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青木のいちばん長い日

2007年3月4日、不発弾処理の記録


不発弾処理を伝える中吊り


※写真は2007年2月、3月撮影


2007年3月4日、神戸市東灘区青木5丁目において、第二次大戦中に米軍が投下したと見られる250kg爆弾の不発弾の処理作業が行われました。
当日は半径300m以内の立ち入りが禁止され、圏内の住宅、事業所の人は域外に避難するよう指示が出されました。圏内には約4500世帯、約1万人が居住するとともに、阪神電鉄本線、国道43号線、阪神高速神戸線と言う幹線交通が通っており、これらの交通を遮断しての大作戦となったのです。

処理作業は無事終了しました。作業に参加した自衛隊、神戸市をはじめとする関係各所の努力に感謝するものであります。

さて、現場は私が住んでいるところから離れておらず、当初は避難対象かと覚悟を決めましたが、幸い対象外になりました。
しかし、当日は朝から大なり小なりの影響を受けたました。
以下、当日の様子です。

●不発弾の発見
2007年2月6日、自動車整備工場跡地のマンショ建設工事現場で、この不発弾は発見されました。
現場のごく近辺では広報車が回ったと聞きますが、阪神電車の北側など今回避難対象となったエリアにおいては全く情報が無く、7日付の神戸新聞(ウェブ版では6日)にベタ記事が掲載されただけで、どのあたりかも皆目見当がつきませんでした。

私がこれを知ったのは7日。別件で眺めていた地元情報のサイトでで話題になっているのを見て、神戸新聞のサイトで知ったのです。
神戸市東灘区 のサイトには掲載されており、場所も特定できましたが、ネット環境にある人ばかりでないわけうえに、市や区のサイトを積極的に見る人もそうそういないわけで、これではいけません。

処理前の不発弾


●周知の遅れ
実際、家人も「えっ?」という反応でしたし、近所に住む知人や同僚も押しなべて知らないという反応です。
過去の不発弾処理を調べると、250kg爆弾だと概ね300m前後が避難範囲となっており、上述の通り我が家も対象の可能性が捨て切れない位置だっただけに、避難対象範囲などの決定が焦点でした。

ようやく地図が出たのが 2月13日 。1週間後のことです。しかし、予想通り300m以内という規制区域ではありましたが、地図に示された区域は完全なる円です。地図上では建物の半分とか一部とか、また建物は無事でも玄関先とかが掛かるケースもあるわけで、これらの住宅には集合住宅も多く、大多数は圏外だが一部が、と言うケースも多く、これでは特に境界線上の住宅はどう対応すべきか困ります。

この段階ではっきりしていたのは阪神電車が西宮−御影を運休すると言う情報のみ。
ようやく仔細が出たのは 2月21日 です。(いずれも夕方発表)
ここではじめて避難対象区域が一軒単位で判明しました。一部でも掛かる家は対象になりました。
阪神電車に続き、交通関係では阪神高速の芦屋−摩耶、R43の深江神大前−瀬戸の各交差点間、及び規制区域内の一般道路とされました。

東灘区報臨時版

しかし、これらの広報は総てウェブベースです。
2月21日の決定を受けて、東灘区報の臨時版が配布され、学童のいる家庭には学校からも配布されました。対象の家庭には区のまちづくり支援課から連絡の紙が回ってきましたが、自治体単位で配布されたケースも多いようで、個別家庭の認識は著しく低い状態でした。

個別家庭などに配布されたもの

こういうとき、マスコミの報道は危機を煽りかねない面もある一方で、周知と言う意味では非常に有効なのですが、なかなか発見からの続報が無く、間近になってようやく交通規制の問題や避難指示の徹底の問題などが報道され、知られるようになったともいえます。

一方で交通関係は比較的前広に広報された格好ですが、阪神高速の規制において、これまでは料金所でビラを渡すと言う手段が使えたのに、ETCの普及でそのチャンスが無い、と言う問題が露呈しています。
ただ、市内主要道路の掲示や、私が見たケースでは遠く北近畿豊岡道で掲示するなど、広域での周知努力はされていました。

六甲有料道路の掲示R43、瀬戸交差点での掲示

阪神電車の場合は、折り返し線の関係から西宮−御影の運休になることは動かないため、比較的はやくからスムーズに広報できていました。変わったところでは、当日、ファンサービスとして「わくわくトレイン」を梅田から須磨浦公園まで運転する予定だったのが、この騒動で18日に延期を余儀なくされています。
ちょっと気になったのは、駅張りのポスターで、梅田−西宮の運転において、急行と普通のみ、という説明の行をマジックで消していある駅が一部にあったこと。中吊りなどではそうしたことはなく、どういう意図だったのか疑問です。

駅張りのポスター。右は「墨塗り」バージョン

問題なのは一般道の規制で、R43の規制と、R43に出るいわゆる青木幹線の規制および、東西を走る鳴尾御影線が通れることははっきりしていましたが、規制区域に絡む路地の規制が最後まで広報されませんでした。
2月26日 にウェブ上では発表になっていましたが、それ以外では一部の交差点に掲出された規制情報しかなく、私も前日に見た看板で最終的に駐車場も含めて規制対象にならないことを確認できたのです。

一般道規制を併記した規制標識


●避難開始
早朝、対策本部が設置される前に現地を歩いて見ました。
当日は規制区域には入らなかったものの、ちょうど所用があり、規制時刻にあわせて家を出るつもりです。

深江神大前交差点神戸大海事科学部

道路の規制ポイントには、よくみるとバリケード用資材が置いてあり、関係者が集まっていましたが、至って平穏。本部が置かれた深江の神戸大海事科学部(旧神戸商船大)には消防車や自衛隊車両が集結し、マスコミ関係者もいました。
肝心な現地は、消防車が集結し、自衛隊もいましたが、特段の規制も無い状態。ただ、マスコミがカメラを持ってうろうろしており、近所のビルに撮影ポイントを確保していた社もありました。おそらくそこからのアングルで不発弾搬出の瞬間を捉えた社がありましたが、避難指示の特例だったのでしょうか。

現地周辺避難所となった小学校

公園などには市の職員や民生委員と思しき集団がいて、避難指示発令とともに一軒一軒回る準備をしています。避難所に指定された5つの学校も受け入れを開始していました。

マスコミのヘリが上空で何機も舞っており、日曜の朝からうるさいことこの上ありません。避難対象区域外の家にとっては安眠妨害であり、迷惑です。在阪マスコミ各社は些細なことでもヘリを飛ばす癖があるようで、去年秋にも摩耶ランプ付近であった玉突き衝突事故で、各社が一斉にヘリを飛ばし、小一時間近く現場を中心に何機も旋回していたため、地上では何か大事件でも、と訝しんだこともあったわけで、在京各社と比べて見出しも煽り気味ですが、取材方法も煽り気味です。

7時45分の退去命令発令と同時に、各戸に上記の要員が回って退去命令を伝達しましたが、上述の通り広報に不備があったきらいが否めないため、退去「命令」とは思っておらず突然の訪問に泡を食った家も少なくなかったようです。
中には寝込みを襲われたのか、退去を渋った家もあったようで、8時55分に避難完了を確認して9時から作業開始の予定が約30分遅れたようです。

私もこれを機に家を出ましたが、さっき帰ってくるときには角々に警官が立っていたのに加え、命令と同時にバリケードが一斉に設置されており、放送を流す消防車が巡回するなど、一気に緊迫したムードになったのです。

青木幹線での規制


●交通の状況など
さて所用を終えて、物々しい規制を見ながら帰宅しました。
一休みして、ちょっと様子を見に出かけてみました。まずは青木駅のほうに向かいましたが、公式な非常線の手前で事実上の規制をしており、路地には簡単に入れないようになっています。青木駅近くに来ると、駅は圏外と思ってましたが、駅出入口が圏内となっており、入れません。

青木駅周辺の規制

きびすを返してR2に出て、阪神国道バスで御影に向かいましたが、R2は交通量は多目ですが、流れています。ところどころ滞りますが、これは普段でも見られる範囲でしょう。
御影に出て、運休区間の西端となる阪神御影駅に行きます。運休と振替となるJR住吉駅への案内が改札前に立ち、階段途中の発車案内も上りは消えていますが、それでも大阪方面ホームに上がり、駅員に尋ねる人がそこそこいます。

