このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください





租税法定主義を軽視する流用案への批判
道路特定財源の一般財源化に反対する(その1)




今秋、小泉首相は北側国土交通大臣に道路特定財源の一般財源化を指示しました。

道路特定財源はわかりづらい構造ですが、基本的には自動車の取得にかかる自動車取得税と、所有にかかる自動車重量税、さらに燃料に対する課税としての揮発油税、地方道路税、軽油引取税、石油ガス税となっています。これらの税金は税法で道路整備の目的とする特別税として位置しています。なお自動車重量税は税法上は一般財源ですが、慣例として一般会計から全額道路財源に繰り入れられています。
なお、これら6つの特別税と、それに二重課税の形で賦課される消費税と地方消費税、さらに一般財源である自動車税の合計9つの税金を、自動車関係の諸税と指す見方もあります。

特定財源、特別会計は昨今、国の「隠れ借金」や不明朗な資金の温床として批判される傾向にあって見直される方向にあり、今回の一般財源化もそういう流れに乗っている面はあります。
しかし、今回の一般財源化については、税金のありかた、さらには道路建設のあり方までさまざまな方面にわたる問題があることも事実であり、以下、まずは税金のありかたを主に、一般財源化に反対の立場から述べて行きたいともいます。

●なぜ一般財源化か
端的に言うと、一般会計の赤字が深刻である反面、道路財源が余っているというミスマッチに目をつけたとしか言いようがありません。国税だけでも2005年度で5000億円を超える余剰を出している計算になり、一部を、確かに道路が絡むが自動車交通とは縁遠い「まちづくり支援」などに支出しています。なお、この余剰には鉄道の連続立体化や路面電車関係の補助は含まれておらず、「狭義の」道路関連の支出と言う意味ではさらに余剰が出ています。
それでも余剰を出していたことを利用して2006年度まで本四公団の負債返済に充当していましたが、2006年度で返済が終了するため、2007年度に巨額の余剰金がでることになります。

財務省がこれに目を付けたうえに、国で4兆円、地方で2兆円ある特定財源を一般財源化することで、道路予算から他の予算に流用することを目論んでいると言うことは言うまでも無いでしょう。

●暫定税率の問題
これらの道路特定財源に属する6つの特別税に関しては、実は石油ガス税を除く5つの税金について、法律で定められた税率ではなく、1.2〜2.5倍と読み替えた暫定税率が適用されています。
一応租税特別措置法で規定されており、これまでの「延長」も総て法改正の体裁を整えているとはいえ、根拠法そのものを改正しない形でその数字の読み替えを続けることは異常です。
特に、特別法による読み替えは、かつての刑法などの罰金に関する条項の読み替えのように、インフレによる貨幣価値の激変に伴うような異常事態で、かつ罰金等への対応が事実上全面改正になるようなケースで、議論が分かれる全面改正を避けるために導入されたように、事情を十分考慮して必要最小限に留めるべきです。

今回の小泉首相の指示は、暫定税率を保ったままで一般財源化することを内容としていますが、そもそも租税特別措置法による改正は、道路財源の歳入不足を補う趣旨で実施されており、一般財源化された場合、暫定税率を維持する根拠が消滅します。

●目的税の目的外使用の問題
酒税、タバコ税やかつての物品税、さらには印紙税のように特定の取引のみに課せられる税金と言うのは確かに存在します。しかし、これらは一般財源として徴収されることを前提にした税金であり、道路建設などを目的として徴収されることを前提にして創設された道路財源とは性格が違います。

徴収目的の本来から考えると、現状の鉄道連立化事業や路面電車関係への補助の原資として使われていることも、納税者はどちらかというと間接的な受益者に留まることが多く、いささかこじ付けのきらいが無きにしもあらずと言う面があり、既に相当数が流用されているともいえます。

しかし、一般財源化では、間接的な受益どころか、どこかで回り回って受益者になっているかも、と言うレベルになるわけで、納税者としては税負担の意義が事実上消失するわけです。

●二重課税の問題
ガソリンスタンドで給油すると、ガソリン税(揮発油税、地方道路税、石油ガス税)を含む「本体価格」に消費税が課税されます。この部分はどう見ても二重課税です。
例えば所得税を納付したら、納付時の税額に消費税が5%かかる、というバカな話はないわけですが、ガソリン税に関してはそれがあるのです。

もちろん酒税がかかっているビールなども酒税込みの値段に消費税がかかっており、自動車関係のみが不公平な二重課税を受けているわけではないですが、軽油引取税に関しては消費税がかからないことに対しての整合性が取れていないという問題があります。
ちなみにこれはガソリン関係は販売者が負担し、ユーザーはその価格を転嫁されているにすぎない(だから消費税同様仕入れ控除が出来ない)のに対し、軽油はユーザーが負担するものを販売者が代行徴収するだけなので、税金そのものという位置付けの違いから発生しています。
同じ燃料課税に対してこうした「不平等」が存在すると言うことで、好ましくはないが実はあらゆる場面で発生している「消費税絡みの二重課税」に対する説得力を大きく失わせています。

