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暫定税率よりも問題な「本則の略奪」
道路特定財源の一般財源化に反対する(その5)




宮崎県の東国原知事が道路特定財源の確保を訴えたことが波紋を呼んでいます。
タレント知事とはいえ出だしはこれまでの「悪しき慣習」との決別姿勢などもあり、「改革派」として扱われていただけに、道路建設を訴える姿には「旧態依然」を地で行くような印象を与えたのか、手のひらを返したような酷評になっているようですが、知事は批判を受けてもそのスタンスを変えていません。

東国原知事のいわば「強硬姿勢」、この根源には道路特定財源問題の根源に関わる問題である暫定税率の問題、一般財源化の問題という、納税者、受益者双方にかかわる重大事が密接に関わってきます。
暫定税率を定めた租税特別措置法の期限を間近に控え、時間を人質にとった形で政局化する中で、本質論を回避するどころか、ドサクサの表現がふさわしい形で最悪の決着を見る可能性すら出て来ました。

シリーズ第5回目は、暫定税率問題の陰で進む「本則の略奪」を指弾します。



●論理破綻する識者
政府与党に限らず野党、そしてメディアに共通するのが「一般財源化」です。
これに関しては常々「受益者負担という大義名分があるから『不公平な徴税』が容認されてきた」ことを指摘し、現状の課税体制で(暫定税率がなくなったとしても)一般財源化したとしたら、それは自動車ユーザーのみ大きな負担を課せられるという税負担の本義を外れた異常な状態となるのです。

そういう意味で、「ガソリン値下げ隊」なるパフォーマンス部隊を繰り出している野党第一党の民主党は、25円の暫定税率の撤廃を訴えるだけで、28円の本則部分が「自動車ユーザーのみに課せられる一般間接税」になるという大いなる不平等を隠しているわけで、毛ばりの最たるものといえます。

まあこうした低レベルなパフォーマンスはともかくとして、二の句が継げないのが、いわゆる識者といわれる人々がメディアで語る「意見」です。
「道路特定財源」そのものを悪としたいのか、最近では所管官庁による「流用」を指弾していますが、それがいわゆる一般管理費に属する部分であれば「流用」と批判されるべき性格ではないのに、そこを厳格に峻別しての批判となっています。

問題はこうしたメディアと識者が、一般管理費レベルへの流用すら許さない厳格さを主張しながらも、「だから一般財源化」と主張することです。
「道路建設、維持」への支出を原則として、特定の階層からのみ徴収している道路特定財源だから、他への流用は許されない、というのは筋が通っています。しかし、道路にも支出するものの、使い道が基本的に限定されない一般財源化というのは、「究極の流用」です。

官庁のタクシー代、福利厚生費、昨今指弾されてきた支出であっても、一般財源であればその支出を批判する根拠はありません。こうした子供でも少し考えればおかしいと判るような話を平然と主張する識者というのは、レベルが低いのか、それとも「為にする」意見を垂れ流しているのかのどちらかです。

●宮崎(延岡)になぜこだわるのかを考える
さて冒頭の東国原知事の発言ですが、それを受けて立つ形で民主党の議員団が延岡市へ乗り込みました。
まあ延岡市の交通事情というのは知る人ぞ知るやの世界であり、日本で一番遠い10万都市とも言われる交通事情の街へ乗り込んだというのは、民主党は本当に何も知らないのか、それともどう見ても高速が必要な街を選んでパフォーマンスの落としどころを探ったのか、意見が分かれるところでしょう。

一方で延岡と宮崎を混同する意見も相次いでいるわけで、宮崎道の存在を理由に高速はもうあるじゃないかというトンチンカンな主張も少なくありません。延岡から宮崎道経由で九州北部に向かうというのがどういうルートなのか、一度地図で確かめたほうがいいでしょう。
また、イメージだけ、古いデータで語る人も多いようで、かつてはフェリーなどの航路の玄関だった県北の日向市から航路が消え、宮崎港に移管しているとか、燃料費高騰の影響で運賃が値上がりしたり、航路自体が縮小しているといった現状を把握していない人も多いようです。

鉄道の改善も進まず、そもそも延岡−宮崎の高速化ですら、旭化成の出資を仰いだわけで、一企業の支出としては異例な規模となったのも、自社運行のヘリコプター事故で少なくない犠牲者を出した苦い経験があっての話であり、大分方面への高速化は事業者はもとより、行政も手を付ける気配がなく、最高速度85kmという汽車時代から進歩していないレベルの運行が続いているのです。

こうした絶望的ともいえる状況が一連の発言になったわけです。
産業を興そうにも、呼び込もうにも、空港との間に高速道路がない、一大消費地である福岡との間に高速道路がない、という現状では、進出する企業などありません。
もちろん失敗例も全国規模で少なからずありますが、失敗するにしても産業を呼ぶためのスタートラインに立てないのでは失敗以前ですから話になりません。

そしてそもそも宮崎県自体が、宮崎道がある都城、えびのエリアで高速道路を軸とした開発に一定の成果を上げているわけで、また、「フェニックス族」に代表される福岡に移住しないで気軽に行き来する若者層の存在も、高速交通の整備があっての話です。

●宮崎での議論が示す論点
さて、東国原知事の発言でこれも不評なのが、「一般財源化すると、隣県は福祉や医療、教育に回せるので、宮崎との格差が広がる」というくだりです。

あたかも他県の足を引っ張るが如き印象を与えているようにも見えますが、実はこれが単純な一般財源化による弊害の最たるものなのです。
道路の為に徴収され、道路のために使われる道路特定財源が、国や地方の一般財源となったとき、道路整備を諦めない限り、道路整備が未達の自治体は、十分に整備された道路を持つ自治体がその財源を他に振り向けるのを横目に道路インフラを他の自治体並みに引き上げることから始めないといけないのです。

つまり、これまで「道路だけが」周回遅れだったものが、他のあらゆる分野で周回遅れになる懸念が生じるのです。
もちろん道路を諦めれば他の分野で遅れることはないのですが、道路というインフラにおける格差が固定化することを意味するわけですし、場合によっては道路も他も、とレバレッジが効いた形で格差が進行することもあるでしょう。

少なくとも道路建設のレベルをある一定の水準まで引き上げてスタートラインを揃えないと、ハンデがある状態で一般財源化して配賦したら、取り返しが付かない格差を生みかねないのです。
道路特定財源を巡る問題で、暫定税率からの収入に頼った財政に穴が開くことへの主張は数多く見ましたが、東国原知事のこの指摘は、単純な一般財源化における根本的な問題でもあり、誰の入れ知恵か、と言ったら失礼かもしれませんが、なかなか鋭いです。

●「本則の略奪」をどう防ぐか
特別会計=悪というレッテルが広く流布されている状態では、一般財源化への批判そのものが「悪」とされる感じです。
しかしながら、そこで忘れられているのは、いや、財源が確保されていてこそ成立する「一般財源化」ゆえ、敢えて論点を隠しているとしか言いようがないのが、自動車ユーザー、オーナーと言う特定の納税者のみが負担している高率の税金という現実です。

この高率の税金の徴収根拠こそが、受益者負担と言う特別財源制度であり、本来国民がその義務として公平に負担しなければいけない一般財源に関して、特定の階層のみに高率の税金を課すということは、略奪と言っていい事態でしょう。
もし税収面で必要なのであれば、道路特定財源の全廃と、消費税の税率アップを両建てにして、負担の公平化を保つことが大前提なのです。

この一般財源化を支持するメディアや政党は、誌紙面や広報紙を使って一般財源化を訴えていますが、自動車ユーザーへの不公平な課税を我が身に置き換えてもそれを首肯できるのか。

例えば、社説で一般財源化を訴えた朝日新聞のみ20%の消費税がかかると決まったら、読者はどう考えるか。いや、編集部はそれを粛々と受け入れるのか。また、共産党も一般財源化を訴えていますが、じゃあ赤旗のみ20%の消費税がかかりますと言われたらどうするのか。
自動車ユーザーのみに高率の一般財源対応の税金を課すと言うことは、朝日新聞のみ消費税率を上げると言うような「異常な」対応なのです。

ましてや暫定税率維持での一般財源化となると、朝日新聞の消費税は本則が20%だけど、暫定税率込みで35%です、というようなものなのですが、それを社説で主張しているということがどういうことなのか。
取れるところから取る、それ以外の理由に乏しいこうした主張は、まさに「略奪」というのに相応しいでしょう。

今回、激越に批判してきましたが、それくらいこの一般財源化というのが、割に合わない、理不尽なものであることを、広く知ってもらいたいです。いや、この問題に関しては、 JAFなどが一般財源化反対として集めた1035万人の署名 の数が、自動車ユーザーの声を如実に示しているわけです。そうした背景があるからこそ、論理破綻も厭わずにあの手この手でレッテル張りをしたり、論点をぼかしたりと言った「姑息な対応」を政治やメディアが取っているのかもしれません。

為政者やメディアがレッテルを張り、世論がそれに乗って熱病のように突き進むスタイルは、近年多々見られるものですが、こうしたやり方で実現した先達の政策が果たして国民の利益になったのか。一時の情熱が醒めたあとにどういう利益、不利益が現れたのかを考えた時、一般財源化が果たして本当にいいのか、今一度考えるべきです。



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