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新快速敦賀延伸の効果を見る
「普段着の高速列車」のもたらす効果と期待




2006年10月21日のダイヤ改正で、JR西日本の看板列車である新快速は、遂に「関西」エリアを越えて北陸路の福井県敦賀市まで足を伸ばしました。
この改正から半年あまり、「敦賀行き」の新快速もすっかりお馴染みになりましたが、当初期待していたダイヤや経済効果との違いも浮き彫りになっているようです。
ここで新快速敦賀延伸から半年の時点での評価をしてみましょう。



「敦賀行き」もすっかり定着(三ノ宮)


※特記なき写真は2006年9月、10月、2007年1月撮影




●北陸線「直流化」への道のり
行政的には「中部地方」に属するとされる福井県ですが、経済的には関西圏との結びつきが強く、北陸線、湖西線は特急街道として関西圏と北陸地方を結んでいます。特に古くは山中越え、今日では北陸トンネルが貫く峻険な地形で県都福井市とも隔てられた「嶺南地方」である敦賀市及び若狭湾周辺の旧若狭国に属する福井県南部は、歴史的にも京都への物資の集散地として、鯖街道などの旧街道による結びつきがあり、関西圏へのアクセス改善が重視されてきました。

このため、北陸3県では長野新幹線に続く北陸新幹線の延伸促進に行政も経済界も力点を置いているのに対し、敦賀市など福井県南部では、新快速の敦賀延伸や、小浜線の電化による北陸線や舞鶴線を介した山陰線との直通による関西圏とのアクセスのほうが重要視されて来た経緯がありました。

小浜線電化、舞鶴若狭道開通で...
(電化開業当日の小浜市役所)(2003年3月撮影)


非電化区間を電化すると言う小浜線の輸送改善は2003年3月15日に達成されましたが、新快速の敦賀延伸のほうは一筋縄では行きません。北陸線は半世紀も前の1957年に敦賀まで電化されていますが、交流電化であり、直流電化の「アーバンネットワーク」を疾駆する新快速が直通することは出来ません。

かつての湖西線死電区間北陸トンネル手前の現行死電区間

電化方式の違いと言う障壁は大きく、首都圏であっても取手−藤代間で交直切り替えを行う常磐線は、他のいわゆる「五方面」とは違い、特殊な交直流電車を必要とすることから、都心側での直通運転の計画も進まず、車両の更新等も遅れがちであり、孤立感があるくらいです。
ただ、北陸線の場合は交直切り替え地点(デッドセクション=死電区間)が坂田−田村間及び湖西線の永原−近江塩津間にありますが、大阪から100km、京都からでも70kmを超える「遠距離」にあるため、京阪神の都市間輸送との一体感を必要とすることがなかったのです。

新快速延伸を訴えていた看板(敦賀)(2003年3月撮影)

その潮目が変わったのが、1991年10月のダイヤ改正です。
滋賀県湖東地区の都市である長浜市は北陸線沿線にあり、電化方式の違いからこれまで米原での乗り換えを余儀なくされていました。
電化後も相当後まで交直流車両の数の関係からか気動車列車が残り、昔の柳ヶ瀬線の名残でもある米原−木ノ本間の小運転を中心に運行されていましたが、その一部は湖東地区の拠点である彦根まで直通していましたが、完全に電車化された時点で、彦根に行くにも米原で乗り換えとなり、特急ダイヤの関係で運転本数も多くなく、かつランダムと言うことで、1980年代から直通の要望が高かったのです。

マンションも目立つ長浜市街

その要求の前に立ちはだかったのが電化方式の違いですが、約7億円の費用を長浜市が負担することで、デッドセクションを長浜−虎姫間に動かし、長浜までを直流区間とすることで、長浜までの新快速の直通を実現しました。
その効果はめざましく、観光客の入り込みは直通直後の1992年で1日平均2000人程度だったものが、2000年の段階で4400人程度と大幅に伸びており、かつ減少傾向だった人口にも歯止めがかかり、人口が増加傾向にある滋賀県とはいえ、大都市圏と距離がある地方都市としては異例ともいえる増加など、この好機を生かした中心市街地活性化策と合わせて、まちづくりの成功例として注目されたのです。

