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山手幹線を見る
64年がかりで完成した都市間幹線道路



最後の開通区間となった芦屋川トンネル



2010年10月24日、尼崎から神戸・長田まで阪神間を縦貫する都市計画道路「山手幹線」が全通しました。1946年の計画決定以来64年の長きにわたる整備がようやく完成した瞬間です。
戦災復興事業として始まり、1995年の阪神淡路大震災からの復興事業としても重要な位置を占めることになったこの道路を見てみましょう。

写真は2005年6月、2007年4月、12月、2008年3月、4月、2010年11月、2011年1月撮影



●第三の幹線
阪神間の街道筋というと古来から西国街道がその任に当たっていました。
これは概ね今の(R171〜)R43、R2に沿っていますが、神戸市内においては1867年の兵庫開港に伴い外国人居留地が設置されることによる攘夷勢力による混乱を防止するため、灘区から明石市域にかけて六甲山を横断して兵庫港を避けるルートへ付け替えられました。
(この懸念が杞憂でなかった証拠に、1868年に備前藩の行列が三宮でフランス兵との間で衝突した、生麦事件の神戸版とも言える「神戸事件」が発生している)
ただし完成直後に大政奉還となり、官道としての地位を数ヶ月で失ったため今では登山道やハイキングコースとしての「徳川道」として知られています。

阪神間では西国街道は山手と浜手の二手に別れ、浜手側は西国浜街道と呼ばれていましたが、近代国家として発展するとともに、自動車交通への対応が必要となり、大正年間に今のR2となる阪神国道が計画、建設され、1926年に完成しています。

これは当初から阪神国道線の併設が織り込まれていたため幅員は広く、国道電車の廃止後は片側3車線、やがて公害問題への対応などで車線が減らされ片側2車線になりましたが、幅広の歩道や路側帯はその時に減少した車線から捻出されたものです。

さらに戦前、阪神工業地帯の発展に伴い、浜手に第二の幹線道路を建設する都市計画が決定し、戦後の修正でR43「第二阪神国道」が開通しています。
(R2が本来(第一)阪神国道ですが、R2の「2」と「第二」の「二」が混同し、沿線に多い略称としての「2国」が転じて第二がR2という誤解も出てきたことから、近年は「よんさん」という愛称で統一する流れにある)

もともと片側4車線の大幹線ですが、尼崎公害訴訟に代表されるように、「国道43号線」というと公害道路の代名詞的存在になってしまい、震災前から交通量抑制と環境改善を目的として片側3車線への削減が始まり、震災復旧工事も追い風になり、片側3車線で防音壁に囲まれた今の姿になっています。

片側3車線のR43(深江)

そして第三の幹線として期待されたのが、1946年に戦災復興事業として都市計画決定され、R2の山側を並行する山手幹線だったのです。

●長年の奇景
山手幹線の整備は神戸市、尼崎市で先行する反面、西宮市、芦屋市での整備は立ち遅れました。
特に芦屋市はJR芦屋駅北口再開発の一角となる区間しか開通しておらず、阪神間を東西に結ぶ幹線と言いながら、神戸市内、尼崎市内で完結する格好でした。

神戸市内の整備は長田区内の一部を最後に完成したのですが、その整備はまさに行政区界のなかだけは完璧に整備したといわんばかりの状況だったため、JR甲南山手駅に程近い芦屋市との市境で4車線道路がぷっつりと途切れ、正面には芦屋市に属する住宅が塞ぎ、どこにも抜けられない幹線道路が突然途絶えるという奇景が長年続いていました。

神戸芦屋市境の「行き止まり」
(工事開始前は民家が背後に並んでいた)

そのため交通量は特に末端部になる岡本あたりから東側で少なく、みなと観光バスの阪急岡本駅南−六甲アイランド線は山手幹線上でUターンして折り返すという荒業を長年続けてきました。(今はどうなったのか?)

