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自動車ユーザーは「ただ乗り」しているのか
道路特定財源の一般財源化に反対する(その3)




安倍首相は2006年11月28日の閣僚懇談会で、道路特定財源の一般財源化につき、塩崎官房長官に年内に具体案をまとめるように指示しました。
小泉前首相時代に、現行の暫定税率を維持したまま一般財源化する方針を固めていたことについては反対論が根強く、一時は政府内でも慎重論が大勢を占める感もありましたが、今回の指示で安倍政権になっても方針に変化は無いということが確認されました。

この問題については、目的税であることを理由に徴収され、かつ法律での本則を大幅に上回る暫定税率が適用されてるだけに、「目的外」である一般財源化、さらに暫定税率のままで実施することへの抵抗は大きく、JAFなどが集めた反対の署名は既に900万人近くに達しています。
この数字、確かに「業界団体」「ユーザー団体」が主催する署名ですが、こうした団体で強制的に回った話も聞きません。短期間にここまで多数になると強制や組織票というだけでは説明がつかない数字であり、実際、他の組織的な署名での数字がせいぜい100万人台ということを見ても、自発的に反対の声を上げたと見るべきでしょう。

さらに書面やネットでの署名という積極的行動に出ただけの数ということを考えると、行動に出ない反対者まで含めるとさらに膨れ上がることが想像できるわけで、為政者は、この数字の持つ重みというものを真摯に考えるべきかと思います。

●現行体制の矛盾と一般財源化の更なる矛盾
資産課税と消費課税の両面から徴収している道路特定財源ですが、受益者負担の目的税という建前をいいことに、取れるところから取るスタンスのため、細部で矛盾が広がっています。

消費税との二重課税の問題はその典型です。酒税やたばこ税も二重課税の問題がありますが、少なくとも嗜好品と生活必需品の差があるうえに、1989年に消費税が初めて導入された時には、酒税とたばこ税は実質的な二重課税は回避すべく消費税見合いの税率を下げているため、2%分のみ二重課税になっています。
特に理由がつかないのは自動車取得税で、かつての物品税時代ほどの高率ではないものの、位置づけとしては物品税というしかない税金であり、物品税の代替で導入された消費税をその税金にかけるというのは全く筋が通りません。

また、一般財源に位置づけられている自動車税、軽自動車税も毎年徴収というその性格は一種の資産課税でありながら、排気量比例になっているため、償却が全く反映されていません。
もっとも、昨今はグリーン税制の導入で、資産課税というより環境税的側面を重視しているようでもあり、そういう位置づけであれば妥当といえます。

さて、一般財源化の問題を交通の世界で考えると、特定都市鉄道整備促進特別措置法(特特法)に基づく上乗せ運賃を徴収しているケースに類似します。
連立化などの目的のために、本来定められた賃率の運賃に、その区間を通過する乗客のみに上乗せして徴収し、資金をためているあの制度です。

もしこの運賃が定着しているから、といって目的が達成もしくは消滅した段階になっても徴収を続けることが妥当かどうか。京王や西武は値下げや値上げ見送りの形で上乗せを中止、還元しています。
さらに、資金が余るからといって、他社の連立化に流用したり、自社の不動産部門の赤字穴埋めに使うようことが妥当かどうか。目的外への流用というのはこういうことです。

ここで、一般財源のはずのたばこ税が国鉄債務の返済に回されていることを例に挙げて、振り向けは例もある、という意見もありますが、国鉄債務の返済に充てられるたばこ特別税は、本来のたばこ税の1割程度に過ぎず、「全額の流用」とは比較になりません。

特に理が無く、批判も大きいのが暫定税率を維持するという部分ですが、一方で自動車はコストを負担していないのだから暫定税率でも物足りないくらいだ、という意見があります。
ではそうした意見を検証してみましょう。

●道路財源と一般財源
目的税である道路特定財源は、その収入で道路のコストをまかなう受益者負担のシステムです。
ですから道路財源の流用に対する抵抗感が根強いのに加え、利用者はコストを十二分に支払っているという思いがあります。