琵琶湖環状線を訴える看板(近江高島)

その目覚しい効果を目の当たりにした滋賀県がまず動き、従来からの湖北エリアの活性化を目的とした「琵琶湖環状線」構想としての、近江塩津で接続する湖西線と北陸線を直通し、琵琶湖一周の路線として整備するプランの働きかけが一層強まりました。
さらに福井県側も敦賀市が直流化による新快速の延伸を掲げるようになり、2002年にJRから直流化計画の提示があり、地元負担の分担が合意したことから、2006年9月にデッドセクションが敦賀−南今庄間に移転し、10月21日の改正を迎えたのです。

延伸初日、最初の敦賀行き(芦屋)


●湖北、敦賀を巡る
2007年の1月、青春18きっぷの冬のシーズン最終日に直流化されたエリアを回って見ました。
関西からの新快速は大阪発で9時15分(平日は9時16分)から15時15分までの毎時1本ずつがベースで、あと7時45分発(平日は7時47分)を含めて湖西線経由で設定され、夕方前の15時30分から18時30分までの毎時1本が米原回りで設定されています。

観光利用としてみると朝方が手薄で、ビジネス利用や敦賀方面への帰り需要としてみると夕方以降の湖西線経由が無いことや、米原回りを含めても早仕舞いと言うわけで、ダイヤはいまひとつという印象です。

敦賀駅の掲示

時間の都合で7時台の電車には乗れなかったので、大阪9時15分発の新快速に芦屋から乗りました。
12両編成での運転ですが、敦賀まで直通するのは前寄りの4両だけ。しかもはや京都で8両を切り離して4連となるため、京都からが今日いちばんの混雑となりました。

こちらは大阪の入れ替わりで座ってましたが、神戸方面からも一目で敦賀方面への行楽と分かる客が乗っており、大阪からは本格的に湖西線、敦賀方面への乗客が乗り込んできました。中高年のグループが目立ち、敦賀のガイドを手にしている人も多く、大阪から立つ人も多かった上に、京都では後部8両から移ってくる人も多く、かなりの客を立つ破目になっています。
しかも混雑からせっかくの補助席も堅田発車まで使用が停止されてました。

湖西線に入り、比叡山坂本、堅田とぽつぽつ入れ替わり、「レジャー号」として臨時停車の志賀や、近江高島、安曇川での降車が目立ち、大阪や京都あたりからの行楽客はここで大半が席にありついてましたが、乗り込みもそこそこあり、立客は近江今津到着前の時点で各車20人くらいにまで減りましたが、大阪から100km超の時点まで立客を抱えると言うのはやはり異常です。

近江今津で9分停車して「サンダーバード」退避。近江舞子から敦賀まで各駅停車となることもあり、京都を25分後に出る特急に追いつかれます。特急も「サンダーバード」「雷鳥」が30分ヘッドで運転されているため、この各駅停車区間が続く限りは特急退避は不可避です。
高島市の中心で、小浜方面のJRバス乗り換えもあるため降車客も目立ちますが、乗車客も同じくらいあり、立客数は同じ位。8連にしても正座席ベースなら8割方は埋まる計算ですから、4連は酷いです。

湖西北部の観光地、マキノでの降車が思ったよりも無く、大半の目的地が敦賀か、と思った近江塩津で50人ほど降車しました。私もここで降車して、いったん始発の米原経由新快速に乗り継ぎです。
近江塩津では湖西線経由敦賀発着の新快速と、始終着の米原経由の新快速が同一ホームで対面接続という謳い文句ですが、ホームに姫路行きの姿はありません。狭いホームに乗り換え客がたたずむ中、敦賀行きが発車したあとに4連の新快速が引き上げ線から入線しました。

