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西九州オフレポート
博多駅に停車中の885系かもめ9号(赤い爆走特急幹事長代理撮影)
作成者 朝焼け急行 (トラベルサークル相談役) 橋本勘弥 (トラベルサークル幹事長) 赤い爆走特急 (トラベルサークル幹事長代理) 9月14日 第一行程 「まさしく高飛び 横須賀〜会社〜博多」 いよいよ九州旅行。今回は平日しかも仕事付(涙)。 18時にブン投げて強制上がり(爆)。 それにしてもフライト2時間前まで仕事をしていても余裕というところは この場所がありがたいな。 そしてカートを引きずって会社から逃げるように出る時には すでに気分はもう高飛びする逃亡者。 京急に乗って空港についてみれば一緒にいく二人はすでに着いていて 自分が最後の到着。 すぐに搭乗手続きをすませてゲートに行ってみれば 飛行機は遅れ気味で案の定乗れたのも出発時刻を過ぎてから。 今回のフライトはスカイマークの福岡最終便。 自分はスカイマークは3回目だけどB767に当たるのは初めて。 シートは定員重視の2-4-2だけあってはっきりいって狭い。 逆に言えばこのシート配列は2機だけだから貴重かもしれないが LCC(格安航空会社)故にオーディオ・ビデオ・ドリンクなどのサービスも 省略してその分値段に反映するというスタイルだし これが初スカイの二人にとってはちょっと厳しいフライトだったかな? ビデオの上映こそないが設備はあるために 飛行中はずっと現在位置・速度・高度・気温・残り距離などフライト情報がスクリーンに映し出されていてこれはこれで今どこ上空とか飛行ルートが わかって意外に飽きない。 そして小牧上空まできたところで乾杯とばかりに缶ビールを飲み干し 一眠りすればもう福岡に着陸。気がついたら定刻着。 そしてタクシーで福岡中心部のホテルに移動しても1500円でお釣りが来る というところからも福岡空港が便利な場所かわかるし 夜遅く到着する身としてはありがたい。 ホテルについて荷物を投げて外にくりだすことに。 歩くのが面倒だから100円バスにのってちょっと走ればそこはもう中州。 金曜日の夜と言うこともあってとても賑やかだしみんな酒が入っている。 中には片方が千鳥足を通り越して相方の方にしがみつきながら やっと歩いているOL二人組が。 そしてその一人が橋の欄干にもたれていよいよダウンかというところで 回りの視線が集まる。すかさずもう一人が 「大丈夫ですから、これはそういうスタイルですから^^;」 って、それのどこがというよりどいうスタイルなんじゃ〜。 単に酔いつぶれているだけやんけ(爆)。 まぁほんなこともありながら、夕食は屋台でおでんをつまみに乾杯して博多ラーメンで締め。やっぱり中州の夜はこれでないと。 その後は部屋に戻って延長戦。 九州にちなんで相談役が幻の酒と言われている「香露 大吟醸」 なんてもってきてくれるからそれを飲むことに。 どっしりとした重量感あふれる辛口の味わいと豊富な吟醸香。 これはあえて純米にこだわらないのは吟醸香を引き出すためかな? これはたしかに美味しい。 して気がつけば日付も変わって午前1時過ぎ。明日に備えて寝るとするか。 ひとまずは高飛び成功。今回はどんな旅行になるかな? 9月15日 第二行程 放生会 トラベルサークル西九州オフ2日目九州は三井アーバン福岡にて始まる。 日程表によると今日の予定は午前中は九州3大祭りの一つと言われている 箱崎宮放生会の見物、午後は博多より折尾−戸畑−下関−門司と行き、 現地の方との懇親会という段取りである。 宿は今晩も三井アーバン福岡である。 博多駅より鹿児島本線で箱崎に行く。駅から徒歩で神社まで歩く。 約10〜〜15分ほどだ。お参りに行く人も三々五々見える。神社の裏側より入るので直接笛や笙で雅楽を演奏している舞台前に出た。 古代の衣装を身にまとった男性と女性が神事を執り行っていた。 我々はお賽銭を上げて神前市をなす露店のほうに向かった。 午前中ともあって人手の方はまばらだったが、出ている店は相当のものだ。 昔懐かしい店が多い。暑さも暑いしのども渇くので露天に寄り、 ラムネを飲む。うまかった。店店を見物しながら歩いて行くと国道に出る。 香椎にある極楽湯まで汗を流しにバスで直行する。 