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トップダウンで消え行く鉄路
「廃止」公約の市長を迎えた三木鉄道
兵庫県の東播磨地区を走る全長6kmあまりの小鉄道、三木鉄道。
旧国鉄の三木線が特定地方交通線として廃止対象となり、地元の出資による第3セクター鉄道として再生したのが今から21年前の1985年のことでした。
もっとも状況が厳しい第一次廃止対象路線に数えられていた三木線が鉄道としての存続の道を選ぶ反面、第二次、第三次の廃止対象路線ですらバス転換の道を選んでいるだけに、この小さな鉄道がこれまで続いてきただけでも立派なのかもしれません。
しかし、2006年1月、改革を唱える新人が市長に選ばれた時、この小さな鉄道の運命は急転しました。700億円の負債を抱える三木市の市長選において、「三木鉄道の廃止」がその公約になったのです。
国包駅を出て厄神に向かう列車 |
写真は2006年2月および5月撮影
2006年12月3日 補筆
●運命の暗転
おりしも前年、2005年12月の三木市議会本会議で市は、今後3年以内に廃止か存続か、新たな交通手段を導入するか、結論を出したい、と答弁しており、05年度末の累積赤字が2億3000万円に達した三木鉄道の存廃がクローズアップされてきました。
とはいえ年間の赤字額は6000万年程度であり、市の財政を圧迫していると言う認識がいまいち起こりにくい数字だったのかもしれません。
この時、いわゆるレールバスでの運行の延長線として、DMVでの運行などある程度積極的な施策で収支改善を図る案も出るなど、鉄道廃止にまで至ると言う感じはしなかったのですが、年が明けての市長選、その47歳の若手新人、薮本新市長の当選は、三木鉄道の「廃止」が市長の「公約」と言う重みとともに急に現実のものとなってきたのです。
別所駅 |
●県の「当惑」
4月の定例会見で兵庫県の井戸県知事が、三木市に次いでの大株主として廃止に慎重な姿勢を示したと伝えられました。しかし、「経営は厳しい状況に置かれている。問題は利用者が、三木鉄道に対してどこまで期待してくれているか。どんなに車両をよくして、本数を増やしても利用していただけなければ、存在意義がない。」というコメントには、三木鉄道が「使命を終えた」のであれば廃止も吝かでないとも取れるものであり、沿線の利用が存続の鍵を握っていると言えます。
高木駅にて |
●三木鉄道の経緯
もともと加古川水運を代替する形で、大正年間に今の加古川線、北条鉄道、旧鍛冶屋線(廃止)、旧高砂線(廃止)とともに播州鉄道として成立していた経緯があります。三木市も加古川水系の美嚢川に面した街であり、その流れで加古川、高砂を向いた交通がまず拓かれたのです。
鍛冶屋線(1987年3月撮影) |
三木市は秀吉の中国攻めでも「三木の干泣かし」として有名な三木城を要する東播の要衝ゆえ、商工業、特に金物生産で有名であり、三木への支線が早い時期に完成したのも頷けます。
区間開業時の終点だった別所駅 |
三木線は短い路線ながら、1916年に厄神(1916年までは国包を名乗る)−別所、翌年に別所−三木と区間開業しています。
転換の時まで列車は加古川に直通しており(その名残が加古川線の厄神折り返し列車)、また、金物を中心とした小荷物輸送は結構堅調だったようです。
三木駅舎 |
年代ものの三木駅舎の左手に今風のモルタル作りの三木鉄道の建物がありますが、これは国鉄時代の末期に新築した小荷物扱所の転用。このあたりもそれなりに実力はあったが、距離が短いため平均利用距離などの例外規定にことごとく縁がなかった三木鉄道の悲しさであり、一方で第一次対象ながら鉄道で存続が可能だった理由でしょう。
旧三木駅小荷物扱い所 |
●三木鉄道の「意義」
しかし、1937年に神戸電鉄が開通して以来、三木線の運命は定まったかのようでした。
県都神戸へのルートとして最短距離で結ぶ神鉄に対し、実に四角形の三辺、どころか三木から厄神は神鉄と反対方向、つまり神戸の逆側に向かいますから、三辺半を進む感じです。
美嚢川を渡る神戸電鉄 |
これでは加古川で山陽線に乗り換えと言うこともあり競争力がありません。
昔ながらの水運つながりに期待といっても、加古川市や高砂市との結びつきはさほど強くありません。神鉄開通以降、東播地区でありながら、播州よりも神戸を向いており、学区も違うことから、流動に多くを期待できなかったのです。
