このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください

アンコール遺跡−17 タ・ケウ編



 2005年8月21日(日)。アンコール・ワットから戻って朝食を取り、9時より観光再開である。アンコール・ワットからバイヨンを通り、アンコール・トムの東門である「勝利の門」を通り抜けて数分のところに、タ・ケウがある。

 タ・ケウはジャヤヴァルマン5世(969年即位)が建設に取り掛かり、スールヤヴァルマン1世(1010年即位)が引き継いだが、何らかの理由(国王の死?)で途中で放置された。そのためか、石材などが積み上がった状態で置かれている。

タ・ケウ

 上の写真では祠堂が3つしか見えないが、中央祠堂の周囲を4つの祠堂が囲んでいるというプノン・バケンやアンコール・ワットと同じ構成である。下の写真の撮影場所を忘れてしまったのはお恥ずかしい。

 
第一回廊から(?)

第二回廊から(?)中央祠堂

 さて、タ・ケウの階段も、もちろん急勾配である。下の写真をご覧いただきたい。途中にある踊り場の先が見えない。しかも一段の幅が狭いため足が全部乗らないので、段に手をついて梯子のように昇り降りしなければならない。

急勾配

 この階段を登るのは一つのトレーニングと考えたい。ただでさえ暑いので汗をかく。急勾配の階段に手をついて登るのはかなりの体力を必要とするので汗をかく。足を滑らせたらまず間違いなく怪我をするという恐怖心で冷や汗をかく。したがって、ここの階段を登り切ると汗だくである。
 
 たまたまそばに居合わせた白人が、階段を登り切ったところで、両手を挙げて叫んでいた。
「エイドリアァァァァァン!!」
 彼はフィラデルフィアの階段を走って登り切ったロッキー・バルボアと自分を重ね合わせていたに違いない。そのくらい、ここの階段は過酷なのだ。

 登り切った中央祠堂からは、クメールの密林が見える。

クメールの密林



このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください