このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください

アンコール遺跡−24 東バライ

 このページでは、東バライの遺跡をご紹介したい。東バライは889年に即位したヤショヴァルマン1世が建造した人工の貯水池である。東西7km、南北2km、水深3mという規模であったそうだが、現在は水が枯れてしまい、荒地と化している。東メボン以外は、東バライの脇に建てられている。

<プレ・ループ>

 創建は961年、創建者はラージェンドラヴァルマン2世(即位944年)である。ここでは死者を荼毘に付したという。

プレ・ループクメールの密林


<東メボン>

 創建は952年、創建者はプレ・ループと同じくラージェンドラヴァルマン2世である。東メボンは、大貯水池の中に造られた小島だったそうだ。

東メボン


<タ・ソム>

 タ・ソムの創建は12世紀末、創建者はジャヤヴァルマン7世なので、 バイヨン と一緒である。

 ここでは、写真を売り付けようとする「クメールの子供達」に付きまとわれた。写真を手に「One Dollar」を連呼する裸足の少女(5歳くらい)は諦めずに粘り、最初から最後まで付いてきた。1ドルくらいなら買ってあげても構わないのだけれど、一人から買うと他の子供達も寄ってくるので、無視を続けた。下の写真を撮っているときも、足元には少女がいた。

タ・ソム


<ニャック・ポアン>

 写真を見ればお分かりいただけると思うが、この辺から日差しが強烈になってきた。屋台しかないので、この日の昼食は、日本から持参したアミノバイタル(運動で体脂肪燃焼)になってしまった。(運転手には、僕が観光する間に屋台で何か食べるように指示した。)東バライを観光するツアーでは、どこで食事を取るのだろうか?
 しかも、タ・ソムで少女につきまとわれて心理的にも疲れた。バテバテの状態で観光したのがニャック・ポアンである。

 ニャック・ポアンもジャヤヴァルマン7世の創建である。ここは中央池と周囲に4つの小さい池がある。僕が行ったときは乾いていたが、スコールの直後は水が溜まるのであろう。中央池に水が溜まると周囲の小さい池に流れるようになっており、右の写真の口から水が出る構造になっている。右の写真では人間だが、他の3つは別の動物の像であるそうだ。健康体であれば全て回ったところだが、バテバテだったので、1つの池しか見ていない。

ニヤック・ポアン中央池小さい池


<プリヤ・カン>

 さらにバテバテだったので感動する心も失っており、写真も全然残っていない。スタミナ不足を反省する次第だが、やはり昼食抜きというのが影響したのだろう。ここは広い上に迷路のような構造となっており、まさに疲労困憊であった。

 プリヤ・カンもジャヤヴァルマン7世の創建である。ジャヤヴァルマン7世は、かなり精力的に寺院を建造したようだ。下の写真の2階建て・円柱というのはアンコール遺跡では珍しいものだそうである。

 
プリヤ・カン



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