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白魔に魅入られて
2005年冬・高速道路雪害の体験


雪の関ヶ原



2005年から2006年にかけての冬シーズン、シーズン前の暖冬の予想を覆して年内から列島各地で記録的な豪雪となりました。
豪雪のニュースも茶飯事となった年末の三連休、クルマでの上京を試みた記録です。


※2006年1月11日、ETC料金につき補筆


●プロローグ

発達した低気圧が関西地方を通過するのに伴い、日中に平野部でも降雪があると予報が告げていた朝、そろそろ会社に出かけようと支度をしていると、居間から家族の声が聞こえてきました。

「雪だ!」


●「記録的な」積雪

その日は夕方から東京に向かおうとしていたのですが、心配事はその後の強い冬型による中部地方への影響でした。とはいえ、関ヶ原を通る名神を使わずとも、名阪国道から伊勢湾岸道と抜ければ、かなり南側で中京圏をパスできるわけで、スタッドレスタイヤの装着はしていませんがタイヤチェーンの用意もあり、せいぜいチェーン装着の労を厭うくらいしかイメージしていませんでした。

凍るような空気の中、六甲おろしに乗って吹き付ける雪は乾いた路上に舞いながら路面を白く染めていきます。
雨が雪に変わったのではないため、雪は凍て付く気候に溶けずに積もりだしました。それでも会社に到着しても「降り出しましたね」と言うくらいのレベルであり、クルマで通勤している同僚もいつも通り出社してきていました。

ところが雪は衰えを見せません。9時頃には吹雪という表現が似合うような横殴りの激しい雪となり、「積雪」というレベルになってきました。昼頃に小止みになるまで降り積もった雪は、神戸でもわずか4cmとはいえ、「記録的な」積雪となり、転倒して負傷する人は続出し、路上ではバスやクルマがそこかしこで立ち往生してマヒ状態に陥ったのです。


●手も足も出ない状態

気になって道路交通情報を見ると、雪は兵庫県や京都府方面で激しいようで、阪神高速の尼崎、中島以西や北神戸線が通行止になっています。さらに中国道、山陽道が通行止になり、名神高速も栗東以西が通行止になっています。
阪神高速の大阪方面は通れるようで、西名阪も通れるのですが、気になって一般道の情報を見ると名阪国道は天理から五月橋までの奈良県内区間が通行止になってしまいました。

昼前の時点で神戸から関西圏を脱出する高速道路が全滅となってしまったわけで、上京どころか手も足も出ない状態に追い込まれました。
除雪作業が進むか、雪解けを待つしかないのですが、通行止はさらに東進し、東名阪の楠以西、伊勢湾岸道の湾岸弥富以西も加わり、いよいよもって進退窮まった感じであり、当日中の出発を諦めかけていました。
この状態では翌日も雪が溶けるか微妙であり、さりとて新幹線に転進するとしても三連休で道路が使えない状態では混雑が予想され、非常に憂鬱な状態で仕事に向かったのです。


●一筋の光明で即断

関西の雪は午後には上がり、日も射すようになり急速に溶けてきました。クルマ出勤の同僚の愛車も雪ダルマ状態を脱して走行可能になっています。中京圏も伊勢道の通行止区間が短縮されるなど、事態は好転へと向かってきたようです。

定時を回って再び道路交通情報を見ると、名神の通行止が解除されています。
阪神高速は依然通行止ですが、これはチャンスです。出発を即断し、不安げな上司に挨拶して自宅に戻ります。日が落ち、歩道に残る歩道に残る雪が凍り始めて足元は覚束ないのですが、車道は乾いています。通行止のはずの阪神高速もノロノロと動く姿が見えており、これも解除になったようです。
とはいえR43、R2のほか、鳴尾御影線をはじめとする生活道路に至るまで東行きが激しく渋滞しており、名神に辿り着くまでが一苦労になりそうです。


