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明石海峡波高し
明石−岩屋高速船の営業休止


エル・アルコン  2006年5月2日

明淡高速船(明石港)



※この作品は「交通総合フォーラム」とのシェアコンテンツです。

写真は2006年5月撮影

2006年5月29日、11月12日、12月3日 補筆


2006年4月26日付の神戸新聞 は、明石と淡路島の岩屋港(淡路市)を結ぶ明淡高速船が、不採算と原油高による燃料費高騰を理由に5月中にも運航を休止すると伝えました。

明石駅前の淡路島航路案内

1997年の明石海峡大橋開通以降も、従来のメインルートであった明石と岩屋の間には播淡聯絡汽船と淡路連絡汽船の2社による高速船と、もともとは日本道路公団による海上国道(国道28号線)としてのフェリーボートを前身とする明岩海峡フェリーによるカーフェリーが残りました。しかし経営が悪化し、明石海峡大橋建設特別措置法による救済が切れる2000年に、高速船を運航する2社は共同で明淡高速船を設立し、明岩海峡フェリーは自治体の出資を仰ぐ第三セクターの明石淡路フェリー(たこフェリー)としてそれぞれ再出発しています。あとは西海岸の富島への淡路ジェノバラインで明石港から出ている淡路航路の総てになっています。

港近くの交差点名に残る「播淡汽船」の名

明石海峡大橋開通前は、旅客は高速船、クルマはフェリーと役割分担がはっきりしており、フェリーは高速船が運航しない深夜帯を除けば旅客だけの利用を認めていませんでした。
ところが大橋開通後の利用の激減、会社の再出発という事態に、この「紳士協定」はご破算となり、たこフェリーも旅客だけの利用が可能になるとともに、船体に描いた明石名物の「たこ」(ただし3隻中の1隻のみ)や河内屋菊水丸が歌うテーマソングといった派手な宣伝で少ないパイを奪い合う格好になっています。

たこフェリー(岩屋港)

こうなった原因はいうまでもなく明石海峡大橋の開通です。
本四架橋3ルートに共通する問題として、建設費償還を考えた通行料金設定が、航路の採算ラインを上回ってしまったことから、本来架橋に道を譲って姿を消すはずの航路が存続したばかりか、架橋ルートに対して競争力を持つ料金の設定が可能になってしまいました。そのため本四架橋が本来担うべき利用を食われてしまい、建設費の償還計画を歪めてしまったため、結果として道路財源を原資とする税金の直接投入により累損を解消しています。
経営の自由はあるとはいえ、民間の手には絶対に負えない巨大プロジェクトの収支を歪めることまで容認できるのか、難しいところです。特に本四架橋が値下げを実施した際に、一部のフェリー会社が半ば挑発的にそれをさらに下回るように値下げを実施したようなケースは、ある意味「不当廉売」といえるかもしれません。

底引き網漁を交わして進むそのせいで淡路島側ギリギリを航海することも

今回の舞台となる明石海峡ですが、明石海峡大橋経由の高速バスが好調ということもあり、船が使命を終えるということも止むなしといえるかも知れません。
ところがここで問題なのが、航路と架橋の位置の不一致があります。淡路島側の淡路ICは岩屋から程近く、ICを降りたバスが岩屋港のバスターミナルに入ってきていますが、本土側は舞子に取り付いています。高速舞子を利用できる高速バスは乗り換えが入るとはいえまだマシで、クルマの場合は舞子では降りられず、垂水ICで降りるか、垂水JCTを経由して第二神明北線経由で長坂IC、もしくは玉津ICで降りるしかありません。対明石市で見た場合、いったん内陸に入り、道路事情が良くない一般道をかなり走らないと明石市中心街に着かないというのはネックでしょう。

高速船乗り場出札では淡路交通バス連絡乗車券も発売

明石海峡大橋の開通までは、淡路島への玄関口は明石であり、明石の商業と淡路島も密接に結びついていました。ゆえに明石からの航路の利用も少なくなったとはいえ、まだまだ無視できる数では到底ないのが事実です。
また、海峡を挟んだ岩屋(淡路市。かつての淡路町)は、バス便で淡路島島内各地からの明石への需要のゲートウェイというよりも、両岸経済圏ではないですが、岩屋それ自身の明石との結びつきが強いことも覗えるわけで、航路を全廃するというわけにはいかないのです。

岩屋港入港岩屋港停泊中の高速船

さて、こうしたパイが激減した状況下で、高速船とフェリーの両刀遣いというのが正しい選択だったのかという問題がありますが、本来ならクルマと旅客の両方に対応できるフェリーを残すべきだったのでしょう。実際、自治体出資の第三セクターにまでして存続させているのですし、所要時間も高速船が13分、フェリーが20分と大差がないのが現実です。
ところが過去の経緯で、旅客は高速船という棲み分けがあったため、フェリーの乗り場は明石、岩屋とも駅やバス乗り場、中心街から離れています。いまさらフェリー用の設備を移設するわけにも行かないですし、資金もありません。
だいぶくたびれてはいますが明石の商店街も高速船の桟橋に向かって伸びてますし、岩屋の中心街も高速船の桟橋に近いですから、こうした商工業への配慮も必要です。

有名な魚の棚(うおんたな)も桟橋への沿道に桟橋から明石駅方面を見る

こうした帯に短し、というような状況で、明淡高速船は休止日を5月29日と発表しました。自治体などの支援があればという留保は付いていますが、過去の話し合いでは折り合いが付いていないと明言しており、また自治体はたこフェリーの出資者でもあることから、両社とも支援となるかは望み薄のように思います。
もともと特別措置法での対応が出来た時期に、フェリーと高速船の位置を揃えておけば問題はなかったのですが、このままだと明石はともかくとして、岩屋はフェリーを下りても西浦線以外のバスは来ないし、P&Rの駐車場も高速船桟橋というという不便な状況に追い込まれます。
取り敢えずの応急処置として、縦貫線系統や海峡シャトルを淡路IC〜道の駅経由に変更すれば、フェリー乗り場を経て現行ターミナルに入れます。
ネックになるのは所要時間増と、縦貫線が1つだけ変更すると対応できない停留所があることですが、そこにさえ意を尽くして説得すれば、何とか船車連絡の糸は切れません。

桟橋側から見た岩屋ターミナル内部

橋と船、そして船同士。少ないパイ、少なくなったパイを食い合うだけの競争の末路と簡単に斬ってしまうにはあまりにも寂しい「歴史の終わり」です。


【2006年5月29日補筆】
5月29日での休止を発表した後、会社と地元自治体との間での折衝が続いていましたが、兵庫県、明石市、淡路市からの支援策の提示があったことを受けて、5月19日に取り敢えず 年末までの運行を継続することを会社側が発表 し、ギリギリのところで5月中の休止は回避できました。

支援策の内容は、明淡高速船による航路存続への調査検討業務に補助する体裁となり、明石、淡路両市が折半することのようです。
このほか、収益改善策として明石市と明淡高速船で、高速船3隻のうち1隻を使っての観光クルージングの新規事業案について別途合意し、7〜10月の日祝日に1日2便と平日のチャーター便で運航するとしています。

ただ、明石がベースでの観光事業の先行きは不透明であり、かつたこフェリー、明石大橋経由のバスとの競合という根本的な部分の問題解決策ではないため、恒久的に支援をする心積もりで無い限り、同じ問題が起こりうることは確かでしょう。

ちなみにたこフェリーですが、2005年度決算で第三セクターとして再出発後初の赤字転落と「健闘」しています。
今回の赤字転落は原油高による燃料費高騰が主因ですが、ここまでの黒字は発足当初の年間利用者49万人を77万人にまで伸ばす営業努力が主因です。ただし、明石大橋の値下げに対抗した値下げの影響で利用者増にもかかわらず収益は変わっておらず、あおりで明淡高速船を食って同社が存亡の縁に立たされるなど、需要に必ずしも見合っていない供給による無理な競争が何をもたらしたのかを考えることこそが、今後恒久的な航路存続や再編を目指すうえで必要になるでしょう。

余談ですが、この文章のファイル名を「meidan」としていますが、社名は「meitan」です。
ただし、淡路島の合併前の自治体などで「淡」を使うときは、「dan」として濁っていました。


【2006年11月12日再補筆】
2006年10月の下旬、各紙が明淡高速船の運行が年末まで終了すると 報じて います。
上記の通り年末までの運行を継続することで合意していましたが、地元の支援策では継続が困難というのが理由のようです。
すでに観光クルージング事業は10月29日の運行を持って終了しており、リピーター向け施策であるポイントカードの取り扱いも同日付を持って終了するなど、利用促進の取り組みの手仕舞いは、重大な局面を迎えたことをうかがわせます。
前回の例があるだけに事態はいまだ流動的ですが、時限的な存続の区切りでもある時期だけに、存続は厳しいと見るべきかもしれません。

【2006年12月3日再々補筆】
2006年11月30日に、明淡高速船の事業を、明石-富島間で航路を経営する淡路ジェノバラインが継承することが決まり、明石市役所で合意書を取り交わしたそうです。( 神戸新聞記事
明石港の施設と、高速艇1隻をジェノバラインが明淡高速船から購入することになっており、休止期間をおかずそのまま運営者が代わる格好です。

ジェノバラインは大阪の服飾、宝飾メーカージェノバの子会社。なぜ淡路へのマイナー航路か、というのは社長が淡路市在住、さらに旧北淡町に同社系列のリゾートホテルがある縁となっているようです。
ジェノバラインとして富島航路を引き継いだ際には、船舶が小型過ぎて荒天時の結構率が高く、経営が極めて苦しかったようですが、補助を受けて大型船を就航させてからはどん底からは脱したようです。



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