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戦後の天皇制の在り方


速星 千里


 天皇家に対しては、「陛下」や「殿下」といった敬称が、 皇室典範 によって定められている。 これは明らかに出身による身分差別であり、門地による差別を禁じた 日本国憲法 第14条に抵触している。
 しかし、この「差別」という言葉、天皇家が我々日本国民の上に立っている、と単純に捉えてしまうのはどうだろうか。 確かに敬称だけを見ればそうであるが、私はむしろ、逆だと思う。 天皇家は被害者だと思えてならないのだ。


☆          ☆


 まず第1に、皇族には通常の戸籍がない(代わりに、皇統譜と呼ばれる、皇室の系譜に記載される)。 すなわち、日本国籍がない。 「日本国の象徴」( 日本国憲法 第1条)であるにも関わらず、日本国民ではないのだ。
 戦前においては、天皇は現人神とされていたから、皇族には国籍を与えない方が都合良かったのであろう。 だが戦後、もはや「神」ではなくなったというのにそのまま国籍の枠外に置かれ、現在でも戦前の論理に振り回され続けているのだ。

 次に、皇族にはプライバシー権というものがないも同然である。 誰が何をしたかが逐一国民に報告され、あるいはマスコミに追いかけ回される。 その心労は並大抵のものではないだろう。 皇太子妃が流産したのも当たり前といえるのかもしれない。

 そして、儀式や礼儀作法などを通じて、型にはまった生活を強いられる。 それも、ただ単に多くの行事に縛られているというだけではない。 常に、国民の多くがいつの間にか持っているステレオタイプ的な「皇室像」に従って、行動しなければならないのだ。

 このように、皇族は大変窮屈な生活を強制されている。 形式上は敬意の対象であるが、実際は、憲法やマスコミ、国民に操縦されるロボットのような存在である。 誤解を恐れずにいうならば、「奴隷」としても良いだろう。
 そのような彼らを被害者と呼ばずして、一体誰を被害者と呼ぼうというのか。
 彼らの人権の回復は急務である。 そのためにはまず、我々国民が、皇族の様々な在り方を容認していかなければならない。


☆          ☆


 私は昨年の夏、東京へ行ったついでに靖国神社に立ち寄った。 参拝するためではなく、小泉首相の参拝問題の舞台となったこの神社がどのようなものか、自分の目で確かめておきたかったからである。
 そして、神社の門に掲げられた巨大な菊の紋を見たとき、ふと思った。 この神社も被害者なのだと。 天皇同様、あの侵略戦争の被害者なのだと。

 戦前・戦中、日本は天皇家や靖国神社を国威発揚に利用してきた。 そして、戦後の復興においても、天皇は人々の心の支えとなった。 靖国神社も、遺族にとっては大きな支えであっただろう。
 しかしそれと同時に、国民の「皇室像」が固定化され、皇族は型にはまった行動を強いられるようになってしまった。 靖国神社も、A級戦犯の問題などを抱え込むことになった。

 天皇家も靖国神社も、今なお戦争の後遺症に苦しめられているのだ。 戦後処理の遅れに、苦しめられているのだ。


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(この文章は、2002年2月に行われたある試験で速星が著した小論文をもとにした)


© 2002 Chisato Hayahoshi


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参考資料


日本国憲法(部分)

第一条

天皇は、日本国の象徴であり日本国民統合の象徴であって、この地位は、主権の存する日本国民の総意に基づく。

第十四条

1 すべて国民は、法の下に平等であって、人種、信条、性別、社会的身分又は門地により、政治的、経済的又は社会的関係において、差別されない。



皇室典範(部分)

第二十三条

1 天皇、皇后、太皇太后及び皇太后の敬称は、陛下とする。
2 前項の皇族以外の皇族の敬称は、殿下とする。


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