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飲酒運転を撲滅するには
「大人の嗜み」との両立は可能なのか




飲酒運転による悲惨な事故が後を絶ちません。
基本的には「飲んだら乗らない」という単純な話であり、どちらもドライバーの意思によって実現する部分ですから、まずはドライバーの自覚の話です。

しかし一向に無くならないわけです。飲酒運転の厳罰化を実施しても、当初こそ減少したものの、元の木阿弥ですから、自主的な判断に任せるだけでは効果がないといわざるをえません。

自主性に任せられないとなるとどうするべきか。
「飲酒」そのものを禁止してしまうと言う究極の対応があります。アルコールは害悪として、飲酒そのものをタバコのように排斥する主張があることも認識していますが、ここではそこまでの対応を求めません。

飲酒を大人の嗜みとして認めたうえで、どう飲酒運転を無くしていくのか、ということを考えるべきであり、そのためにはまずは飲酒者がハンドルを握らないようにする。そしてドライバーに酒類を提供しないようにする、というような水際の対応を徹底すべきでしょう。
そしてそれと並んで、飲酒運転がなくなるような、しなくて済むような社会を築いていく工夫が必要です。

●「故意」の飲酒運転をどう無くすか
飲酒者がハンドルを握らないようにする、つまり、「仕掛け」ですが、呼気のアルコールチェックをしないとエンジンが始動しないというような物理的装置が有効でしょう。しらふの同乗者がエンジンをかけるという抜け道も考えられますが、まずはやらないよりはマシです。またそこまでしてハンドルを握るほどの計画的犯行は少ないでしょう。着座した圧力を感じないと作動しないと言うような多重系にしておけば、ドライバー以外がそこまで手間をかけてエンジンを掛けることへの抵抗感も増します。

また判断能力があるしらふの人間がこのような脱法行為をする時点で、飲酒運転よりもある意味たちが悪いわけですから、そういう行為に対しては「主犯」並み、いや、それ以上の厳罰をもって処遇することで対処できると考えます。

一方、ドライバーへの酒類提供については、駐車場付きの居酒屋の存在など、根本的な矛盾を抱えた営業形態のほか、店側の安易な提供姿勢を厳しく問うべきであり、抜本的に改める必要があります。

飲酒運転事故への飲食店側の対応と言うことでテレビニュースのインタビューに答えていた店主が、「お客に請われれば断れない」と客商売だから仕方がないというニュアンスの発言をしていましたが、請われれば違法行為でも何でもして良い訳がなく、論外の発言でしょう。しかし実際、飲食店における酒類の提供はザルそのもので、クルマでしかアクセスできないような店に来た1人客であっても、オーダーが入れば何の疑いもなく提供します。それどころか、家族連れやグループでオーダーが入ると、「グラスはいくつお持ちしましょうか」と、半ば勧めたり、人数分グラスを持ってくると言うような「飲酒運転推奨型」の店も多々あります。
こうした「サービス」を受けると、意思が強ければそれでも飲まないでしょうが、あれば「最初の一杯くらいは」と手が出てしまうケースも多いでしょう。

ドライバーの来店があり得ないケースを除き、酒類提供時にはドライバーかどうかのチェックをすることを義務付ける。これは未成年者に対する酒類提供の防止にも共用できます。
某ウィスキーメーカーの山の中にある工場を見学した時、ドライバーに試飲させないように、入口でドライバーとそれ以外の人間に色分けしたリボンを佩用させられましたが(出口で回収)、クルマで来店することを前提にする飲食店ではこれくらいを義務付けてもいいでしょう。食事中心の店であればそこまでするのは億劫でしょうが、そういうケースではドライバーでないことを宣言してリボンを佩用した客にしか酒類を提供しないと言うルールにすれば、酒類をオーダーしない大多数の客にとっては何の煩わしさもありません。

そして何よりも肝心なのは取締りです。
先日の福岡での悲惨な事故のあと、各地の繁華街で深夜の一斉取締りがあったと報じられましたが、ここまで飲酒運転が常態化している中で、一斉取締りをすることがニュースになるというのは、日頃如何に、という裏返しとしか思えませんし、日頃の取締りが少ないからこそ飲酒運転が常態化しているともいえます。まさに「割れ窓理論」なのです。

●見落としがちな「無自覚の」飲酒運転
先日免許の更新に行ったときの安全講習の席での話です。
飲酒運転についての罰則強化の話の中で、実は朝から捕まる人が多い、と講師が切り出しました。とはいえ、何も朝っぱらから一杯引っ掛けているのではなく、二日酔いの残留アルコールで引っかかるケースが実は多いのです。

飲酒をすると、軽く引っ掛けてもそれなりに「酔い」の効果がでてくるわけで、その状態で運転することが危険なことはわかります。しかし、二日酔いの場合、よほどの深酒でも無い限りは、頭が重い程度で、「酔い」があると言う自覚はありませんし、「酔い」としての影響は見られないでしょう。

ところがこの状態でもアルコール反応が出てくることがあるわけです。そうした反応には個人差があるわけですが、バスや航空などの業界では余裕を見て前夜の飲酒すら禁止しているケースも多いです。
もちろん最悪のことを想定して行動すれば間違いはないですが、一般人が前夜に常識的なレベルでの飲酒すら出来ないというのも無体な話ですが、とはいえ体調その他の条件次第では充分な睡眠をとってもアルコールが抜けきらないケースがあり得るのです。

