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法治国家の根本が問われる「改正」
道路特定財源の一般財源化に反対する(その4)
道路特定財源の一般財源化問題で、安倍首相から取りまとめの指示を受けた塩崎官房長官が2006年12月6日に自民党本部で開かれた「道路特定財源見直しプロジェクトチーム」の会合で「真に必要な道路整備は計画的に進める」「毎年度の予算で道路歳出を上回る税収は一般財源とする」などとした4項目の見直し案を提示したことを受けて、与党は、政府の「道路特定財源見直し案」を大筋で受け入れる方針を決めたことにより、8日に政府と与党間で正式合意し、政府は正式に閣議決定しました。
閣議決定の後、塩崎官房長官は記者会見やNHKニュースへの出演で、一代議士時代に議員立法で道路特定財源の制度自体を作った田中角栄元首相の名前を何度も引いて、古い体制を打ち崩したことを強調していましたが、改革の成果と言う功を焦った感がありありであり、本来後世の評価に委ねるべきものを、取っ掛かりの時点で自賛しているのには鼻白みます。
さらに政府案が玉虫色で、与党からも注文がついた格好で、「骨抜き」という声もありますが、そもそもの問題点である特定財源の一般財源化、暫定税率の維持という点についてはそのまま政府案が通る見通しになったことを意味します。
この一般財源化については、無駄な道路を作らないから良いこと、という類の意見があるように、旧来型の「土建国家」からの「改革」としてもてはやす向きがあります。
しかし、ことの本質はそういう皮相的な話ではなく、税制の根幹に関わる問題であり、「賛成=改革」「反対=守旧」などというレッテル貼りや、「改革路線」として扱うことはことの本質を見誤るどころか、ミスリードするものです。
これまで道路特定財源の一般財源化について述べてきましたが、再度税制の体系、法律論を中心に問題を指摘します。
●目的税の無目的化
道路建設を目的とした目的税であり、各税はそれぞれの法律で徴収目的(=利用目的)が定められています。一般財源化ということは、その存在根拠である目的を喪失することになるわけで、常識的に考えれば法律として存在し得ないことになります。もちろん自動失効ということはありませんが、目的を失った法律をそのまま適用することは出来ません。
「目的を定めない一般財源」を目的とする変更を行うという手が考えられますが、それは最早詭弁の域です。例えば環境目的、また畑が全然違いますが福祉目的という目的の変更はあり得ても、目的を持たないということを「目的」と見做すことは、世の中のあらゆる税金は「目的税」になってしまい、「目的税」という概念自体が消失してしまいます。
●一般財源への「復帰」
道路特定財源の太宗を占める揮発油税は、1937年に施行されており、その当時は一般財源でした。ただ、創設の趣旨は、国家総動員法体制下で、ガソリンに比べて割高だった人造石油や木炭などの代用燃料との価格調整を行うことで、「ガソリンの一滴血の一滴」とまで言われたガソリンの消費を抑制するという、今で言うところの豚肉の輸入関税のような性格でした。
戦後も石油不足の中で代用燃料との価格調整として存続していたのを、1953年に「道路整備費の財源等に関する臨時措置法」が成立し、翌1954年に道路財源となっています。
この一般財源からの変更という事象だけを捉えて、「道路整備費の財源等に関する臨時措置法」から「道路整備緊急措置法」を経て改正された「道路整備費の財源等の特例に関する法律」における揮発油税の指定を解除すれば、一般財源化が可能と唱える意見があります。
しかし、揮発油税のそもそもは、個別物品税とも異なる、代用燃料との価格調整という一種の「目的税」という側面があり、だからこそ道路特定財源に組み入れられる直前には、当時の本則での徴収ですら、「略奪的課税」と指弾されたように、個別物品税と同列に語れない水準でした。
そこから暫定税率でさらに負担を増した状態での一般財源「復帰」どころか、本則状態に減税しての「復帰」ですら、一般財源としての徴税とその税率が著しく均衡を失していると見做せますし、そもそも揮発油税は一般財源のカテゴリーながら、「自動車重量税」をはじめとする事実上の目的税と同種であり、「復帰」したと同時に「代用燃料との価格調整」という前世紀の遺物に過ぎない「目的」は当然失われており、目的税の目的が無くなった状態といえます。
●暫定税率の維持
我が国の憲法は租税法定主義を定めていますから、各税には根拠となる法律があり、そこには税率が規定されています。税率の変更は法律の変更であり、政府が政省令などで勝手に税率を変更して徴収できないようになっています。
ただ、あくまで暫定的なものとして、時間を限って税率を変更するケースがあり、道路特定財源のいわゆる「暫定税率」はそういう手続きに拠っています。
ただし、これも租税法定主義の原則を踏み外すことはなく、「租税特別措置法」において期間を定めて改定しており、期間を延長したり、税率を改定する際には都度「租税特別措置法の一部を改正する法律」を通して実施しています。
今回、一般財源化を行いながら、暫定税率の維持を行うとしていますが、暫定税率に変更した根拠が道路特定財源であることを原因とする予算確保である以上、道路特定財源が一般財源化された瞬間に、暫定税率である根拠を失います。
そのため法律としては物理的には存在できても、それに基づく法律の執行は「違法」状態であり、「租税特別措置法」に定められた期限が来た時点で、期間の延長を内容とする変更案は、そもそも趣旨説明が出来ませんから、法案審議以前の問題として上程すら出来ません。
●一般財源としての間接税
目的税として、受益者負担の原則から必要な税額を算出している間接税が、一般財源である間接税と比較して税率が大きく異なることについては、目的税と一般財源との性格の違いから容認されるものです。
しかし、同じ一般財源である間接税で、税率に格段の差が発生する状態が容認されるかどうか。
