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可部線廃止区間を見る
消えた鉄路と代行バス、そして高速バス


2003年11月末限りで廃止された可部線の非電化区間(可部−三段峡)ですが、廃止を目前に控えた2003年夏と、廃止されて1年が過ぎた2004年暮れに訪れて見ました。
可部線の非電化区間は、1987年夏に三段峡まで鉄道で入り、一般道経由の広電バスで広島バスセンターまで戻って以来、16年ぶりの乗車になりますが、それが結局お別れ乗車になってしまいました。

廃止前後の三段峡駅(左・2003年8月、右・2004年12月)

※この作品は「【検証】近未来交通地図」に掲載されたものを補筆、改稿したものです。

初出:2003年9月
写真は2003年8月および2004年12月撮影


第一部:消え行く鉄路を辿る

●三段峡への鉄路

当日は早朝、神戸から在来線乗り継ぎで向かいましたが、単に山陽線から可部線に乗り継ぐのも面白くなく、横川から高速4号線経由のバスで大塚に向かい、そこからアストラムラインで大町に出ました。
その大町から北上するにあたり、余裕を見て三段峡行きに接続する1本前、大町12時24分の可部行きにしましたが、もう「鉄」っぽい人でサラッといっぱいです。12月以降も存続する南線区間ですが、ワンマン化が近いようで、105系電車の車内にはワンマン用の装備がついています。つかず離れず並行する旧R54の歩道橋に残る「松江」の表示に昔を感じました。

大町駅に入る可部行き

終着の可部ではすでに三段峡行きが停車中。キハ40系2連で、N40っぽく改造された車ですが、車内はボックスのまま。すでにいくつかのボックスに客がいて、この電車からでほぼボックスが埋まる格好でしたが、ほとんどが「鉄」という様子はなんともはやです。
「正規」の接続便が来てさらに乗客を受け入れます。私のボックスには珍しく普通の旅行者らしい親娘連れがきました。しかし、座席定員6割程度というのは廃止を控えての「お名残」で青春18が使えるお盆の時期にしては少なく、しかも8割がたが「鉄」では、存続を云々するレベルではないようです。

可部駅停車中の三段峡行き広島支社お馴染みの不可解なサボ

13時5分、可部発車。加計までワンマンで以北ツーマンという不思議な運用です。
テープは「加計行きワンマンカーです」と流れ、「ドアは手前に開きます、ステップに立たないで下さい」とはキハ120系用の流用です。肉声放送で「テープは加計行きですが、列車は三段峡行きです」と注意が入りましたが、廃止対象とは言えコストをケチるにもほどがあるという感じです。
安佐北区役所が近くここまでの電化、存続運動もあった河戸も利用は少なく閑散。住宅や役所までは距離があるようで、これでは残しても利用があるかどうか。
安芸飯室の手前ではついに出ました15km制限。他の「雨15」と違い本設の15km制限です。手入れも無いようで木々の枝が車体を擦るというより当たっており、あと3ヶ月あまりとはいえ安全面でも問題があります。

加計駅にて交換の可部行きは単行

加計で交換の小休止。私のボックスの相客だった帰省客を含む数少ない一般客はここまでが大半でした。ここからは座席定員の半分くらいで、木坂、殿賀で残る一般客が降りてしまい、終点の一つ手前の戸河内は、町の中心であるというのに一般降車はなく、結局三段峡までの最終コースは「鉄」10割というコメントのしようも無い状態でした。
ただ、三段峡駅の時刻表を見ると、ただでさえ可部でディーゼルと電車を乗り継ぐと言うのに、そのディーセルも加計でさらに乗り換えと言うケースが多いわけで、これでは使い物にならないと言うべきでしょう。

三段峡の駅名標時刻表。5本中3本は加計止まり


●広島電鉄バス〜戸河内ICバスセンター

14時38分、三段峡着。こういう時の行動は皆同じで、委託窓口には乗車券を求める長蛇の列です。駅舎を出て振り返ると「JR可部線の存続を願う!!」の横断幕。地元は廃止後の「復活」を旗印にして徹底抗戦の構えでしょうか。

存続を訴える横断幕も空しく...