この先行き止まり(本山北町)


●震災を機に全通へ
阪神間の幹線と言いながら長年市境を越えられなかった山手幹線に転機が訪れるのは1995年の阪神淡路大震災でした。

このときR43は阪神高速の倒壊とそれに伴う復旧工事で使えなくなり、東西間の流動はR2が一手に担う状態になりました。もちろん緊急車両、復旧関係車両専用という措置は取られましたが、それすらを捌くことが出来ずにマヒ状態になったのです。
このため大阪と神戸という大都市間における道路交通の不足が改めてクローズアップされ、長年進捗が止まった格好の山手幹線の整備が叫ばれるようになったのです。

まず動いたのは西宮市で、2002年には武庫川の山手大橋が完成し、西宮北道路につながる大沢西宮線以東が全通しました。そして既に整備済みの阪急夙川駅南との接続が翌年完成し、いよいよ残るは芦屋市絡みの区間だけになったのです。

上記の「行き止まり」看板のあったあたり

さらに2004年になると芦屋市域でも工事の進捗が見られるようになり、神戸市境の奇景も徐々に「工事現場」らしくなりました。
芦屋市内の2大南北道路である、芦有道路につながる奥山精道線と苦楽園への宮川線の間にまで伸びた山手幹線は、遂に2007年、「行き止まり」の看板を越えて神戸市とつながりました。

残すは芦屋川区間のみの頃(西芦屋町)

そして西宮市との間も2008年につながり、残すは芦屋川と交差する400mあまりの区間となり、2010年10月の開通を持って全通したのです。

計画決定から実に64年。最後の一押しとなった震災から15年という歳月が流れていました。

●沿線を見る(尼崎市〜西宮市)
全長ほぼ30kmの山手幹線を東から見てみましょう。

山手幹線は大阪、兵庫の府県境から始まりますが、そのスタートは旧猪名川と猪名川に挟まれた中州のような尼崎市戸ノ内町です。府県境の旧猪名川の手前で途絶えていますが、その延長線上に大阪府道があり、最終的にR176にぶつかります。東西の幹線であると同時に南北の幹線を連絡する役割と、阪神間の幹線という位置付けを考えると、本来の起点はこのR176との交差点であるような気がしますし、実際、旧猪名川付近は延伸しそうな雰囲気でもあるのですが、計画上はR176までの区間は別の道路となっています。

山手幹線の尼崎側起点

尼崎市内の山手幹線は「山幹通り」というのも特徴で、神戸市内でも「ヤマカン」「山幹」といわれることは多いですが、あくまで略称のそれが「正式名称」になっています。このあたりは整備が比較的古いせいもあり、関西の都市部にありがちな一般的な4車線道路という印象ですが、整備からの年月のおかげで街路樹が見事に育っており、緑が目に優しいです。

尼崎市内の山手幹線


2002年に完成した山手大橋で武庫川を越えると西宮市。このあたりで東西に走る位置が少し南にずれる格好となり、山手大橋の前後でカーブが入ります。ここからは片側1車線での整備区間。最後まで残った西宮市、芦屋市の区間は片側1車線での整備が大半で、本来の用地を使い防音壁の整備を行うことでプチR43のような景観です。

環境への配慮は万全とはいえ、R2、R43に次ぐ阪神間第3の幹線道路と言う意味ではこの低スペックはどうでしょうか。
後でも指摘しますが、充分な容量を持つ幹線道路を通すことで生活道路に紛れ込んでくる通過流動を撲滅することこそが環境問題の最良の解決法なんですが、中途半端なスペックでは通過流動がすぐ溢れてしまい、生活道路を通ることになるのです。

阪急西宮ガーデンズの南側を通るなど、阪急西宮北口駅南側の商業集積地を通る区間は滞りがちで、このあたりは片側2車線とは言いながら、山手幹線に直接接続する駐車場への出入りが渋滞を生んでいます。
そうした典型が阪急夙川駅南側で、長らく前後の区間が接続しない状態だったため、ちょっと幅の広い駅前通りという感じで街が形成されてしまい、パーキングメーターによる駐車帯の設置もあり、通り抜けるのに苦労する印象です。
ちなみに2003年に夙川以東が完成してからの5年間は、終点から細道を追手前大学脇のJR線踏切を越えてR2に出ていました。

●沿線を見る(芦屋市〜神戸市中央区)
ここから2007年から2010年にかけての「最後の開通区間」となったエリアです。
西宮市大谷町から芦屋市翠ケ丘、親王塚にかけての住宅街は、JRと阪急に挟まれた狭い傾斜地でもあり、正直いっていまさらここに4車線道路なんか通せるのか、という感じでしたが、いざ工事が始まると本当に道路が抜けたわけで、都市計画決定済み区間としての制限があったとはいえ、よく買収できたと感心します。