入線する新快速。4両分以外は低いホーム

停車駅案内を見ていると家に帰るような格好のこの列車に長浜まで乗りましたが、湖西線からの乗り継ぎ客が木ノ本や高月でなく、長浜までが大半というのも意外でした。
湖西線内で地味に乗ってきた集大成のようですが、京都方面から敢えて湖西経由という周遊型の観光客も少なからずいるようです。
乗り込みは高月が目立ち、長浜で座席定員の半分超に、という感じで京阪神へ向かっていきました。

長浜駅のテラス

ここで昼前の長浜を駆け足散歩。鉄道記念館、盆梅展を建物の外から見るだけで通過し、踏切を渡って旧北国街道を北上して黒壁スクエアへ。中心街活性化の拠点、まちづくり役場を見た所で時間切れです。
確かに人は集まっており、長蛇の列の飲食店もありますが、黒壁はじめ特定の施設と、普通の商店の落差が激しいです。縦横にあるアーケード街も、黒壁が絡まない通りは閑散としています。それでも駅裏などにマンション建設が進むなど活気が見られることは確かで、全体としては底上げが実現している「成功例」でしょう。

通りによっては人通りもまばらまちづくり役場

下りの新快速で木ノ本へ。長浜駅改札脇の米原・井筒屋経営の喫茶店で米原駅弁として名高い「湖北のおはなし」を購入しましたが、時間が無く、木ノ本の待合室で食べました。
昼過ぎ到着の新快速は座席定員7割程度。大半が長浜下車です。

木ノ本で降りて木之本宿を散策。うだつの上がった街並みは風情がありますが、「北国街道 木之本宿」の幟以外はあまり手が入っておらず、閑散としています。元の庄屋で由緒を記した説明板が立つ風情ある造り酒屋に、「不良化のきっかけとなる酒たばこ」の青少年対策のスローガンが掲げてあるのには苦笑ですが。

うだつの上がった木之本の街並み

こうして見比べると、「作られた」長浜と、「手を入れていない」木之本は好対照ですが、却って自然な感じがする街並みは味わいがあります。
このあたりの駅舎は直流化の時に軒並み建て替えられていますが、木ノ本は駅舎の移転は済みましたが、駅前広場の移転が間に合わず、まだまだの様子というのはもったいないです。

1時間後の新快速で近江塩津へ。そして永原を往復して敦賀へ。
この時間帯(12〜14時)は米原、湖西系統とも空いてますが、近江塩津での琵琶湖環状ルートでの乗り換えが両方向とも例外なく30人程度はいるのが想定外でした。敦賀以南の区間運転には、新鋭521系や小浜線と共通の125系が使われており、国鉄型は一掃されたようです。

永原駅

湖西ローカルのかつての終点、永原は駅だけ立派。委託駅ゆえか薄暗い地下道にIcocaの簡易改札機(入場用、出場用)にスマートIcocaのチャージ機、さらに無人駅でお馴染みの乗車駅証明書発行機が並ぶ様はある意味奇景です。
ここは西浅井町の中心ですが、これまでロクに電車が無かった塩津などとの行き来はというと、湖国バスと乗り合いワゴンがありましたが、今後は鉄道利用が増えるのでしょうか。

通路に並ぶ簡易改札機など

敦賀に着いたのは近江今津退避の「サンダーバード」の遅れを引きずって14時20分頃。
座席定員の半分程度で到着ですが、折り返しはすぐに満席。空いてるように見える便も、折り返しのどちらかが入り込みか送り出しの時間帯にかかるため、4連は厳しいです。
遅い到着ですが、福井方面に乗り進む客もいれば、帰りの電車を確かめる客もおり、新快速の直通が気軽な訪問を誘発している様もうかがえます。

