このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください |
富士登山 | |
今シーズン最後という富士山に登った 「一度も登らぬ馬鹿、二度も登る馬鹿。」 たくさんの人でごった返す | |
ご来光を見ようと夜中に登る 登山道は、光の列で埋め尽くされる 止まっては動き、止まっては動き まるで大蛇が天に昇っているよう | |
この人たちは なにを考えているのだろう こんな夜中に ライトまでつけて 登って 馬鹿じゃないの? 思った僕もその一人 | |
頂上にはいったい なにがあるの どんないいことが あるの 薄い酸素の中で 意識も朦朧としてくる | |
「万歳!万歳!」 頂上では登頂の喜びを味わっている ここより高いところはないんだ と思うと 涙が出そうだった | |
そして氷の海のような雲海から 目に突き刺さるような光を放つ 太陽の美しく、雄大な姿に 「こんなきれいなご来光は 滅多にありませんよ」 ガイドさんがいった | |
すべてが酬われた気がした そして、馬鹿じゃなくなった 「一度も登らぬ馬鹿、二度も登る馬鹿。」 来た人にしか分からない 今度馬鹿になるのは いつのことだろう |
解説:
この詩は、平成12年8月に香北町青年教室で富士山へ登ったときのものです。山のガイドさんから「一度も登らぬ馬鹿、二度も登る馬鹿。」という言葉を聞いて、「なるほど」と思ったことを書きました。日本一の山へ一度も登らない、この雄大さを知らないのは馬鹿だ。一方では、2度も登る価値があるかといわれると、どうだろう。登山道は木々もなく、一面溶岩でゴロゴロした原野を歩くばかりで、延々景色も変わらないし、ゴミでいっぱいの汚い山にしんどい思いをしてわざわざ登る必要が果たしてあるだろうか?いや、やっぱり富士山は遠くで眺めて美しいと思う山なんだ、ということを言っているのです。ですから、2度目を登る人はよっぽどのマニアであるということなのでしょう。このことはやっぱり一度は登ってみないと分からないと思います。実際僕も登ってみて、この言葉を実感しました。今度は富士山のよく見えるところで、温泉へでも浸かって一杯やりながら眺めたいなと思います。
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