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交通におけるマナーを考える〜その8
携帯用端末に必要なルールとマナー
「光」と「振動」という迷惑





●携帯電話とは比較にならぬ時代へ
かつて携帯電話が普及しだした頃、電車内での使用に関して心臓ペースメーカーへの悪影響を理由に電源を切るように各社が「お願い」していました。

通信に伴う電波が悪影響を与えるという建て付けだったと記憶していますが、いつの間にか優先席でこそ電源オフだが、それ以外では通話のみ「禁止」となっており、そもそもの「影響」の問題はどうなんだという疑念を抱かせる対応です。
このあたりは通信用機器の電源オンの一切を禁止することを徹底している航空機の対応が筋も通っているわけで、悪影響なのか単なるマナーなのかはっきりしないなし崩しの「ルール」となっています。


この頃は携帯はまさに通話が主でしたが、メールが主流になるにつれて優先席での電源オフを除けば使用に関する制約は無いも同然となりました。
さらにインターネットの閲覧、ワンセグによるテレビの閲覧、音楽ソフトのダウンロードによるポータブルプレーヤーとしての利用など、携帯の利用法は多岐にわたるようになりましたが、「規制」としては通話の禁止のみという状態であり、完全に時代に取り残されている格好です。

そしてスマートフォンやタブレット端末の普及やDSやPSPといった携帯用ゲーム機の普及が進み、電車内において多種多様な「楽しみ」が溢れているのが現状です。

●徐々に批判対象に
しかしそれは当の本人にとっては楽しいかもしれませんが、周囲にとっては迷惑でしかないことも事実です。既に2010年度の「電車内での迷惑行為ランキング」では、2位の携帯電話の通話だけでなく、13位に携帯メールやゲームの操作音が10.6%の支持を集めており、それぞれ前年度の4位、15位からランクアップしてきています。

そもそも電車内という公共空間において何をしても許されると言うものでないことは言うまでもありません。そういう意味で昔から言われる女性の化粧(今回も8位でした)に対する批判は、公私の別を弁えないものとして根強い批判がありますが、携帯用端末による娯楽も、お茶の間や個人の居室の延長線に他ならないわけで、女性の化粧を批判する論理はそのまま携帯用端末の使用そのものに当てはまるのです。

このあたりは「してはいけないこと」を制限列挙をせざるを得ない規制に対し、あまりにも多様な利用法が氾濫したことで全く対応が後手に回っていることもありますが、同時にあまりにも多くの人がこれらの娯楽に親しんでいるために、規制がマナーとして成立していない面も指摘できます。

しかし、みんながやっているから、といって肯定していいものなのか。
俗に聞く「みんなやっているから」「迷惑をかけていないでしょ」という主観的基準は、言い訳というよりも厳しい言い方をすれば「俺様ルール」に他ならないわけで、公共空間として他の行為に対して批判を加えるのであれば、同様にみんなが楽しんでいるとしても公共空間に相応しくない行為は禁止すべきものです。

●ゲーム機の操作を巡る迷惑
今回合えてマナー論としてこうした携帯用端末を槍玉に挙げたのは、光、音、振動という影響が明らかに出ているからです。人間同士乗り合わせたら我慢すべき、という問題ではなく、娯楽に興じると言う個人的事情で他人に影響を与えているに過ぎない事象は、「それくらい我慢すれば」と主張する正当な理由をもちません。我慢したくないのも個人的事情ですが、能動的な影響を与えて、我慢と言う受動的な事象を強いると言うことは間尺に会わないのです。

こうした「迷惑」で最近特に気になるのは、ゲーム機の操作でしょう。特にPSPが顕著ですが、ボタンを押すときにカチカチと音がするわけです。若手とはいえいい年をしたスーツ姿の大人が一心不乱にゲームに興じる姿はいかがなものかとも思いますが、特に静まり返った通勤電車でカチカチという音が響くのは耳障りです。

さらに構造的な問題として、両手でゲーム機を握り締めて、両親指で激しくボタンを叩くことが指先だけの動きで収まることは少なく、勢い腕全体、甚だしいケースでは全身に力が入ってしまうケースも散見される、というか迷惑を被ることもあるわけです。
特に密着しやすい着席時にはその震動は響くわけで、一定のリズムならまだしも、不規則に、かつ時折は連打と妙な震動は不快そのものです。
おそらく本人は気がついていないのでしょうが、言うなれば貧乏揺すりと大差がありません。

●見たくないものを見るという迷惑
このほか、気になるのは電子書籍やゲームの画面そのものです。
バックライトがあり光源そのものというわけで、どうしても目に付きます。しかもゲームの場合は画面に動きがあるわけで、いわゆる「チカチカする」状態です。

余談ですが光に関する「迷惑」についてはあまり顧みられることが無いようで、画面の高性能化に伴い、屋外のディスプレイが超大型テレビと化したため、かなり離れたところの画面の動きが目に入り、本能的に注意が向いてしまうことが時折あります。
これも広告としてはアイキャッチ能力に優れていて優秀なんでしょうが、迷惑な話です。しかもパチンコ屋程度だったり、もともと広告が氾濫している繁華街ならともかく、電照広告の類が少ないところに新設されているのは、光の暴力と言えます。

ヘッドフォンの音漏れに始まった音を巡る問題と違い、目に関しては古くから本を読む、新聞を読むと言う行為が当たり前にあっただけに、それが携帯用端末になっただけで目くじらを立てるのは神経質に過ぎると言う批判もあるでしょうが、本や新聞と違い、光源としての積極的な発信があることで、周囲の迷惑になる度合いは全く異なるのです。

特に携帯の小さな画面のときはチャチな覗き見防止シートで見えなくなるように、隣人であっても視野に入りにくかったものが、画面が大きくなることで必然的に視野に入ることが増えてきています。
またE233系やE531系のように網棚が不透明になり、着席部分の照度が落ちている車両では、光源としての携帯用端末は目立ちます。

電子書籍や携帯用端末での新聞閲覧は紙ベースの時代からの継続性を考えると容認すべき話かもしれませんが、その一方で他人への迷惑に対して書籍や新聞も配慮してきたことを考えると、他人への影響が無いレベルで無い限り、紙ベース時代のようには行かないと認識すべきでしょう。

ちなみにスポーツ紙の最終面は今でこそ「ダブル1面」と言われるようにメイン記事が飾りますが、その昔は最終面を宅配では一般紙同様ラテ欄とし、駅売りはお色気コーナーにしていました。
しかし最終面だと電車内でそうした記事を見たくもない人の目に入りやすいと言う批判があり、このページは中面に移動し、最終面が空いたことで現在の紙面になったのですが、これが「他人が見たくも無いものを見せられる」迷惑への配慮ですし、日経が混雑する車内でスペースをとらずに読めるように、レイアウトを縦2つ折りで読めるように変更したのも迷惑への配慮と言えます。

●「家でやろう」
かつて携帯の規制を巡っては、仕事や連絡などの必要性を盾にした規制に対する批判がありましたが、昨今の携帯用端末は、必要性を問う以前の、個人ベースでの娯楽に偏重しています。
公共空間での個人の楽しみがどこまで優先されるか。それを考えたとき、今の状況はあまりにも野放図と言うか、モラルの欠如すら見て取れるわけですし、本来こうした「公共性」にうるさい向きも、自分たちの行動そのものに影響するとあってか音なしと言うのでは、底が知れた感じです。

一昨年の東京メトロのマナーキャンペーンで、「家でやろう」と言うシリーズがありましたが、こうした携帯用端末の使用そのものが「家でやろう」という意識をまず持つべきかと思います。





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