このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください

カンチャナブリ


個人的なタイの観光案内


タイ国内観光のサポートとしての私の視点からの観光情報の紹介です。



バンコク都内の観光地としての寺院紹介
 タイのお坊様は1日2回しか食事をしないということはご存知でしょうか。朝、まだ明るくなりきらないうちからお坊様たちは托鉢に出かけます。一般的にタイでは男性は一生に一度は仏門に入って修行をしないと1人前ではないと考えられています。短くて1週間位から長くて半年位まで様々ですが、本人の都合によって期間は適当に決められています。

 女性もまた、メーチー(尼さん)として修行に入っている人も少なくありません。小中学生も、長期休みに入ると1ヶ月余の修行に入る光景もよく見かけます。ただし、小中学生の女の子は自宅からの通いでの修行となります。このように、仏門に入るといってもタイでは特別なことではないわけなのです。

 托鉢でお坊様に差し上げるものは、ご飯、おかず、そしてお菓子か果物などですが、一般的に人々は自分の誕生日や身内の人の命日、又は仏教の大事な日にタンブン(功徳)として食べ物を差し上げています。お坊様に食べ物を差し上げることは、ご先祖様にお供え物をするということにもなるのです。

 そしてお坊様たちは、12時(正午)以降は飲み物以外は口にしてはいけないことになっています。

 また、家やビルのそばに小さなお社のようなものがありますが、あれはサンプラプームと言います。精霊信仰の一種で、土地の神様を祭った祠なのです。タイ人は何処にでも精霊が宿っていると考えていますので、自分の住んでいる土地に宿る守護霊を祭るためにサンプラプームを建てて、お供え物をし、病気や災難から家族を守ってくれるように拝むわけなのです。

 ところで、バンコクの中心を流れている川はチャオプラヤー川と言いますが、日本ではメナム川と言っている様ですね。川のことをタイ語でメナムと言いますから、タイ語と日本語混在でメナム川とは「川川」と言っていることになります。似たような例で、国境地帯を流れるコーン川(タイ語でメナム・コーン)のことを日本ではメコン川と呼んでいますね。どうしてこのようなことになったのでしょうか?

 また、バンコクとは英語での呼び方で、タイ語ではクルンテープ・マハナコーン・・・という長い名前が首都の正式名称というのはご存知でしょうか。これは天使の住む都という意味で、フルネームはクルンテープ・マハーナコーン・アモーンラッタナコーシン・マヒンタラアユッタヤー・マハーディロッカポップ・ノッパラッターナラーチャタニーブリーロム・ウドンラーチャニウェットマハーサターン・アモーンラピーンアワターンサティット・サッカタットティヤウィサヌカムプラシットと続き、長々と都を称える言葉が続いています。一般に対岸のトンブリーと併せてクルンテープ・マハナコーン(大バンコク市)と呼んでいます。

 前置きが長すぎましたが、バンコク都内の寺院紹介に入っていきたいと思います。

 最初に王立寺院であるエメラルド寺院(ワット・プラケオ)ですが、この寺院の本尊仏は高さ66cmのヒスイで造られた仏像で、その色がエメラルド色をしているところからエメラルド仏と呼ばれています。このエメラルド仏は、夏、雨季、冬の3回、季節の変わり目に国王自身がこの仏像の衣替えをなさっています。夏用、雨季用、冬用の3つの衣装は、それぞれ純金でできています。このエメラルド仏は、寺院が完成した1784年にトンブリーの暁の寺院からここに移されました。

 エメラルド仏の後ろの壁には天国、地獄、俗界の絵が描かれており、左右の壁にはお釈迦様の一生の話や前世物語が描かれています。

 エメラルド寺院はチャクリー王朝が開かれた1782年に国王の宗教儀式を行なうために王宮の隣りに建てられました。昔からのしきたりで、王宮の敷地内に建てられた王室寺院にはお坊様は住めないことになっています。このような王宮の敷地内に王室寺院を建てるという伝統は、スコータイ時代からのものだそうです。

 次は、エメラルド寺院の川向こうにあるトンブリー地区の暁の寺(ワット・アルン)の紹介をしてみたいと思います。1767年、ビルマによるアユタヤ攻撃から逃れたタークシン王が、トンブリーに都を定めてトンブリー王朝を開きました。そして、昔からあったこの寺を再建し、王家の寺としたのです。現在のエメラルド寺院にあるエメラルド仏は、都がトンブリーからバンコクへ移されるまで、この寺院の本尊仏としてここに安置されていました。さらに言いますと、ご本尊のエメラルド仏はトンブリー王朝時代にラオスのビェンチャンから取り戻されて、暁の寺院のご本尊として安置されていました。暁の寺院のチェディ(仏塔)はクメール様式で、高さは67mあります。この仏塔には、中国から取り寄せた色とりどりの陶器の破片やガラスの破片がモザイクのようにはめ込まれており、特に朝日を受けるとキラキラと美しく輝いて美しいです。