●「減税」への批判
とはいえ、暫定税率を本則に戻す、さらに余剰が生じている特定財源自体を整理して減税する、という考え方に対しては抵抗が強いのも事実です。
これは歳入減に対する危惧ではなく、自動車が社会に与えている公害や事故と言うような「外部不経済」を十分に補償していないから、現行の負担は当然であり、更なる負担すら必要である、という自動車性悪論ともいえる論理と言うことが出来ます。

しかし、そう言う問題が自動車にあり、自動車がそうした負担をする必要が本当にあるのであれば、現在の道路財源を流用するのではなく、新たに「環境対策税」「交通安全税」というような特別税を、道路財源の制度を見直すと同時に設けるべきです。
さらに、自動車ユーザーがそうした社会コストの負担を税金の形でするのであれば、その税金は目的税として徴収されるべきであり、そう言う点でも「一般財源化」が正当化される余地は全く無いと言えます。

●根拠のない徴税の違法性
一般会計の歳入不足に対し、「隣の芝は青い」ではないが潤沢な道路財源は財政担当者にとっては実に魅力的に映るのでしょう。
しかし、税金がなぜ法律に基づいて徴収されているのか。国民に納税の義務があることは憲法でも謳ってますが、同時に憲法は租税法定主義を明確に定めています。
そして地方税の場合も、条例でそれは明確化されているわけです。

道路財源の場合、道路整備費の財源等の特例に関する法律および、地方道路税などの特別法、地方税法にその使途が明記されています。それを一般財源化する場合は、これら税法の変更になるわけですし、それを曖昧にしたままの「流用」は「違法」です。

もちろん法律の変更がなされれば「合法的」に一般財源化が達成出来るのですが、同じ徴収額であっても、中身が全く違うものであり、「新しい大型間接税」の創設であることを立法者と有権者が認識する必要があります。

●道路財源議論の問題
今ある税金の看板の架け替えくらいに安直に考えている風潮が強く、かつ、自動車の社会コスト負担を目論む向きからはこの機に乗じて増税をも主張しかねない勢いです。

しかし、法律で定められた目的のための税金が、その目的を失った場合、税金自体をまず廃止させることが租税法定主義の本旨です。根拠もないのに、「歳入が足りないから」、と流用することが正当化されるのであれば、「お金がないから」と泥棒をしたり、横領しても罪に問わない、という破廉恥な発言をしているのと同じです。

貧すれば鈍するとは言いますが、国家が、一国の宰相がまさにそう言う破廉恥な発言をするに等しい今回の「指示」に対し、社会の木鐸を自認するはずのマスコミですら、例えば2005年11月11日の讀賣新聞社説のように、「首相が弾みをつけた一般財源化」と歓迎ムードです。
讀賣の社説はさらに、「暫定税率で定着しているからこれを本則にしたほうがわかりやすい」としていますが、租税特別措置法で裏打ちされているとはいえ、本則を修正出来ない「後ろめたさ」があるグレーな状態を肯定する発想には呆れます。特に、「定着しているから」という理由には呆れ返ってものも言えません。それが理由になるのなら同紙は今後、北方領土や竹島は放棄すべきと唱えるべきでしょうし、法の穴や瑕疵を突いたような「合法だが問題な」ケースは総て賛同すべきでしょう。

また、自動車の社会コストに対する議論は確かにありますが、これまでの環境対策により、ガソリン車は排気ガスのほうが周辺大気よりきれいと言うレベルに至っており、さらにハイブリッド車や燃料電池車など、超低公害、無公害の時代が視野に入っているなかで、自動車という「悪者」を何とかあげつらうための方便と化しているきらいもあります。
とはいえ、そういう社会コストが発生しており、それがひとり自動車起因の物だけが突出している(社会コストを交通事故など自動車起因の物だけに限定するような不平等は廃すると言う前提で)のであれば、自動車がそう言うコストを負担するのには吝かではないでしょう。しかし、それはあくまで「流用」ではなく、そう言う目的を掲げた新しい目的税を創設すべきであり、そうでない議論は、たまたま税金が余ってるかから、というご都合主義の域を出ません。

特に環境や安全が絡むと、正しいから良い、となりがちですが、正しければ何をやっても良いのであればそれは人民裁判です。近代国家においてその基準は法律であり、主観で決まるものではありません。

●納税者として考えるべきこと
税金と言う強制力のある徴収だからこそ、法律でその目的と対象が規定されているのです。
そして納税の義務があると言うことは、その徴税者により行政サービスを受ける権利を与えられているわけです。目的税の場合は、特定の納税者が受益者になるか、旧国鉄債務に対するタバコ税のように、不条理だがその受益関係が法律で明記されているのです。

「代表を送る権利がないのに、課税された」「代表なくして課税なし」
納税の義務と権利の不一致を咎めて起きたボストン茶会事件。根拠のない、ただ歳入が欲しい、と言う英政府による課税はやがてアメリカ独立戦争になったことはご存知の通りです。

何も戦争や暴動を起こせと言うのではないです。ただ、納税の意味と根拠について、少しでも考えれば、今回の「指示」がいかにおかしいかが見えてきます。
もしこの「指示」が良いものだから、と考えて賛同していたとしても、次にこういうなし崩しが「良い形」で起こるとは限りません。納税と法治主義の両方が問われているのです。





交通論の部屋に戻る


Straphangers' Eyeに戻る


このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください