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和歌山電鉄、「猫頼み」の運営を考える
走るテーマパークなのか、地元の足なのか


悠々と抱かれる救世主


和歌山県の県都、和歌山を起点に走るローカル私鉄、和歌山電鉄。
元は南海貴志川線といいましたが、経営不振で経営移管された鉄道です。

大手私鉄が見捨てたともいえる路線ですが、ところが何が起こるかわからないもので、いまや全国から注目が集まるといっていい状態となり、経営のほうも上向いてます。
この「奇跡」、いわずと知れた「看板ネコ」の「たま」の功績なんですが、1匹の老猫がつぶれかけた鉄道を活性化させたのです。

明けても暮れても「たま」頼みになっている感のある和歌山電鉄ですが、一方では少なく無い税金を投入して存続したという「地元の足」としての側面がある、というか、そのための存続と言えるのであり、その部分はどうなのか。

「たま」の偉大すぎる功績に死角は無いのか、折に触れて訪れてきた体験を元に語ってみましょう。

※写真は2008年5月、12月、2009年4月、2010年6月、9月撮影


●居候から役員へ、そして貴族へ
のっけからドン引きされそうな出だしですが、アメリカンドリームか出世物語か、というこの歩み、和歌山電鉄貴志駅に隣接する商店の飼い猫「たま」の待遇なのです。

これについては数多の書物やレポートがあるので割愛しますが、経営者の目に留まった駅の居候を「駅長」としてみたところ大当たりで、鉄道の利用を左右するほどの人気となったため、さらなる話題づくりというわけで、経営者が執行役員に「出世」させると、和歌山県も負けじと?勲功爵に任命と、遂に貴族の一角となったことは周知のとおりです。

爵位をもつ猫です

なお、真面目な話をすれば、取締役任用は株主総会の専権事項なので執行役員になったようですが、「たま」が常務執行役員なのに、その下に人間のヒラ執行役員がいるのが同社の特徴?です。

まあ肩書きはどうであれ、訪問者にとっては愛くるしい「たま」の人気が総てであり、今日も肩書きで呼ばれずに名前で呼ばれています。

●万策尽きた状態での船出
もともと南海の1支線だった貴志川線。本線とは電圧も違い、本線の昇圧を逃れたオンボロの掃き溜めだった路線でしたが、まあズームカーのお下がりがやってきてそれなりに体質改善はしていました。

しかし県都に直結すると言うそれなりに恵まれたシチュエーションにありながら、南海の中では場末感が強かったせいもあり、お荷物として遇される毎日で、やがて廃線論議が浮上してくるのは必然でした。

南海電鉄は2003年10月に廃止の意向を表明し、2004年9月に1年後の廃止届を提出し、廃止は秒読みとなったのですが、そうした中で地元がとった奇策がNHKの「難問解決!ご近所の底力」に取り上げてもらうことでした。通常の同番組でおなじみの身の回りの生活レベルの「難問」と違い、「史上最大の難問」とサブタイトルがつくほどのテーマとして採用されたのはよほど強力なコネクションがあったとは推測されます。

事態が好転するのはそれからでした。
とはいえお決まりの第三セクター鉄道とするには和歌山県をはじめとする沿線自治体の財政基盤がよろしくなく、結局和歌山県が用地と将来の大規模補修の費用を負担し、和歌山市と紀ノ川市が運営での欠損を年間8200万円を上限に負担すると言う二段構えの上下分離のスキームを用意して運営会社を公募したところ、両備グループによる受け皿が決まったのです。
そのため南海は廃線を半年間延期し、和歌山電鉄の準備が整った2006年4月に営業譲渡となったのです。

「たま」の肉球


●最初は堅実に
とはいえ経営が変われば何もかも変わる訳はありません。変えるには自分たちが負担しないといけません。
幸い、両備グループにはアドバイザーとしてデザイナーの水戸岡鋭二氏がおり、氏の手による「将来像」が描かれ、その具現化の一歩として「いちご電車」が登場しました。

