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おろちループとスイッチバック
使命を終えた鉄道を考える



エル・アルコン  2005年8月22日



※この作品は「交通総合フォーラム」とのシェアコンテンツです。


木次線というとオールドファンには急行「ちどり」などの陰陽連絡線のイメージがありますし、出雲坂根の三段式スイッチバックや亀嵩の「蕎麦屋駅」など話題も多い路線と言うのがレールファンに共通する印象でしょう。
その三段式スイッチバックによる峠越えに並行する国道314号線の改修が完了し、1992年に完成した「おろちループ」と名づけられた2重ループ橋の威容は、木々の間に隠れがちなスイッチバックよりも人目を引きますが、一方でトロッコ列車「奥出雲おろち号」の運転も開始されています。

こうした観光資源を活かして観光列車の運行が始まっていることから、積極性すら感じられるのですが、実態はどうでしょうか。
2004年夏に国道314号線を木次から備後落合まで抜けた際に見かけた「トロッコ八川駅」の案内看板、そして備後落合で接続する芸備線も含めて年々悪くなるダイヤを前にすると、果たしてこの区間、「公共交通機関」として存在しているのでしょうか。

昨年の走破は日没後でしたが、今夏、日のあるうちに現地を見てみました。

道の駅の案内と「トロッコ」三井野原駅の案内(三井野原)
(2005年9月撮影)

特記なき写真は2005年8月撮影
写真追加による一部改稿:2005年9月30日


●現地の実走から
8月の盆休み、昨年とは逆に備後落合から出雲三成に向けて国道314号線を走ってみました。
県境の三井野原やその周辺はローカルながら地元では名の通ったスキー場で、夏草が茂る丘陵がスキー場であることを示しています。
国道はまったく問題ない片側1車線の2車線道路で、特に狭隘区間も急勾配も急カーブもありません。県境の三井野原に来ると、その先「おろちループ」にある道の駅の案内が大きく出て、そこに「トロッコ三井野原駅」の看板が添えられています。
また、手前の油木駅は終点の備後落合が手狭で駐車場が無いことから、トロッコ目当てのマイカー客を狙った「トロッコ&ドライブ」の看板を掲げています。

備後落合駅(2005年9月撮影)油木駅「トロッコ&ドライブ)(2005年9月撮影)

サミットにあるシェルターのようなトンネルを抜けて少し走ると三井野大橋。ここが「おろちループ」の入口です。三井野大橋を渡り切ると「道の駅・奥出雲おろちループ」があります。広島方面から来ると右手が道の駅で、左手は物産館+レストランの施設と分かれていますが、実際には奥の跨道橋で行き来が出来ます。
裏手の高台にある展望台、道の駅の谷側の展望台、そして少し下がったところにある「ループ展望台」、そのいずれもループの全容を見ることが出来ないと言うのが泣き所ですが、それだけスケールがでかい証拠でもあります。

道の駅を望む右手に三井野大橋高台の展望台から見たループ橋

三井野大橋を少し歩いて戻って、千尋の谷底を見ると、2回転して降り切った国道が小さく見えます。
向かいの山肌には木次線の落石覆いや橋梁が見え隠れしていますが、鉄道はループを描かず、ループを取り巻くように山肌を下り、最後は出雲坂根で三段式スイッチバックで一気に降りるのです。

三井野大橋から見たループ山肌に見え隠れする木次線

駐車場に戻る道すがら、道の駅入口にバス停を見つけました。出雲横田から三井野原まで日ノ丸バスが入っており、毎日運行が4往復、平日運行、休日運行各1往復のほか、冬季の平日、それ以外の休日に各1往復と、鉄道の3往復(他に季節運行のトロッコ1往復)よりも多いです。

三井野大橋から見た「奥出雲おろち号」
(2005年9月撮影)
三井野原に向かう日ノ丸バス
(2005年9月撮影)

おろちループを駆け下りますが、伊豆の川津七滝や九州の加久藤ループのように同じ箇所で回っているのではなく、下段のほうが半径が小さく、かつトンネルもあるので二重と言う印象は少ないです。
そして遥かに見上げる三井野大橋をくぐってしばらく進むと出雲坂根。さすがに「トロッコ」表示は無いものの、「延命水とスイッチバック:出雲坂根駅」とあり、駅なのか観光施設なのかはっきりしません。
で、駅舎の写真を撮って一休みしているといきなりその日ノ丸バスが現れましたが、カメラをしまった直後で如何ともしがたく断念。無念です...

ループの途中はこんな感じ出雲坂根駅

八川、横田と進みますが道は順調。横田の手前ではホームセンターとスーパーを軸にしたロードサイドのショッピングセンターがあり、広域的な集客があるようです。実はそのあと三成からR432に入ったのですが、このSCの案内を見かけました。

●木次線の存在意義
奥出雲町の中心である出雲三成、まあ確実なところとして木次以北はそれなりの利用はあるのでしょう。しかし、出雲三成、そして出雲横田以南となると列車は半減するわけで、厳しい状況が見て取れます。

おろちループ見物での利用を勧める掲示(出雲坂根)
(2005年9月撮影)

まさかおろちループ見物のトロッコ列車が唯一の存在意義とは思いたくは無いですが、沿道にある「駅」を示す標識が「トロッコ」や「スイッチバック」と、交通機関として認識されていないとしか言いようが無い状況では、そう考えざるを得ないとも言えます。

三段式スイッチバックから見た出雲坂根
(1988年8月撮影)
木次線からおろちループを見る
(1996年8月撮影)

こうした議論を起こすと必ず出てくるであろうことが、木次線は備後落合で芸備線に連絡している、という陰陽連絡線としての役割です。
確かに、かつて急行「ちどり」が夜行便まで設定して結んでいた栄光は昔語りとなったとはいえ、2004年10月の改正までは備後落合での接続は悪くはなく、数少ないとはいえ木次線の列車は備後落合で三次・広島と新見の両方向との接続は確かに考慮されていました。
唯一難点を挙げるとしたら2001年の改正までは広島朝一番の普通列車で木次線を抜けられたのが、備後庄原止まりに「改悪」されて不可能になったことくらいでしょうか。
とはいえ、私がこの区間を利用した1988年8月と1996年8月のいずれも、青春18シーズンにもかかわらず乗り継ぎ客はささやかなものであり、普段使いとなるとかなり怪しいものを感じます。

急行「ちどり」(1988年8月撮影)

ところが2004年の改正でその細い綱も断ち切られた格好です。
接続時間は軒並み冗長化し、唯一最後まで急行「ちどり」が結んでいた時間帯をなぞる備後落合14時前後の接続だけが残った格好です。
さらに、例の月イチ運休も、木次線の木次以北が第三日曜、以南が第二木曜で芸備線が第一日曜とてんでバラバラで、このルートを辿ろうとすると月に三日通れないのです。
ちなみに芸備線の月イチ運休は2004年の改正でなぜか解消しましたが、備後落合−新見間は逆に月イチ運休や休日運休で確保していた長大間合いを、午前中の列車をそもそも走らせないことで「通年長大間合い」の状態にしてしまいました。

広島支社、岡山支社のキハ120が出会う備後落合
(1996年8月撮影)
木次線カラーのキハ120(出雲坂根)
(1996年8月撮影)

広島をはじめ、芸備線沿線から鉄道で松江方面に抜けるにはこのルートが最短ですが、もちろん広島なら新幹線で岡山に出て伯備線経由と言うコースが最も速いです。とはいえ三次や庄原なら木次線ルートしか取りようが無いのですが、これでは最早「使うな」と言わんばかりのダイヤで、三次から広島−松江などの高速バスを使えということとしか思えません。
もちろんそういう代替ルートで代替しうる流動がほとんどで、陰陽の県境を越える木次線沿線と芸備線沿線と言うような流動は皆無に等しいというのは、R314の空きっぷりからも伺えるわけで、物理的にはルートがつながっていても、実態は各支社最奥になる盲腸線が角を突き合わせているというところでしょう。

●木次線の存廃に踏み込む
それでも沿線の観光資源に支えられて「観光鉄道」として成立できるのであれば、当初の使命は尽きても新たな使命を見出し、それで再生したと言うことで全国のローカル線再生のひとつのモデルケースになりうるのですが、実態はどうでしょうか。

スイッチバックを経て出雲坂根に着く奥出雲おろち号
(2005年9月撮影)
奥出雲おろち号の機関車
(2005年9月撮影)

「目玉」の「奥出雲おろち号」を見ても、広島を8時39分に出る急行「みよし2号」から乗り継げますが、おろちループ鑑賞を終えて木次線で戻るとなると広島到着は23時5分。泊りがけでの山陰観光の往路(復路にあたる備後落合行きは落合での接続が約2時間待ちと非常に悪い)に使ってもらうしかないですが、それでも目的地となる松江や出雲に着くのは夕方です。
今夏、2往復運転を目玉にしましたが、その謳い文句が「広島からの日帰りでの往復乗車が可能」というのは情けないです。

結局、松江や出雲側からの往復で使うことしか想定されていないダイヤなんですが、ドライブの合間にアトラクションで乗ってもらうにも、木次が10時、出雲横田が10時59分では山陽側から来るにはちと早い感じです。(三次ICからR54か、庄原ICからR183〜R314)