我が国における間接税は、個別物品税による対応であったものが、1988年に施行された税制改革法に基づき、消費税を導入して個別物品税を廃止しました。
料飲税のように移行措置として特別地方消費税として存置されたケースもありますが、消費税率の改定の際に、1%部分は地方消費税として地方財源となったため、廃止されています。
税制改革法は、第3条で以下の通り規定しています。
(今次の税制改革の基本理念)
第三条 今次の税制改革は、租税は国民が社会共通の費用を広く公平に分かち合うためのものであるという基本的認識の下に、税負担の公平を確保し、税制の経済に対する中立性を保持し、及び税制の簡素化を図ることを基本原則として行われるものとする。
この後設立された間接税は、石油石炭税の石炭部分と、たばこ特別税だけであり、一般財源の体裁をとりながら事実上目的税となっているほか、前者は石油との「公平の確保」が目的であり、後者は既存のたばこ税に対する比率が小さいことで理解を求めているということでしょう。
この基本理念で、一般財源としての間接税は事実上消費税に一本化されており、例外として嗜好品課税である酒税とたばこ税が個別物品税として残っています。
道路特定財源に関して、自動車の保有や運転を「嗜好品」と同一視して、個別物品税を課すことが妥当か、というと、これは論を待たない愚論であり、消費税以前に個別物品税の対象であった宝石類や毛皮など、日常生活に欠かせないものではない奢侈品であっても消費税だけの課税に対し、消費税に加えて一般財源としての間接税が課されるということは、税制改革法の基本理念とどうあっても整合しません。
●「改正」案は法律の体をなすか
以上より、まず暫定税率の維持、そして一般財源化のそれぞれが、税法の体系からみても正当な根拠を持ち得ないことがわかります。
ですから、仮に立法府が「改正」案を成立させたとしても、法理論上矛盾が存在する、法律として真っ当に存在し得ないものになりますし、法治主義、先進国の立法府として非常に恥ずかしいものといえます。
これを回避するには、現行の法律を全て失効させて、課税対象と税率を全く同じにした新しい間接税の法案を採決するしかありませんが、これとて税制改革法の基本理念はクリアできません。
それどころか、もし基本理念に対立する間接税を導入するのであれば、基本理念を政府が放棄することに他ならず、国論を二分して成立した消費税そのものの存在意義を失わせることになります。
●法律は「意義」と「整合性」があってこそ
道路特定財源や暫定税率の「根拠」を改正すれば現行税率での一般財源化が可能と言う考えは、法律をただの言葉遊びとしか捉えていないということでしょう。
例えば、近々裁判員制度が始まりますが、一般人の司法参加という意味であれば、既に存在する「陪審法」を停止させていた「陪審法の停止に関する法律」にある、戦争終了とともに陪審方が復活する規定を確認して復活させればいいだけ、つまり法律の制定も改正も必要としないはずなのに、なぜそうしなかったか。
一方で、日本国憲法では法律は立法府が制定すると規定されているにもかかわらず、「爆発物取締罰則」のように、行政府である太政官が帝国憲法以前に制定した法律が有効とされているのはなぜか。
それは法律の意義と、法体系との整合性にほかなりません。
単純に旧に復しても、現在の法体系との整合が取れない法律であれば、復活できませんし、新たに立法する必要があります。一方で「法律」の定義から若干逸脱する太政官布告であっても、刑法の体系に整合するため、法律として扱われているのです。
●問われるべきは...
この問題は、「改革」などという内容ではありません。
国民の義務である納税の意義を歪めた禁じ手という、国家の信頼性を問うべき問題なのです。
「目的税」だから自分たちだけが払っている、本来よりも高い税金を払っている、実際にそういうシステムで運営されている、という負担を納得する拠り所の根底を崩すものだからこそ、1000万を超える国民が反対署名という行動に出たのです。
問題の所在はその一点であり、別に集められた税金をフルに使うべきと考えている人はいませんし、地方の生活交通維持や、大都市の幹線道路のような喫緊の事業を除けば、事業を縮小して減税すべき、と考えている人が大多数でしょうし、理に叶っていれば、税額の多寡は問題にしないかもしれません。実際、これまでの暫定税率の改定では、ここまでの批判は起こっていないのですから。
それを税金の多寡にすりかえようと、アメリカに比べると高いが、欧州に比べるとまだ安いから暫定税率でも妥当だとする政府の説明は、国民が単純に払うのが嫌がっているだけという愚民扱いにも等しいものでしょう。
また、それゆえに道路建設の規模が維持されたことで政府と合意してしまった与党も、実は民意を正しく反映していませんし、改革派の安倍首相と抵抗勢力の道路族、というステレオタイプの政局として事態を報道してきたマスコミも、問題点を国民の前から隠し、民意をミスリードしたのです。
特にマスコミは、国民保護法案のときなどに代表されるように、国民の立場を僭称しながら、自分たちの問題が解決したら国民を「捨てる」傾向が著しく、今回もまさしく国民に対する「国家的詐欺」という問題点を、ステレオタイプの政局論に矮小化した挙句に、国民負担に頬っかむりして幕引きを演出しているきらいがあります。
そして演出された幕引きの後に来るものは何か。
国家がいとも簡単に「税金の横流し」を行うということは、国家の信用が前提になっているあらゆる徴収の根拠に対する信頼性を失わせるのです。年金も然り。目的がいとも簡単に変更できるのであれば、給付への信頼は地に落ちるでしょう。
いわんや喫緊の課題である消費税率の改訂を前にして、裏切られた「納税者」がその理由を信頼するのか。パンドラの箱を開けたことで、重い課題を後世に残したのです。
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