伊太祁曾駅で入換中のいちご電車

地域に根ざして「新車が買えるようにする」ためのイメージリーダーとしての「いちご電車」は、新車を思い思いにデザインできた岡山電気軌道の「Momo」と違い、旧車のお色直しです。「Momo」では到るところに見られた凝った意匠も控えめな「いちご電車」はまずは1編成からスタートしましたが、その後は「いちご電車」をイメージリーダーとして、一般電車の模様替えという建て付けで進行するはずでした。

一般車両は南海時代のままいちごのエンブレム

「いちご電車」はそれでも端々に水戸岡氏らしいデザインが施されたユニークな電車ですが、それ以外は「いちごのエンブレム」だけ。駅名標も他社の経営移管ならさっそく新会社のCIを利かせた意匠に総取り替え、となるところを今に到るまで南海時代の、しかも駅によって更新時期が異なるがゆえにてんでバラバラの状態であり、良く言えば無駄遣いを排除、悪く言えば基本的な変更すら出来ていない、という状態が続くほどの状態でした。

南海時代のCI対応版これはいつの時代のデザインか?


●運命の猫「たま」
こうした中、終点貴志駅に隣接するなんでも屋さん「小山商店」の飼い猫が、日に日に貴志駅に遊びに来ていたそうです。その姿が好事家に話題になっていてそれなりに貴志駅詣での流れが出来つつあったある日、和歌山電鉄の経営がこれに目を留めたのが事の起こりです。

かつての貴志駅と小山商店

そうして猫で「まちおこし」ならぬ「鉄道復権」という前代未聞の取り組みがスタートしたわけですが、おそらく会社もここまでとは思っていなかったであろう大ブレイクとなったのです。

貴志駅改装中の小山商店は駅の向かいの仮設店舗

全国区の人気となるのに時間はかかりませんでしたが、人気の根源はやはり関西圏という大都市圏の一角と言うことでしょう。「たま」以降、二匹目のドジョウならぬネコ等を狙った鉄道会社は多いですが、ネコを見に遠路はるばると言う人はさすがに少ないわけで、和歌山というのは遠からず近からず、手ごろな行楽としての対象となりえたことも多かったと言えます

●「方針転換」
最初は鉄道自体を変えていく方向性だったはずです。「いちご電車」にしてもイメージリーダーであり、やがてそのコンセプトを織り込んだ電車が勢揃いすることでCIも完了するはずでした。

もともと他の5編成についての改装予定は、鉄道ジャーナル2006年6月号掲載記事での水戸岡氏へのインタビューによると、沿線の味わい深い観光資源に合わせて、そして高齢者の利用が多いだろうと言うことを背景に渋めの色をベースに採用し、これに「金のいちご」「銀のいちご」をちりばめていく。10年後にらんで再生を手掛けていく、とのことでした。

ところがどうも方針転換があったのでしょうか。車両のリニューアルにスポンサーを求めるのはいいのですが、「いちご電車」に続く第2弾となった「おもちゃ電車」に「いちご電車」との連続性を見出すことは、デザイナーが同一人物であると言う以外には困難です。

グッズも売ってる和歌山駅に停車中のおもちゃ電車

このあたりは、会社全体のトータルデザインではなく、話題を作ることで集客すると言う方向性が見えるわけですが、それは日常利用者よりも外来の訪問者を意識する施策への転換と言えます。

そしてそれを強く意識するようになったのが「たま」のブレイクでしょう。

●日常利用と観光利用
とはいえ沿線に目立った観光資源が無いにもかかわらず観光客を集めるという離れ業が成立しているわけです。「たま」頼みだけでなく、話題づくりによる集客が成功している以上、成功例としてみるべき事例です。

しかし気になるのは、日常利用者にとって和歌山電鉄がどういうポジションを占めているのかです。
ブレイクしているとはいえ絶対的な収支は償えていません。「優等生」ではありますが、8200万円の補助の範囲内とはいえ、それに近い欠損が出ているのも事実です。