観光列車の設定が人口が少ない山陰ベースでは、これではどういう利用が付いているのかが心配であり、興味があるところですが、バスツアーにでも組み込まれているようです。ただこうなると遊園地の鉄道と同類であり、鉄道利用では使いづらいことは否めないわけで、せめて2001年の改正前のダイヤであれば、使い勝手も相当違ったはずです。

団体客が乗り込む奥出雲おろち号(備後落合)
(2005年9月撮影)
奥出雲おろち号のトロッコ部分
(2005年9月撮影)

観光列車で活路を見出そうとしてはいますが、それもいかほどか、となると、いよいよ最後の事態を考えないといけませんが、木次線の出雲横田以南の場合、そのハードルはかなり低いのが実情です。
国鉄末期、並行国道のR314の未整備が理由で廃止対象指定を免れた経緯がありますが、そのR314は天駆ける「おろち」となって木次線を圧倒しています。

在りし日の出雲横田(1996年8月撮影)夏草に埋もれた鉄路を行く(八川)
(2005年8月撮影)

さらに島根県内は木次線を上回る本数の 日ノ丸バス が並行しており(横田−八川は別系統7往復が加わる)、八川や坂根までの所要は長いものの、峠を越えた三井野原までの所要はおろちループの威力でそれまでの遅れをチャラにしてお釣りが来るほどですから、運賃面などに関して対応を取れば、通学の児童生徒をバスに誘導することは可能でしょう。(バスが横田中学校を経由しており、既にバスにシフトしているかもしれない)
※横田管内の日ノ丸バスは、2005年9月30日限りで地元仁多交通に移管されることになった。

 1441D8421レ1447D1449D1453D1451D1457D1461D
(始発)木次木次宍道宍道横田宍道宍道宍道
出雲横田着800105812471513 173619342137
出雲横田発81210591257 1640   
三井野原85111511338 1720   
備後落合91112141358 1740   
 毎日毎日土休休夏平日毎日平冬毎日
出雲横田発718840110812231249150016351738
三井野原743905113712521318152917041807


 毎日毎日土休休夏平日毎日平冬毎日   
三井野原746911114512551326153117091812   
出雲横田着813938121413221355155617341837   
 1440D1446D1448D1450D1454D8422レ1456D1460D1462D1464D1466D
備後落合   917 12351427  1749 
三井野原   940 13001449  1811 
出雲横田着   1013 14001523  1845 
出雲横田発549724846101613251417 1556174918571943
(終着)松江宍道宍道宍道宍道木次横田宍道宍道宍道木次

1461Dは土曜運休、1440Dは日曜運休、8421レと8422レはトロッコ運転日注意(木次で宍道方面接続あり)
バスの「休夏」は4〜11月の土休日運転、「平冬」は12〜3月の平日運転


残る広島県側の油木、備後落合の区間については、日ノ丸バスの延長か、庄原市がコミバスか福祉タクシーで対応すればなんとかなるでしょう。
そしてあまり知られていないルートとして、出雲三成からR432を通り広島県三次市高野町に向かう 仁多交通 と、高野町から三次もしくは庄原を結ぶ 備北交通 のバスの乗り継ぎがあり、このダイヤを手直しすればローカルの県境越え流動のカバーも可能です。
(備北平日はこのほかに便あり。なお高野へは広島から庄原経由の高速バスが来ている)

 仁多  仁多  備北備北備北備北
 毎日  毎日  平土平土毎日平土
出雲三成815  1440庄原 850  1400
高野858  1528三次 10251335 
 備北備北備北備北高野 949113114431459
 平土平土毎日平土 仁多   仁多
高野1100123515001546 毎日   毎日
三次 13431607 高野905   1538
庄原1159  1645出雲三成958   1626


***
マイナーではありますが、それなりに観光資源を抱えており、有名な出雲神話の原点を辿るエリアでもあるだけに、やり方次第ではもう少しマシな状態であったのかもしれません。そう考えると、放置プレイどころか利用を阻害しているとしか言いようの無いダイヤの変遷には驚き、呆れどころか怒りすら禁じえない状況ですが、それでも木次線内のダイヤ自体は単純なように見えて上下の本数が不均衡だったりするなど、出雲横田以北についてはそれなりに考えて作ってはあるようです。

しかし、事ここに至っては、木次線の出雲横田以南について「公共交通機関」として機能しているかどうかは明白と言わざるを得ません。
そういう状況下にある鉄道を維持すべきなのか、そして、それがためにミクロで、そしてマクロで「競合」しているローカルバスの維持コストが高くついている可能性は無いのか。そう考えたとき、何を残して何を切り詰めるのか、事態にはまだ余裕があるように見えますが、今のうちだからこそじっくりと考えることが望まれます。

出雲神話カラーのキハ53(出雲横田)
(1988年8月撮影)





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