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交通におけるマナーを考える〜その7
携帯電話と会話の迷惑
「音」を巡る迷惑行為を考える



車内の迷惑行為というといろいろありますが、その上位に必ず上がるのが「音」を巡るものです。
しかし、その「音源」にもいろいろあるわけで、迷惑行為として気をつけたいものもあれば、社会通念上ある程度は受忍すべきものもあります。
今回はその「音」について考えてみました。


●車内の迷惑行為
民鉄協会が毎年発表している「駅と電車内の迷惑行為ランキング」、直近となる2009年度はトップが「騒々しい会話、はしゃぎまわり等」で、次いで「ヘッドホンからの音漏れ」が2位に入り、携帯の着信音や通話も4位に入るなど、音に関するものが上位を占めています。

前年2008年度の1位が「座席の座り方」だったのですが、音に関するものがランクアップして上位を占める結果には、車内で何を迷惑に感じるかの傾向がはっきりしてきているようです。

このあたりは携帯の普及に加え、携帯型音楽機器の普及も寄与していると見られますが、新しいツールの普及に連動するという意味では15位の携帯メールや電子機器の操作音に加え、今後は電子書籍など「光」を巡る問題も上位に入って来ることも想像されます。

●多発するトラブル
こうしたなか、携帯電話を巡るトラブルも多発しており、乗客同士の諍いにも発展して、中には事件になることもしばしばです。
2010年11月には千葉県船橋市内を走るバス車内で携帯電話での通話を注意された女性が逆ギレの挙句、車内で催涙スプレーを噴射して逃走。翌日逮捕されるという事件もありました。

このあたり、携帯電話に対する対応としては、はっきり言えば初動を間違った感があります。
「音」に関する迷惑行為として規制すべきところ、そこまで踏み切れないということで、ペースメーカーの誤作動を理由にしたわけです。

そのため規制の根拠が不明朗、誤作動の可能性はあるのか、と言う疑問をさしはさむ余地を残してしまい、根拠がおかしいと携帯使用を正当化する向きも出ているわけです。
一方で人の生き死にに関する誤作動問題を前面に押し出したため、車内での携帯使用に対して積極的に咎める人も一部には存在することも事実で、根拠に疑義を感じる人との間ではまさに正義漢の対立となってしまい、車内トラブルに発展するようです。

そもそも誤作動問題をおどろおどろしく前面に出すのなら、音が出ないだけのマナーモードやメールの使用も厳禁ですが、優先席以外ではOKというあたり、この理由のあやふやさを表しています。
ちなみに優先席付近の使用禁止ももっともらしくみえますが、では障害者など優先席を必要とする人はメールも含めて車内で携帯を使えないという問題もあるわけですが、その問題にはどの事業者も頬っかむりしているのが現状です。

●では会話はどうなのか
上記の事件では犯人が最初に通話を注意された後、バス車内で「会話もうるさいんだから注意しなさいよ」と逆ギレしていたわけですが、「あっちはどうなのよ」「みんなしてるでしょ」で自己正当化を図る大阪のオバちゃん論理は通用しません。周りも悪いかもしれませんが、まず自分が悪いのです。

しかし確かに上記のランキングで堂々の?1位を占めるに至るように車内での会話もまた迷惑に感じることも多いです。
特に中高年のグループと乗り合わせると最悪で、宴会場か何かと勘違いしているのか、というような傍若無人な振る舞いも多々見受けられます。

しかし会話に関しては難しいところがあるわけで、連れがいるのにお互い押し黙って乗車すべきとなるとこれはどうでしょうか、という話になるわけです。連れがいるのに会話もしないという方が社会通念上「異常」であり、一切の会話を禁じるわけにもいきません。

このあたりがそこにいない人と会話をする携帯との違いであり、他人に聞こえる「独り言」のほうが「異常」である社会通念を踏まえると、携帯が槍玉にあがる理由もむべなるかなです。

●常識と自覚
このあたりは本来常識で判断すべきですが、昨今はその「常識」というものが存在しない、通用しない傾向があり、そうした不文律というものが理解できない人も多いので、事細かにルールの形で規定しないといけないようです。

そういう意味ではこの問題は難しいわけで、会話の一切を禁じることはかえって非常識ですし、迷惑に感じるのは会話の音量や内容ですから、同じように見えても迷惑になったりならなかったりと、明文化した規制に馴染みません。