公共からの補助が出ていることは厳然たる事実であり、それを極小化するための外部利用頼みの施策が、公費を支出する前提である日常利用にどう影響しているのか。

気になるのは和歌山電鉄の経営状況の開示がいまひとつということであり、利用が増えている、と言うような断片的な情報は積極的に発信されますが、日常利用を表象する定期利用者がどうなっているのかと言うような情報が出てきていません。
和歌山電鉄の経営においては「貴志川線運営委員会」という利用者や学識経験者などからなる運営組織があることが特徴ですが、情報開示と言う意味では税金による補助を受けていることを考えると、体制に甘さを感じます。

ちなみに存続運動の主体となった「貴志川線の未来を”つくる”会」から断片的に出てくる情報を垣間見ると、日常利用が横ばいもしくは微減するのを、「観光利用」の伸びがカバーしていると言う構図が浮かび上がるわけで、そのあたりも話題づくりによる集客に傾注している理由かもしれません。

旧駅時代から「たま」目当ての人だかりが


●転換効果への疑問
この情報開示に関する疑問と対になる話ですが、この手の転換路線の効果を示すものとして、転換前後の経営実績の推移があるわけです。

そこでは総じて右肩上がりというか、大きく改善しており、それにより鉄道での存続は意義があるという結論になり、一般論化しているといえます。

ところがこうしたデータを見ると、転換直前に大きく数字を下げているケースが多いのです。
底割れしたから持ちきれなくなった、という評価が可能な反面、転換が決まった時点でやる気がなくなったとか、統計などの管理が等閑になってしまったと言うようなことは無いのでしょうか。

実際に和歌山電鉄の経営状況を語る際に、転換前から10数%の伸びと言われますが、その大半が転換初年度の2006年度の「回復」で達成されているわけですし、廃止打診後の2004年に数字を大きく落としている「実績」からの「V字回復」はやはり前例の通りと言えます。

一方でその後の4年間はほぼ横ばいと言う現実があるわけで、「たま」によるブレイクが「上積み」ではなく定期客との「差し繰り」にも見えるあたり、転換効果をきちんと解析してもらいたいものです。

制帽を被ってお昼寝?中


●経営分析
上記のとおり経営成績についての情報公開がなく、分析が難しいのが特徴です。
ただ、「貴志川線の未来を”つくる”会」が発行している「貴志川線ニュース」には半期と年度の経営成績がホンのダイジェストですが掲載されており、そこから垣間見ることが出来ます。

これによると、開業初年度は利用者数が10%増えていますが、このあと2010年度までの5年度で目立った利用者増を記録したのは後述する2008年度だけです。
特に気になるデータとしては2007年があり、2007年度第1〜第3四半期の利用者数は前年比99%。つまり、「たま」駅長就任前と後での比較になる3四半期分において、定期外は8%程度の大きな伸びを見せた反面、定期が大きく崩れて前年度割れとなています。
なお2007年度は最終的に0.2%の増加となっていますが、定期が崩れたことには変わりがありません。
(定期、定期外の区分開示は無い方が多く、開示された段階の様子から推測するしかない)

2008年度の伸びは3.4%の伸びと順調ですが、上半期が定期3%、定期外5%と伸ばして3.8%程度の伸びだっただけに、下期にやや息切れと言う感じです。また、上期決算で、定期のうち通学利用が微減と、増加トレンドの中での「異常」が特記されていましたが、これはガソリン代高騰の流れでの増加と言う特殊要因と考えられます。

2009年度は輸送人員が1%の減少となりましたが、この年度は定期、定期外の数字の開示がありませんでした。
この年度の考えられるシナリオとしては、定期外の伸びと定期の減少(ガソリン代が鎮静化したことによる前年度の反動)の差し繰りでしょうか。定期の定着が一番望ましいですが、そうなると定期外が伸びなかったという厳しい結果になります。

2010年度は上期に貴志駅改装の影響で定期外客の利用が大きく減少(△7%)して、定期客の健闘(△1%)で約3%の減少にとどめていましたが、最終的には0.1%増とほぼ横ばいに戻しています。これは定期外が貴志駅改装で大幅に増えたと言える半面、話題が途切れるとあっという間に急落する危険性を示しています。

貴志駅新駅舎(たまミュージアム)

なお2008年度までは年間の収支は比較的順調で、年度の損失も4000万円弱と、和歌山市、紀ノ川市の補助金8200万円の範囲内ですが、もともと人件費の圧縮による効果が大きいことから、それこそ企業として「持続的に」人材を確保できるかという問題を残していることに加え、2009年度は水害復旧の支出があり、2010年度は設備更新の減価償却費の名目で2年連続8000万円弱と、赤字幅が倍以上に増えてなおも上昇傾向と言うのが気になります。

改装中の貴志駅

このように経営実績を見ると、必ずしも「地元の足」として定着しているのか、という指摘も可能であり、年を追うごとに「たま」頼みの度合いが高まっているとも言えます。

●普段使いの電車としてみると
まず指摘したいのが3編成あるカスタム編成です。
「いちご電車」はともかく、大胆に改造した「おもちゃ電車」「たま電車」の存在は地元の普段使いとしてはどうなのか。

ユニークなのは車端部だけのいちご電車

「いちご電車」も含めて、水戸岡氏のデザインに多い木材の多様は目先が変わっていますが、要は木のベンチであり、奇抜な形状の背もたれは身体を預けるには頼りなく、居住性はかなり悪いです。
木のぬくもり、質感が、という賛美も結構ですが、やはり毎日使う電車として考えるべきでしょう。

木のベンチに座布団の座席が大半のおもちゃ電車

「いちご電車」こそ大半は普通のロングシートですが、「おもちゃ電車」は「普通の椅子」の部分が極端に少ないです。「たま電車」では若干改善されたとはいえ、デザインの奇抜さを含めて、日常利用で当たるとかなり厳しいと言えます。

しかし運用が固定化されていないことから、日によって「当たり」になったり、カスタム編成が3編成もあることから駅によっては日中の大半がカスタム編成になるとか、否が応でもこれらの編成と付き合わざるを得ません。

南海時代のままの一般車両車内

とはいえ沿線住民、利用者からも愛されているというのであれば問題はないのですが、上述する居住性の問題もありますし、「たま電車」の場合は猫アレルギー、猫嫌いの人から見たらどうなのか。
世の中には猫嫌いの人は結構いますが、「駅長室」にいるくらいならともかく、イラストとはいえ電車の内外が猫で耐えられるかどうか。ここは「公共」交通なのです。

猫の意匠があちこちにある「たま」電車

また、「おもちゃ電車」にしても目先が変わって楽しいのも最初のうちだけであり、交通公園への遠足の幼稚園児と乗り合わせたことがありましたが、見飽きているのか子供たちは別に興味を示していなかったのが気になりました。

ここまで来ると公共交通ではなく、走るテーマパークといった感も無きにしも非ずですが、そうなると目先を変えるための不断の改善が必要であり、かつ「テーマパーク」に公費を投じていいのか、という議論になってしまいます。

行楽客には人気絶大


●地道な努力は?
それでも地域の足を守るための方便、という批判もあるでしょう。
しかし、では地域の足を守るための努力はどうなのか。形振り構わぬ集客ですが、「たま」ブームと無縁の利用者にとってはどうなのか。

「新車が買える」には程遠い現状ですが、確かにダイヤはこまめに改善しています。
しかし駅のCIなどの進捗は遅々としており、この会社の経営資源の投じ方は大半を「たま」に費やしているのでは、と言われかねません。

利用実績を見ても、和歌山から伊太祁曽まで(厳密には吉礼まで)はまずバス転換などはありえないレベルの利用を確保しており、本来は堅実に改善をしていくべき路線と言えます。

それが全部貴志駅に吸い上げられているように見られかねない改善の落差はどうなのか。
実際には寄付などで相当数賄っているとはいえ、結果として経営資源がそっちに集中していることは事実ですし、経営資源の配分だけでなく、税金の使い方としても疑義が出てきます。

混み合う貴志駅と「たま」電車


●「たま」頼みの集客への疑問
足下の集客策は「たま」に頼りきりと言う印象です。

しかし「たま」ももう12歳。最近は長生きになったとはいえ、15歳くらいが寿命とされるネコの生態を考えると、本人(ネコ)や飼い主には悪いのですが、「来るべき時」を想定する時期に来ていますし、そうでなくても今のように多くの観光客を相手にすることが出来なくなる日も遠く無いでしょう。
なお、「たま」の母親が2009年に他界(和歌山電鉄では「千の風になった」と表現)していますが、実は年齢差は1年もないということも考慮すべきかと思います。

もともとイヌのように躾けられない、「待て」が出来ないように言うことを聞かないのがネコの特徴ですが、ことごとくその例外となる奇跡のネコだったわけです、「たま」は。
そういう意味では「たま」の後に「たま」無しという感じであり、1代限りの目玉商品になる可能性が高いです。

08年ごろはまだこんな素朴なふれあいタイムも

かつて貴志駅を訪れた際、ブレイクはしていましたが、まだ飼い主の女将さんが「たま」を抱っこしてホームに出てくるようなのどかな時期の昼下がり、電車を一本落として「たま」とじゃれていると、女将さんが問わず語りにあれこれ聞かせてくれたんですが、「ブーム」に対して相当覚めている感じを受けたのです。

「たま」を抱いて女将さんがお見送り

ブームはさらに燃え上がったのですが、電車が来るたびに団体客も含めて降り立ち、寝ている「たま」を起こそうとするなど、相当なストレスに晒される状態を飼い主がどう見ているのか。
「たま」が主役の「テーマパーク」化は会社にとっては稼げるうちに稼ぐ原動力でしょうが、税金を投入してまで残した鉄道として健全な姿かどうかは疑義があるとしか言えません。

改修工事中も仮設店舗内で勤務

さらに言えば、和歌山電鉄のスキームが「10年間の欠損補助」を骨子にしているわけで、「いちご電車」の時のコンセプトでは「10年で軌道に乗せる」という感じだったのが、昨今の「テーマパーク」化は「10年で稼げるだけ稼ぐ」という刹那的なものに見えなくも無いのです。

新しい駅長室はこちらへ


●ポスト「たま」はどうなるのか
生き物である「たま」ではない、持続可能な観光の目玉の発掘が立ち遅れているなか、ポスト「たま」はどうするのかが気になるところです。

引っ掻き傷を作ってしまい首回りを養生中

ところが足下の状況を見ると、「たま」を永遠に使いかねない状況と言えます。
「たま電車」の導入前には結構「たま」の写真を使った可愛い宣伝が目に付いたのに、「たま電車」もそうですが、イラストで「たま」を表象するような小変化が目に付くのです。

実写版はそれはまたかわいい...「たま電車」をはじめ「たま」はキャラクター化

ネコのデザインの新駅舎が完成した貴志駅もそうですが、会社が使う「たま」は、今を生きるネコから徐々にシンボルとしてのネコにシフトしているようにも見えますし、それこそ「その日」が来ることで今の施策が生きてくるようにも見えて仕方が無いのです。

キャラクターへのシフトはここから

そういう証拠といったらうがちすぎでしょうか、改装なった貴志駅のホームに並ぶ3つの祠の一つ、鳥居になんと「ねこ」とあるのです。
残る2つは「おもちゃ」と「いちご」ですが、「ねこ」とはいえどう見ても「たま」を神格化することは、特に「たま」が存命中だけに、特に飼い主に対して配慮が足りない気がします。

問題の祠。真ん中の鳥居に「ねこ」の額が

ついでに言えば、これまで貴志駅に到着して折り返しを待つ間、喉が渇いたり小腹が空いたりしたら「たま」の実家で買い物をするのが定番でしたが、新駅舎が完成した際に、飼い主の実家が入居したのはいいとして、駅舎の反対側の空間に「カフェ」が開店したのです。

駅舎内のカフェ

飼い主の「本業」を考えると、商売敵の出現はなんとも無粋な話と言うか配慮が無い話ですが、ホームの神社、駅の名前が「たまミュージアム」というのとあわせると、なんか「過去のネコ」扱いにシフトしているように見えるのは考えすぎでしょうか。

博物館になった「たま」


●「たま」頼みの陰で
来る客来る客「たま」目当てで、「たま」は「日曜定休」ですよ、と日曜日の訪問を戒める?様な案内まで出る始末ですが、ポスト「たま」を考えた時、沿線の観光資源を掘り起こして、貴志川線沿線へのリピーターを増やす努力が見えないのです。

