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おもしろトピックの家


おもしろトッピク(3):バントでわざと試合に負ける 2000.9.30.作成


 スポーツはなんのためにするか。勝つためである。
 では、勝つためならば、何をしてもいいのか。それはいけない。ルールがあるから、ルールには従わなければいけない。
 では、ルールに従っていれば、何をしてもいいのか。
 これは答えるのが難しい。
 一筋縄ではいかない問題だ。



 巨人の松井秀喜選手は高校時代(石川県星稜高校)、一試合五つの四球という名誉(?)な記録を持っている。これは当時すでに超高校級の強打者だった松井を恐れて、五打席すべて敬遠したからできた記録なのだ。
 
相手チームは松井にホームランや二塁打、三塁打を打たれるより、敬遠の四球の方がダメージが少ないから、考えに考えた末の選択だったのだろう。

 敬遠は反則ではない。立派なプレーだ。五つの四球を与えても、ルール違反ではない。しかし、何かおかしい。

 (この一試合五打席連続敬遠という記録は、1992年夏の甲子園大会、対明徳義塾高校の試合で作られたものである。この試合は結局、2対3で松井の星陵高校は負けたのである。

 明徳義塾の作戦勝ちとなったわけであるが、試合中は明徳に対するブーイングで一時騒然となった。大会後、勝てば何をしてもいいのかという非難の声があった。
 松井は一回もバットを振らずに甲子園を去って行った。)



  ところが、勝つためには、五打席五敬遠も辞さないチームがある一方で、わざと負けるチームもあるのだ。

 それは今年の6月のことだ。新聞報道によれば、全選手がバントを繰り返し、結局、希望通り負けたそうである。監督は観客のヤジやブーイングがつらかったと言っていたそうだ。

 事件は九州のA市で起こった。 事件の顛末はこうである。
 
  このチーム、A市のS中学校は県の中学校総合体育大会(以下、県総体と言う)のA市予選の軟式野球大会で、準決勝から出場し、初めから全員がバント作戦を取った。ところが、残念ながら、3-2で勝ってしまった。続く決勝でもバント作戦で臨み、0-0のまま最終回まで来て、最終回の裏に相手チームの打者四人を連続敬遠して、0-1で希望通りサヨナラ負けした。

 勝とうとして松井秀喜選手を敬遠したのはよくわかるが、負けるために相手を敬遠して、相手に勝たせるとはいったいどういうことなのか。

 

 

 これには理由があるようだ。
 このS中学校は、実は、全国少年軟式野球大会九州予選の県代表になっていたのだ。この九州予選の規則では、「県総体に出場が決定した場合、九州予選への出場権を準優勝チームに譲らなければならない」ことになっている。

 S中学は県総体で優勝すると、この九州予選に出られないのだ。だから、わざと負けたというのである。たぶん、県総体よりもこの九州予選の方が格が上なのだろう。気持ちは理解できる。

 また、S中はこの九州予選に出場が決まった段階で、県総体への出場を辞退したいと申し出たが、認められなかったそうであるから、やむをえないといえば、確かにやむをえない。(この事件については毎日新聞2000年6月10日を参考にした)


 確かに、損をしたり不利益を被ったりした人はいないだろう。県総体で優勝したチームはとにかく勝ったのだから、後味は悪いが、優勝は優勝だ。また、S中も九州大会に出場できる。これで八方丸くおさまったのだ。

 しかし、何か釈然としない。
 野球協約(プロ野球の)第18章「野球に対する有害行為」の中に、「敗れることを試み、勝つための最善の努力を怠る」というのがあるそうだ。このS中学校の行為は、正にこれに当たる、ということである。


 こういう事件を聞くと、私は昭和44年の西鉄・永易将之(ナガイマサユキ)投手の八百長事件を思い出す。
 いわゆる プロ野球黒い霧 第一号である。翌年、昭和45年、八百長事件は更に拡大し、西鉄・池永正明投手、与田順欣投手、益田昭雄投手の三選手が八百長試合でプロ野球界から永久追放された。

 池永は西鉄OBの田中勉から現金100万円を渡され、八百長試合を頼まれたということになっている。「なっている」というのは、池永は金を返そうと思ったが、返せなくてしかたなく、家の押し入れにしまっておいた、
八百長試合はやっていないと弁明しているからである。しかし、結局プロ野球コミッショナーは池永以下三選手を永久追放処分とした。



 池永投手 は下関商業高校出身、第38回全国高校野球大会の準優勝投手である。追放になるまで、実働6年間で103勝65敗だった。将来はプロ野球の看板投手になったにちがいない。たった、100万円で野球人生を棒に振ってしまった。池永投手を知る多くの人が永久追放はもう許したらどうかと運動しているようだが、解除されたという話は聞いていない。

 S中学の取った作戦について、状況を完全に把握しているわけではないので、迂闊なことは言えないが、選手たちは一生「その試合は何だったのか」という荷物をしょっていかなければならないことだけは、確かであろう。また、そのような荷物をしょわせてしまった周りの大人達の責任も重いと言わざるをえない。(了)




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