このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください

無蓋車の仕分線_1番線

<←ハンプへ> <2番線へ→>

ト19320形M44 ト19397 (後のト11500形)
明治末期〜大正初めに鉄道院が発注した無蓋車で、国有化後の標準車として発注したものと思われます(推測)。
明治44年日車・汽車で750両製造の9t積ト17955形M44および 大正1〜2年大宮・盛岡・土崎工場で450両製造のト18870形M44の改良と位置付けられ、 10t積ト19320形M44として大正2〜3年に天野工場80両・日車470両の合計550両が製造されました。 外観は妻が山形で後年まで続いた様式ですが、側板 前後は固定され、中央部のみが「あおり戸」で下に開くのが大きな特徴。当初10t積みですが 大正期の増トン改造で12t積となりました。 昭和3年形式称号改正でト17955形、18870形M44と共にト11500形に統合され、 3形式合計1600両以上あったものが、昭和7年に在籍45両と激減、昭和10年代は10両、昭和25年に 形式消滅しました。
なおHOでS模型店が無蓋車のエッチング板キットをト1形としたのは間違いで、本形式 です。一方同エッチング板から製作可能と謳う「トフ1形」は実車もこのト19320形M44第1ロットからの 改造車なので、これは史実通りです。
写真所蔵 本サイト管理者(天野工場カタログ複写)
(参考資料:貨車形式図)

トム60000形 トム60035

木製あおり戸を持つ、標準的な形態の15トン積み無蓋車。 設計的には戦前製のトム50000形を2段リンク化した形式です。 撮影当時はトム50000形を見つけることは できず、このトム60000形も工場の配給車代用にわずかに 見られるだけでした。

1980.10

トラ35000形 トラ36072

17トン積み無蓋車です。トム60000形の側、妻を板1枚かさ上げした構造で 当初より2段リンク式走り装置。15,17トン2重標記の意味は、石炭・砕石等のみ 17トンで、それ以外は15トン積みの運用をされ、「コトラ」の元祖 です。製造初年昭和31年。
昭和50年代後半、営業用としては小松駅南のK製作所構内にいるのを 見たのが唯一でしたが、立入り・撮影は不許可でした。 写真の車は小倉工場配給車代用。
1983.03

トラ40000形 トラ40652

木製の17トン積無蓋車。昭和35年度に一挙3270両が 製造されました。その内トラ42000〜42569の570両は12トン軸使用の老朽無蓋車からの改造車 (部品流用程度)。当初から2段リンクです。荷崩れ防止に妻板を高くし、 木製床のため荷造に釘打ちが出来るなど好評でした。台枠も"ワム60000形同様の 量産向け新構造"を採用しています。昭和47年頃から 積極的に廃車が始り、撮影した昭和56年には2桁代になっていたものの、 まだ配給車代用等に見ることができましたが、「見た全車」撮らなかったのが 今となっては悔まれます。
写真は門司の教習所の教材用でトラ30000と連結され、平成2年秋にも見ましたが、 現在は流石に残っていないようです。
1981.03頃
トラ45000形 トラ49200
昭和35年度後半から昭和38年にかけ、トラ40000形に代って量産された、15/17t積無蓋車です。 床は「木材節約と(台枠の)腐食防止のため」鋼板製となり、妻もプレス成型による コルゲート鋼板を採用しています。8184両が製造され、標準的な無蓋車として活躍 しました。
昭和53年から床を鋼製から木製に、妻板をコルゲートを廃した 鋼板製に改造され、原番号+100000としました。車両センターの代用配給車や、名古屋臨海鉄道東港では パイプ輸送用として現存していますが、これら現役車はすべてこの改造車です。 写真は当時稀少となりつつあった原形車。
1980.03 北見
tora57973

トラ55000形 トラ57973

昭和37年に誕生した無蓋車で、妻・側あおり戸・床の全てが鋼製となっており、 従来のトラが17トン積みであったのが、本形式では18トン積載可能です。 初期の車は、あおり戸だけが木製のグループがあります。
多数ありましたが、JRには継承されませんでした。

1982.04


<操車場入口に戻る>

 


<ご注意>
写真およびテキストの著作権は、すべて本ページの作成者である「タメさん」に帰属し、 無断転載は固くお断りいたします。

メールはこちらへ cjg87150@ams.odn.ne.jp

このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください