このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください

南アフリカ−5 ヨハネスブルク極秘潜入編 〜これが犯罪都市の実態だ〜

  2000年3月末。今年2回目の南ア出張である。2月に2週間南アに出張し、日本に帰って2週間仕事してから再度南ア出張となった。今回も2週間程度の滞在予定であったが、何故か日本への帰国便は予約せずに出発した。
  以前にも書いたが、我々に行動の自由は無い。ホテルに帰った後は出歩くことも出来ない。外を歩けないというのは想像以上にストレスが溜まるものである。毎晩同行のオーストラリア人M氏とホテルのレストランでワインを飲んで愚痴をこぼしあうという美しい光景が繰り広げられた。さらに追い討ちをかけるように、土日両方出社となってしまった。ストレスが蓄積されているところでさらに休みも無いという過酷な状況となった。自然と酒の量も増えてしまう。さすがに日曜日は午後から出社ということになったので、午前中は仕事相手が朝食に誘ってくれた。
  郊外のレストランで朝食を取った後、300メートル程度の商店街を散歩した。市街地を歩くというのは2回の出張を通じて初めての機会である。出張のときには時間を見つけて散歩することにしているので、これは非常に良い気分転換となった。どの店でもショーウィンドーに必ず鉄格子が据え付けられているのがヨハネスブルクらしい。散歩の後、ヨハネスブルク中心部を見に行こうということになった。日曜日午前中は比較的安全らしい。

「Please lock the door.」
運転をしてくれている仕事相手A氏より注意が入った。自然と身が引き締まる。今から我々3名は世界有数の犯罪都市と称されるヨハネスブルクの市街地に潜入しようとしている。危険度1(注意喚起)と外務省にも指定されているという場所である。犯罪を恐れる白人は続々と郊外に引越しており、また企業も本社をサントンに移している。企業が引っ越した後の空きビルには家のない黒人が住みついているという。駅の周囲の高層ビル街が墓標のように思えてくる。
 片側二車線の右側のレーンを慎重に車を進める。歩道には黒人がたむろしており、白人やアジア人の姿は一人も見えない。
「Don’t look at them.」
と注意が入る。M氏と僕も緊張しているためか、言葉を発しない。黒人は横断歩道や信号を守ろうとしないので、車の前後をどんどん横切っていく。そのため、車の周りを囲んでいっせいに襲い掛かってくるのではないかという恐怖感を感じる。黒人と目を合わせないようにしながら周囲の様子を窺う。
 A氏が律儀に信号を守って車を止めた。左に1台来たので見てみると、軽トラックの荷台に黒人が何人も乗っている。慌てて視線をそらす。後ろに来た車も黒人しか乗っていない。信号が青に変わるまでの間が非常に長く感じられる。厭な汗が背中を、脇腹を伝う。
 車は商店街のメインストリートへと入ってきた。緊張が頂点に達する。歩道が広く、店も集まっているためか、黒人の数がやたらと多い。道端で寝ている者、歩道に座り込んで煙草を吸っている者、何人かで車座になって座っている者などさまざまである。日曜日ということがあるかもしれないが、スーツを着ている者など一人もおらず、だらしない格好をしている者ばかりである。「じゃんけんに負けた奴が罰ゲームであの店からジュースを3本買ってくる。」というゲームは本当に洒落にならず、もし負けたら命懸けである。
 A氏が学生時代はいまのように危険なことも無く、昼間は中心街を普通に歩くことが出来たという。
「この街も変わっちまったぜ。」
 そう語る彼の目は遠いところを見つめていた。
 メインストリートを抜けて5分も走ると閑静な住宅街となった。やっと緊張が解ける。ふと、自分がこぶしを握り締めていたことに気づいた。住宅街は一転して超高級であり、日本人の感覚では豪邸と呼ぶのがふさわしい。住宅街の中にマンデラ前大統領の邸宅が有る。周囲と比較してもそれほど大きくなく、白い2階建ての家であった。犯罪都市から車で10分の距離に有る前大統領私邸。南アの光と影を見たような気がした。 



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