国包駅 |
さらに転換により、レールバスと言う軽車両の乗り入れが出来ない上に、駅経費の負担問題などもあるのか、三木鉄道と加古川線はダイヤを分断したばかりか物理的にレールを切ってしまいました。三木から加古川までの短区間で乗り換えが必要。さらに山陽線に乗り換えで、運賃は三木鉄道とJRで別々となっては競争力はさらに失われました。
三木駅停車中の列車 |
●三木鉄道の現状
では、現在の三木鉄道を見てみましょう。
国包、石野、別所の3駅しかなかった中間駅を宗佐、下石野、西這田、高木と増設し、平均駅間距離は800m程度です。全線単線。交換駅はありません。ただし、三木駅は1面2線の使用が可能になっており、これにより厄神での加古川線接続に柔軟な対応が取れるダイヤが組めるようになっています。
三木駅構内 |
新設された駅は今風の簡素な駅ですが、元からある駅は重厚です。播州平野の東端をレールバス、と言っても現在は鉄道車両然とした気動車がのんびり走っています。
新設駅の様子(宗佐) |
乗車してみて気づくのは、中間駅からの利用がそれなりに目立つこと。駅の増設が奏功しているともいえますし、本来人口集積から圧倒的な利用があっておかしくない三木駅の利用が少なすぎるから目立つだけともいえます。
沿線は国包と高木を除けば家もまばらで、県道も完全並行。その意味では「使われている」のかもしれません。
三木鉄道車内 |
沿線は東播の田園風景。観光資源にしても三木城関係のどちらかというとマイナーなものくらい。昨秋、西這田駅から歩いて10分程度のところに日帰り温泉が出来ましたが、三木鉄道アクセスは温泉側、鉄道側とも全く考えていないようです。
西這田付近を走る |
●三木鉄道の「ライバル」
三木鉄道からライバルというのもおこがましいのかも知れませんが、まずは鈴蘭台経由で神戸新開地に向かう神戸電鉄がまず思いつきます。
しかし、ご多分に漏れずクルマの進展が激しく、4車線道路の国道175号線バイパスが南北に走っています。ただ、神戸市境からしばらくの神戸市西区神出町付近が2車線でネックになっていますが、神戸市内へは西神ニュータウン経由や御坂、箕谷経由などの道路があり、いまや神鉄利用も少数派です。
特にこの整備された道路を使い、神姫バスが西脇−三木−三ノ宮−神戸空港に走らせている西脇急行の人気は高く、三木市のサイトでも三木市へのアクセスについては神鉄よりも西脇急行をまず挙げているくらいですし、市東部では自由が丘や緑が丘から三ノ宮に直通する恵比須快速も人気で、神鉄粟生線自体が青息吐息という状況です。
三ノ宮へ向かう西脇急行(三木本町) |
また広域流動としては、R175バイパスに山陽道三木小野ICが接続しており、こちらも利便性が高いです。
一方で並行する交通機関は、と見ると、厄神、加古川への交通機関が無いのです。
途中で分岐して土山へ向かうバスはありますが、あとは無いと言うことについて考えると、三木鉄道優位と言うよりも、現在の移動需要に全くあっていないと言えるのでしょう。
国道175号線バイパス |
●三木市中心街における三木鉄道の位置
よく「三木鉄道の三木駅は市街地の外れにあって」と言われます。
しかし、実際に歩いてみると、神鉄も三木上の丸、神鉄三木と微妙に中心街から離れています。
三木上の丸駅 |
特に神鉄三木は県道が美嚢川を福有橋で渡った先にあり、ロードサイド店がある新市街に近いとはいえ、三木鉄道の駅よりも街外れの感が強いです。
神戸電鉄三木駅(バス停は福有橋) |
では三木市の中心とは、というと、旧市街は神姫バスの三木本町のあたりなのです。道路をうまく使ってバスを取り回して1箇所の停留所を拠点にしていますが、全般的に衰微傾向が強く、バス停前にあったショッピングセンターも先般閉鎖されました。
三木本町バス停。後方の閉鎖店舗の看板が空しい |
一方で新市街はR175バイパス沿い、そして神鉄の志染から緑が丘にかけてのニュータウンとなっており、前者はクルマ主導型、後者は神戸を完全に向いた三木にあって三木でない街です。
特に三木市の人口を考えるとき、このニュータウンの存在が大きいのですが、神鉄の志染と恵比須の間で街並みが途切れることからわかるように、三木鉄道などがある「三木」とは切り離して考えるべきでしょう。
緑が丘のニュータウン |
●三木鉄道の可能性