三段峡の入口を眺めて、三段峡温泉を謳う温泉旅館で渓谷を眺める内風呂に入浴。列車利用だと300円に割り引いてくれます。
15時5分発の加計行きの発車を見送ると駅前は実に閑散。三段峡はここから徒歩2〜3時間のハイキングですが、R191を行くエスケープルートがあり、バスやタクシーの便が実はあります。

三段峡停車中の加計行き

15時30分の広島センター行きの広島電鉄バスは前中扉ワンステの一般車。「佐東バイパス経由」とありますが、いわゆる可部地区の新道経由で、広島まで一般道を一つ一つ停まっていきます。戸河内役場からは高速経由もありますが、三段峡は一般道経由のみです。
16年前に来た時も帰りはバスでしたが、佐東バイパス経由の一般道経由一般車というスタイルは同じでしたが、列車も遅いがバスも相当掛かった記憶があります。12月からは戸河内役場(戸河内上本郷)までの高速系統が延伸されるようですが、島根県瑞穂町出羽への路線が消え、広島県大朝町への路線も廃止が決まっている広島電鉄がいつまで維持するのか。高速経由の益田系統に戸河内で地元の三段峡交通と接続というスタイルになるのかもしれません。

広島センター行きのバス

戸河内ICバスセンターで降りましたが、「とごうち”アイシー”バスセンター」という案内には苦笑です。
そして芸北町経由浜田周布行きのバスに乗り継ぎましたが、その様子は稿を改めてと言うことにしましょう。

戸河内ICバスセンター浜田周布行きのバス(波佐にて撮影)



第二部:鉄路が消えて

●代行バスで辿る廃線区間
2004年の年末も押し迫った大晦日。雪が舞い、島影が白く染まる瀬戸内を眺めながら広島に入りました。
可部までの可部線は呉から直通の103系。基本は105系ですが、そのほか115系はボックスや転クロもあり、バラエティに富んだ車種ですが、運用の都合での入線であり、線区の事情とかけ離れた運用です。
小雪が舞う天気ですが半自動切り替えが出来ない103系には容赦無く寒風が吹きこみ、さすがに停車中から車掌がドアが半自動で無い旨お詫びを繰り返していました。

広島を出てゴロゴロと可部へ。駅間が短く下町然とした沿線ですが、山陽道広島IC最寄りで、大きなマンションとフジグランSCが建つ緑井を過ぎると駅間があきます。結局通し電車を設定すると言う前提では現状はいっぱいいっぱいのダイヤとも言えるわけです。
そして新しい終着駅となった可部に着きました。

もうこの先に列車は来ない...

加計方面に伸びていた線路を埋めた通路が横切り、国道側に面して設けられた代替バス乗り場へ向かうようになっています。一方駅舎の場所は昔のままで、ちょっと戸惑う位置関係です。
代替バス乗り場に入るのは可部始発の三段峡行きの広電バスと、途中の飯室までの広交バス。可部線廃止区間は概ねR191に沿っていますが、可部−飯室間だけは可部線と離れています。そのため、線路に添った県道を行く系統を別に設けています。

その今井田経由の飯室行きに乗り、飯室で急行三段峡行きに乗り継ぐプランを立てての今回、代替バス乗り場には「【柳瀬】今井田・飯室」の表示を出した11時30分発の広交バスがいました。
乗客は誰もおらず、先頭の「オタ席」に座り、運転手からの「どこまで」の問いに、「飯室」とは書かれているが「安佐営業所」まで入るのかを運転手に聞くと、行くと答えるも怪訝そうな顔をしたので、代替バスに乗りに来た旨を告げると納得して発車しました。

広交バスによる代行便

可部の街中を行き、可部中央で1人乗車。安佐北区役所を経て河戸の集落に入ると踏切は埋められており、河戸までの復活も難しそうです。河戸駅が集落の外れ気味で、安佐北区役所へのニーズを謳うにしても可部駅のほうが圧倒的に近いです。

バスは大田川と可部線跡に添って行きますが、何ともというような細道。夜来の雪で木々がしなって余計に細く見えます。大型同士では行き違いが出来そうに無い区間ですが、そもそも交通が少ないのか思い出した頃に乗用車とすれ違う程度です。
可部中央で乗ってきた乗客は運転手と顔なじみのようで、会話を交わして今井田の集落で降りて行きましたが、漏れ聞こえてくる感じではただでさえ少ない利用が減っているようでした。

大田川沿いに続く狭隘区間

あさひが丘、安佐動物公園を経てアストラムラインの上安駅に向かうルートと合わさると道も広くなり、安芸飯室駅近くでR191と合流。三段峡とは逆方向に戻る格好で安佐出張所を経て終点安佐営業所に至りました。
12時3分発の三段峡行き(センター始発)がおり、乗り継げるようですが、私は急行バスに乗るので見送ります。定刻だと2分差で不可ですが、R191と合流してからの手前で乗り継げるので問題は少なそうです。