一方で、道路建設などにおける一般財源の投入額を示して、道路特定財源でまかなっているといっても実際には一般財源の投入額が多く、自動車はコストを正当に負担していないという「ただ乗り」論があります。

では、道路に関する収支を見てみましょう。

平成16年度のデータを見ますと、国費、地方費合わせて道路特定財源による支出が5.3兆円、一般財源が3.5兆円あります。国費部分の一般財源部分はこの規模ですと無視し得る数字であり、一般財源の負担はほぼ全部が地方費になります。

こうしてみると全体の4割、地方部分で見ると5.6兆のうち3.4兆、実に6割を一般財源に頼っていることになるだけに、「ただ乗り」の批判も止むなしかと考えたくなります。

しかし、実は一般財源には既に道路関係からの徴収分があるのです。
一般財源として創設されましたが、法律成立時の大蔵大臣の説明などでも明らかな通り、事実上の特定財源になっている自動車重量税は、その15%、平成16年度で0.1兆が一般財源に入ります。
また、地方税である自動車税、軽自動車税の合計1.9兆も一般財源であり、他にも揮発油税や自動車取得税にかかる消費税もまた一般財源です。

こうした自動車由来の一般財源を考えると、消費税を除いて2.1兆円に達します。
つまり、上述の一般財源3.5兆円のうち6割は実は自動車由来の一般財源で埋められるのです。
また、揮発油税、石油ガス税と自動車取得税にかかる消費税の二重課税もさることながら、二重課税部分を含んだ、自動車やガソリンの購入、消費で支払われる消費税は全体で0.8兆円に上るわけで、残る差額はわずかに0.6兆円、10兆円レベルの予算規模における0.6兆円の不足をもって「ただ乗り」ということが妥当かどうか、甚だ疑問です。

支出収入過不足
国費道路財源31,33034,3222,992
一般財源7321,690958
地方費道路財源22,26822,249△19
一般財源34,40219,413△14,989
財投等15,83315,8330
合計104,56593,507△11,058

平成16年。単位:億円。出典:国土交通省道路局資料及び大阪府資料から
i収入のうち一般財源は国費が自動車重量税、地方費が自動車税、軽自動車税の額を示す。
国費のうち3,049は本四債務処理、529はまちづくりなどに充当されており、正味の不足は地方一般財源の不足分とほぼ一致する。


消費税はともかくとしても、自動車税などの一般財源を考慮すると不足は1.4兆円。全体で見たら15%を一般財源に頼っています。そして国費部分はカバーされているので、地方費部分にしわがよっていますが、それでも不足は27%にすぎません。
また、厳密に考えると、自動車のユーザーは個人、法人ともに所得税、法人税、住民税、法人住民税、事業税を負担しており、一般財源の納付者でもあります。特に地方税は均等割部分や収入課税(≠所得課税)の部分があるため、赤字法人でも負担しており、自動車ユーザーであると同時に社会の一員として利益を受ける権利がありますから、「ただ乗り」とまで言うべきかの問題があります。

自動車交通がもっぱら受益する直轄国道など国費負担部分については道路特定財源で完全にカバーされており、歩行者や自転車など道路特定財源を支払わない層の利用もある地方負担部分においては約1/4を一般財源から支出していることも、それこそ「応分の負担」という意味では妥当な水準です。道路特定財源の徴収と支出のバランスを見る限りでは、受益者負担の原則が達成されているということを否定する要素は無く、逆に「ただ乗り」と批判するのは、一部の絶対値を取り上げて、他の多額の負担を無視する行為といえます。

●社会的費用を負担しているか
近年良く聞かれる事項として、社会的費用、外部不経済という話があります。
自動車は環境破壊、交通事故など社会に損害を与えているが、そのコストを負担していないというものです。

確かに自動車交通の発展はこうした影響を社会に与えてきており、そのコストを負担すべしという議論はもっともな部分もあります。

しかし、ここで指摘したいのは、自動車交通が社会にマイナスをもたらす反面、プラスをもたらすことを同時に評価しないと片手落ちであるということです。
もし、自動車のユーザーが「外部不経済」の部分を内部化して負担したとしましょう。一方で自動車は何かしらのメリットをユーザー以外の社会各層にもたらしているため、そのメリット(「外部経済」)も同時に内部化する形で還元しないと、自動車ユーザーが「ただ働き」になってしまいます。