●好機を掴んだかに見えた出だし、そして暗転

18時半に出発。激しく混雑する東行き道路を避けるようにいったん西に向かい、魚崎から阪神高速に入りました。
19時前の交通情報では名神西宮を先頭に第二神明を経て加古川バイパス西口(高砂)まで60kmあまりの渋滞の最先頭部に入り、名神へ。19時10分に西宮料金所を通過して、ここからは一転してガラガラ。凍結に警戒しながら快調に飛ばし、京滋バイパス経由で滋賀県へ。心配された降雪も無く、もうすぐ日中の通行止区間の東端であった栗東という草津PAで夕食をとるべく休憩しました。

実は出掛けにチェックした情報で、名神開通と同時に集中したのか一宮から断続的に彦根付近まで渋滞表示が出ていましたが、多客期にはお馴染みのものであり、深夜にかけて軽減されるのではと言う期待を持っていました。名阪国道もその時点では通行止が解除されていましたが、東名阪の通行止が解除されておらず、伊勢湾岸道の通行止も名港トリトンを渡った先に至っており、R23経由と言うのも非常に不安なので、名神に突っ込んだのです。

トラック運転手で混み合う草津PAの飾り気の無い食堂で夕食をとっていると、近くで同僚と電話している運転手らしい人がいました。どうも渋滞の渦中にいるようですが、動きが無いようなことをいっているようで、ちょっと暗雲です。20時半頃に草津PAを出ました。
実は草津に至る前に、豊川−岡崎が「雪通行止」と言う表示を見ており、R1迂回か中央道か、と言う状態に追い込まれていました。もしくは米原以北チェーン規制の北陸道〜上信越道に大迂回するかと言う感じでした。

この先の渋滞は関ヶ原先頭で八日市までの40数kmの渋滞でしたが、その表示が米原JCTから25kmに減りました。
西宮ICから早朝深夜割引を効かせる際にはお馴染みの竜王を過ぎ、やがて前方にテールランプの列が見え、渋滞に入りました。
最初はノロノロと進んでいました。まあ関西の渋滞特有の動きと言うものに欠ける首都圏のような遅々とした進みですが、動いていました。
それが停滞する時間が増え、しばらく停まって少し進むと言う繰り返しになり、八日市を這うようなスピードで通過したのです。

そして見返ると「八日市1km」の下り線の看板が見える位置に来たのが21時半〜22時の頃です。そしてそこで停まった車列は全く動かなくなりました。


●通行止区間に取り残されて

車列は全く動きません。闇に目が慣れると周囲には雪が積もってはいますが、路面に雪はありません。空には星が輝いており、止まる理由はない状態です。Pレンジに入れて全く駐車モードでですが、エンジンは冷え込んで再起動しなくなると怖いので、つけたままにしていました。ガソリンは半分ほど。関ヶ原を控えて次の多賀SAで給油するつもりでしたが、その手前での篭城に、暖房などをこまめに消して燃料節約モードに入りました。エンジンはかけているのでその余熱である程度はしのぐ構えです。

22時前の交通情報を聞いて愕然。名神の通行止はなぜか上りだけ関ヶ原から栗東までと言っています。北陸道も木ノ本まで通行止。東名の通行止は豊川から名神一宮まで延び、中央道中津川までも通行止です。当夜のドリーム号は全便運休だそうです。
強行出発が全く裏目に出た格好で、通行止の渦中に取り残されたばかりか、その先もダメで、進退窮まったのです。

通れるはずの下りの流れも全く途絶えています。と、煌々たる灯りをつけた除雪車2台を先頭にした悌団がやってきました。雪まみれ、雪ダルマのようなトラックや乗用車が続いており、この先に何があるのか。北陸道からの集団と信じたいのですが、そうでもなさそうです。
その後も悌団からこぼれたクルマが思い出したように走り去り、しばらくするとまた悌団と、かつてスキーシーズンの関越道で見た除雪車をペースカーのようにして作業をしながら通していたやり方を彷彿とさせる姿です。
もっとも、上りも同じようにすれば通れるはずなんですが、動きません。

2時間は優に止まっていました。
そしてようやく動き出しました。どうもこれは次の彦根での強制流出でしょうか。急な動きにはその懸念が沸き起こります。
空に見えていた星のきらめきが雲にかき消され、路上に雪が目立つようになりました。秦荘PAのあたりで積雪がぐっと増えると、ハンドルを握る手も慎重になります。
長時間にわたる停止で精も根も尽きたのか、動かないトラックも目立ち、それを交わすのでまた渋滞という悪循環も発生しています。

