このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください

マレーシア15 スタダイス

 チャイナタウンで昼食を取ってから、マラッカ観光のメインであるオランダ広場に向かった。その中心に位置するのがスタダイスである。

 スタダイスはオランダの総督が居住するために建てられたものである。地球の歩き方では1650年建設、 マレーシア政府観光局サイト では1641年建設となっており、食い違いが生じている。ここははっきりさせるのがHP作成者の使命というべきものだ。そこで、マラッカ州公式ウェブサイトで調べてみたところ、 こちら のページに1650年頃と書かれているので、当HPでは1650年を採用したい。
 そもそもオランダの東インド会社がマラッカを占領したのは1641年である。占領してから建設を始めたのであれば、9年くらいかかったのかもしれない。それほど大きな建物なのだ。
 
  スタダイスは1982年より博物館として使用されている。2階にはマラッカの歴史が展示されており、日本統治時代のコーナーもあった。日本軍がなぜこんな遠方まで来る必要があったのか、考えさせられた。アメリカ、中華民国と戦争をしながら、東南アジアにまで進駐したのだから、そもそも無理があったのは間違いない。

スタダイス

 オランダ広場にはピンク色の建物が並んでいる。日本の神社仏閣は白黒なので、どうしてもこのような派手な色合いの歴史的建造物というのは違和感がある。

 左下の写真の、広場の中心に立っている時計塔と噴水は、イギリス統治時代の1904年、ビクトリア女王に捧げるために立てられたものとマレーシア政府観光局サイトでは説明されている。しかし、 こちら のページでは別の説明がなされており、こうなってくると何が正しいのかよく分からなくなってくる。
 時計塔と噴水を別の写真で撮ったので離れているように見えるかもしれないが、実際はすぐそばに有った。1枚の写真に収めなかったことを後悔する次第である。

オランダ広場
時計台の右側がスタダイス
噴水

 ムラカ・キリスト教会はプロテスタントの教会である。こちらの完成年度も食い違いが生じている。地球の歩き方は1735年、マレーシア政府観光局サイトでは1753年。オランダ統治時代ということは間違いない。これについては、 こちら のページで1753年となっているので、こちらを採用したい。
 スタダイスを観光した9月17日(日)の午後は門が閉ざされていた。翌日18日(月)の午前中に再度訪問し、内部を見学することができた。
 教会の内部にはタイル画の「最後の晩餐」がある。残念ながら遠すぎて、僕の視力ではよく見えなかった。さらに残念なことに、撮影禁止であった。

ムラカ・キリスト教会左: ムラカ・キリスト教会
右: スタダイス




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