このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください

ロサンゼルス2 ダウンタウン編

 ロサンゼルスに到着した日の午後から早速業務を開始した。我ながら勤勉である。日本とLA標準時の時差は17時間なので、LA時間月曜日の13時業務開始ということは、日本時間の火曜日午前6時だ。
 さすがに途中何度か睡魔が襲い、LA駐在員も急用で出かけてしまい、早くも16時頃にはオフィスを出た。すぐにでも寝られるくらい眠いのだが、ここで寝てしまうと夜中に目が覚める。同行した社員と散歩をして時間を潰すことにした。

ホテルの前の交差点
前後が7th Street
左右がFigueroa Street

 ダウンタウンは碁盤目上に道路が走っているので、分かりやすい。北西から南東に向けて1st Streetから9th Streetまで走っており、その間は比較的安全とのことであった。我々の宿泊したホテルは7th Street沿いである。

Financial District

 上の写真で、右側の丸い高いビルがUS Bank、左の四角いビルがCITI Bankである。アメリカ第2の都市の金融村なのだから、世界金融危機の震源地の一つといっても差し支えないであろう。

Pershing Square

 5th Streetと6th Streetの間にあるのがPershing Squareだ。特にどうといったことのない公園で、閑散としていた。このままリトルトーキョーを目指してHill Streetを歩いたのだが、デパートやレストランを見掛けなかった。

オニヅカ氏のモニュメント
下にあるのはレリーフ

 ホテルでもらった地図上のリトルトーキョーの周辺に着いたところ、スペースシャトルのモニュメントが有った。1986年1月28日、エリソン・ショージ・オニヅカが乗り込んだスペースシャトル「チャレンジャー」は打上げ後わずか73秒で爆発。クルー7名は全員死亡した。
 ところで、オニヅカ氏はハワイ州の生まれだが、コロラド大を卒業してからアメリカ空軍に勤務している。当初はサクラメント、次がエドワード空軍基地でともにカリフォルニア州であり、その縁でリトルトーキョーにモニュメントが立てられたのではないかと推測される。
 僕は日本人として、黙祷を捧げた。

 オニヅカ氏のモニュメントのあたりに日本の店をいくつか発見したが、閑散としていた。「本当にリトルだ。」と思って引き返したのだが、翌日昼食でリトルトーキョーに連れてきてもらったところ、僕が引き返した先に、もっと大きなショッピングモールがあったことが判明した。そのときはカメラを持参しなかったので、リトルトーキョーの写真は残念ながら無い。

Financial District

 リトルトーキョーのあたりから見たFinancial District。左の丸いビルがUS BANK(上の写真にも映っています。)、真中のビルがMELLON BANK、右側の茶色いビルがWELLS FARGOだ。歩いて15分ほどの距離にもかかわらずよく見えるということは、他に高層ビルが無いことを意味する。

Broadway

 その後、Broadwayを歩いて戻ったのだが、大規模ショッピングモールやレストランは発見できなかった。Broadwayというくらいだから商店街なのかと思ったのだが、普通の道であった。結局ホテルに戻ってフロントでレストランの在り処を聞いた。

 ダウンタウンは正直に言って、それほど見所がないと思う。いわゆる繁華街が見当たらない。都市が出来てからまだ150年ほどしか経っていないのが原因だろうか。景気のせいか、沈滞気味という感じを受けた。



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