基本的に一晩寝て風呂にも入ったりして、「酔っている」自覚すらない状態で検出されるのをどう防ぐか、またどう把握するか。個人の自覚に任せるのは効果が期待できませんし、プロのように飲酒そのものを事実上遠ざけるのも個人の生活としてそこまで求めるべきなのか。
こういうときに上記の呼気に反応してエンジンが始動するシステムであれば、主観に頼らないチェックが可能であり、意識せぬ摘発に遭う悲劇もなくなるでしょう。

●飲酒運転のない社会作り
冒頭で「基本的には『飲んだら乗らない』という単純な話」と書きましたが、実際にはそこまで単純な話ではありません。
飲酒を害悪と見るのであれば「単純な話」で済みますが、飲酒を大人の嗜みとして認める立場で見ると、そこには結構深い問題が見えてきます。

「飲んだら乗るな、乗るなら飲むな」という伝統的なスローガンがあります。
もっともな話ですが、では飲みたい場合はどうするのかを考えて見ましょう。
「飲んだら乗るな」というわけで、クルマではなく公共交通やタクシー、送迎、代行を利用すればいいのですが、それが成立するのは実は限定的です。

ほろ酔いで深夜の電車に揺られて帰宅する、というありがちな光景が成立するのは、そうした時間帯まで気軽に利用できる交通機関があり、駅やバス停から歩いて帰れるようなエリアなのです。しかも大都市圏であっても駅からのバス路線がない、あっても終発が早いと、末端の足がなくなるわけで、自転車に頼る人も多いのですが、実はそれも立派な飲酒運転であり、最近では摘発例も出ています。まあそれでもタクシーを使ったとしても、終電後で遠距離を乗るのではなく最寄り駅からであれば高くて2000〜3000円でしょうか。それも片道利用です。

これが地方都市になるとどうでしょう。公共交通自体が不十分なエリアで、酔客対応のサービスがあるケースはごく限られた都市に見られるのみです。
公共交通やタクシーで帰るのであれば往路も公共交通になりますし、代行を頼むにしても、10kmで2000〜3000円、20kmで5000円と、なかなかの負担です。
ある程度人数がいれば「今日はお前が運転」と我慢させることも可能でしょうが、サシで飲んだり、1人でスナックに行くようなケースでは無理です。

だったら「乗るなら飲むな」ですが、乗るしかないのであれば飲む機会がありません。
嗜みとしての飲酒ですから、どこで飲もうと一緒と言うのも酷でしょう。赤提灯で同僚や友人と飲みたいときもあれば、スナックで女の子を相手に飲みたいときもあります。でも街に出るには乗るしかない、乗るからには飲めないのであれば、家で手酌で飲むか、古女房の愚痴を肴に飲むしかないわけです。
飲みに行くのであれば、赤提灯に行くだけで下手をしたら飲み代よりも高い交通費がかかるわけですし、家人に送迎を頼むにしても、女の子のいる店で飲む旦那を咎める奥さんは掃いて捨てるほどいても、快く送迎する奥さんと言うのは聞いたことがありません。

つまり、地方においては、お酒を楽しむことにおいてもハンデがあるわけです。
だからと言って飲酒運転を肯定する気は毛頭ありませんが、都市部で飲酒運転を批判している人々の中に、そこまで気が回せる人がどれだけいるでしょうか。単純に「乗るなら飲むな」では、地方ではお酒を楽しむことはご法度、もしくは、赤提灯レベルであっても余裕があるときの贅沢なお遊び、と言っているようなものであり、ただでさえ娯楽が少ないところにこれでは地方からの流出、地方の荒廃はますます進むわけです。

●「生活の質」との折り合いをどうつけるか
こうした構造的な部分さえ解決すれば、飲酒運転をしなくともお酒を楽しめるわけで、それでも飲酒運転をする、させるのは、意思が弱いという問題ではなく、ズルをしたというただの卑劣な犯罪であり、あたかも信長の一銭斬りのように断じてしまえばいいのです。

とはいえ通勤通学や交通弱者対策の部分ですら公共交通が衰退しているなかで、酔客対応など贅沢に過ぎる、という批判はもっともでしょう。
そうなると代行や飲食店による送迎を充実させるくらいですが、そのコストをどうするのか。単純に客に転嫁したら飲み代よりも高い交通費となるわけです。

あえて批判を覚悟の上での発想の転換として、深夜帯の公共交通の運行やタクシー、代行、送迎にある程度の公的補助を出すと言う選択肢もあると考えます。
事実上飲酒に補助と言うことで理解は得にくいでしょうが、一方でスポーツ施設や文化施設などを巨費を投じて整備しているということを考えると、「夜の補助」もあながち無理筋ではありません。

つまり、住民の健康増進、文化促進という絶対の善である建前はありますが、実質はスポーツや特定のサークル活動を趣味とする「一部」住民の楽しみのための施設であり、住民はその建設、維持費を完全に負担しているわけではありません。
非常に不健康ではありますが、お店での飲酒も飲酒を嗜む「一部」住民の趣味、楽しみであり、それを楽しむにあたって都市部の人間に比べると大きなハンデを背負っていることへの対応と言う位置づけで、代行やタクシーなどに補助を出すのです。

何も毎日のように飲む人に都度補助を出す必要はないでしょうし、限定的でもいいのです。
まあ財源に関しては、安心して飲めることで1杯でも2杯でも多く飲んでくれれば、交付税の財源になる酒税が増えるわけで、決して一方通行ではありません。
そして安心してお酒を楽しむことが出来れば、さらなる厳罰化、物理的なブロックをしても不満が出る余地はありませんし、「飲んだら乗るな、乗るなら飲むな」のバランスも取れるのです。






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