芦屋西宮市境付近

宮川線からは芦屋市の中でも早期に開通した区間。ただしその初めは芦屋駅北口の再開発に取り込まれた区間であり、再開発ビルであるラポルテの北館と東・西館に挟まれている位置関係でそれとわかります。

芦屋駅前

そして松ノ内町の奥山精道線との交差点から最終開通区間ですが、天井川の芦屋川を越える区間は川底トンネルとなったため、アンダーパスとなる本線との分岐は交差点の手前になります。

芦屋川トンネル

芦屋川には橋がいくつも架かってはいますが、住民への利便性提供もトレードオフとなっていたのか、芦屋川トンネルは二段構造になり、上部には歩行者、自転車道が設置されました。
芦屋川沿いの道との間に高低差をあまり設けたくないのか、人道トンネル入口の位置が高いようで、トンネルとの間に階段、スロープがあることから、斜行エレベーターが設置されているのが特徴ですが、見方を変えればリッチな芦屋ゆえの贅沢な対応かもしれません。

人道部分には斜行エレベーターも


西芦屋町からは2007年に開通した区間。2010年までは南に折れてR2に出ていました。
そして神戸市境に到ると、昔からそこに山手幹線はあったわけで見慣れた光景です。

全線開通前(岡本交差点手前)その全線開通後

摂津本山駅付近では阪急岡本駅との間に広がる岡本商店街のエリアとなりにぎやかですが、このあたりから路側帯、中央分離帯を設置する改良工事が行われた際、駅前の山手幹線で毎年5月に行われるこのあたりでさかんな地車(だんじり)の連合牽き(だんじりパレード)に配慮したのか、本来中央分離帯を設置すべきところ、ちょっとした路地との交差点にまで右折車線を設置することで、ゼブラゾーンと右折車線の連続となり、パレードの舞台が確保されています。

右折車線が目立つ摂津本山駅前

住吉川を越えるとケヤキ並木の緑が目に染む区間。御影の山手は高級住宅街として有名ですが、並木道に小洒落た店が点在するハイソな区間です。

緑豊かな御影付近

そして石屋川を越えると灘区に入り、かつて市電が走っていた区間となります。市街地の形成も古いことから下町的な雰囲気も増えてきます。
大石川(六甲川・都賀川)を渡ると北側に水道筋商店街が並行します。山手幹線もその一部のように商店が増えにぎやかな区間です。
そして王子公園駅のところで阪急と交差しますが、三宮乗り入れを果たした当時からのアーチが綺麗です。

阪急王子公園駅前。山手幹線はアーチの先を左折

さて道なりに進むと新神戸駅南側の布引にいたり、そのままフラワーロードとなり各線三宮駅から税関前に到るのですが、この区間は山手幹線ではありません。この先の加納町3丁目までの区間、こちらを山手幹線とする向きもありますが、正式には布引までが原田線、布引からはフラワーロードとなっており、別の道です。

では山手幹線はというと、阪急のアーチをくぐってすぐ、阪急の高架線沿いに進む道に左折します。
尼崎市内での変則交差点はありましたが、基本的に直進方向に進むだけだった山手幹線にとって最大の分岐がここでしょう。

阪急春日野道付近

ここからはアーチを描いた高架橋の下が倉庫その他になっている、昭和初期の都市部の高架橋の面影を残す阪急線に並行します。
ここから春日野道駅西側までの区間は側道を持つ並木道でひときわ緑が綺麗です。
そして原田線として分けた通りがフラワーロードとなって南下するのと交差する地点が加納町3丁目。ロの字型の大型歩道橋がある交差点として有名なポイントです。

加納町3丁目。この向きだと新神戸方面への右折禁止


●沿線を見る(神戸市中央区〜長田区)
ここからは三宮の市街地の続き。異人館で有名な北野との境ともなっており、沿道にはいろいろな商店が並びます。
加納町3丁目で交差するフラワーロードを皮切りに、北野坂、東門街、トアロード、鯉川筋と三宮を代表する繁華街となっている南北の通りと交差していきます。

