| ト19320形M44 ト19397 (後のト11500形) 明治末期〜大正初めに鉄道院が発注した無蓋車で、国有化後の標準車として発注したものと思われます(推測)。
明治44年日車・汽車で750両製造の9t積ト17955形M44および 大正1〜2年大宮・盛岡・土崎工場で450両製造のト18870形M44の改良と位置付けられ、 10t積ト19320形M44として大正2〜3年に天野工場80両・日車470両の合計550両が製造されました。 外観は妻が山形で後年まで続いた様式ですが、側板 前後は固定され、中央部のみが「あおり戸」で下に開くのが大きな特徴。当初10t積みですが 大正期の増トン改造で12t積となりました。 昭和3年形式称号改正でト17955形、18870形M44と共にト11500形に統合され、 3形式合計1600両以上あったものが、昭和7年に在籍45両と激減、昭和10年代は10両、昭和25年に 形式消滅しました。
なおHOでS模型店が無蓋車のエッチング板キットをト1形としたのは間違いで、本形式 です。一方同エッチング板から製作可能と謳う「トフ1形」は実車もこのト19320形M44第1ロットからの 改造車なので、これは史実通りです。写真所蔵 本サイト管理者(天野工場カタログ複写)
(参考資料:貨車形式図) |
| トム60000形 トム60035 木製あおり戸を持つ、標準的な形態の15トン積み無蓋車。 設計的には戦前製のトム50000形を2段リンク化した形式です。 撮影当時はトム50000形を見つけることは できず、このトム60000形も工場の配給車代用にわずかに 見られるだけでした。1980.10 |
| トラ35000形 トラ36072 17トン積み無蓋車です。トム60000形の側、妻を板1枚かさ上げした構造で 当初より2段リンク式走り装置。15,17トン2重標記の意味は、石炭・砕石等のみ 17トンで、それ以外は15トン積みの運用をされ、「コトラ」の元祖 です。製造初年昭和31年。
昭和50年代後半、営業用としては小松駅南のK製作所構内にいるのを 見たのが唯一でしたが、立入り・撮影は不許可でした。 写真の車は小倉工場配給車代用。1983.03 |
| トラ40000形 トラ40652 木製の17トン積無蓋車。昭和35年度に一挙3270両が 製造されました。その内トラ42000〜42569の570両は12トン軸使用の老朽無蓋車からの改造車 (部品流用程度)。当初から2段リンクです。荷崩れ防止に妻板を高くし、 木製床のため荷造に釘打ちが出来るなど好評でした。台枠も"ワム60000形同様の 量産向け新構造"を採用しています。昭和47年頃から 積極的に廃車が始り、撮影した昭和56年には2桁代になっていたものの、 まだ配給車代用等に見ることができましたが、「見た全車」撮らなかったのが 今となっては悔まれます。
写真は門司の教習所の教材用でトラ30000と連結され、平成2年秋にも見ましたが、 現在は流石に残っていないようです。
1981.03頃 |
| トラ45000形 トラ49200 昭和35年度後半から昭和38年にかけ、トラ40000形に代って量産された、15/17t積無蓋車です。 床は「木材節約と(台枠の)腐食防止のため」鋼板製となり、妻もプレス成型による コルゲート鋼板を採用しています。8184両が製造され、標準的な無蓋車として活躍 しました。
昭和53年から床を鋼製から木製に、妻板をコルゲートを廃した 鋼板製に改造され、原番号+100000としました。車両センターの代用配給車や、名古屋臨海鉄道東港では パイプ輸送用として現存していますが、これら現役車はすべてこの改造車です。 写真は当時稀少となりつつあった原形車。
1980.03 北見 |
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トラ55000形 トラ57973 昭和37年に誕生した無蓋車で、妻・側あおり戸・床の全てが鋼製となっており、 従来のトラが17トン積みであったのが、本形式では18トン積載可能です。 初期の車は、あおり戸だけが木製のグループがあります。
多数ありましたが、JRには継承されませんでした。1982.04 |