通常は欠き取り式の4番線発着

駅前に出て、気比神宮へ。赤レンガの倉庫街まで足を伸ばすのも億劫で、あとは気比の松原か気比神宮かというところで、中心街の見物がてら気比神宮まで歩いて見ました。
駅頭には新快速延伸を機に土日のみですが運行を開始したぐるっと敦賀周遊バスがいましたが、通常便の小型車に、なんと大型の臨時が
付いており、かなり利用されています。

ぐるっと敦賀周遊バス

ちなみに駅前からR8に出て、気比神宮までのメインストリートには松本零士氏の「銀河鉄道999」「宇宙戦艦ヤマト」のキャラクターのモニュメントがあり、周遊バスも同キャラのイラストが入っています。なぜに松本零士氏かなんですが、氏の出身とかゆかりの地と言うことではなく、敦賀が港と鉄道の街というコンセプトつながりでの起用だそうで、境港のゲゲゲの鬼太郎など地方都市の「有名キャラ」とは一線を画した?存在です。

気比神宮

ただ、中心街はイマイチぱっとせず、このエリアではお馴染みの平和堂がひとり気をはく感じ。ただ、鉄道やバス利用も便利な中心市街地に大型店が残っていると言うのはまだ救いなのかもしれません。中心街の街路は明るく、雪国らしくアーケードになっている歩道には観光ガイドその他を映すモニターや、敦賀駅の時刻表が掲出されているのも新鮮です。前後の区間と隔絶して広い街路がパーキングスペースになっています。

「情報ステーション」化しつつあるアーケード中心街。両脇に駐車場

参拝後は駅に戻り、新しいデッドセクションとなった区間を越えて南今庄まで往復してみました。往路は急行型3連でしたが、戻りは新鋭521系。急行型3連なら立っても数人というレベルでしたが、センター試験帰りの高校生が多く、北陸トンネルを越える2両編成の電車は大混雑。車掌がしきりに乗客数を数えており、2連の輸送力への不安が会社側にもあるのでしょう。
敦賀に戻ると帰りの新快速まで2時間ほど。まずは押し寿司の土産を買おうとしたら、駅弁の塩荘の売店はほぼ全滅状態で、これも新快速延伸に伴う効果なんでしょうね。

521系

街中に出て、魚屋で連子鯛とハタハタの一塩ものを買い、二階の直営居酒屋で一献。地酒と地魚を中心とした酒肴を楽しみ、ほろ酔い気分で18時55分発の米原経由の新快速で帰りました。
この時間まで来ると、40分頃に福井方面からの北陸線が到着するまでは並ぶ人は数人程度。発車時も窓側が埋まる程度でした。

●中途半端な設備がネックに
18切符シーズンの状況しか見ていないとはいえ、敦賀行きや近江塩津行きの4連はいくらなんでもと言う感じがしますが、これはJR西日本に目立つ中途半端な設備や設備投資が祟ったというところです。
1本目の敦賀行きと3本目以降は8連で湖西線に入り、4連を近江今津で切り落としますが、2本目の「湖西レジャー」は大阪着がお出かけ需要にちょうどとあって12連を組んだことで京都から4連になってます。
これは湖西線直通の新快速が8連が上限なので、さらに近江今津で切り落とすことを考えると4+4+4の12連にならざるを得ませんが、非常用扉しかない223系でその編成を組むと、中間の4連に乗務員がアクセスできないため、組めないため、12連が入れる最後の京都で一気に8連を切り落とさざるを得ないのです。

ただ、湖西線が8連制限といいつつも、特急は12連を組んでいるわけで、主要駅は12連に対応しています。というか、新快速停車駅のうち新旭が唯一8連が限界となっており、ここが12連対応なら近江今津まで12連に出来るのです。平日朝の上り快速(京都以遠は新快速)のように近江舞子−近江今津で通過運転を行えば近江今津まで12連が入れるのですが、普通を近江舞子折り返しにして、運用数を削減している関係もあり、新快速を各駅停車にするため、新旭1駅のために8連の制限がかかっています。