この「社会的費用」「外部不経済」に関する議論が「巧妙」に感じるのは、それ自体は極めて正しいということです。ですからその項目に関するコストを積み上げた際、それ自体を疑う余地は無いため、自動車が負担すべきであるという空気が形成されます。
しかし、この手の議論で無視されている「社会的効用」「外部経済」の部分のメリットを正しく計算した場合、果たしてその収支はどちらに傾くのか。シーソーの片側だけ積み上げるやり方に堕していないか、見直す必要があります。

また、交通事故対策や事故による損害などについても、自動車ユーザーが支払っている自賠責や任意保険の収支を算入しないといけませんし、警察関係のコストも、一方で交通反則金や罰金刑の歳入、また免許更新や諸手続の手数料収入といった自動車ユーザーの支払いとのバランスでみる必要があります。

●受益者はどこまで受益を還元すべきか
自動車に対する負担の要求、すなわち暫定税率の維持もしくは更なる徴収という議論が、コストの負担という趣旨であれば、これまで述べたとおり自動車がもたらすメリットとの通算が必須です。そのうえで自動車が相応のコストを負担しているかどうかの検証を行い、ふさわしい負担体系を構築していく必要があります。

ただ、その際でも、受益者負担の原則における特定のコストに対する賦課金の性格を負うわけですから、課税の性格は目的税である必要があるわけで、一般財源化が正当化される余地はありません。

その一方で、自動車が受けてるメリットの社会還元を重視する意見もあります。
一種の所得再配分的機能としての賦課ですが、これは換金性の無いメリットを金銭換算することにほかならず、評価の方法次第で変化することもさることながら、見合いの金銭的収益がありえないのに金銭的支出だけ発生するという問題があります。
社会プロジェクトの評価を行う際に、金銭的収益ではない部分も含めた「便益」で評価をするケースと類似ですが、支出した税金が回収できないことの妥当性を論じるケースと、実際に納付する税金を評価決定するケースとでは全く性格が異なるといえます。

また、事実上第二の「所得税」になるため、自動車を所有しない人との差別待遇の問題、また、所有しないが受益する人との整合性などを考えると合理的な課税の域を逸脱して、自動車所有者への「たかり」とどこが違うのか、という話になります。

●租税のあり方
道路特定財源を前にして、その税収をいかにして維持させようかという徴税側に加え、自動車をあたかも社会的悪と見做して懲罰的なコスト負担を目論む勢力の意見も重なり、暫定税率維持による一般財源化という国民の多くが批判しているやり方と対立しています。

しかし、その現行制度の維持、もしくは強化の理論を検証すると、そこにあるのは税の公平性とは程遠い、恣意的な徴税になるのです。
また、「社会的費用」「外部不経済」のみを取り上げる議論は、奇しくも道路関係四公団の民営化問題の際、資産額を見ずに負債額のみを取り上げたりしたり、キャッシュフローの問題なのに非キャッシュ項目の負債を問題視するような、恣意的な財務諸表の読み方を思い起こさせるものであり、正しく議論すれば有益な論点を徒に歪めています。

ことは国民の課税に関する話であり、議論の内容は「特に問題はない」というような抽象的、主観的判断で済む問題ではありません。批判の中にも出てくる二重課税の問題は、「絞れば絞るほど」の江戸時代の老中ですら「網してまた網する」としてそれの不合理を意識していたくらいであり、それを考えると、取れるところから、としか思えない足下の議論や問題意識は、まさしく「前近代的」な行為ですし、自動車のデメリットだけを協調するやり方は、もっともらしい話で感情論を隠しているだけです。

大元に立ち返って見ると、道路特定財源は、受益者が負担すべきコストを正しく賦課する範囲で目的税として存続させ、それ以外の部分は廃止するというのが、法の下の平等を旨とする我が国の法体系下における税法の正しいあり方でしょう。











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