先日新幹線に乗った際、数列離れたところの中年女性のペアの会話が、いわゆる頭のてっぺんから声が出るというタイプで響き渡るわけで、非常に耳障りでした。
しかし途中で乗って来た男女はもっと近くに座って会話を楽しんでいたわけですが、声が響かず気にならないわけです。

自覚があれば前者は会話を控えめにして然るべきですが、おそらく自覚は無いでしょうから、注意しても「なぜアタクシたちだけが」と食ってかかるんでしょう。

そもそも世の中のマナーに属する部分の多くが自覚に訴えるものであり、さらに言えば他人がどう思うか、感じるかという「気付き」でもあります。
そこが欠如している傾向が強い昨今ゆえ、問題となるケースが多いということでしょうか。

●不寛容による「迷惑」の創出
一方で「音」を巡るトラブルの中には本来一定の受容をすべきものもあるわけです。

携帯にしても操作しているだけで食ってかかる厳格な正義感を持つ人もいるわけですが、車内での使用、通話でもある程度容認すべき事情やシチュエーションもあるわけです。

このあたりはまさに「常識」の範疇でもあるわけで、「何分の電車に乗った」「遅れますので何分ごろになります」といった連絡はたいがい通話でないと成り立ちませんし、乗らないと正確な連絡ができません。
ダイヤ乱れの時や家路が心配な夜間の車内ではこうした連絡まで咎めるのが「常識」なのかどうか、ということになります。

さらに言えば、1位の「会話・はしゃぎ」が念頭に置いているであろう子供、特に乳幼児の声や泣き声に対する不寛容もどうでしょうか。

親の躾を云々する手合いも多いこの問題ですが、そもそも押し黙る子供のほうが「異常」というのが社会一般の常識ではないのでしょうか。

「公共」交通においては社会のあらゆる層がストレスなく使えるユニバーサルデザインが求められますが、分別のある大人のマナーに属する「音」の問題と、子供のはしゃぎ声、乳児の泣き声を同一視することに違和感を感じます。すなわち、障害者に対するバリアフリーと同様、老いも若きも利用できることがユニバーサルデザインであり、この手の不寛容は年端の行かない子供に無体な要求をするものです。

乳児の泣き声を親が気にして公共交通の利用を敬遠する。甚だしい例になるとうるさいと注意されてしまい公共交通はもう利用しないと考える人もいるわけですが、そうした不寛容な態度をとる人は往々にして車内で傍若無人な会話を楽しむ世代とラップしているように見えるのは気のせいでしょうか。

東海道新幹線ではこの年末、ファミリーで気兼ねなく乗れる車両の設定を旅行商品の形で設定していますが、そうしないと安心して乗車できないという家族が増えている現状こそが憂うべき事態です。

●どうやって回復させるか
しかし難しいのはどうやってマナーを浸透させ、アンバランスを解消するかです。

携帯のメールにしても、携帯ゲーム機もそうですが、操作時の身動きや振動が意外と障るわけです。しかし直接的に他人に迷惑をかけているのに乳幼児の泣き声ほどにも問題にならないのは、みんながやっているからという一億総大阪のオバちゃん状態に過ぎないわけで、ある程度のガイドライン、ルール化をすべき時期に来ています。

そして他人への、他人からの注意干渉を極端に嫌う昨今の風潮のなかでは、この手のルール違反、マナー違反を乗客相互で咎めるのではなく、事業者側がきちんと目配りすべきことと言えます。

このあたりは法令のサポートがあるという重みと強みはありますが、航空機での禁止事項の周知と制止に見る客室乗務員の対応がその対極として存在します。
搭乗してまず機内で「航空法による禁止事項」を例示し、携帯やゲーム機の使用に対する注意を積極的に行っていますが、乗客はそういうものだと容認しているわけです。

航空法での規定ということで注意を受け入れている面が大きいのですが、それでもやはり事業者側がきちんと目配りをしているということで、規制が有名無実化していないとも言えます。

そういう意味では、鉄道やバスにおいても、乗務員や駅員などがきちんとこの手のルール、マナー違反に対して注意をしていくということが大切ではないでしょうか。
きちんと目配り、注意をしているという意味では、阪急電車くらいでしか見たことが無いのが現状ですし。







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