このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください

マレーシア16 セント・ポール教会

  スタダイス から坂を上ってすぐのところにあるのが、セント・ポール教会だ。

セント・ポール教会

 セント・ポール教会が建てられたのは、1521年。ポルトガルが支配していた頃である。屋根は朽ち果ててしまい、外壁しか残っていない。

教会内部

 セント・ポール教会の前に、日本でもお馴染みの人物の像が立っている。フランシスコ・ザビエルである。

フランシスコ・ザビエル

 ここで、日本人にも大きな影響を与えたザビエルの生涯を確認しておきたい。

1506スペインに生まれる。
1525パリ大学に留学。神学を学ぶ。
1534イグナティウス・ロヨラを中心にイエズス会を結成。
1541ポルトガル国王ジョアン3世の依頼でインドのゴアに派遣されることとなる。
1542ゴア到着。布教活動開始。
1547マラッカで日本人ヤジロウと出会い、日本に興味を持つ。
1549鹿児島に上陸。
1550 平戸  → 山口
1551京都 → 平戸 → 山口 → 大分 → ゴア
1552ゴア → 中国の上川島(ポルトガル船停泊地)にて布教を試みるが、病を得て逝去。
1553?遺体は上川島に埋葬された後、マラッカを経てゴアで埋葬された。
1622聖人に列せられる。

 わずか足掛け4年という短い滞在期間ながら、大名を改宗させてキリシタン大名にしてしまったのだからすごい。聖書を読んでもイエスの何処に共感を覚えるのか、僕にはよく分からないが、当時画期的な教えだったのは確かである。

 ザビエルの視線の先には、マラッカ海峡が広がっている。マラッカ海峡は今でも交通の要衝であり、中東から原油を積んだタンカーもここを通る。以前僕はシンガポール、マレーシア向けの輸出業務を担当していた頃、ちょうどバーツショックが発生し、アジア全域が大不況となった。シンガポールに出張してお客様と商談したところ、在庫が多過ぎてとても買えないという。どれくらい多いのか尋ねたところ、客はこう言った。

「ウチの在庫をマラッカ海峡に沈めれば、マラッカ海峡を封鎖することができる。」

 それだけ多ければやむを得ないので、商談は空振りに終わり、成果もなく日本に帰った。今回、マラッカ海峡を実際に見て思った。マラッカ海峡を封鎖するには相当莫大な商品を必要とするようだ。

ザビエルが見詰めるマラッカ海峡



 セント・ポール教会から下りていくと、サンチャゴ砦がある。1511年に、ポルトガル軍がオランダとの戦いに備えるために建てた砦と地球の歩き方には書いてあるが、TONYさんによれば、ポルトガル軍が戦ったのはマラッカ王朝とのこと。確かに 当HP の年表で確認しても、1511年のポルトガルがマラッカを占領しており、TONYさんの説が正しいようだ。サンチャゴ砦は、ポルトガルが占領後に建てられた。

上から見たサンチャゴ砦下から見たサンチャゴ砦
右上にセント・ポール教会が見える。



 スタダイスから チャイナタウン 方面に歩いて5分ほどのところにあるのがセント・フランシス・ザビエル教会である。パステルカラーが美しい。

セント・フランシス・ザビエル教会

 中をのぞいてみたところ、銅像があるのに気付いた。一人はザビエルとして、もう一人は誰なのか疑問に思い、中に入ってみた。

 そこにいたのは、ヤジロウだった。足元には、ひらがなで「やじろう」と書かれていた。おそらく、日本人で最初のキリスト教徒に違いない。ザビエルにマラッカで出会い、日本まで案内し、一緒に布教活動に務めた男。ザビエルの話を、大名に、庶民に分かりやすく伝えたのは彼である。当時としては貴重なバイリンガルだ。日本にキリスト教を広めた二人は、マラッカで一緒に銅像になっていた。

左 : ヤジロー
右 : ザビエル

足元拡大図




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