御影駅の案内。上り線は消えています

もっとも、御影駅ホームで多いのは「直特 御影」や「普通 御影」を出した電車が目当ての撮り鉄諸氏で、ホームの両端に鈴なりになっていました。このあと三宮に向かいましたが、西灘までの各駅も似たりよったりです。

御影止めになった直特が到着

三宮では上り電車が総て御影行きの表示に戸惑う人もいれば、珍しそうに眺める人もいると言う塩梅。ホームでは駅員がひっきりなしに注意喚起の放送を繰り返していました。

三宮の掲示普通は御影−高速神戸の運転

JRで住吉に戻り、六甲ライナーで魚崎へ。阪神からの振替客の影響は目だってあるように見えません。
魚崎は駅自体は開いていますが改札が閉鎖。売店も臨時休業でひっそりとしていますが、珍しいのかケータイで写真を撮っている女子学生がいました。

運休中の魚崎駅

そこから青木方面へ歩きます。
R43の規制ポイントである瀬戸交差点を見ましたが、ほとんどのクルマがスムーズに迂回していましたが、たまに戸惑うクルマも。
最大で3km程度の渋滞が出たという話ですが、瀬戸で見る限りは渋滞は長くて数百メートル単位です。
しかし、東西に走れる最南端の道路となった鳴尾御影線は混雑が激しく、渋滞と言うほどではないにしろ、かなりの混雑です。さらに山側のR2が目立って混んでいなかっただけに、R43の不通区間を最短で抜けようとするクルマが多かったようです。

R43、瀬戸交差点の規制


●規制終了
帰宅してしばらくすると、広報車の声が聞こえてきました。
撤去作業完了と規制の解除を伝えており、ようやく長かった規制が終了しました。実際には13時45分に完了したそうです。

改めて規制後の様子を見に外出すると、さっきまで路地を塞いでいたバリケードは跡形も無く、警官も消えました。
鳴尾御影線はほんのさっきまでの混雑がウソのようにクルマが消え、ひっそりとしたいつもの休日です。

規制解除後の現場周辺でのマスコミ取材陣

撤去作業現場に行くと、マスコミ各社が市当局者へインタビューの最中。入れ替わりに自衛隊のクルマが現場を続々と去って行きます。
早々と戻ってきた住民も無事終了した様子を見たり撮ったりしており、その一角は賑わっていましたが、あとは普段の光景が戻っています。

処理が終わった現場

阪神電車も淡々と運転を再開しており、何事も無かったかのように日常が戻ってきましたが、ほんの少し前までの光景がウソのようです。

しかしよく見ると、まだチェーン錠で閉鎖した24時間営業のコンビニや、臨時休業の張り紙が揺れる商店の存在が、あの光景がウソではなかったことを示しています。

コンビニは閉鎖今日は臨時休業


●終わってみて
全体としては非常にスムーズに行ったわけで、関係各所の努力には頭が下がります。
ただ、住民への周知徹底と言う意味では課題を残したといえます。また、発見から対策確定までの時間や広報に遅れがあったと感じます。
広報や周知方法については、ウェブに偏重が過ぎた格好で、新聞折込や、広報車の巡回など伝統的手法のほうが有効です。

青木駅の振替案内運行開始後の掲示

避難所に行った人は対象の約1万人に対して200人台と極めて少数で、大半が好天に恵まれたこともあり、そのままレジャーに出かけて回避したということでしょうが、防寒着や座布団、飲食物は持参するように、という条件では、ならばそのまま外出、ということなんでしょう。

それでも大きな混乱は無かったと言えますが、その陰ではやはり休日の予定を変更した人も少なくないわけです。私自身、自宅や駐車場が規制対象になるかどうかの見極めが遅れたこともあり、もともとあった予定をキャンセルしてもらっており、この代替を来月以降にしないといけないなど、影響が出ています。

現実にこうした「イベント」に遭遇したことで、「無事に混乱も無く」終わった舞台裏を身をもって体験したのです。
そうしてみると、やはり大なり小なり「都合をつける」ことが無い限り、「無事に混乱も無く」終わることは無いわけで、そうした「影響」というものは必ず存在するのです。そして、今回は「不発弾」と言う自身の危険にかかわることだからこそ、粛々とことが進んだと言えます。

運行開始直後の青木駅付近






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