このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください

アンコール遺跡−27 地雷博物館

 キリング・フィールドで沈んだ気持ちに追い討ちをかけるかのように、次に向かったのは 地雷博物館 である。館長はアキー・ラー氏といい、クメール・ルージュにご両親を殺害された後に戦士として育てられ、ベトナムとの戦争でベトナムに徴兵され、今度はクメール・ルージュと戦ったという数奇な運命をたどった方である。

 内部には館長自ら撤去した地雷が展示されている。地雷には人が踏んで爆発するタイプ、人では爆発しないが戦車が踏んだら爆発するタイプなどいくつか有るということを学んだ。館長がいるときには説明をしていただけるとのことだが、残念ながら僕が言った日は不在であった。
 また、庭には処理済の地雷が設置されている。このように写真で見ても、保護色になっていて見分けにくい。本来は隠したり、埋めたりして設置するので、肉眼で見つけるのはまず不可能であろう。

 ポル・ポトが「完全な兵士」として賞賛した地雷は、地方に広く埋設された。カンボジア全土には推定400万個とも言われる地雷が埋まっている。都市部や主な観光地ではほぼ撤去されているが、少し外れるとまだまだ残っている。そして今でも、人や家畜を殺害し、傷付けている。

内部

 地雷博物館の前の道は、舗装されていない砂利道である。さすがにアンコール・ワットやバイヨンの周囲は舗装されているが、ちょっと脇に入ると、舗装されていない。国土のほとんどがジャングルで、かつ地雷も埋まっているという状況では、道路の整備もなかなか進まないと思われる。「闇雲にジャングルを切り開いて道路を作れ。」というわけではないが、経済発展のためには物流が整備されていなくてはならない。
 日本は、役に立たない中国へのODAを取り止めて、その分をカンボジアに回すべきではないだろうか。地雷を撤去した上で道路も整備するとなれば、多大な国際貢献であろう。

地雷博物館の前の道

 この道路の右側に、ちょっとした広場があり、子供達がサッカーをしていた。もちろんゴールなど有るわけないので、ただボールを蹴って遊んでいるというほうが正しいかもしれない。その中に、松葉杖を突いた片足の少年もいた。地雷の被害者であることは、間違いない。
 このページを書いている本日の日付は2005年12月31日。カンボジアの全ての子供達の2006年が、いい年でありますように。



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