり、乗客のドア開放があろうが無かろうが、ここまでの事態になることは不可避だったわけであり、なぜ因果関係どころか原因のような物言いで報じているのでしょうか。
22日のテレ朝系「報道ステーション」では、JR東日本がメディアに記者会見で説明したのが実に事故発生から9時間後だったことを批判していましたが、ディスクローズの遅れに加え、このような不可解な記事が出る広報体勢もまた、問題と言えます。

そもそも同社管内での抑止は長時間の缶詰になりがちという状況下では、「非常」時に「非常」コックを使うことをそこまで正面切って批判できる状況にはありません。
記者が思い込みで書いたのであればまだ救われますが(それでもひどい濡れ衣ですが)、もし、これが因果関係を匂わせるようにリリースされたのであれば、何をか況やの世界であり、そういうことだけはなかったと信じたいものです。




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