広交、第一タクシーもたむろする広電安佐営業所

とはいえ急行バスの発車まで1時間以上あります。大朝方面を分ける飯室三叉路に出て見ると、近くにショッピングセンターが見えます。ここで昼飯にして時間を潰して営業所に戻ります。
ここは広電バスの営業所ですが、広交バスや第一タクシーのバスも出入りしているようで、構内にたむろしていますが、上述の上安駅行きのほか、くすのき台経由大原駅行きという系統もあり、アストラムのフィーダーになっているようですが、あまり乗ってないようです。
あと、意外にも広島センター行きの高速便が少ないのですが、実は少し下がったところに広島道の広島北ICがあり、三次や浜田、益田、三段峡系統の高速バスが数多く停車するので、公共交通機関利用もそちらにシフトしてるんでしょうか。そう考えると心なしか立派な営業所も寂しく見えました。

可部からの急行三段峡行きが入って来ました。
13時19分の発車まで若干時間があり停車しますが、車内は4人と閑散。さっきの普通便のほうが乗ってました。
そして出発。「急行」というのは代替系統として補助を受けるために区分した苦肉の策。一部を除き鉄道駅最寄りのみに停留所をしぼっているのもそのためですが、もともと集落と駅が離れているケースが多いだけに、集落の真ん中にある停留所を通過して駅最寄りに停車という非常に不合理と言うか理不尽な停車駅というのも、不振の原因でしょうか。

急行三段峡行き

バスは淡々とR191を行きます。下津浪で天を行く中国道と交差しますが、飯室から津浪、そして戸河内とトンネルで縫って行く高速道は全く相手になりません。広島北ICから下津浪最寄りの加計BSまで13分、戸河内ICまでは都合19分。急行バスは安佐営業所から津浪まで29分、戸河内ICまで49分ですから比べるだけ野暮でしょう。ましてや可部線時代など。
しかもその津浪最寄りの加計BSには今秋、ETC専用のスマートICが社会実験で開設されており、加計や芸北方面へのクルマでのアクセスがさらに向上しているのです。

記録的な上陸数となった今夏の台風ですが、その爪跡か路肩や法面の損壊が目立ち、片側通行区間も多いです。戸河内ICを過ぎると旧戸河内町の中心部。加計などと合併して安芸太田町になりましたが、笑ったのは放送が、最初は「次は、安芸太田町役場前」と言いながら、到着時に「まもなく、戸河内役場前」と直し忘れていました。
そして再び山にかかります。スキー場の看板が目につき、雪も急に深くなります。乗客は私だけになり、運転手から、このあたりは加計とも天候が違うとか、この積雪も今朝からだけで積もったとか、スキー客の動向などの話を教えてもらいました。

安佐営業所から約1時間。三段峡につきました。バスはすぐ下手に新設された待機場に戻りますが、この運転手が後で乗る高速便に乗務するようです。
バスが去るとあたりはひっそり。雪が積もっているうえに、小雪が舞っていたのが急に本降りになってきました。雷鳴も轟き、散々な天気です。そんな中、まだ残っていた駅舎を見に来たグループがいましたが、当然クルマでの来訪。こちらはホーム下の通路?を通りあぜ道から、廃止前の夏と同じアングルの写真撮影(トップの写真参照)に挑みましたが、下り勾配のコンクリ舗装に雪が積もり、滑りそうになりました。

まだ残っていた三段峡駅舎三段峡は雪化粧


雪の大晦日とあって土産物屋も店を閉めてひっそり閑。待つことしばし、高速広島センター行きがやってきて、往路の運転手と再開。戸河内上本郷で乗客が乗って来るまでまたいろいろと沿線の話を伺いましたが、往路の急行バスとうってかわって乗客がおり、戸河内ICバスセンターでは芸北からの総企バスからの乗り継ぎも入れて都合7人乗車。大晦日の夕方に広島に入る便ですから上出来でしょう。
実はこの後、加計BSでいったん降りて、スマートICを見学し、益田からのバスで帰りましたが、件の運転手は加計で降りる際、私がスマートICを見て広島行きに乗ると知るや、その益田からの便がある旨をきちんと教えてくれており、嬉しい心遣いでした。

加計BSを出る広電高速バス加計BSでのスマートIC社会実験

17年前は高速道経由は朝夕の数便でしたが、今や益田便なども合わせて高速便がデフォルトの状態になっています。高速道路の存在が地域の交通体系を大きく変えてしまったなかで消えていった鉄路ですが、高速バスとローカルバスの連携など、新しい試みが見て取れますし、加計BSには、朝の高速バスが戸河内で満席になってしまうことが多い旨のお詫び(三段峡6時55分発が厳しいので6時20分発を推奨)の張り紙もあり、利用もしっかりついているようです。
そうした現状を見ると、鉄道の廃止は必ずしも地域の交通の喪失とは限らないのかもしれません。






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