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眺望と実用を兼ね備えた名橋
天下の名勝、嵐山・渡月橋の「先進性」
冬晴れの渡月橋 |
写真は2006年12月撮影
橋と言うものは交通のために架けられるものです。
とはいえ、その形態や周囲の風景との調和で、橋自体が景観になるケースもあります。
とはいえ景観を優先して交通の用を失ったり減少させることは本末転倒であり、ならば最初から橋の無い「自然な」景観であるべきともいえます。
さて、橋のある風景として名高いのが嵐山の渡月橋です。
大堰川が桂川と名を変える嵐山の景勝地にかかるこの橋は、景勝を妨げるのではなく、景勝の重要な要素として、風景の滋味を増す形で存在しています。
川のほとりから見ると、いつも人通りが絶えず、その点がやや興醒めとはいえ、昔からのデザインの橋が架かる様は川と山の風景にアクセントを添えています。
ところがこの橋、よく見るとクルマの交通量が多いわけです。時折京都バスや市バスも通るわけで、立派な実用品としての側面も持ち合わせています。
さらによく見ると、欄干こそ木造ですが、下回りは鉄筋コンクリートです。上流側にある流木止めもコンクリートで、欄干をコンクリートにしたら、それこそどこにでもある道路橋となります。
よく見るとあれもこれもコンクリート製 |
この渡月橋、奈良時代か平安初期からの歴史があるそうです。鎌倉時代、亀山上皇が名づけたという渡月橋が今の場所になったのは江戸初期に角倉了以が大堰川を開削した時のようです。現在のコンクリート橋になったのは1934年ですから、70有余年の風雪に耐えています。見方を変えれば、大堰川の水運利用に従い、渡月橋は位置を変えられており、自動車交通の黎明期にコンクリートの永久橋として架け替えられており、京都有数の景勝地も、実際には交通という目的に忠実に従った結果としての風景なのです。
木橋のイメージを残したデザインである一方、特段の重量制限も無く、今もバスをはじめとする自動車交通の通行に耐えているということは、実用品としてみても優れたものです。
歴史のある施設というと、形や性状だけでなく、当時の部材でそのまま残すことを尊びますが、そうなると江戸期からの渡月橋を残し、道路交通用に「新渡月橋」を並べて架ける、というような対応にならざるを得ず、橋自体は最新の工法によりそれまでと比較にならぬ頑強なものにする反面、景観を維持すると言う優れた妥協と言えます。
渡月橋は観光名所である反面、嵐山市街地方面からの交通路としても重要であり、ここで桂川を渡らなければ、幹線道路としては下手の松尾橋で渡るか、R9の西大橋を使うことになります。
渡月橋からクルマを締め出したとしても、渡りきった西詰で阪急の踏切があり、すぐ三叉路に突き当たる松尾橋や、ただでさえ混雑が厳しい西大橋に回るというのも不便な話です。
実用としての渡月橋と、景観としての渡月橋の両立。橋を二本架けてしまったら、景観は犠牲になりますし、江戸期の橋を維持すると交通が犠牲になります。そう考えると、自動車交通対応のコンクリート橋を往時の形状で架けるという当時の判断は、相反しかねない二つの命題を立派に解決しています。
もっとも、道路交通の重責を担うと言うことは、事故その他のリスクにも晒されているわけで、この渡月橋でも2006年12月30日に、スリップした自動車が欄干を突き破り、川に転落すると言う事故が起きていますが、景観を優先した木製の欄干がこうなるとアダになったといえますが、これはある程度割り切らねばならない部分でしょう。
さらに、明治期の渡月橋は牛馬すら通さず、荷駄は渡船を使ったそうです。
そうなると1934年の架け替えは、伝統の継承どころか、今ならさしずめ高速道路規格の橋に架け替えるくらいのインパクトがあったということであり、実は歴史的建造物の保存とは程遠い所為だったわけです。
しかし、時は流れて、現在の渡月橋は嵐山に無くてはならない存在となっており、その形状も定着しています。嵐山の景観に馴染むデザインという一線を守ることで、必ずしも伝統の継承ではない「新しいデザイン」が受け容れられています。実用と景観の両立、そして時代に応じた進化という命題を上手に解決した見本として、渡月橋の隠れた意義があると思います。
バスも通す2車線道路に歩道完備の重装備 |
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