このあたりは新旭のホーム延伸(高架駅だが、盛り土部分があり比較的簡単に延伸できそう)が正攻法ですが、それを待たずとも朝の2本目だけでも普通を近江今津まで入れて、新快速は安曇川のみの停車とするなりして近江今津まで12連運行をすべきでしょう。
なお、桜のシーズン、奥琵琶湖の桜の名所である海津大崎への輸送を考慮してか、4月上旬の週末は、4連と8連の連結順序を入れ替えて、京都で切り落とす8連が湖西線内で先行する雁行運転で永原まで運行しました(先行便は近江中庄通過)。また、1本目との間にある新快速近江今津行き(大阪8時45分発)に接続する永原行きの臨時列車を運行しています。

米原経由の運用も、長浜で分割併合が出来ないため、近江塩津、敦賀系統は米原から4連となるため、坂田、田村、長浜の各駅では編成が半減したという問題も、近江塩津の引き上げ線や敦賀の折り返しホームが4連分までしかないというピンポイントの欠陥が全体を縛っているわけです。特に近江塩津のそれは、ホーム折り返しなら問題はないのですが、「琵琶湖環状線」を対面接続にするには引上線を使わざるを得ないのが徒になっています。

敦賀駅。一段ステップ対応だとこのくらいの段差

また、虎姫以北のホーム扛上が4連分しかないと言うのも何とも中途半端ですが、交流車の1段ステップ対応まで上がっている駅なら、目をつぶれば入線できるはずです。南今庄以北での521系がそうですし、敦賀も一部の新快速はホーム扛上がされていない北陸線ホームに発着していますから、できない理由にはなりません。
ならば8連入線は出来るはず、と思いきや、余呉と新疋田の下りが客車時代の2段ステップ対応ホームのままであり、段差がありすぎで、余呉の上りはホーム自体が8連分無いというこれもピンポイントの欠陥が残っており、これが全体を縛っているのは何とも不条理です。

角材と板を使った扛上

なお、木ノ本が駅舎移転工事の関係で敦賀方に停車位置をずらしていますが、その際に角材と板での仮扛上で対応しています。これはいかにも簡単な施行であり、各駅の扛上もこの方法ですればいいはずです。
ただ、仮扛上部は凍りやすいのか、塩カルをまいていましたが、それも周知して、仮設部はあまり利用させず、本設部で降りてくださいと言えばいい話であり、新引田の下りホームでそれが出来れば8連の敦賀直通は可能です。

●入り込み対策の問題
観光対策としては、長浜は功が大きいものの、陰の面も見えます。
新快速の延伸を好機と捉えての日帰り、立ち寄り型の観光都市化は成功しましたが、観光への依存は「黒壁」とそれ以外の格差を生じさせていることも事実であり、「まちづくり」として見た場合の課題を残しています。

それでも新快速とのコラボレーションの成功例としての存在は大きく、長浜に続けと今度は西端の赤穂でもまちづくりへの取り組みが始まっていますが、すでに播州赤穂駅の乗降は日中の乗り入れが増えた2005年の改正以降増加傾向にあるわけで、「神話」は類似例を作ることはあっても、色褪せてはいないようです。

黒壁スクエアの賑わい

今回直流化された湖北地域は、木ノ本町の様子を見ても分かるとおり、今後に期待という仕込みの段階といえます。
琵琶湖環状線経由の利用が予想外にあるだけに、湖西線側の高島市(今津、マキノ)などと連携した戦略が必要でしょう。

一方の敦賀は福井県側(特に嶺北を地盤とする県と福鉄)のやる気がなさそうなのが問題です。
周遊バスの運行が敦賀観光(滋賀観光系)で福鉄は噛んでい無いと言うのがその最たる点でしょう。さらに周遊バスの立ち寄り先は賑わっているものの、他は観光客がまばらと言う感じで落差が激しいです。
新快速延伸に対する取り組みも遅れており、観光スポットの整備が間に合わなかったのはその典型です。

歓迎はしているが...

