このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください |
中国(杭州・紹興・上海)−14 大禹陵編
蘭亭を見終わってから、大禹陵に向かった。
大禹陵は中国の伝説的な帝王である禹を祀った陵墓である。世界史用語集によれば、尭は暦を作り、治政に功のあった舜に位を譲り、舜は治水に功のあった禹に位を譲ったという。禹は夏という王朝を開いたとされるが、実在は確認されていない。夏は殷に滅ぼされたと伝えられている。殷は実在が確認されており、紀元前17世紀から紀元前11世紀にかけて存在した。殷は青銅器を用い、甲骨文字を持っていた。
蘭亭から大禹陵までは車で15分ほどだったと記憶している。大禹陵の入口からさらに乗合バスに乗って5分ほどで広場に着き、そこから歩いて数分で左下の写真の場所である。
大禹陵
大禹陵から左に進むと、禹廟があるのだが、その道中に不思議な石碑が立っている。その名をゴウロウ碑(ゴウは山へんに勾、ロウは山へんに楼の旁(つくり))という。
何が不思議なのかと言うと、解読不能という点に尽きる。禹を称えているとか、治水の記録などと言われているが、定かではない。現在使用されていない文字で書かれた石碑というのは、なんともミステリアスではないか。漢字が成立する以前のものなのだろうか。いつ、誰が、何のために書いたものなのか。興味が尽きない。
ゴウロウ碑
禹廟は左下の写真の門をくぐって階段を上っていく。内部には禹の像があったと記憶している。像の脇で、3人の女性が音楽を演奏していた。
禹廟
禹廟の右側の写真からさらに右上のほうに登っていくと、読み方の分からない石がある。なぜ分からないのかというと、これは先程の解読不能というわけではなく、2種類のガイドブックの表記が違うからである。
「地球の歩き方(中国)」 : シ石亭(穴かんむりに乏)
「エアリアガイド上海」 : ビエン石亭(穴かんむりに之)
これは悩ましい。どちらのガイドブックも間違っているような気がするのだ。なぜか。乏の字はボウと読み、シとは読まない。反対に、之はシと読む。したがって、穴かんむりに乏でビエン石亭、もしくは穴かんむりに之でシ石亭ならすっきりするのだ。後はどちらの漢字が正しいかである。
エアリアガイドの方はビエンシーティンと仮名が振ってあり、中国語っぽい響きである。そこで、電子辞書で中国語の発音ビエン(bian)で検索したところ、穴かんむりに乏の方が出て来た。しかも、意味は「埋葬する」。これで決まりだ。当HPではビエン石亭としたい。つまらないこだわりにお付き合いくださった皆様には感謝致します。
ビエン石は高さ2メートル、周囲も2メートルほどの石で、表面にうっすらと漢の時代の文字が彫られている。この石は4個あり、3個は禹の棺とともに埋葬され、1個を目印として地上に残したと言い伝えられている。
ビエン石
大禹陵から登っていく山の頂上に禹の巨大銅像が立っているのが見えた。禹は紹興の街を見下ろしている。ぜひ見たかったのだが、推定1時間ほどかかる山道であり、時間と体力の関係で泣く泣く断念した。
ところで、この山が、会稽山に違いない。大禹陵のチケットにも会稽山と書かれている。はたして、会稽山とはどんな山なのか?それは次のページで。
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