中心街と言っても活気が今ひとつ無い三木の旧市街をベースにした三木鉄道です。とはいえ三木の需要を伸ばせば、今が少なすぎるだけに、影響は大きいでしょう。
三木駅から三木本町への通り |
そう考えた時、まず考えたいのが加古川直通です。
厄神での乗り換え、それも加古川からだと階段移動を伴うのでは不便ですが、これが直通しただけでかなり変わってきます。
厄神駅と加古川線 |
さらに加古川乗り換えに関して、転換当時と大きく条件が異なっていることは看過できません。
つまり、新快速の存在です。今や加古川から神戸、大阪へ新快速で出るのは当たり前の時代で、新快速と連絡することで三木鉄道ルートが大化けする可能性もあるのです。
所要時間を見ると、三木(13分)厄神(11分)加古川(18分)三ノ宮(22分)大阪です。厄神、加古川での乗り換えを5分見ても、最速で三木から三ノ宮が52分、大阪が74分です。
もし三木鉄道が加古川に乗り入れ、さらに快速運転でも、と妄想を膨らませると、三木−三ノ宮が40分台も夢ではありません。
ちなみに対三ノ宮、神鉄が新開地乗り換えで1時間強、神姫バスは50分ですから、時間的には充分どころかトップに踊り出る可能性すらあります。
ただ、運賃が神姫670円、神鉄740円、三木鉄道1070円というのが悲しいまでの現実であり、だからこそ加古川線ルートで三木に向かう流動は皆無に等しいのですが、ここを工夫したら、という潜在能力はあるのです。
さらに進めて、三木鉄道に架線を張って、電気と車両はご自由に持ち込んでください、とJRに使ってもらえば、どうでしょうか。加古川駅が高架化のときに加古川線との直通を微塵たりとも考えない配線になってしまったのが痛いですが、日中の快速電車が加古川で新快速を退避している間に分割して三木直通編成を運用する、なんて事態にでもなっていたら、今頃三木鉄道は、いや、加古川線全体も含めて活性化していたかもしれません。
利用を訴える時刻表 |
●しかし悲しい現実
もちろん現実はそういう発展など望むべくも無く、このままの道を辿るのでしょう。
また、三木鉄道を救うために加古川ルートのてこ入れをすると、今度は神鉄の利用に少なからぬ影響が出て、下手をしたら神鉄粟生線の存続問題につながることは必至です。
こうなると三木市のみならず小野市や神戸市の交通問題にも飛び火するわけで、この危ういバランスを崩さないためにも三木鉄道が犠牲になるのかもしれません。
電化で一新した加古川線 |
トップダウンでの廃線という前代未聞の経緯を辿ろうとしている三木鉄道。反面、「幹」である加古川線は電化も実現してようやくフォローの風が吹いてきたようにも見えます。
しかし、三木鉄道と同様に転換された北条鉄道は代々、終点の北条町を抱える加西市長が社長を務めてきましたが、2005年7月に就任した新市長が民間出身者を招聘するとして就任を拒否したばかりか、その民間出身者の人選も決まらぬまま結局12月に加西市長が就任するまで社長不在という異常事態になりました。
風雲急を告げる?北条鉄道 |
これに基点の粟生を抱える小野市が反発し、11月に小野市長らが取締役を辞任するなど、経営の空転が続き、ついに2006年6月に小野市が北条鉄道の経営からの撤退を表明するに至りました。
こちらは加西市長の「トップダウン」が裏目に出た格好で、三木市長の「トップダウン」と対照的ですが、加古川線を支える2つの第3セクター鉄道がここに来てにわかにきな臭くなっているのです。
こうした状態の中、「枝葉」の両線が「枯れる」だけで済むのか、「幹」にまで波及するのか、にわかに予断を許さなくなったことは確かですが、その経緯は鉄道史でも特異なケースに将来は数えられるのかもしれません。
三木駅にて |
【2006年12月3日 補筆】
三木市が行った三木鉄道に関する個別外部監査で、「経営の継続は困難と予測され、事業廃止も視野に入れて検討すべき」と指摘されたことから、三木市は2007年3月の市議会でおそらく廃止の結論を表明することになりました。(
神戸新聞記事
)
三木氏が行ったアンケートでも、利用者の6割が存続を訴える反面、三木市民全体では7割が廃止に賛成と言う厳しい結果が出ています。特に回答数が利用者が143人、市民が1551人とあっては、利用者の6割と言っても力がないのが現実であり、万策尽きた格好です。
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