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広浜線、昔と今を紡ぐ旅


別稿 で触れています可部北線の訪問に続いて、広島から浜田への新旧のバスルートを辿ってみました。
もともと戦前から今の県道5号線(可部八重浜田線)経由で国鉄バス「広浜線」が運行されていましたが、戦後、R186の開通に伴い民間バス会社が「新広浜線」が開通し、新幹線博多開業後は、中国地方の中心都市である広島を基点とした陰陽連絡路線としてしのぎを削っていました。

浜田道の開通により、広島−浜田のメインルートは浜田道になりました。
浜田道のルートはJR広浜線に沿っていますが、結局広浜線、新広浜線が呉越同舟の形で高速バス「いさりび号」を運行するようになりましたが、それまでのルートはもはや風前の灯で、時代の変化とはいえ無常すら感じます。

浜田道金城PA

※この作品は、「【検証】近未来交通地図」に掲載されたものを補筆、改稿したものです。

初出:2003年9月
写真は2003年9月および2005年5月、9月に撮影


●新広浜線(広島−戸河内−芸北−浜田−周布)

可部北線の訪問を終え、やって来た戸河内ICバスセンター。浜田周布行きの発車は16時32分。広島駅新幹線口を15時18分に出た便です。
やってきた石見交通の高速車は「急行」「戸河内 芸北経由」の表示です。車内は16人が乗車しており、ここで2人降車。私ともう一人「同業」っぽい人が乗車しました。

戸河内ICバスセンター

中国道を加計BSに停まってきたのに、ここから道路の関係で加計の街中まで戻ります。昔の名残か上殿のバイパスではなく旧道を行き、R191とR186を分ける滝山口では4人降車と、加計町域での降車が目立ちました。
R186に入り、加計ダムからぐいぐい登り温井ダムへ。最近の付け替えのようで、ダム湖に旧道の廃トンネルが見えます。ダム湖を見下ろすところには温井スプリングスという小洒落たホテルがありますが、マイナーな観光地です。
温井ダム関係の改修区間が過ぎるとロックシェード区間が続く隘路に。王泊ダムのダム湖を1車線ギリギリの吊り橋で越え、高原然とした芸北町のスキー場エリアへ入ります。中国地方でも有数のスキー場エリアですが、見た感じではささやかなゲレンデでした。

この新広浜線、戦後、R186が開通したことで戦前からの国鉄バス広浜線ルート(千代田、大朝経由)よりも道路事情が良く短いルートとして広電、石見交通の民間ルートとして開発され、最盛期は11往復を数えていました。
戸河内ICまで高速利用というスタイルでしたが、浜田道の開通により大朝経由の中国JRバスと共同化をはかり、「いさりび号」として再出発。新広浜線は広電、石見の各1往復が残りましたが、もともと幹線ルートのお相伴とはいえ芸北町にとっては大削減になっています。
2002年春に広電が撤退し、伝統のルートもついに浜田朝発、夕方着の1往復のみ。芸北町もその前後に芸北−広島の広電バスのみとなり、さらに広電が撤退。加計、戸河内ICバスセンターへの総企バスがメインになっています。

芸北町役場前にはその総企バスが2台待機。医療・ケア関係の施設と聞く芸北ホリスティックセンターで2名降車。道の駅のような感じでもあり、ちょっとした要衝です。
大佐山で県境となる傍示峠を越え、島根県金城町へ。県境を越えたのは5人に過ぎませんでした。
峠を下り、17時37分の波佐で3分停車して休憩。雪深いのか屋根付きの車庫があり、窓口もありました。ここからは浜田・周布行きの石見交通バスが7本出ています。

急行浜田周布行き(波佐)


乗客はさらに降りて3人。うち2人は私と「ご同業」です。
上記の7本に対してこちらは「急行」なので停車駅案内が入ります。金城町役場付近は旧道に入り役場に直付け。市内に入り、国立病院を過ぎ、市街地を行くと程なく浜田駅。18時14分の到着は広島から約3時間、3人全員が降り、バスは周布へ去りました。

●いさりび号・広浜線夜行バスの思い出

浜田は山陰西部の要衝で、街としての体裁は整っています。ただ、「どんちっち交番」「どんちっちタウン」「いわみーる」という意味不明?の表記が目につきましたがなんでしょうか。地域の愛称なのかな?

浜田道経由の高速広浜線「いさりび号」は駅の窓口で乗車券を買います。
16往復を数え、ノンストップ便も4往復。なお、一般便は広島ICから中筋駅経由ですが、ノンストップ便と朝上りの2便は大塚駅経由高速4号線経由になります。

高速4号線入口(中広ランプ)

ノンストップ便は順番券が配付されるようですが、お盆時期はこれから乗る最終便を除く全便に拡大されているようです。

「最終便」の案内放送が入った18時55分発は広電便。駅では18人の乗車です。国立浜田病院に停まって、R9浜田BPから浜田ICに向かいますが、国立病院まで170円の運賃設定があったのには驚きです。
ICを入ってすぐ江津道路の分岐。今秋供用で表示を隠してある状態ですが、浜田道とスルーということは通行券方式でしょうか。
闇が支配する浜田道を進み、金城PA併設の金城は乗降がありませんでしたが、旭ICではIC外のBSへ。ここで1名降車、3名乗車です。このあと瑞穂ICで4人(2名降車)、大朝ICで3人、千代田西BSで1人と延べ29人乗車ですが、途中乗降が多いのが目につきました。県道5号線経由の広浜線時代からの定着ぶりともいえますが、その広浜線(一般道)は2003年春に中国JRバスが撤退、石見交通が瑞穂ICまでの区間を代替しています。

大朝ICでの「いさりび号」

浜田道開業前の広浜線は千代田ICから大朝を経て県境の三坂峠を越えて浜田に向かっていました。85年から90年にかけては全区間一般道経由ですが浜田1時51分着、浜田発3時40分の半夜行便が設定され、対東京、大阪のビジネス便として売り込んでいた時代もありました。このバスに88年夏乗車していますが、広島駅新幹線口を22時10分に出発、表口、八丁堀経由でセンターに至ると満席になりましたが、祇園や古市、可部で大概降りてしまい、0時16分発の大朝ではわずか5人と、結局は近郊線最終バスという感じでした。

JRバス大朝駅

深夜ゆえ運転手が5人一人一人に行く先を聞き、そのあと、右に左に振り回されるような闇の三坂峠越えを経て、センターラインの無い道を突っ走って4人の乗客とともに浜田に着いたのは1時51分定時。運賃表の50区間の表示を交互表示で100個表示していたのが印象に残っています。

県境の三坂峠を下る


***
お盆というのに両方向ともクルマが少ない浜田道から千代田JCTで中国道、広島北JCTで広島道、広島JCTで山陽道と抜けて広島ICへ。紛らわしいからか広島道の表記は一切無く「山陽道」一辺倒だったのは新鮮ですが、だったら「広島岩国道路」「広岩道」も止めて欲しいです...
車内は若い女性の比率が高い高速バス特有の客層。見送りの様子から帰省帰りという感じの客も多かったです。

広島ICを出て、R54祇園新道を行き、中筋駅に20時半前着で4名降車。路上停留所かと思ったら祇園新道からロータリーに入り、空港行きとそれ以外、広島行き降車の3ブースと待合室を持つしっかりしたバスターミナルでした。

中筋駅付近の祇園新道

アストラムライン乗り継ぎポイントではありますが、エスケープルートというより広島市北部の純粋なバスターミナルという色彩が強そうです。
祇園新道を突っ走り、広島バスセンターには2分早着の20時41分で8名降車。意外と駅まで行く人は多いです。ちなみにセンター到着寸前に流れた到着案内のチャイムがJRバス関東のそれと同じというのには驚きました。
バスセンターから広島駅新幹線口へは合同庁舎、女学院経由のコースですが、右左折、特に右折が多く、新幹線接続の最終コースでもあり定時性に若干懸念が残ります。
結局4分早着の20時51分着。ダイヤ自体には余裕があるようです。

***
広浜ルートの変遷を辿るような行程に、思い出話もちりばめましたが、古典的な一般道長距離バスから都市間高速バスへの変遷のなか、メインルートではバスが定着しているさまと、都市間需要を外れると厳しいいずこも同じ状況の二面性を垣間見た旅でした。

三坂峠に向かう県道(北広島町大朝)





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