秦荘PAでは入口側のみならず出口側にまでクルマが噴き出している状態で、多賀SAには入れるかが心配でしたが、ここで入らなければ彦根で出されるという思いから、SA側に進路をとると、何とか中まで入れました。そして手前側の母屋側に向かうと駐車スペースがありました。既に雪が積もってますが、どうせここでチェーンを巻くので委細構わず停めましたが、SAで停まれたのは非常にラッキーでした。

到着した頃の多賀SA



●多賀SAでの籠城戦

時に午前1時10分。西宮から実に6時間です。かつて深夜とはいえ夏場に東京IC〜西宮ICまでそれ以下の時間で走破しているだけに、驚愕の経過時間です。
少し休んでからチェーンを巻きます。関西ではほとんど機会が無いだけに、樹脂製のチェーンは固まっておりなかなかフックがかかりません。「クイックロック」の触れ込みなのに時間がかかり、汗だくになって伸ばしてようやく装着完了です。今回もジャッキアップを併用しましたが、通常ならジャッキアップをしたら10分もかからずに出来るというのに...

2時前にSAの情報案内板を見ると、名神の通行止表示が消えています。
ようやく来たか、と出発を決断して準備にかかり、もう一度最後にトイレに行って帰りに案内板を見ると元の木阿弥...
どうもエラーだったようで、再び関ヶ原まで通行止、そこから一宮までべったり渋滞、そこから豊川まで再び通行止です。並行するR21やR1の情報はクリアで、一般道に回ることも考えましたが、結局時間も時間ということで、足下の通行止が解除になるまで大休止と決断して、シートを倒して眠ったのです。

私の後にもSAに入るクルマは多かったのですが、最初はあった駐車スペースも消えてしまい、駐車難民が続出してしまい、駐車スペース以外のところに停めだしました。
それでもある程度通行に配慮して駐車する車両はマシなほうで、駐車中のクルマの出口をふさいだり、通路をふさいだりと混乱の極みです。特に通路をふさぐと後続も立ち往生してしまうのですが、幸いトラブルにまで発展はしてませんでした。


●ようやく出発。そしてさらなる難渋

やがて八日市までで強制流出させたのか、多賀SAに入るクルマが途絶えていたのですが、5時前から続々と入ってきました。
神戸や大阪などのナンバーであり、どうも通行止が解除になったのでしょうか。5時過ぎに母屋に向かうと、関ヶ原までの通行止は解除になったようで、今度こそは本物と、再度支度をして、給油も済ませて5時半に出発しました。

チェーンをつけているので50km規制を厳守して進みます。
米原で分岐する北陸道の規制は米原以北チェーン規制、敦賀から今庄が通行止とあり、峻険なこの区間をR8で迂回するというのを考えると、大迂回は取らずに名神を進みました。
米原JCTを過ぎると再び停滞モード。そしてしばらく進んだ伊吹PAの手前で大休止に入ったのです。

除雪作業中


辺りがだんだん明るくなり、そして夜が明けましたがクルマは動きません。ラジオの交通情報は関ヶ原が先頭で栗東まで60kmの渋滞を告げていますが、全く動かないこの渋滞の後方はどうなっているんでしょうか。
1時間半ほど待ったでしょうか、ようやく動き出しました。伊吹PAの様子から見て、除雪作業時間確保のようでした。
その後はノロノロで関ヶ原に挑みます。下り線は相変わらず除雪車を先頭にした悌団走行ですが、なぜ上りは進まないのでしょうか。ものすごい積雪のなか、関ヶ原トンネルを越えて岐阜県へようやく入りました。

急カーブ区間の解消のために付け換わった今須トンネルを越えると関ヶ原ICへの下り坂です。関ヶ原トンネル付近から圧雪状態だった路面は遂にアイスバーンのようになりました。いつしか車列は離れ離れになって間隔を十二分に取って下り坂を下りていきます。こちらはチェーンを巻いていますが、スタッドレスどころかノーマルタイヤで挑むトラックも多く、並走も避けて慎重に下っていますが、ここでの「順番待ち」が60有余kmの渋滞の原因だったようです。

関ヶ原IC手前は圧雪状態


下りきると関ヶ原IC。なんとここで路面は氷雪を削り取ったかのように一変しています。しかし、この先の平坦区間にそれだけの労力をかけるのであれば、峠の区間をもっと入念にすべきでしょう。
走行車線を50kmで進むと、なんと前方にどう見ても停まっているトラックが。追い越し車線は飛ばすトラックの列が途切れず、とうとう停まっているトラックに追いついて停車してしまい、途切れるのをしばし待って追い越しましたが、寝てるんでしょうが、三角板も出さずに停車というのは危険極まりないです。

そしてもうすぐ養老SAというところで再び停止。またも1時間半全く動きませんでしたが、除雪作業のようです。
作業で除雪されている反面、止まっている車列では路面に雪が積もり、動き出すと瞬時に圧雪状態になるという悪循環というのはどうにかならないのでしょうか。長大間合いよりも悌団走行のほうが絶対にいいはずです。


●雪から解放されても続く規制

よほど徹底した作業だったのかきれいになった路面を行くこと少しで養老SA。入口の駐車トラックが邪魔で入りづらかったですが駐車スペースはあり、ようやく休めたのが11時前です。多賀から5時間半が経とうとしていました。

朝食は多賀で購入した押し寿司を停止中に食べましたが、ここで昼食時となり、草津から養老で3食目です。
ようやく休めるとレストランで思わずやれやれと声が出たのを機に従業員と会話になりましたが、神戸を前夜に出たと知って目を丸くしていました。中京圏の名物「ひつまぶし」を選びましたが、いい値段ですが、飯茶碗4杯はあるボリュームとウナギはちょうどいいスタミナ食でした。

案内所でこの先の状況を聞くと、東名、中央道の通行止は変わらずで、一般道の状況については、ちょうど問い合わせたばかりとのことで、豊川へのR1はほとんど停滞で、中津川へのR19は何とか動いているとのことで、中津川を目指すことに決定。
12時半に養老SAを出ると、さっきまでの白魔がウソのように路面はカラカラ。チェーンを巻いたままというのを悔やむような状況で、これは東名の通行止解除も近いのではという期待が起こります。

新幹線とすれ違う岐阜羽島では新幹線も混乱しているようで、下り列車が駅手前、木曽川橋梁上で止まっているのを見やりながら進みますが、同様に通行止が続く東海北陸道を分ける一宮JCTの分岐路は雪が残っており、楽観も出来ない感じです。
そして運命の一宮に来ましたが、電光掲示に通行止は出ていますが、本線にバリアは無く、小牧方面に向かうクルマもいます。これはいかにと思いながら、一瞬の逡巡のあと、本線を進みました。


●遥かなる中津川。そしてゴールへ

この先には尾張一宮PAがあり、とりあえずここで情報収集です。ひょっとしたら開通したのかもしれません。
しかし、PAに待機しているクルマは大半がトラックで多かったのですが、売店の従業員は要領を得ず、開通の情報は得られませんでした。結局次の小牧で下りましたが、13時半に出ても「深夜割引」です。ちなみに、手前の一宮で降りた場合、22時過ぎに竜王で乗り直しなんてしていたら、「こういうケースは本来無い」として除外されている、通勤時間帯(6〜9時)を全部跨ぐ利用になってしまい、50%オフではなく深夜割引の30%オフという非常にレアなケースを体験していたところでした。

ここからは一般道です。R155で小牧市街を経て、道なりに県道に入って春日井市に至り、高蔵寺の近くでR19へ。
そこからR19を行きますが、土岐市を経て瑞浪市域までの1時間は順調でした。
そこからが難渋で、瑞浪から釜戸を経て恵那へ向かうアップダウンのあるコースになると、凍結気味の道路を進みにくいのかトラックの動きが悪く、恵那のコンビニで小休止して、中津川から中央道に入ったのは17時10分です。途中名古屋方面の下り線を行くクルマが見えて気になっていたんですが、インターの案内には通行止表示は無く、東名も開通したようですが、ここまできたら戻れません。

中央道は伊那谷で雪のためスタッドレスもしくは滑り止めが必要です。そのため中津川ではゲート手前でタイヤチェックの係員がおり、未装着のクルマをUターン路のほうに誘導していました。
中央道はガラガラですが、すぐに雪となり、恵那山トンネルを出て伊那谷に入ると本降りになり、路面も白くなっています。慎重に進み、伊那の辺りでようやく雪も上がり、辰野PAに着いたのは19時前。ここで夕食は高速道路上で4食目です。

チェーンを外したんですが、岡谷の手前で再び雪となり、小淵沢まで足下に不安を抱えながらの雪中行軍。そして須玉から先は関東らしい乾いた路面が現れ、そのままゴールの調布を目指しました。
調布で下りたのは21時半。西宮から26時間20分。東京西郊の目的地に着いたのは22時で、家を出てから実に27時間半という記録的なドライブとなってしまいました。


●走り終えて

とにかく事故も無く無事であったことが総てです。ただ、これだけの悪条件ながら、道中で事故を見かけておらず、ここまで酷いと事故も帰って起こりにくいのかもしれません。

今回の難渋を振り返ると、見通しの甘さは言うまでもないのですが、それはさておき、名神における下り線と上り線の対応の差が目に付きました。長大間合いを取っての除雪は渋滞を増幅させるのみならず、停止中の車列の箇所で相当な積雪を見るのです。
また、情報提供も問題で、東名の通行止解除は実は小牧で下りた1時間以内に実施されていたのですが、養老、また尾張一宮で休憩していた時にはその見通しくらいはついていたはずであり、ある程度目処がついた時点で見通しを発表すべきでしょう。情報提供が無いままに流出したクルマは全く馬鹿を見たのです。
あとは、長大間合い確保などで停める場合は、その旨伝達してほしいものです。いつ動くか分からない状態で止まっているよりも、1時間は動かないと分かっていれば、仮眠すら取れるわけで、情報がないと、逆に分からないままに緊張していて、その糸が切れて寝てしまい本線上で取り残されるような危険な状態を呼ぶのです。

運転する側も、出発を控えるのは言うまでもないとは言え、立ち往生したトラックの大群を見ると、こういう事態が物流に与える影響の大きさを実感するわけで、簡単に行くなとは言えないのです。
ただ、そうは言っても、こういう異常事態の中で、せめて滑り止めの携行、装着はしてもらいたいものです。一般道では坂道で立ち往生してそのままその道路が機能停止というケースが多発しています。
また、多賀SAでの話ではないですが、駐停車の際には後続への影響を考えてもらいたいです。これも一般道ですが、片側1車線の道の真ん中で眠って動かないトラックや、食堂に行ってしまい主が居ないトラックがこれも機能停止の主因となっています。

今回の得がたい経験はさまざまな問題点を見せてくれました。
その意味でも貴重な経験ですが、正直言って貴重な経験はしなくてもいいから、経験したくなかったというのが偽らざる気持ちです。

雪の花が咲く...


●補遺・ETC料金の罠にはまる

さて、年明けにETC走行の精算が確定しましたが、前割を停止して「利用明細サービス」にしている口座のデータを見て愕然です。

西宮から最初の小牧までが深夜割引になるのは当然気付いていましたが、中津川から先の区間、伊北で切って夕方の通勤割引をゲットしたと喜んでいたのがぬか喜びだったのです。
中津川−伊北の表示が「通行止流出調整」となり、「通勤割引」から「深夜割引」に変更になっています。これで150円安くなっているんですが、ということは伊北で乗り直さなければ21時を回った八王子本線まで前夜の「深夜割引」だったのです。

ここらへんの関係は、

a)西宮−八王子:深夜割引で7600円
b)西宮−小牧:深夜割引で3350円
c)中津川−八王子:6100円
d)中津川−伊北:通勤割引で1450円
e)伊北−八王子:4100円
f)西宮−伊北:深夜割引で4650円

となっており、b+cの9450円ではなく、b+d+eで8900円だと喜んでいたら、実際の計算はf+eの8750円だったのです。
伊北で乗り直していなければこれがaの7600円。700円浮いたのではなく、1150円も損をしていました...



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