前回は改装中だったが今回は新規改装でとても快適だった。 極楽湯で心身ともにくつろぎ次の目的地へ向かう。 タクシーにて極楽湯から香椎に移動する。香椎から列車で折尾に行く。時間の関係で渡船は中止で若戸間はバス移動、関門間は列車を利用する。 門司駅にて現地の方2名と合流し、懇親会の会場(城野)に向かう。 会場は駅から徒歩10分くらいにある焼肉屋で2時間ほど 楽しい時を過ごした。 結構鉄道の濃い話が聞けた。 我々3名は現地の方と小倉駅で別れ一路博多へ向かう。三井アーバン着は予定通り23時〜24時の間であった。 明日は長崎行きが待っている。再見! 9月16日 第三行程 「いざ島原へ 博多〜諫早」 「島原の消え去る鉄路を追いかけて 諫早〜加津佐〜諫早」 「島鉄延長戦 〜奇跡のキハ2000〜」 「雨の長崎に泣かされて 諫早〜ハウステンボス」 今日は昨日とは逆に早起きして朝食もバイキングに。 あまり場所も広くなかったし内容もスタンダートいうところかな? 駅まで歩くのも面倒だし3人だからとタクシーで博多へ。 島原への入り口の諫早までは昨日の夜に乗ったのと同じ 「白いかもめ」に乗車。 今回は奮発してグリーン車それも最前列まさしく展望席。 本革張りのゆったりとしたシートにフローリングの床に木のテーブル。 そして飛行機のような荷物棚。 とても洗練されている空間に仕上がっているし787・883そしてこの885と 毎回度肝を抜かすデザインを生み出す水戸岡鋭治氏には頭が下がる。 運転席との仕切も大きなガラスで非常ブレーキを入れると 白く曇る液晶ガラスを採用。 前面展望はさほど意識していないため運転席ごしの展望はさほどでもないがそれでもやっぱり開放感があっていい。 ただしばらく走っていてやけに暑い。 空調よりも革張りのシートが原因というところに思わぬ難点を発見。 これは意外な盲点だったな。 列車は博多駅を出てしばらくは前を走る普通列車にふさがれてゆっくり走るが それもなくなると特急街道を鳥栖に向けて爆走。 カーブも制御付振子のおかげで大した揺れもなく 線路に吸い付くように走る。 鳥栖からは鹿児島本線と別れて長崎本線に入るとカーブが多くなり 振り子の威力をより発揮していくが速度は断然落ちていく。 さらに佐世保線と枝分かれする肥前山口からは単線区間も出てきて 交換待ちも加わりさらにスピードダウン。 もはやここまでくると振り子を駆使して身をよじらせて走る と言って過言でもないほど。 さらに地形も険しくなっていくと今度は、 時折有明海に沿ったルートを走るようになりとても眺めがいい。 中を走って再び内陸に向かって走って諫早に到着。 そして今後の長旅に備えての買い物などをして いよいよ目当ての島原鉄道に乗り込むことに。 諫早からは島原列道に乗り換えて加津佐を目指すことに。 乗る列車は上り2本下り1本だけの急行の1本で車両はキハ2500で JRのキハ125などと同じく新潟トランシス製の標準車体。 電車ではここ数年で標準化が進んできたがディーゼルカーの世界では 両数の少なさも手伝って本当に標準化が進んでいると実感。 諫早を出発してからしばらくの間は割合平坦な地域を走り 急行運転のため小さな駅を通過していく。 速度もそれなりに乗ってきて軽快な走りをして吾妻からはほとんどの区間が海岸線と併走。 それもそのはずで島原鉄道自体が島原半島を周回するように敷かているため片側は海で片側は陸地となる。 景色が実にいいが曇り空にもやがかかって普賢岳や平成新山がみられないのがちょっと残念。 いくらか景色が集落らしくなってきて右手に島原城が見えて島原に到着。 そしてキハ2000などが昼寝している車庫がある島鉄本社前をすぎ 各駅に停まるようになり島原外港からはいよいよ廃止予定区間。 車内も一段と空いてきているし普賢岳の噴火による天災でも廃止は免れたが過疎化には勝てなかったのが惜しい。 そしていくらか高台のような場所を走るように噴火による土石流・火砕流で流された線路を数年の年月をかけて復興させた高架区間を走行。 ただ島原鉄道に乗ってから時折ものすごい豪雨で 列車からの車窓がほとんど見えなくて海があるとか民家がある程度しか 解らなくなってしまう事があったり 最後まで普賢岳が見えなかったのが残念。 それにしても速度も速くないし駅間も短いしひたすら乗り続けている という感じがしてきた中で列車が速度を落としてものすごくゆっくりと 走る場所が。 