 トンブリー王朝は、わずか15年しか続かず、タークシン王一代限りの王朝でした。

 次はワット・ポー(涅槃仏寺院)の紹介ですが、正式にはワット・プラチェトゥポンと言います。アユタヤ時代に建てられた小さなお寺でしたが、18世紀末のラーマ1世の時に7年の年月をかけて修理され、その後、ラーマ3世によって17年がかりで全面的に修復されました。バンコク市内のお寺としては最大の敷地を持っています。この寺院に安置されている涅槃仏は、長さが46m、高さが15mあります。煉瓦をセメントで覆い、その上に金箔を施してあるのです。この仏像の足の裏は長さ5m、幅1.5mあり、ここに描かれている絵は「幸福、繁栄をもたらす108の絵」と呼ばれ、仏教の宇宙が表現されています。仏陀の足の裏は土踏まずが無く、ピタリと地面につくようになっていて、足も手も指の長さがすべて同じです。これは、偉い人はそうであるというバラモン教の考えからきています。

 涅槃仏寺院はタイの医学の発祥の地として知られており、柱や壁には病気の原因などについての碑文が刻まれた石版がはめ込まれています。また、ここはタイ式マッサージの総本山でもあり、境内内にはマッサージの学校や、観光客へのマッサージサービスを行なっているところもあります。

 次は黄金の山寺院(ワット・プーカオトーン)の紹介です。ワット・サケーットという寺院の境内の中に人工的な山が作られており、その山頂に高さ78mの黄金の仏塔が建てられています。ラーマ5世は、インドのカピラバッツで発見されたという本物の仏舎利をインドからもらい受け、その一部を日本に、そしてスリランカ、ビルマに分けた後、その残りをこの黄金の仏塔の中に納めました。日本では、名古屋にある日泰寺にそのときの仏舎利が納められています。ここからの景色は絶景で、バンコク都内が360度展望できます。

 最後は大理石寺院の紹介です。王立競馬場やドゥシット動物園の近くにあります。タイ語でワット・べンジャマボピット、つまりラーマ5世がお建てになった寺院という意味です。十文字の形をした本堂全体がイタリアから取り寄せた大理石で作られているために、この名前で呼ばれています。この寺院の建立者及び建立時期は不明ですが、ラーマ5世によって1899年に現在の姿に再建されました。大理石で無いのは、本堂の扉、窓、屋根のみという状態です。この寺院には仏塔は一切ありません。この本堂の裏の回廊にはブロンズの仏像が51体並んでおり、タイの仏像や日本の仏像、ビルマの仏像も安置されています。ラーマ5世がアジア各地から集めたもので、色々な地方・時代・形の仏像が見られます。

 以上、簡単にバンコクの主要な観光スポットの寺院を紹介してみましたが、最後のワット・ベンジャマボピットを除くと比較的狭い地域に集中しているのです。

 観光の中心地である王宮前広場のすぐ近くに世界を旅する人の宿場町カオサンロードがありますが、ここからならこれらの場所は散歩代わりに疲れない程度に歩いて観光して周れるのです。

 安宿が気になる方は、私が常に推奨している王宮前広場に面しているロイヤルホテルに宿泊されるならば、さらに利便性は高くなります。ロイヤルホテル自身は外国人には無名ですが、常にタイの民主革命の中心になった有名なホテルであり、タイ人にとっては歴史的に重要なホテルでもあります。「ロイヤル」というホテルと勘違いされやすいですが、「ロイヤルホテル」という名前の方で、なかなかインターネットで見つけるのは大変かと思いますが、外観の古さに対して内装はなかなかのものなのです。

 今回は、バンコク都心部の寺院の紹介をして見ましたが参考になりましたでしょうか。

 なお、すべての寺院内は土足厳禁ですし、エメラルド寺院は肌の露出の多い服装では入れません。そして、写真撮影を禁止している寺院もありますし、禁止されていない寺院の場合でも撮影の仕方には注意を要する場合があります。基本的には、仏像を敬う形での撮影となることを心の隅に留めておいてください。例えば、自分の頭が仏陀の頭よりも高い位置で並んで撮影することなどは仏陀に対して失礼な行動になるわけです。




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