道なりに二手に分かれると兵庫県庁。ちょうど県庁を挟む格好で道が分かれ、また合流しますが、このあたりは県庁の庁舎のほかに官公署が集中するエリアです。
ちなみに県庁の南側を通るほうが主要道になってますが、どちらが「山手幹線」なんでしょうか。南側の道は三宮駅前に続く生田新道への連絡線のような感じなんですが。

地下鉄沿線はJRなどから遠くはないのですが、高低差があるせいか独自の駅勢圏を築いています。
やがて賑やかになると有名な福原の北端を通り、湊川公園へ。天井川の暴れ川だった湊川を付け替えた跡地に整備された湊川公園は出自の関係もあって一段高く、山手幹線は公園をくぐります。

湊川公園をくぐる

そこからは住宅地となり、高層住宅が目立つと長田の街に入ります。
山手幹線の終点は長田の商店街の入口。しあわせの村方面から降りてくる通りとぶつかって終点ですが、その通りもすぐに神戸高速が地下を走る大通り(大開通り)と交差するため、ちょっとした広場のような印象です。

長田交差点のすぐ北を右折して尼崎まで続く

「山手幹線」としての終点がどこになるのか。道路的にはしあわせの村からの通りにぶつかる地点ですが、制度上はそこからわずかに南下して長田交差点までのようです。
道路の性格としては、そこから須磨駅そばまで続く都市計画道路に合流してもいいようにも見えますが、こちらは三宮駅前から続く中央幹線という位置付けで、山手幹線は六甲の山並みも低くなる長田の街で終わるようです。

●山手幹線をどう生かすか
64年の歳月を経て完成した山手幹線ですが、上述の通り西宮、芦屋市内で片側1車線で整備されてしまった区間を抱えたことは、阪神間の幹線道路としては力不足という問題を抱えることになりました。

実はR2とR43の間に鳴尾御影線という通りがあり、その名の通り神戸市と西宮市の間を縦貫していますが(厳密には夙川を越える橋がない)、ところどころバスが走るとはいえ片側1車線の生活道路であり、幹線道路としては使われていません。

鳴尾御影線(深江付近)

山手幹線が鳴尾御影線と同じ位置付けであれば西宮、芦屋市域での整備方法も問題ないのですが、実際にはR2、R43に次ぐ幹線道路としての役割が期待されている道路であり、片側1車線整備区間においては歩道と車道の間にR43ばりの防音壁も立ち、かえって生活空間が山手幹線の南北で分断されている感じでは、中途半端に幹線道路を整備してしまった格好です。

また最後の開通区間となったエリアでは、開通により住宅街にクルマが来るという心配をしていましたが、それは全く逆であり、充分な交通容量を持った幹線道路の開通は、生活道路から逆にクルマを吸い上げる効果が期待できるわけです。

芦屋川区間の完成前はこうした生活道路に...

実際、整備が遅れた芦屋市域では、山手幹線が途絶える神戸市からの流動がR2まで総て降りずに、生活道路を縫って芦屋市内に入るケースも少なくありませんでした。
これは阪神間に多い天井川を越える箇所が限定されることからR2などの橋の箇所が混み合うことへの回避行動もありますが、芦屋市の山手側が目的地の流動はわざわざ降りずに山手の生活道路を走るというまあ当たり前の行動も多かったわけです。

阪急芦屋川駅北側の道路

山手幹線があればわざわざすれ違いに苦労する生活道路(特に阪急北側)に入る必要もないわけで、全通後は生活道路に向かうクルマはばったり消えました。

ただ、そうは言ってもR43のように大型車天国というのも沿線の雰囲気と相容れないわけで、闇雲の通過流動を招き入れることは避けたいです。
そういう意味では大型車の通過流動は阪神高速、特に湾岸線に誘導し、山手幹線は普通車中心の利用を図るといった、平時は車種別、目的別の使い分けを3つの幹線道路間で分担する必要があるのではないでしょうか。

もちろん震災のような有事には重量貨物の通る重要幹線として機能するのですが、平時には街区のイメージに合わせた使用に徹する。そういった利用法が確立することで、バイパス道路に対するアレルギーを減殺するモデルケースとして機能していくことも考えられます。






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