片方は海で片方はいつ崩れてもおかしくないような落石防止ネットに 落石検知装置もついている崖をそろそろと通過。 JR西日本で似たような区間が多数あったがやはりこういう措置が必要なんだな。 そして諫早からおよそ2時間かけて終点の加津佐に到着。 幸い天気はよくて乗り継ぎのバスの待ち時間を使って昼食といっても簡単におむすびをほおばる程度だけど これも島原鉄道を乗り潰す難易度を考えればやむを得ない。 今度は鉄道が走ってない部分をバスで移動。 来たのはちょっと古い日野車でエンジン音が個人的には一番多く バスに乗っていた頃に地元京急バスが日野車で固めていたから 聞きなじみのある音でなんだか懐かしい。 相変わらず乗客が少ないのと海岸線に沿って道がアルからカーブが多い。 一瞬、真夜中になればケツを豪快に流しながら抜けられるような場所が 無数にあるなとバカなことを考えるがすぐに眠くなってしまい 大半の区間を寝て移動。 そうしたら突如ちょっとしたバスターミナルに入って そこから温泉帰り?の団体客が乗ってきたけど みんな地元の人らしくて少しずつ降りていくし 本当に乗り慣れている感じがする。 そして諫早市街の渋滞にもまれて予定よりも遅れて諫早に到着。 今度は長崎本線完乗に向けて長崎往復か・・・ 諫早から再び長崎本線を西に目指すはずが ここで相談役がカバンを忘れたことに気がついて大騒ぎ。 幸いにもさっき乗った島原鉄道の車内に忘れていて 南島原で預かっているので諫早まで配達(爆)してくれることに。 ここで相談役は平謝りさらに荷物が来るまで足止めされることに。 相談役にお茶でもして待とうと言われたけど、撮影もしたいしさっきからの豪雨でこの先足止めとかもありえるから自分は駅で待機して 相談役と総務会長はお茶しに。 いくら撮影できるにしても本数が少ないホームで荷物が来るまで 2時間以上待つのも苦痛だしとくれば島原鉄道はフリーパスだし 単線だから交換駅にさえ注意すれば荷物を乗せた列車とすれ違う心配も 無い。といわけで島鉄延長戦。 時刻表を見れば夕方のラッシュで運用が増えている。島原鉄道キハ20系(赤い爆走特急幹事長代理撮影) ということはということで、 キハ2500とは違うおでこに一つだけライトが見えるそう、 キハ2000まさにケガの功名とはこのことそしてこれぞ奇跡。 戦前に基本が生まれ戦後60年余り経った21世紀になってもなお独特の エンジン音を奏で多数の鉄道ファンを魅了させるDMH17エンジンを使う車を また一つ乗ることが出来た。 時間の関係にキハ2000に乗れたのはわずかな時間だったけど 国鉄時代ないし国鉄オリジナルの面影を色濃く受け継ぐ室内といい これは貴重な経験ができたな。 もはや忘れ物が原因で待ちぼうけを食らったことなんぞ忘れて 一人喜びに浸る己だった。 諫早に再び戻って移動再開。 今度は長崎本線を長崎まで往復して新旧両線に乗ってしまうことに。 まずは旧線からキハ66・67シーサイドライナーに乗り込む。 かつては全ての優等列車も走っていた旧線は海有り山有りと とても景色はいいが勾配にカーブがきつい。 かつての非力なSLなどにとっては難所だったのかな? そして長崎に着いてみればさっきの豪雨で長崎本線のダイヤが大幅に 乱れている。 乗る予定だったかもめが発車時間になっているのにまだこない。 そして後続の普通列車が出ようとしているので ここでかもめはまだ来ていないのと折り返し準備も必要だから普通列車でも諫早まで先着するだろうと読んでこれに乗ることに。これが思わぬ誤算に。 現川駅で交換待ちのため長時間停車だったが交換が終わっても発車しないなと思ったら後ろから885系が颯爽と走り抜けていく。その姿に思わず 「JR九州の根性無し。普通列車とは必死に加速して一気に止まって後ろから来る特急から必死になって逃げてなんぼのもんじゃい」 という暴言を飛ばすも平均駅間距離1キロ・待避線が5キロ以内の 京急だからこそこうなるのであって普通は必死になって逃げても 1駅の駅間距離が京急で言う快特停車駅1区間分くらいあるのだから 追いつかれても無理はないし普通列車もきっちり逃げたことには 変わりない。 要は己の頭の構造なりダイヤ構成の基本が京急に特化しすぎた せいなのである。 かもめの長崎での折り返し作業は掃除はおろか下手したら座席の転換も しないでドアを開けて客と乗務員だけ入れ換えて信号が変わったら すぐに発車したのかも。 諫早ではシーサイドライナーに乗り継ぐはずが後続の普通列車に。 相談役にはホテルに到着が遅れるのと予約していたレストランの時間も ずらしてもらう電話を入れて貰って車窓も夜だから何も見えない。 乗る予定だったシーサイドライナーが気になるが こちらも単線だけに、交換待ちの列車が軒並み遅れてくるところを見る とたぶん交換駅1つ分くらいの差なのかも。 やっとホテルに到着。 今日の宿はJR九州全日空ホテルハウステンボス。 やっぱりちゃんとしたホテルは違う。 入ってすぐにベルボーイが荷物を持ってくれるしとても対応がいい。 そして部屋は本来よりも上のグレードで荷物を置いてツインに3人でも なお余裕。 飛行機やホテルの予約でオーバーブッキングなどがあったら フォローのためにこっそりアップグレードするのはたまに聞く話だし 業界の常識的なところがあるからたぶん 自分たちの部屋割りをするときに何かあったのだろうきっと(笑)。 ホテルに着いてからはすぐに夕食。 バイキング形式であれこれあって取り分けるのに迷う。 そして花火も上がりバースデー特典ということでワインのプレゼントもあり 気分は上々。 そしてバーで飲み直してハウステンボス唯一の温泉に浸かって 部屋に戻って飲み直し。相談役が割合すぐに寝てしまったため もうWHコンビで知的な夜の会話。 頭がいいというか知的な人はやっぱり違うな そして己の知的フィールドがちょっとジャンクな方向に傾いていることを 再確認(爆)。雨の長崎とはいうが雨に泣かされるとは思わなかった。 9月17日 第四行程 みちのくの二の舞? 朝起きて爆走君は寝てたので私は総務会長と温泉に出かけた。 どうやら私は途中でむっくり起き上がって話をしていたらしい。 記憶がない・・・ 温泉は昨日とは入れ替わっていた。前に入った場所であった。 露天と内と両方に浸かった。やっぱり朝ぶろはいいものだ。 朝食をとろうと1Fのカスケイドに向かう 就寝着のまま行くのはやめたほうがいいと言ったにもかかわらず ほかの二人は就寝着のまま来て着替えに戻るようになった。 いっくら温泉地でもホテルなんだから・・・・ カスケイドで朝食をとり部屋でゆっくりしてから出発した。ハウステンボスジェイアール全日空ホテルハウステンボス(赤い爆走特急幹事長代理撮影)快速シーサイドライナーは到着してすぐ出発した。 編成はキハ200系2両 各駅停車で佐世保に向かう。 30分ほどで佐世保に到着。久しぶりに来た佐世保はだいぶ変わっていた この時 以来だったなぁ 駅が高架化されて様変わりしていた。 港を撮影したあと駅前の喫茶店で佐世保バーガーを食べた。 噂には聞いていたが、とにかくでかい昔の1300カレーを思い出した。 昼食が終わった後カステラを買い飲料をもらいみどり16号に乗り込むみどり16号 編成は783系4両 この日はトップナンバーがきて両方非貫通であった。 早岐でハウステンボスを連結し佐世保線を上って行き 大町に差し掛かったところで止まった。 どうやら架線トラブルで抑止の様である。 いつ復旧するかわからないというので、我々は大町で下車して タクシーで鳥栖に向かった。唐津インターを過ぎたあたりで復旧したようだ。 爆走君が全日空との連絡を取ってくれた。 遅延証明があれば次便以降への変更ができるようになった。 タクシーは1時間ほどで鳥栖に到着。リレーつばめ48号に乗り込むリレーつばめ48号編成は787系7両途中停車駅はなし。 ほどなく博多につき遅延証明をもらったら、 260便が出発遅れをしていたため間に合ってしまった。 一体我々は何をしていたのであろうか・・・と考えさせられた。 262便の出発時刻に出発。珍しくスチュワードが乗っていた。 水割りを作って呑んでいるうちに羽田に着陸 羽田には262便定刻で到着した。 羽田からはリムジンバスで練馬へ、練馬からタクシーで家に帰った。 最後に同行して頂いた爆走君・総務会長・本物のJR運転士さん・ TEC○○○さん及び夜分恐れ入られたスルッちょさん・後藤君・S・K君・K・S君・ひとみさん・春日ボーブラ君・もーりーさんには この場を借りまして深く御礼申し上げます。
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