敦賀周辺にしても、R8から河野海岸経由で越前海岸へのルート確立もほしいところ。水仙や奇岩で有名な越前海岸は現在、武生から河野まで出て回るルートですが、敦賀から河野海岸有料道路経由と言うアプローチもあり、新快速敦賀から、というアナウンスは重要でしょう。
1月から河野まで予約制の急行バスが2往復走ってるようですが、時刻は一部旅館のサイトにしかなく、事実上旅館関係者しかわからないようでは困ります。

敦賀経由の「マリンわかさ」(1995年8月撮影)

また、小浜線沿線との連携も必要です。かつては京都、大阪から夏季の臨時急行や、名古屋から米原、敦賀経由の定期急行の設定がありましたが、せっかく直流化で直流電車での乗り入れが可能になったというのに、舞鶴口も含めて小浜線への直通が重視されていません。夏のマリンレジャー、冬はカニにフグと題材には事欠かないエリアであり、舞鶴道が近い将来敦賀まで全通してからでは遅いです。

柳ヶ瀬トンネル山中越え旧線(2003年3月撮影)

あと、このエリアの観光資源として指摘したいのは、北陸線旧線や旧敦賀機関区のような「産業遺産」です。
マイナーすぎるきらいはあるものの、すでに長浜には「鉄道記念館」があるわけで、大都市圏に近接しているからこそ、このようなニッチなテーマも成り立つと見ます。こうしたポイントを結ぶ輸送手段として旧線経由の周遊バスというような設定があればいいんですが...

●鉄道に望まれる対策
問題は、敦賀まで行く利用者が予想以上に多いことでしょう。その観光客を、鉄道は電車の混雑を筆頭に裏切っている感じです。電車、編成の問題は、新快速の半分が8連から米原以北4連になったことで、好調な長浜観光の足も引っ張っています。
なお、この改正の直前となる10月1日にJR東海もダイヤ改正を行っていますが、これまで2連運用が多く不評だった大垣−米原間が増強され、休日の行楽需要の時間帯は6連運用が中心になっています。
湖北、敦賀では京阪神と並んで名古屋方面からの入り込みへの期待も大きく、JR東海の方針転換もそれに応えた可能性がありますが、いざ蓋を開けてみると、敦賀までの間で最悪長浜と近江塩津の2回の乗り換えを強いられるケースがあるなど、使い勝手の悪さが目立ちます。

開業しばらくは長浜、木之本ゆかりの大河ドラマのテーマである「山内一豊夫妻」、そして冬場はカニや鴨鍋、春になれば越前海岸の水仙に奥琵琶湖・海津大崎の桜と材料に事欠かないだけに、せっかくの入り込みの増加が「行って疲れた、うんざり」というアンチリピーターを増やすだけに終わりかねない状況は早急に改善すべきです。
ただ、直流化後初の大型連休の入り込みははや息切れが見えたやにも聞いており、これが需要の一巡なのか、敬遠され始めたのか、心配事です。

このあたりはJR東日本が、新幹線開通などの「ビッグイベント」で、貪欲に需要を取り込むべく輸送力を最大化して売り込んでいることを参考にすべきでしょう。
これまで目があまり向けられなかったエリアの売り出しですから、いかに満足して帰ってもらう、そしてその満足をバネにリピーターに育ってもらうことを考えたら、今回のような対応はせっかくのブームに水を注したといわざるを得ません。

逆に敦賀、湖北側からの利用を見ても、敦賀発は早朝に出た後、4時間ほど開いて大阪着が昼過ぎになるまで無いというダイヤには不満が多いです。琵琶湖環状線内からの設定はそこそこありますが、こちらは編成の短さが気になるわけで、こちらも満足いくものではありません。片方を優先して残りが割を食うのならまだしも、両方向とも不満が残るというのはやはり問題であり、早い時期の改善が必要な部分です。

そして、地元が満足する改正がなされてはじめて、地元が負担した今回のプロジェクトが生きるということを認識すべきでしょう。

夕暮れの敦賀駅





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