日曜定休を伝えるポスター

沿線の観光スポットとして、廃墟ブーム?と言われそうな大池遊園しか思いつかない人も多いでしょうが、実際に沿線を見れば、まず目に付くのが「三社参り」として親しまれる日前宮と竈山神社、伊太祁曽神社でしょう。
貴志川線自体、「三社参り」が目当てで建設されたのですから当然とはいえ、電車で回れる強みをもっとアピールしたいですが、どうでしょう。

「三社参り」ではなくとも、日前(ひのくま)神宮、國懸(くにかかす)神宮からなる日前宮(にちぜんぐう)だけでも、延喜式の社格で紀伊国の一宮と、全国レベルの神社ですから、それを生かせないのか。せっかく「日前宮前」という駅もあるのですから。

実はいろいろある旧貴志川町の観光スポット

また、「いちご電車」の名前の由来となった貴志地区のイチゴ狩りにしても、電車とのタイアップがなかなか伝わってきませんし、貴志川のホタル狩りもどのくらいタイアップしているのか。
関西圏からの手軽な行楽圏にあり、ラーメンで名高い和歌山市に直結しているこの路線は、本来「たま」に頼らなくともいくらでも仕掛けが作れるポテンシャルがあるのです。

改装なった貴志駅

日常利用と言う意味では、交通センター前の交通公園なんかは手軽なレジャーの場として、家族連れ、幼稚園の遠足なんかで使われていますが、例の大池遊園なんかもそうした需要に特化して再整備することで、手軽な週末のレジャーとして電車で出かけるターゲットに出来そうです。


●将来像を見る
前述のように吉礼(伊太祁曽)から和歌山寄りはまず安泰でしょう。
しかし、そこから先、貴志までを見ると微妙なものもあります。

もちろん貴志からの利用が比較的多く、漸減型の路線とはいえ、全線利用が一定数いるという恵まれた条件はあまり懸念を感じさせません。

しかし、1996年の吉礼バイパス開通後、1998年に利用数が激減したり、2002年の和歌山市内でのJR線交差の立体化による利用者減少もあるように、道路の改良を機にまとまった減少が見られます。
一方で山東−大池遊園間の崖っぷちの区間は、斜面の補強、養生はされているものの速度制限がかかり、足下の経営状態では新車導入どころか万が一の災害復旧工事の負担にも懸念が出てきます。

がけっぷちの区間

そういう意味では貴志地区からの利用を確固たるものにする努力も必要ですが、一方で微妙に需要地を外している、しかも高低差がある現状は、集客の可能性に自信が持てません。
例えば貴志の市街地は寒露寺前から南にカーブする貴志川線と反対側に位置しますし、しかも河岸段丘の一段下となっています。また大池遊園と西山口のちょうど真ん中に長山団地と言う住宅地が丘の上に向かって広がっていますが、こうした微妙な位置関係で、高低差もある現状で、駅まで歩いてもらえるでしょうか。

西山口駅前から見た長山団地

「たま」需要を抜きにして考えると、よくて現状維持、おそらくジリ貧かと言う状態です。
将来も地域の公共交通の維持を考えると言う意味では、伊太祁曽からバス転換し、長山団地にいったん入り、旧貴志川町中心部までの路線として、需要を拾いに行くと言う手はどうでしょう。
上述の減速区間のメンテナンスは不要になりますし、あとは道路事情ですが、道路は改良されており、まず問題は無いでしょう。

バス化は利用が減る、との大合唱が聞こえてきそうですが、伊太祁曽では電車とバスの対面接続、運賃は完全通算として乗り換え抵抗を極小化すればどうなのか。伊太祁曽で乗り換えになりますが、西山口や貴志で歩かなくて済むというメリットが出てくるのです。

こうした伊太祁曽以西では輸送力が大きい鉄道を活用し、以東では木目細かい集客に徹するといった対策も含めて、モードに拘らずに地域の交通を維持するのかを考えることが、税金を投入しての事業にあるべき姿のはずですが、「宴」の陰でそこまで考えているのか、気になるところです。

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