このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください

南アフリカ−11 ソウェト(黒人居住区)編

  ある日曜日、ずっと行動をともにしていたM氏は出張でロンドンに行ってしまい、僕は一人でホテルに取り残された。午前中はホテル隣接のショッピングモールにある美容院で髪を切った。どのように切って欲しい、という要求を英語で伝えるのは困難を極めた。まずバリカンを使うか否か、の選択だが、美容師はToolという単語を用いた。そもそもバリカンとは何語なのだろうか。辞書で調べると英語ではHair Clippersというらしい。案の定、中途半端にバリカンの入った変な髪型となってしまった。
  午後はホテルのオプショナルツアーに申し込んで、ソウェト(SOWETO)に行った。ソウェトは南アフリカ最大の黒人居住区(100万人とも言われるが、正確な人数は把握できないという。)であり、ヨハネスブルクの南西約30kmに位置している。ここはアパルトヘイト時代、当時の政府により黒人専用居住区として作られた街で、South−West Townshipsの頭文字を取って名付けられた。ちなみに僕が宿泊しているホテルがあるサントンは元白人居住区であり、黒人の立ち入りは禁止されていた。以前は鉄条網で区別されていたと言うが、現在は撤去されている。
  ツアー参加者は白人6人と僕の計7人で、後はガイド1名、運転手1名だった。ワゴン車1台である。車から降りることは禁止されており、車の中からの見学になる、と出発前に注意を受けた。サントンのホテルを出て、悪名高きヨハネスブルク中心地を通って、ソウェトに行くという半日コースである。
  サントン、ヨハネスブルクは道路やビルも整備されている。大都会と言っても差し支えないであろう。それがソウェトに入ると様相は一変する。まず道路が整備されていない。黒人居住区ということで、白人やアジア人は一人も見当たらない。至るところに黒人がたむろしている。いろいろなところから煙が立ち昇っているのはごみでも焼いているのだろうか。現在政府がレンガ造りのモデルハウスを建設中であり、彼らの生活はかなり改善されたとはいうものの、依然として電気・水道も通っていないようなバラック建ての家がかなり残っていた。このあたりは電話やトイレが共同である。中にはBMWが停めてあるような比較的大きな家の並んでいる地区も有り、マンデラ元大統領が刑務所に収容される前に住んでいた家が保存されていた。もちろんこのような地区は例外である。
  今後、南アに住む黒人の生活は向上していくだろうが、前途多難と感じざるを得なかった。ソウェトの失業率・犯罪率は異常に高いという。ただ、ガイドの黒人によれば、ソウェトに住む人は皆、南アフリカという国家はこれから良くなるという希望を持って生きているということで、彼自身もそれを信じて疑っていないようである。子供も皆人懐っこく、車の中の我々に向かって懸命に手を振ってくれた。自分達を「見物」に来た東洋人1人と白人6人のためにポーズを取ったりしてくれたが、何か失礼な気がしてカメラを向けることは出来なかった。この子達の生活が一日でも早く良くなるよう願わずにはいられなかった。

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